第38話 同じ返事
――ミルロ視点――
「失礼します」
「あらー、いらっしゃーい」
扉の向こうから返ってきたのは、どこか間の抜けた声だった。
保健室へ入ると、患者の姿はどこにもない。
銀色の髪をしたヘルミーナ先生が、椅子へ腰掛けている。
よほど暇なのか、両足を交互にばたばたと揺らしながら、板チョコレートを美味しそうに頬張っていた。
見たところ、忙しくはなさそうだ。
これなら、少しくらい話を聞いてもらえるかもしれない。
ゲームでは、保健室を利用すると一日が経過し、体力と魔力がすべて回復した。
けれど、現実は違う。
ヘルミーナ先生の回復魔法で傷を癒やすことはできても、消耗した体力や使い果たした魔力まで、すぐに回復するわけではない。
入れ替え戦のあと、傷は綺麗に消えていた。けれど、全身に残った疲労と、空になった魔力を取り戻すには、きちんと身体を休める必要があった。
ゲームでは一つの処理だった体力と魔力の回復も、この世界ではまったく別のものなのだ。
それでも、一瞬で傷を癒やす回復魔法は、前世の医療と比べても破格の力だと言えるだろう。
「あの、ヘルミーナ先生。少しお願いが――」
「嫌よ」
最後まで言い終える前に、即答された。
「えっ? まだ全部言っていませんけれど……」
「だって、あなたは見たとおり元気そうだもの」
先生はチョコレートをもう一口かじると、興味なさそうに手を振った。
「それなら、わし……いや、わたしに回復魔法を教えてほしいとか、そんなところでしょ?」
「それは、そうなのですが……」
今、わしと言いかけなかっただろうか。
「自慢なんだけど、わたしの回復魔法はすごいの。そこらの回復魔法使いとは、わけが違うのよ」
ヘルミーナ先生は椅子へ座ったまま、得意そうに胸を張った。
「だから、わたしの魔法を見た人が、教えてほしいって頼みに来ることも多いの。この前、入れ替え戦があったでしょう? あれから特に増えたのよね。あなたで五人目かしら」
「そんなに……」
「悪いけど、わたしは養護教員であって、魔法を教える実技教師ではないの。だから、あなたに回復魔法を教えるつもりはありません」
「そこをなんとかお願いします。わたしには――」
「はいはい、ストップ」
ヘルミーナ先生が言葉を遮った。
「わたしが嫌だと言ったら嫌なの。それに、どんな人にだって、治したい人や助けたい人が、一人や二人はいるんだから」
先ほどまでの軽い調子を崩さないまま、先生は言い切る。
「あなただけが特別ではないのよ」
「そんな……」
「はーい。一名様、お帰りでーす。お大事にー」
ヘルミーナ先生はそう告げると、くるりと椅子を回し、こちらへ背中を向けてしまった。
これ以上、話を聞くつもりはないらしい。
仕方なく頭を下げ、保健室をあとにした。
◇
寮の自室へ戻り、椅子へ腰掛けながら、ゲームに登場したヘルミーナ先生のことを思い出す。
とはいえ、知っている情報はほとんどない。
ゲームのヘルミーナ先生には、立ち絵すら存在しなかった。
登場するのは、名前と声だけだ。
保健室へ入ると画面が暗くなり、明るい声が聞こえてくる。
『はいはーい、具合が悪そうね。回復するわね』
その言葉と共に、体力と魔力が全回復する。
治療が終わると、
『はい、お大事にー。ばいばい』
そう言われて、保健室の外へ戻される。
学園内で大きなイベント戦が行われるときだけは、少し真面目な声で、
『死なない限り、どんな怪我でもわたしが治します。若いのですから、全力で青春をぶつけなさい』
と励ましてくれた。
雑魚敵との戦いに負けた場合は、保健室で目を覚ますことになる。
『もう、死にそうで危なかったんだからね! わたしがいなかったら、あなた死んでたわよ!』
そこまでは叱るような声なのに、最後にはいつもの軽い調子へ戻り、
『まあ、青春なんだから、こんなこともあるでしょ。またのお越しをお待ちしております』
と言ってくる。
そんな台詞が、妙に印象に残っていた。
基本的には軽い調子だけれど、ときどき別人のように真面目になる。
それが、ゲームで知るヘルミーナ先生のすべてだった。
実際に会った先生は、見た目だけなら三十代ほどの若く美しい女性だ。
けれど、本当の年齢はもっと上だったはず。
回復魔法を極めたことで若い容姿を保っているという記述を、ゲーム内のどこかで読んだ覚えがある。
そういえば、さっきも「わし」と言いかけていた。
もしかすると、想像しているよりもずっと――。
「……女性の年齢を考えるのは無粋ですね」
そこで思考を打ち切った。
どれだけゲームの記憶を探っても、回復魔法を教えてもらう方法など出てこない。
ヘルミーナ先生は攻略対象者でも、物語へ深く関わる人物でもなかった。
今回ばかりは、ゲームの知識がまったく役に立ちそうにない。
それでも、回復魔法はなんとしても習得したい。
一度断られたくらいで、諦めるわけにはいかなかった。
「明日、もう一度お願いに行きましょう」
◇
翌日の放課後。
「ヘルミーナ先生。回復魔法を――」
「嫌よ。はーい。一名様、お帰りでーす。お大事にー」
◇
その翌日。
「あの、少しだけでもお話を――」
「嫌よ。はーい。一名様、お帰りでーす。お大事にー」
◇
さらに翌日。
「わたしの魔法を見ていただくだけでも――」
「嫌よ。はーい。一名様、お帰りでーす。お大事にー」
◇
最初に保健室を訪れてから、四日が経過した。
放課後になるたび、保健室へ通い続けた。
それでも、ヘルミーナ先生の返事は一度も変わらなかった。
熱心だと褒められることもない。
しつこいから二度と来るなと怒られることもない。
何度訪ねても、先生は銀色の髪を揺らしながら椅子へ座り、両足をばたばたさせてチョコレートを食べていた。
そして、回復魔法について口にした途端、決まって同じ返事をする。
「嫌よ。はーい。一名様、お帰りでーす。お大事にー」
一言一句、変わらない。
声の調子も、手を振る仕草も同じだった。
それはまるで、どれだけ話しかけても、決められた台詞しか返さないゲームの登場人物。
同じ選択肢を何度選んでも、まったく同じ言葉を繰り返すNPCのようだった。
けれど、そんなはずはない。
この世界は、ゲームによく似ている。
それでも、ここで生きている人たちはゲームの登場人物ではない。
みんな自分の意志を持ち、その日の出来事によって喜び、怒り、悩み、少しずつ変わっていく。
ヘルミーナ先生だって、同じはずだ。
それなのに、どうして四日間も同じ反応を繰り返すのだろう。
その日の夜。
寮の自室で、これまでの出来事を思い返していた。
初めて保健室を訪れた日。
ヘルミーナ先生は椅子に座り、両足を交互にばたばたと揺らしながら、右手に持ったチョコレートを食べていた。
翌日も同じだった。
その翌日も。
椅子の角度。
足を揺らす速さ。
チョコレートを持つ手。
扉を開けた直後に、右上の角を一口かじる仕草。
断ったあと、左手を二度振る動作。
そして、まったく同じ言葉。
普通なら、ほんの少しくらい違いがあるはずだ。
疲れている日もあれば、機嫌の悪い日だってある。
毎日食べているチョコレートの形まで、同じ場所が欠けているなんてことがあるだろうか。
「まるでNPC……」
そこまで考えた瞬間、頭の中で何かがつながった。
ゲームの登場人物のように見えるのではない。
決められた言葉を話しているように感じるのでもない。
もし、本当に――。
「そうか……そうだったんだ」
勢いよく椅子から立ち上がった。
窓の外は、すでに夕闇に包まれている。
それでも構わず部屋を飛び出し、再び保健室へ向かって走り出した。




