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第36話 空いた席

――メイ視点――


「ミルロ! 昨日はどうして先に帰ってしまったのですの!」


 舞踏会の翌朝。


 隣にある使用人用の小部屋へ押しかけるなり、ミルロへ詰め寄った。


「申し訳ありません。少し事情がありまして……」


「わたし、ミルロとも一緒に踊りたかったのに!」


 シリルと踊り終えたあと、今度はミルロを誘おうと思っていた。


 ところが会場中を探しても、その姿はどこにもなかったのだ。


「それは……次の機会があれば、ぜひ」


「約束ですわよ。今度は勝手に帰ってはいけませんわ!」


「はい。約束します」


 ミルロが困ったように笑う。


 その顔を見て少しだけ怒りが収まったところで、机の上に置かれた青いドレスが目に入った。


 昨日、ミルロが着ていたドレスだ。


 けれど、その裾には大きな裂け目ができていた。


「ミルロ、そのドレス……どうしましたの?」


「これは……」


「何があったのですの?」


 問い詰めると、ミルロは少し迷ったあと、舞踏会での出来事を話してくれた。


 カワリに呼び出され、庭園へ向かったこと。


 入れ替え戦が筋書きどおりに行われたと証明する書類へ、わたしとミルロの署名を求められたこと。


 そして、それを断ったところ、風の魔法で攻撃されたこと。


「なっ……!」


 全身から雷が噴き出しそうになった。


「何を考えていますの、あの子は! 今すぐ先生へ報告しますわ!」


「お待ちください、メイ様」


「どうして止めますの! ミルロは攻撃されたのですわよ!」


「わたしに怪我はありません。それに、事情もありますから……」


「事情があれば、何をしても許されるわけではありませんわ!」


「それは、そうですけれど……」


 ミルロは、どこか寂しそうな顔をしていた。


 怒っているというよりも、カワリを心配しているように見える。


 本当に、ミルロは甘すぎる。


 けれど、この子がそういう性格だと知っているからこそ、強引に先生へ報告することはできなかった。


     ◇


 教室へ入ると、窓際に二つの机が並んでいた。


 片方は、これまで使っていたわたしの席。


 もう片方は、ミルロの席だった。


 昨日の舞踏会で担任の先生を見つけ、何度も頼み込んだ甲斐があった。


 これで授業中も、いつでもミルロと一緒ですわ。


「メイ様。ずいぶんとうれしそうですね」


「何でもありませんわ」


 隣へ座ったミルロに気づかれないよう、口元を引き締める。


 その直後、前にある空席が目に入った。


 カワリの席だ。


 昨日のことを思い出し、無意識のうちに拳を握り締めていた。


 登校してきたら、まず一発殴ってやらないと気が済まない。


 そう考えた瞬間、ミルロの手が拳を優しく包み込んだ。


「メイ様、いけませんよ」


「まだ何も言っていませんわよ?」


「お顔に全部出ています」


「ミルロは、わたしの考えていることが分かりすぎですわ……」


 やがて始業を告げる鐘が鳴り、担任の先生が教室へ入ってきた。


 先生は教卓に立つと、最初にカワリの空席へ目を向ける。


「授業を始める前に、一つ連絡がある。カワリは本日より休学となった」


 教室がざわめいた。


「理由は、ニュギュウ伯爵家の都合だ。復学の時期については、現時点では決まっていない」


 逃げましたのね。


 そう思った瞬間、勢いよく立ち上がっていた。


「先生、そのカワリについてですけれど、昨夜ミルロが――」


「メイ様」


 隣から伸びた手が、わたしの袖を掴んだ。


 振り向くと、ミルロが真剣な表情で首を横に振っている。


「……どうした、メイ?」


 先生に尋ねられ、言葉を飲み込んだ。


「いいえ。何でもありませんわ」


 納得はいかない。


 けれど、ミルロが望まないことを、勝手に話すわけにはいかなかった。


     ◇


 ――ミルロ視点――


 メイ様は不満そうに頬を膨らませながら、席へ座った。


 けれど、胸には温かいものが広がっていた。


 メイ様は、わたしのために怒ってくださった。


 昨日の出来事を聞き、自分のことのように悔しがってくださった。


 その気持ちが、素直にうれしかった。


 それでも、カワリをこれ以上追い詰めたいとは思わない。


 魔法を放ったことは事実だけれど、怪我はしていない。


 あの風が魔道具によるものだと明かせば、指輪の入手経路まで調べられ、大きな問題になるだろう。


 カワリは、すでに休学することになった。


 これ以上、彼女の居場所を奪う必要はない。


「続いて、今後の授業について説明する」


 先生の声に、意識を教壇へ戻した。


「昨日の決定により、前期が終了するまで、一年生のAクラスとBクラスの区別は停止された。今日から一年生全員が、Aクラスと同じ授業と施設を利用することになる」


 元Bクラスの生徒たちから、喜びの声が上がった。


「ただし、班の登録は別だ。現在の班は、前期が終了するまで変更できない。カワリが休学したため、メイとシリルの班は当面、二人で活動してもらう」


「それなら、ミルロをわたしの班へ入れますわ!」


 メイ様の手が、勢いよく上がった。


「却下だ。今言っただろう。前期終了まで班の変更は認められない」


「カワリがいなくなって、一人分空いているではありませんか!」


「途中で自由に班員を入れ替えられるようにすれば、課題や試験の公平性が保てなくなる。欠員が出ても原則として補充は認められない」


「でも、ミルロはわたしの護衛騎士ですわ! わたしと同じ班にいるのが当然でしょう!」


「は? 王女様でも、それはないっしょ」


 真っ先に反論したのは、リリスだった。


「ミルロは、あたしらの班なんだけど。勝手に連れていかないでくれる?」


「勝手ではありませんわ。ミルロは、もともとわたしの護衛騎士ですもの!」


「護衛騎士だからって、班まで一緒じゃなきゃ駄目って決まりはないでしょ」


「あ、あの……」


 テラがおずおずと手を上げた。


「わたしも、ミルロちゃんを渡したくないです。ミルロちゃんは、わたしたちの大切な仲間だから……」


 声は小さかったけれど、テラの意志ははっきりしていた。


「別に、あなたたちから奪うつもりではありませんわ!」


「いや、今めちゃくちゃ奪おうとしてたじゃん」


「わたしの班へ来ても、友人であることは変わらないでしょう!」


「そういう問題じゃないって!」


「お前たち、班の奪い合いは授業が終わってからにしろ」


 先生が呆れたようにため息をつく。


「そもそも、本人を置き去りにして話を進めるな。ミルロはそこにいるだろう」


 教室から笑い声が上がった。


 どう答えればいいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべるしかない。


「メイ様。班は違っても、授業中は隣の席ですよ」


 小声で伝えると、メイ様の表情が一瞬で明るくなった。


「そうでしたわ! これなら、いつでもお話しできますわね!」


「授業中は話しちゃ駄目でしょ」


 後ろの席から、リリスの冷静な突っ込みが飛んできた。


「静かにしろ。まだ連絡事項は終わっていない」


 先生が教卓を軽く叩く。


「来週、一年生のみで課外授業を行う。場所は、学園近くの森だ」


 課外授業。


 その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


「目的は、野外での索敵と魔物討伐、それから班での連携確認だ。詳細な日程と注意事項は、あとで書面を配布する」


 先生の説明が続く一方で、意識はゲームの記憶へ向かっていた。


 ゲームでは、入れ替え戦の次に発生するのが、二年生の課外授業だった。


 舞台は、学園近くの山岳地帯。


 魔物を討伐しながら進んでいたアリアと攻略対象者たちの前に、入れ替え戦で敗れ、家から追放されたダルタン=ポッキーヌが現れる。


 ダルタンの風の精霊クルールは、黒く禍々しい力をまとい、それまでとは比べものにならないほど強力な風を操っていた。


 その力で、アリアたちへ襲いかかる。


 今回発表されたのは、一年生だけで近くの森へ向かう課外授業だ。


 ゲームのイベントとは、学年も場所も違う。


 それでも、同じ時期に二年生の課外授業も行われるはずだ。


 さらに、この世界では、すでにゲームとは多くのことが変わっている。


 ゲームではアリアたちを恨んでいたダルタンも、こちらでは入れ替え戦でジーク様に敗れている。


 試合が終わったあと、ダルタンがジーク様へ向けていた目。


 あれは、単なる悔しさではなかった。


 憎しみと呼んでもいいほど、濁った目をしていた。


 もしゲームと同じ事件が起こるのなら、狙われる相手が変わっているかもしれない。


 お兄様へ伝えなければ。


 ダルタンの襲撃を警戒すること。


 そして、ジーク様の動向にも注意してほしいことを。


 ゲームの知識がそのまま通用しないからこそ、何も起こらないと決めつけるわけにはいかなかった。


     ◇


 ――カワリ視点――


 馬車の車輪が、小石を踏みながら規則正しい音を立てていた。


 窓の外に広がる景色は、少しずつ王都から遠ざかっていく。


 目的地は、ニュギュウ領。


 入れ替え戦に敗れ、ニュギュウ伯爵に呼び戻されたのだ。


 膝の上には、昨夜ミルロへ見せた書類がある。


 入れ替え戦は、ミルロとメイ王女が仕組んだものだった。


 自分は王族の命令に逆らえず、筋書きどおりに敗北しただけ。


 そう記された密約確認書。


 ミルロとメイ様の署名は、結局もらえなかった。


 それでも、書かれている内容は細かい。


 試合の流れとも、すべて一致している。


 うまく説明すれば、伯爵を納得させられるかもしれない。


 そうだ。


 わたしには言葉がある。


 これまでだって、必要なものは自分の手で勝ち取ってきた。


 今回も、きっとうまくいく。


 そう自分へ言い聞かせたとき、馬車が突然止まった。


「何があったの?」


 御者へ呼びかけても、返事がない。


 代わりに、馬車の扉がゆっくりと開いた。


 そこには、全身を黒い外套で覆った人物が立っていた。


「誰?」


「君に、一つ忠告しておこうと思ってね」


 その声を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。


 昨夜、庭園へ近づいてきた先生の声。


 ミルロと一緒に逃げるきっかけとなった、あの怒鳴り声と同じだった。


「あれは、あなたが……?」


「昨夜の話は聞かせてもらった」


 黒ずくめの人物が、膝に置かれた書類へ視線を落とす。


「その紙を使い、ニュギュウ伯爵を説得するつもりか?」


「あなたには関係ない」


「差出人の名も、受取人の名も、当人たちの署名もない。ただ筋書きが書かれているだけの紙だ。それで伯爵を説得できる可能性は、よくて五分五分といったところだろう」


 胸を抉るような言葉だった。


「黙って。わたしなら、うまく説明できる」


「ニュギュウ伯爵が欲していたのは、王族の側近となり、家門を発展へ導ける優秀な養女だ。しかし君は、メイ王女の信頼を得ることができず、入れ替え戦では真っ先に脱落した」


「違う! あれはミルロが卑怯な罠を――」


「それを証明するための署名もないのだろう?」


 言い返すことができなかった。


 書類を握る手が震える。


 このままニュギュウ領へ戻ったところで、伯爵が話を聞いてくれる保証はない。


 言葉で説得できるかもしれない。


 けれど、できないかもしれない。


 もし失敗すれば……考えるだけで恐ろしい。


「だが、本物の力があれば話は変わる」


「……本物の力?」


「王族の側近にふさわしいと、誰もが認める力だ」


 黒ずくめの人物が、こちらへ手を差し出した。


「君に精霊を与えよう」


 その言葉に、顔を上げる。


「わたしに……精霊を?」


「そうだ。精霊を宿し、本物の魔法を使う力を与える。そうすればメイ王女の側近となり、ニュギュウ家を発展させることもできるだろう」


「でも、精霊と契約できるのは、十歳のフェアリーデイズで精霊に選ばれた人だけでしょう?」


「通常の方法ならば、そうだ」


 黒ずくめの人物は、楽しそうに口元を歪めた。


「だが、我々には別の方法がある」


 そんなことが、本当にできるのだろうか。


 十歳のフェアリーデイズでどれほど願っても、精霊は現れなかった。


 わたしは選ばれなかったのだ。


 それなのに、この人物は、精霊そのものを与えると言っている。


「そして、その力があれば――ミルロへ復讐することもできるかもしれない」


 迷いは消えた。


 わたしの居場所にいるミルロ。


 わたしにはない魔法を使い、王女に愛され、仲間に囲まれているミルロ。


 あいつから、すべてを奪い返せる。


 胸の奥から、押さえきれない喜びが込み上げてきた。


「代わりに、わたしは何をすればいいの?」


「我々の研究に、少し協力してもらうだけだ」


 危険なのかもしれない。


 相手が何者なのかさえ、分からない。


 それでも、このまま伯爵のもとへ帰り、五分五分の賭けに身を委ねるよりはいい。


 何より、初めて本物の魔法を手に入れられるのだ。


 密約確認書を握り潰し、差し出された手を取った。


「連れていって」


 自分でも驚くほど、明るい声が出た。


「わたしに――あいつを倒せる魔法をちょうだい」

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