第37話 胸騒ぎ
――ミルロ視点――
一年生の課外授業について知らされた翌朝。
早速、お兄様へ面会を申し込んだ。
授業が始まる前の短い時間なら空いているとの返事を受け、二年生が利用する談話室へ向かう。
もちろん、一人で行くつもりだった。
けれど――。
「どうしてメイ様までついてくるのですか?」
「ミルロがお兄様に会うのでしょう? それなら、わたしがお兄様に会いに行っても何もおかしくありませんわ!」
「それは、そうですけれど……」
お兄様へ面会を申し込んだと聞き、メイ様も当然のようについてきてしまった。
談話室の扉を開けると、お兄様だけでなく、ゼノン様も待っていた。
「よく来たな、ミルロ。それに、メイ王女殿下も」
「おはようございます、お兄様」
「おはようございますわ、アーサー。お兄様も、ごきげんよう」
「ああ」
ゼノン様は短く答えると、手にしていたカップを静かに置いた。
「ゼノンとは、ちょうど話をしていたところだったんだ。二年生にも関係する話かもしれないと言ったら、同席してくれることになってな」
「急に申し訳ありません」
「構わない。それよりも二人とも、入れ替え戦は見事だった」
お兄様が、わたしとメイ様を交互に見ながら笑う。
「あれほどの戦いを見せられるとは思っていなかった。メイ王女殿下の剣は、以前よりもはるかに速く、重くなっていた。あの《ライジング=ストライク》という技など、俺でも正面から受け止められるか分からない」
「当然ですわ!」
メイ様が誇らしげに胸を張った。
「ミルロもだ。子どもの頃から弓の腕が優れていることは知っていたが、今ではもう、それだけではない。仲間を動かしながら戦場全体を支配していた。兄として鼻が高いよ」
「ありがとうございます、お兄様」
真正面から褒められると、やはり少し恥ずかしい。
「ゼノンも、そう思うだろう?」
お兄様に話を振られたゼノン様は、わずかに間を置いてから頷いた。
「ああ。そうだな」
返ってきたのは、それだけだった。
◇
――ゼノン視点――
メイが強くなった。
それは、兄として喜ぶべきことだ。
剣を握ることしか頭になかった幼い妹が、今では仲間と共に、あれほどの戦いを繰り広げられるようになった。
誇らしくないはずがない。
それなのに、胸の奥には小さな棘が刺さっていた。
雷姫。
兄をも超える剣の才能を持つ王女。
入学前から、メイはそんなふうに呼ばれていた。
あの入れ替え戦を見た者たちは、その噂が決して誇張ではなかったと知っただろう。
今すぐ、俺の王位継承者としての立場が揺らぐわけではない。
だが、メイがこのまま成長を続ければどうなる。
いずれ、王国を継ぐにふさわしいのはどちらかと、俺とメイを比べる者が現れるのではないか。
そんな考えを抱いてしまう自分が、ひどく情けなかった。
俺は二年生の個人成績で首位だった。
筆記でも実技でも、誰にも負けていない。
しかし、二年生最強の班はどこかと尋ねられれば、多くの生徒がジーク=キルラルドの班を挙げるだろう。
二年生の入れ替え戦へ出場する代表を決めるため、Aクラスでも代表決定戦が行われた。
俺が組んだのは、アーサーとクラウス=ジーエルン。
アーサーは、王国騎士団へ多くの騎士を輩出してきたマルチーズ家の嫡男。
クラウスは、王国有数の名門であるジーエルン公爵家の長男だ。
線が細く、一見すると剣すら満足に持てないように見えるが、その弓の腕は卓越している。風魔法をまとわせた矢は速く、遠く離れた標的も正確に射抜く。
そしてクラウスは、カトレア=ジーエルンの双子の弟でもあった。
代表決定戦で相対したのは、ジーク、アリア、そしてカトレアの班。
結果は、俺たちの敗北だった。
しかも、カトレアは戦闘へ参加していない。
彼女は後方に立ち、戦いを見ていただけだ。
つまり俺たちは、実質的には三人がかりで、ジークとアリアの二人に敗れたことになる。
個人成績で首位になったという事実など、何の慰めにもならなかった。
代表にすらなれず、観客席から入れ替え戦を見ていることしかできなかった。
一方、メイは自ら代表として戦い、学園中へその強さを示した。
胸の中に生まれた焦りを悟られないよう、再びカップへ手を伸ばす。
中身は、すでに冷めきっていた。
◇
――ミルロ視点――
ゼノン様の様子が、どこかおかしい。
メイ様も同じことを感じたのか、不思議そうにお兄様の横顔を見つめていた。
けれど、今はそのことを尋ねるために来たのではない。
「お兄様。今日は、お願いがあって参りました」
「お願い?」
「はい」
姿勢を正し、お兄様を真っすぐに見つめた。
「お兄様。課外授業では、ダルタン=ポッキーヌ先輩に注意してください」
「ダルタンに?」
お兄様の表情から笑みが消えた。
「入れ替え戦で敗れたあと、ジーク様を見る目が普通ではありませんでした。家から追放されたという噂もありますし、逆恨みして何か起こさないか心配なんです」
ゲームでは、入れ替え戦に敗れたダルタンが、課外授業中にアリアたちを襲う。
こちらでも同じことが起きるとは限らない。
それでも、試合後にジーク様へ向けていた目を思い出せば、何もせずにはいられなかった。
「分かった。ダルタンを見かけたら注意しておこう」
お兄様は、話を笑うことなく受け止めてくれた。
「それから……ジーク様の動向にも気を配ってください。もし二人の間で何か起きても、決して一人で追いかけず、すぐに先生へ知らせてください」
「ジーク殿下にも?」
「はい」
「何か、気になることがあるのか?」
「はっきりとした根拠はありません。ただ、念のためです」
これ以上は、うまく説明できない。
ジーク様がゲームとは違う行動を取っていることも、アリア様との関係が変わっていることも、すべてはわたしだけが知る事情だ。
「課外授業では、班ごとに別の経路を進むことになる。ずっとジーク殿下を見張ることはできないが、可能な範囲で気を配っておく」
「ありがとうございます、お兄様」
「何を話すのかと思えば、他人の心配でしたの?」
隣で黙って聞いていたメイ様が、呆れたように頬杖をついた。
「ミルロ、それはさすがにお節介ではありませんこと? ダルタンという方が狙っているのは、ジーク様なのでしょう?」
「いいえ。メイ様に降りかかる問題を、事前に取り除くことも護衛騎士の役目です」
「わたしに?」
「同じ学園で帝国皇太子を狙った事件が起きれば、王女であるメイ様も無関係ではいられません。騒ぎに巻き込まれ、危険が及ぶ可能性もあります。事前に防げる危険なら、取り除いておくべきです」
メイ様が目を丸くする。
やがて言葉の意味を理解したらしく、その頬が少しずつ赤くなっていった。
「そ、そうですの……。わたしのために、そこまで考えてくれていましたのね」
「当然です。わたしはメイ様の護衛騎士ですから」
「ミルロ……」
メイ様がうれしそうに身体を寄せ、わたしの腕へ自分の腕を絡める。
「相変わらず、二人は仲がいいな」
その様子を見ていたお兄様が、苦笑を浮かべた。
「そうでしょう? ミルロは、いつだってわたしのことを一番に考えてくれていますの!」
「メイ様。少し近いです」
「これくらい普通ですわ!」
「ゼノンもそう思うだろう?」
お兄様が再び尋ねる。
ゼノン様は窓の外を見つめたまま、こちらへ顔を向けなかった。
「ああ。そうだな」
また、先ほどと同じ生返事だった。
「……お兄様?」
メイ様が小さく首を傾げる。
けれど、ゼノン様は何も答えず、冷めたお茶へ口をつけただけだった。
◇
結局、ゼノン様の様子がおかしい理由を尋ねることなく、談話室をあとにした。
お兄様とゼノン様は、二年生の教室へ。
メイ様も、先に一年生の教室へ戻ることになった。
「ミルロは戻りませんの?」
「少し寄りたいところがあります。すぐに教室へ向かいますので、メイ様は先に戻っていてください」
「また、わたしへ何か隠していませんこと?」
「危険なことではありませんよ」
「本当ですの?」
「はい。お約束します」
疑わしそうにこちらを見つめていたメイ様も、最後には納得して歩き出した。
遠ざかっていく三人の背中を見送り、小さく息を吐く。
ゼノン様の様子は気になった。
けれど、お兄様には伝えるべきことを伝えられた。
これで少なくとも、何も知らないままゲームの事件へ巻き込まれることはないはずだ。
次は、自分自身が行動する番だった。
向かった先は、学園の保健室。
以前から、ずっと考えていた。
ヘルミーナ先生に、回復魔法を教えてもらいたい。
入れ替え戦のあと、あれほど傷ついていたテラとリリスは、先生の治療によって瞬く間に回復した。
もし、あの戦いで回復魔法を使えていたら。
二人が戦闘不能になる前に傷を癒やし、もう一度立ち上がらせることができたかもしれない。
そうなれば、三人で最後まで戦えた可能性もある。
何より、次に仲間が傷ついたとき、ヘルミーナ先生が近くにいるとは限らない。
何年も一人で練習してきた。
それでも、ユキメへ送った魔力は、どうしても弓や矢、身体強化の魔法へ変わろうとしてしまう。
独学で駄目なら、できる人に教えてもらえばいい。
そのために、魔法学園へ来たのだから。
長い廊下の先に、保健室の扉が見えてきた。
扉の前まで来ると、少しだけ緊張して足が止まる。
迷惑だと思われないだろうか。
忙しいからと断られないだろうか。
そんな弱気な考えが浮かんだけれど、すぐに首を横に振った。
何もしなければ、何も変わらない。
意を決し、保健室の扉を三度叩いた。




