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第39話 保健室の奥

――ミルロ視点――


 決意を込め、保健室の扉を開いた。


「失礼します」


「あらー、いらっしゃーい」


 いつもの調子。いつもの声。


 ヘルミーナ先生は椅子に座って足をぱたぱたさせながら、チョコレートを頬張っていた。


 その光景を黙って観察する。


 チョコレートを一口かじる。


 机の上に、小さな欠片が三つ落ちる。


 右足、左足の順番で二度ずつ揺らしたあと、首を少し傾げる。


 ――やっぱり、予想どおりだ。


 チョコレートのかじられ方も、落ちる欠片の数も、足を動かす順番も、何もかもが昨日までと同じだった。


 間違いない。


 目の前にいるヘルミーナ先生は、魔法によって作られたNPCのような存在だ。


 返答の内容も、あらかじめ決められている。


 ここで回復魔法を教えてほしいと言えば、それを合図に、いつものやり取りが始まる。


「わたしは養護教員であって、魔法を教える実技教師ではないの」


「はーい。一名様、お帰りでーす。お大事にー」


 おそらく今日もそう言って、追い返されるのだろう。


 だとしたら、どうすればいい?


 いつもと違う答えを引き出すためには、いつもと違うことをしなければならない。


 さて、どう話しかけようか。


 黙って考えていると、にこにことこちらを見ていたヘルミーナ先生の瞳が、一瞬だけ光ったような気がした。


「あれ? 特に用事はないのかな? じゃあ元気そうだし、お大事にー」


「待ってください」


 立ち上がろうとしたヘルミーナ先生の手を、反射的につかんだ。


 柔らかい。


 それに、温かい。


 まるで本物の人間のように、皮膚の下を血が通っている感触があった。


「ちょっとー、お触りは厳禁ですよー」


「す、すみません!」


 困ったように言われ、慌てて手を離した。


「いえいえ、分かっていただければいいんですよー。それでは、お大事に」


「本物のヘルミーナ先生は、どこにいるんですか?」


「へ?」


 ヘルミーナ先生が間の抜けた声を上げた。


 だが、それも一瞬だった。


 すぐにいつもの笑顔へ戻る。


「何を言っているんですか? わたしが正真正銘、本物のヘルミーナ先生ですよ。本物のわたしは、こうしてここに――」


「今は、意識だけが本物なんですよね?」


 先生の言葉が止まった。


「わたしが何も話さずに立っていたとき、一瞬だけ先生の目が光りました。それから、わずかに口調と反応が変わったんです。まるで、途中から別の意識が入ってきたみたいに」


「…………」


「普段の簡単な応対は、あらかじめ決められた動作と言葉で行っている。でも、それだけでは対処できないことが起きたとき、本物の先生の意識がこの身体に入ってくる。違いますか?」


 ヘルミーナ先生は、すぐには答えなかった。


 何かを考えるように視線を上へ向け、人差し指をくるくると回している。


 やがて、その瞳が挑むように細められた。


「面白い推測ですね。では、わたしが本物ではないとしたら、一体何なのでしょう?」


 先生は自分の頬を引っ張りながら続ける。


「先ほど、あなたはわたしの手に触りましたよね? どうでした? 入れ替え戦で、あなたの班が使った土人形みたいに硬かったですか? 冷たかったですか?」


「それは……」


「違いますよねー? わたしの身体は柔らかいし、温かい。ほら、皮膚だってこんなに伸びますよー」


 そう言って、右腕の皮膚をびろーんと引っ張ってみせた。


 確かに、手からは人間と同じ感触がした。


 リリスが作ったような、精巧な土人形ではない。


 ――待って。


 ヘルミーナ先生は回復魔法を使う。


 回復魔法を扱えるのは、光、水、そして氷属性だ。


 光属性は、アリアと契約している伝説の精霊ミーティアだけが扱える特別な属性。だから、ヘルミーナ先生の属性を水か氷だと考えていた。


 では、その契約精霊はどんな姿だっただろう。


 思い出せない。


 それどころか、一度もヘルミーナ先生の精霊を見たことがない。


 普段、ユキメは姿を消している。


 精霊を実体化させ続けるだけでも契約者の魔力を少しずつ消費するため、それを抑えるためだ。魔法を使う際には呼びかけに応え、姿を現してくれる。


 入れ替え戦で、ヘルミーナ先生は何人もの重傷者を一瞬で治した。


 あれほどの回復魔法を使いながら、契約精霊が一度も姿を見せなかったなんてあり得るのだろうか。


 いや――違う。


「もしかして……この身体そのものが、本物のヘルミーナ先生の契約精霊なんですか?」


 ヘルミーナ先生は答えなかった。


 笑顔のまま、ぴたりと動きを止めている。


 当たった?


 それとも、間違えた?


 不安になった、そのときだった。


 学園中に、呼び出しを告げる鐘の音が響いた。


 続いて、校舎全体へ声が流れる。


『一年生、ミルロ・マルチーズ。学園長がお呼びです。今すぐ三階の学園長室へ来てください』


「えっ? 学園長室?」


 あまりに突然の呼び出しに、目を丸くした。


 どうして学園長が?


 疑問に思いながらヘルミーナ先生へ視線を戻す。


 その瞬間、先生の瞳から光が消えた。


 先ほどまで浮かべていた笑顔も消え、表情が無機質なものへと変わっている。


「ヘルミーナ先生……?」


 呼びかけても、返事はなかった。


 先生は無言のまま立ち上がると、決められた動作を再現するような正確さで保健室の扉を開けた。


 一度だけこちらを振り返り、そのまま廊下を歩き始める。


 ついてこい、ということだろうか。


 明らかに先ほどまでとは様子が違う。


 まるで中にいた誰かが突然抜け落ち、身体だけが命令に従って動いているようだった。


 少し不気味に感じながらも、先生のあとを追った。


 保健室があるのは校舎の一階。


 そこから中央階段を上り、三階へ向かう。


 先生は一言も話さない。


 足音まで一定の間隔を保ち、前だけを見つめて歩き続けている。


 その背中を見つめているうちに、ふと疑問を覚えた。


 そういえば――。


 ゲームでも、この学園へ入ってからも、学園長の姿を一度も見たことがない。


 これほど大きな学園なのだから、当然、学園長は存在する。


 なのに入学式にも現れず、入れ替え戦でも学園長として紹介された人物はいなかった。


 一体、どんな人なのだろう。


 やがて三階の一番奥まで進むと、立派な木製の扉が見えてきた。


 扉の上には『学園長室』と書かれている。


 ヘルミーナ先生は扉の前で立ち止まると、無表情のまま三度ノックした。


「入ってください」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。


 ヘルミーナ先生は何も答えず、扉を開ける。


 自分が先に中へ入ると、続くよう無言で振り返った。


 考える暇もなく、学園長室へ足を踏み入れる。


 部屋の奥には、大きく立派な机が置かれていた。


 その向こう側に座っていた人物を見て、言葉を失った。


 銀色の髪。


 若く美しい顔立ち。


 見慣れた白衣姿。


 そこにいたのは、紛れもなくヘルミーナ先生だった。


 机に座る先生と、隣に立つ先生を交互に見比べる。


 二人の姿は瓜二つだ。


 ただし、机に座っている方の耳だけは、先端が鋭く尖り、人間よりもずっと長かった。


「久しぶり、と言った方がいいでしょうか。本体で会うのは、入れ替え戦以来ですね」


 机の向こうにいるヘルミーナ先生がそう告げる。


 すると、隣に立っていたもう一人の身体が突然光り始めた。


 光が収まったとき、そこに人の姿はなかった。


 代わりに床の上にいたのは、青く半透明で、ぶよぶよとした小さな生き物だった。


 前世の知識で言えば、いわゆるスライムだ。


 スライムはぷるぷると身体を震わせると、勢いよく跳び上がった。


 そして机の上に置かれていた小さな壺の中へ、すっぽりと入ってしまう。


「この子は、本来の姿を人に見られるのをひどく嫌がるのですよ。許してあげてくださいね」


 ヘルミーナ先生が壺を優しく撫でる。


 あの壺には見覚えがあった。


 入れ替え戦のとき、ヘルミーナ先生が持っていたものだ。


 あのときは壺が光り、その光に包まれたわたしたちの傷が一瞬で治った。


「その子が、先生の契約精霊……?」


「そうですよ。この子の名前はスラピン。水属性のスライムの精霊です」


「その精霊スラピンが、人間そっくりに変身していたんですか?」


「ええ。スラピンは、見たものの姿や動きを模倣できるの。人の身体だけではありません。衣服や、手に持った小物まで、自分の身体を変形させて再現できるのよ」


「では、あのチョコレートも……」


「スラピンの身体の一部です。毎日、欠ける場所も、落ちる欠片の数も同じなのは気になっていました。ですが、一度覚えさせた動作を直すのが面倒だったので、そのまま放置していたんです。おそらく、それで気づいたのでしょう?」


 こくりと頷く。


 なるほど。


 でも、自分の身体を美味しそうに食べていたということよね?


 そう考えると、少しだけ不気味だった。


「声も真似できますが、自分で新しい言葉を考えて話すことはできません。だから普段の保健室では、あらかじめ覚えさせた言葉と動作で生徒に応対させています」


 毎日、同じ動きをしていた理由がようやく分かった。


 スラピンは、覚えた一連の動作を忠実に繰り返していたのだ。


「簡単な命令なら理解できます。先ほども、わたしが『ミルロをここまで連れてきて』と命じました。でも、自分で新しい言葉を作ることはできません。道中、ずっと黙っていたでしょう?」


「はい。少し怖かったです……」


「ふふふ。それはそれで味があるんですけどね」


 悪びれる様子もなく、ヘルミーナ先生は笑った。


「覚えさせた応対だけでは済まないことが起きると、スラピンが念話でわたしを呼びます。そうしたら、わたしの意識をあの身体へ移して、代わりに話すのです。何百年も一緒にいたら、あれくらいはできるようになるんですよ」


「何百年……?」


「わたしはエルフですからね。人間よりも、ずっと長く生きているのです」


「では、先生は今、おいくつ――」


「レディーの年齢を聞くのは、同性でも許しませんよ」


「すみません」


 反射的に頭を下げた。


 すると、ヘルミーナ先生はコホンと咳払いした。


「それと、もう正体も知られてしまったことじゃし、一学生を相手にいちいち敬語を使うのも面倒じゃ。ここからは普段どおりに話させてもらうぞ」


 先生はそう断ると、椅子の背もたれへ深く身体を預けた。


 突然の、おばあさんのような話し方。


 なるほど。これが先生の素なのだ。


 保健室では、どこか間の抜けた軽い口調。


 入れ替え戦では、負傷者を預かる者らしい少し真面目な口調。


 そして今は、長い年月を生きてきた者の威厳を感じさせる、老人のような話し方。


 同じ顔と声なのに、あまりの違いに少し戸惑ってしまう。


「でも、精霊は自分で魔法を使えないのでは?」


「そのとおりじゃ。もちろん、スラピンにも魔力はない」


「では、普段の治療は誰が?」


「軽い怪我をした生徒が来れば、スラピンが念話でわしへ知らせる。わしは契約を通じて魔力を送り、スラピンが回復魔法へ変換する。そして、離れた場所からわしが魔法を放っておる」


「先生が遠隔で……」


「スラピンは、わしと患者をつなぐ中継役というわけじゃな。もっとも、重傷者が出た場合は、わし自身が治療する。入れ替え戦のようにな」


「でも、あのときは耳が……」


「白いナース帽の中に隠しておった。エルフであることは、あまり知られたくないのでな」


 先生は自分の長い耳を指先で軽く弾いた。


 これで、今まで抱いていた疑問がすべて解けた。


 いや、今はそれよりも大切なことがある。


「改めてお願いします。わたしに回復魔法を教えてください」


「断る」


 即答だった。


 ただし、スラピンが話していたときの軽い言い方ではない。


 冗談の欠片もない、真剣な声だった。


 本物の先生に会えたのだから、もしかしたら教えてもらえるかもしれない。


 そう期待していただけに、思わず肩を落とした。


「どうしてですか?」


「先ほどは言い方が悪かった。わしが教えたくないのではない。魔法の使い方の本質は、他人から教わるだけで身につくものではない。ゆえに、完成した答えを教えることはできんのじゃ」


「ですが、ここは魔法学園ですよね? 魔法を教えるための場所ではないのですか?」


「では逆に聞こう。君はこの学園へ入ってから、何か新しい魔法を教わったか? 教師に手順を教えられ、そのとおりにして魔法を使えるようになったことがあるか?」


「それは……」


 これまで受けてきた授業を思い返す。


 魔法の属性。


 魔法と精霊の歴史。


 魔力とは何か。


 契約精霊との正しい付き合い方。


 座学で習ったのは、そういった理論ばかりだ。


 初級魔法である《アイスショット》一つを取っても、氷の塊をどのように生み出し、どうやって飛ばせばよいのか、その具体的な手順は教科書のどこにも書かれていなかった。


 ほかに学ぶのは、読み書きや算術、歴史、礼法などの一般知識と、武器術や体術を中心とした実技だけだった。


「……ありません」


「そうじゃろう」


 ヘルミーナ先生が満足そうに頷いた。


「では、もう一つ聞こう。入れ替え戦で使った君の《ブリザードアロー》。あれは、なかなか見事な魔法じゃった。では、その使い方をわしに教えてみよ」


「《ブリザードアロー》を、ですか?」


「そうじゃ。わしでも同じ魔法を使えるよう、具体的にな」


 背負っていた青龍の弓へ手を触れた。


「青龍の弓から、青龍の力を呼び起こします。それから、青龍が使っていた《氷獄の息吹》を思い出して、その力を矢の形にして……」


「さっぱり分からんな」


「えっ?」


「君の説明では、わしには同じ魔法を使えん。青龍を見たこともなければ、《氷獄の息吹》を受けたこともないからのう」


「でも、この弓には青龍の力が――」


「宿っておらんよ」


 先生は、きっぱりと言い切った。


「その弓からは、君が青龍と呼ぶ者の魔力も意識も感じん。確かに見事な武器で、君の魔力を素直に受け入れ、作り出した矢を遥か遠くまで運んでくれる。丁寧に手入れされ、大切に使われていることも分かる」


 青龍の弓を見つめながら、先生は続ける。


「じゃが、それだけじゃ。弓の中に何かが生きておるわけでも、特別な魔法が封じ込められておるわけでもない」


「では、《ブリザードアロー》は……?」


「あれは君とユキメの力じゃ。君が見たものを自分なりに解釈し、ユキメと共に矢という形へ作り直した。その弓は、想像を形にするためのきっかけにすぎん」


 先生は机の上で両手を組んだ。


「よいか。魔法とは、術者の意志と想像力から生まれるものじゃ」


 ヘルミーナ先生が、まっすぐにこちらを見る。


「人間が魔力を送り、精霊が術者の想像を魔法へ変え、最後に術者が現実へ放つ。その三つが揃って、初めて魔法は完成する」


 以前、テラとリリスへ伝えた言葉とよく似ている。


 魔法はイメージだ。


 だからこそ、可能性は無限に広がっている。


「せっかくじゃから、わしの教育方針を教えてやろう。この学園で、わしは生徒へ完成した魔法を教えるつもりはない」


「完成した魔法を……?」


「学園が教えるのは、魔法を正しく理解するための知識と、思う存分試すことのできる場所じゃ。魔法そのものは、実際に使い、失敗し、工夫しながら、自分で見つけるしかない」


 ヘルミーナ先生が、こちらをまっすぐに見据える。


「友人の魔法に影響を受けることもあるじゃろう。教師の言葉から、きっかけを得ることもある。精霊の方から助言をくれることもあるかもしれん。じゃが、最後に魔法の形を決めるのは術者自身じゃ」


「それでは、わたしに必要なのは……」


「教えを請うことではなく、実践あるのみじゃ。ぐだぐだと理論を考えておる暇があったら、どんどん使え。失敗してもよい。負けたって構わん」


 先生は不敵に笑った。


「大丈夫じゃ。君が死なない限り、どんな怪我でもわしが治してやる。この学園にいる間だけじゃがな」


 その言葉は、入れ替え戦で聞いたものと同じだった。


 あのときとは話し方が違う。


 けれど、その奥に込められた思いは変わらない。


「話は以上じゃ。君の契約精霊は氷属性。回復魔法を生み出す素質はある。実践を重ねていけば、そのうち使えるようになるかもしれん」


「ですが、わたしはユキメと契約してから三年以上、回復魔法を練習しています。それでも、いまだに初級の《ヒール》すら使えません」


「《ヒール》か。あれは、魔法をうまく想像できない者のために定型化された術じゃ」


「定型化?」


「先人が作り上げた、扱いやすい魔法の型じゃよ。誰でも同じイメージを持ちやすく、安全に使える。決して悪いものではない。じゃが、君はすでに自分だけの魔法の形を作り上げておる」


 自分だけの魔法の形。


 その言葉に、胸の奥で何かが引っかかった。


「君はこれまで、どんな回復魔法を使おうとしておった?」


「《アイスヒール》です」


 ゲームの中で、ミルロが使っていた回復魔法。


 両手から淡い氷の光を放ち、味方の傷を癒やす魔法だ。


 何度もその姿を思い浮かべ、同じように両手をかざしてきた。


 けれど、どれだけ練習しても、一度も成功しなかった。


「なるほど。《アイスヒール》も、基本の《ヒール》から派生した定型魔法じゃ。君は他人が作った型へ、無理やり自分を押し込めようとしておる」


「わたしに合っていない……?」


「君は回復魔法が使えないのではない。自分に合わない方法で使おうとしておるだけじゃ」


 わたしだけの魔法の形。


 《ブリザードアロー》。


 氷の弓と、氷の矢。


 わたしの魔法は、いつだって弓と矢だった。


 ならば――。


 両手から回復の光を放つ必要なんてない。


 癒やしの力を矢へ込め、それを傷ついた仲間へ届ければいい。


 透き通るほど軽い氷の矢が、遠く離れた仲間へ飛んでいく。


 傷口に当たった矢は柔らかな氷へと変わり、傷を包み、ゆっくりと癒やしていく。


 治療が終われば、氷は自然に溶けて消える。


「回復魔法を込めた矢……?」


 無意識に、その考えが口からこぼれた。


 ヘルミーナ先生が片方の眉を上げる。


「ほう?」


「回復の魔法を矢に込めるんです。傷ついた仲間を射れば、遠くからでも回復できるかもしれません」


「わしには、その魔法の使い方は分からん」


「えっ?」


「じゃが、君には分かりかけておるようじゃな」


 先生は楽しそうに笑った。


 まだ使えるわけではない。


 具体的にどうやって回復の力を矢へ込めるのかも分からない。


 それでも、先ほどまでとは違う。


 真っ暗だった道の先に、小さな光が見えていた。


「さて、本当に話はここまでじゃ」


 ヘルミーナ先生が椅子を回し、こちらへ背中を向ける。


「今回は、わしの正体を見破った褒美じゃ。それに、カワリの件では学園側の事情で君へ迷惑をかけた。その詫びも兼ねておる」


「カワリの件……?」


「今は、それ以上話すつもりはない」


 低い声で遮られた。


 振り向かなくても、これ以上は聞くなという強い意思が伝わってくる。


「これでも、わしは学園長じゃ。一般生徒である君一人に、いつまでも構っていられるほど暇ではない」


「分かりました」


「それから、わしが学園長であることと、保健室のヘルミーナ先生がスラピンであることは内密にな。もし誰かに話したら、ただでは済まさんぞ」


「はい。誰にも話しません」


 扉へ向かいかけ、もう一度だけ振り返った。


「ヘルミーナ先生」


「何じゃ?」


「ヒントをくださって、ありがとうございました」


「礼なら、その魔法を完成させてからにせい」


 先生はこちらを見なかった。


 けれど、その声はどこか優しかった。


「はい。必ず完成させます」


 頭を下げ、学園長室をあとにした。


 回復魔法は、ただ両手から光を出すだけのものではない。


 ゲームのミルロと同じ魔法を使う必要もない。


 わたしの魔法は、弓と矢だ。


 ならば、わたしだけの癒やし方を見つければいい。


 三年間練習しても使えなかった魔法だ。そう簡単に完成するとは思えない。


 それでも、ゲームのミルロをなぞるだけだった頃とは違う。


 今のわたしが進むべき道は、はっきりと見えていた。

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