第35話 星空の密約
――ミルロ視点――
カワリについていった先は、舞踏会が開かれている講堂から少し離れた、学園の庭園だった。
中央には月明かりを反射する噴水があり、その周囲には色とりどりの花が咲いている。頭上では数え切れないほどの星が瞬き、遠くからは舞踏会の優雅な音楽がかすかに聞こえてきた。
本来なら、とてもロマンチックな場所なのだろう。
だけど、今のカワリからは、そんな雰囲気を楽しめるような穏やかさは感じられなかった。
ダンスが始まったばかりだからか、庭園にはわたしたち以外の人影はない。
カワリは噴水の前で足を止めると、しばらく黙ったまま俯いていた。
「それで、お話とは何ですか?」
わたしが尋ねると、カワリは意を決したように顔を上げた。
「その前に……謝らせてほしい」
予想していなかった言葉に、目を瞬いた。
「クラス分け試験の順位を入れ替えたことも、今までのことも……悪かったと思っている」
カワリの両手は、ドレスの裾を強く握り締めていた。
「わたしも、あなたと同じ孤児だった。明日の食事さえ分からないような生活をしていたわ。でも、お父様に引き取っていただいてから、何もかもが変わった。温かい食事を食べられるようになって、綺麗な服を着せてもらえて‥」
声がわずかに震えている。
「お父様には感謝している。だから、言われたことには従わなければならなかった。それに……今の生活を失いたくなかったの」
同じ孤児だった。その事実を聞いて、胸がわずかに痛んだ。
カワリのしてきたことを許せるわけではない。それでも、今の生活を失いたくないという気持ちは理解できた。
わたしだって、マルチーズ家に迎え入れてもらえなければ、今も孤児院で暮らしていたかもしれないのだから‥。
「お願いがあるの」
そう言い1通の手紙を差し出した。
受け取って内容を確認すると、そこにはニュギュウ伯爵の署名があった。
『A・Bクラス入れ替え戦では、必ずミルロ・マルチーズに勝利せよ』
『我が家からの養子の申し出を拒んだ娘に、ニュギュウの名を持つお前が敗れることは許されない』
『敗北すれば、お前の居場所は伯爵家にも、学園にもないものと思え』
短く、冷たい文章だった。
これだけで、カワリが追い詰められていることは十分に分かった。
ゲームの中で、悪役令嬢だったカトレアは、取り巻きだったゲーム本来のミルロを通じて、学園へ何度も自分の要望を通していた。
カトレアが誰へ働きかけ、どのようなつながりを利用していたのかまでは、ゲームでも語られていない。
けれど、力を持つ貴族の意向によって、学園の判断が歪められることがある。それだけは知っていた。
現実でも、わたしとカワリのクラス分け試験の順位は入れ替えられていた。
その事実を考えれば、ニュギュウ伯爵が学園内部に何らかのつながりを持っている可能性は高い。
ただし、誰が伯爵へ手を貸したのかも、どのような方法を使ったのかも、今のわたしには分からなかった。
「事情は分かりました。それで、お願いというのは?」
「舞踏会の会場に戻って、生徒会長たちの前で告白してほしいの」
「告白?」
「クラス分け試験で不正を働いたこと。そして、今日の入れ替え戦も、すべて筋書きどおりだったと認めてほしい」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「わたしは不正なんてしていません。入れ替え戦だって、全員が本気で戦いました」
「分かっているわ!」
カワリが声を荒らげる。
「でも、そういうことにしてくれなければ、わたしはニュギュウ伯爵家を追い出されるの!」
「だからといって、していない不正を認めることはできません」
「だったら、これに署名して」
今度はもう一枚の紙を取り出した。
先ほどの手紙とは違い、誰かに送るためのものではない。上部には『密約確認書』と記されている。
『本日の入れ替え戦は、事前に取り決めた筋書きに従って行われたことを確認する』
その下には、試合の流れが細かく書かれていた。
カワリが不用意に囮へ攻撃し、不意を突かれたように装って脱落する。
残る五人で激闘を演じ、シリルさん、テラ、リリスを順番に戦闘不能にする。
最後にわたしとメイ様が一騎打ちを行い、同時に降参することで引き分けに持ち込む。
その結果を利用し、一年生のAクラスとBクラスを一時的に統合させる。
まるで今日の戦いのすべてが、最初から決められていた茶番だったかのように書かれていた。
最下部には、二つの署名欄がある。
計画立案者――ミルロ・マルチーズ。
承認者――メイ・ウィシュタリア。
「何ですか、これは?」
「書いてあるとおりよ。あなたがメイ様に頼んで、入れ替え戦を仕組んだことにするの」
カワリは悪びれることなく言い放った。
「わたしは、あなたに負けたんじゃない。メイ様の命令で、わざと負けた。そういうことにすれば、お父様も許してくださるわ。王女殿下の命令なら、わたしには逆らえなかったのだから」
「そんなこと、できるわけがないでしょう」
「だったら、告発はわたしがする。あなたとメイ様は、ここに署名してくれるだけでいい」
「どうして告発することが前提になっているんですか?」
「分かったわよ! 告発もしない! この紙をお父様に見せるだけにする。それなら、誰にも迷惑はかからないでしょう?」
要求する内容を少しずつ変えてはいるけれど、その本質は何も変わっていない。
カワリは自分の立場を守るために、わたしたちが不正をしたという証拠を欲しがっているのだ。
わたしだけが罪を被れば済むのなら、考えなくもなかった。
カワリと同じ孤児だったからこそ、ようやく手に入れた居場所を失う怖さも、少しは想像できる。
けれど、この紙に名前を書くということは、わたし一人の問題では済まされない。
テラは、メイ様の攻撃から最後までわたしたちを守ってくれた。
リリスは、自分の美学を曲げてまで、わたしを守ってくれた。
シリルさんも、隠していたレインの力を使い、メイ様と一緒に本気で戦った。
そしてメイ様も、持てる力のすべてをぶつけてくれた。
あの戦いを茶番だったことになんて、絶対にさせてはいけない。
「お断りします」
そう言い、密約確認書をカワリへ突き返した。
「わたし一人が罪を被れば済む話なら、少しは考えたかもしれません。ですが、これはテラやリリス、シリルさん、そしてメイ様まで巻き込む話です。みんなの努力を嘘に変えるようなお願いは、論外です」
「でも、わたしはニュギュウ家を追い出されるのよ!」
「事情には同情します。ですが、それを理由に仲間を傷つけてよいことにはなりません」
カワリの顔から表情が消えた。
わたしの手から密約確認書をひったくると、ニュギュウ伯爵からの手紙と一緒に折り畳み、ドレスの内側へ乱暴に押し込んだ。
「お話は終わりですね」
そう言い踵を返した。
『ミルロ、危ない!』
ユキメの声が頭の中に響いた。
考えるよりも早く、わたしは横へ飛んだ。
その直後、先ほどまでわたしが立っていた場所を、小さな旋風が通り過ぎる。
旋風はそのまま前方の花壇へ飛び込み、咲いていた花々を根元から吹き飛ばした。
「きゃっ!」
慣れないドレスで無理に身体を動かしたせいで、着地と同時に、ぴりっという嫌な音がした。
青いドレスのスカートが、裾から大きく裂けている。
「何をするんですか!」
振り返ると、カワリが右手をこちらへ向けていた。
不意打ちを避けられたことが、よほど気に入らなかったのだろう。忌々しそうに舌打ちすると、地面へ唾を吐いた。
『ミルロ、今のは精霊魔法じゃないよ。あの子から、精霊の気配がまったくしなかった』
ユキメの言葉を聞き、わたしはカワリの右手に目を向けた。
人差し指には、緑色の宝石がはめ込まれた指輪がある。宝石は先ほどよりも、わずかに濁って見えた。
あれは――《風神の指輪》。
風の初級魔法を十回だけ放てる、ゲームにも登場した魔道具だ。
力を使うたびに緑色の宝石は濁り、十回目の魔法を放つと同時に、指輪そのものが壊れてしまう。
ただし、カワリがこの指輪をいつ手に入れ、これまで何回使ったのかまでは分からない。
宝石にはまだ鮮やかな緑色が残っている。少なくとも、あと数回で壊れるような状態ではなさそうだった。
「今すぐ指輪を外して謝るなら、今の攻撃は事故だったことにします。あなたにも事情があることは分かっています。でも、もう一度攻撃するなら、わたしも容赦しません」
『ミルロは甘すぎるよ。今のが当たっていたら、大怪我をしていたんだからね!』
ユキメは不満そうに頬を膨らませている。
だけど、わたしの言葉を聞いたカワリは、反省するどころか、さらに顔を歪ませた。
「そういうところが、鬱陶しいのよ!」
そう言い指輪をこちらへ向ける。
再び小さな旋風が放たれたが、来ると分かっていれば避けるのは難しくない。
わたしはドレスの裾を押さえながら横へ踏み込み、攻撃をかわした。
旋風が噴水の水面へぶつかり、高く水飛沫を巻き上げる。
指輪の宝石が、また少し濁った。
「お前は契約精霊に選ばれて、魔法まで使えて! メイ様に気に入られて、仲間にも恵まれて! 何不自由なく暮らしている!」
カワリの叫び声が、静かな庭園に響き渡った。
「同じ孤児だったくせに、どうしてお前だけ! ずるい、ずるいんだよ! 本来なら、あの人たちの隣に立っていたのは、わたしだったはずなのに!」
「何を言っているのか分かりません」
わたしは、カワリをまっすぐに見つめた。
「確かに、わたしは幸運にもメイ様に目をかけていただきました。ユキメと出会えたことにも、今の仲間に恵まれたことにも感謝しています。でも、それをあなたから奪った覚えはありません」
「黙れ!」
「契約精霊がいないことは、つらいと思います。ですが、あなたは魔道具を与えられ、貴族の養女としてこの学園にも通っています。ニュギュウ伯爵の手紙はあまりにも酷いですが、だからといって、こんな方法しか残されていないとは思いません」
わたしは警戒を解かないまま、それでもカワリへ手を差し伸べた。
「一緒に別の方法を考えましょう。わたしだけでは力が及ばないのなら、メイ様にもお願いします。きっと――」
「うるさい!」
言葉を遮り、カワリが三度目の魔法を放った。
「ユキメ!」
『うん!』
ユキメへ魔力を送り込む。
氷の魔法へ変換された力が手元へ戻り、青白い弓を形作った。
弦を引くと同時に氷の矢を生み出し、迫ってくる旋風へ向けて放つ。
二つの魔法が正面から激突した。
弾けた風が花びらを舞い上げ、砕けた氷が星明かりを反射しながら庭園へ降り注いだ。
「こら! そこで何をしている!」
遠くから、男性教師の怒鳴り声が聞こえた。
「許可されていない場所での魔法使用は禁止されているぞ!」
庭園へ向かって、誰かが駆けてくる足音がする。
カワリは顔を青ざめさせると、また舌打ちをした。
「覚えていなさいよ」
それだけ言い残し、庭園の奥へ走り去っていった。
追いかけるべきか迷ったけれど、すぐ近くまで教師が迫っている。
『追わなくていいの?』
「……この格好で捕まれば、話が余計に拗れそうです」
本当なら、ここへ残って先生へ事情を説明するべきなのだろう。
メイ様にも、すぐに報告しなければならない。
護衛騎士として、それが正しいことは分かっていた。それでも、足はカワリと反対の道へ向いていた。相手が素直に認めるとは思えない。
密約確認書も、ニュギュウ伯爵からの手紙も、彼女が持ち去ってしまった。今のわたしには、先に攻撃されたことを証明するものがない。
それに、この騒ぎで舞踏会まで中断させてしまえば、メイ様たちにも迷惑がかかる。
そんな理由を並べながら、心のどこかでは分かっていた。
同じ孤児だったカワリを、これ以上追い詰めたくない。
それが、わたしが報告をためらう一番の理由だった。
今回だけは見逃そう。
これで終わりにしてくれるのなら、それでいい。
わたしは教師が庭園へ入ってくる前に、その場を離れた。
走りながら、先ほどの言葉を思い返す。
お前だけ魔法が使えて、ずるい。
あれは、単なる嫉妬ではなかった。
カワリには契約精霊がいない。彼女が魔法を使えるのは、あの指輪に力が残されている間だけなのだ。
『あの指輪、あと何回使えるの?』
「正確な回数までは分かりません。ですが、宝石の輝きを見る限り、まだかなりの回数が残っていると思います」
『また襲ってくるかな?』
「……分かりません」
それでも、今日のカワリの目を思い出すと‥ううんさすがに学園内でこれ以上トラブルは起こさないわよ。わたしは自分にそう言い聞かせた。
寮へ続く道へ出たところで、足を止める。
青いドレスの裾は大きく裂け、もう舞踏会へ戻れるような状態ではない。
メイ様から可愛いと言っていただけた、お気に入りのドレスだったのに。
講堂から流れてくる楽しげな音楽を背にして、わたしは一人、寮へと向かった。




