第33話 消えた境界
――ミルロ視点――
『ただいまより、教職員による審議を行う。両クラスの生徒は、その場で待機するように』
その通達があってから、すでに三十分が経過していた。
ヘルミーナ先生の治療を受けたわたしとメイ様は、仲間たちとともに講堂へ戻っている。
傷は綺麗に消えていたけれど、全身に残る重い疲労まではなくなっていない。
それでも、誰一人として席に座ろうとはしなかった。
教職員たちが消えた壇上を、固唾をのんで見守っている。
あの同時の降参が、どのように判定されるのか。
わたしたちがAクラスへ上がれるのか。それとも、すべてが今までどおりになるのか。
「なーんだ。ミルロも、もう動けなかったのね」
張り詰めた沈黙を破ったのは、メイ様の呆れたようなため息だった。
「わたし、てっきりミルロなら、勝負を決める一撃を撃ってくると思っていましたわ」
「勝負を決める一撃って……」
「《ブリザードアロー》の氷を砕くだけで精いっぱいで、魔力なんてまったく残っていませんでしたの。避けることも、《雷装》で身を守ることもできませんでしたわ」
メイ様は、何でもないことのように肩をすくめた。
「さすがに死にはしないでしょうけれど、大怪我は覚悟しましたのよ。もし最後にわたしへ大怪我をさせたら、真面目なミルロは絶対に後悔するでしょう? だから潔く負けを認めたのに、まさかミルロまで余力がなくて降参するなんて」
「何を言っているんですか!」
わたしも思わず声を荒らげた。
「わたしは、メイ様の必殺技がもう一度来ると思ったから降参したんですよ! 今度こそ死んでしまうと思ったんです!」
「あら?」
「そもそも、あの技は人に向けて使うには危険すぎます。一度受けただけでも死ぬかと思いました。テラとリリスが守ってくれなかったら、本当に危なかったんですからね」
「うん……あれは、すごく痛かった」
テラが大きな身体を震わせ、自分を抱くように両腕を回した。
思い出すだけで痛みが蘇ったのか、白い耳がぺたんと伏せられている。
「本当ですわ。メイ様、いくらなんでも容赦がなさすぎます」
リリスも腰へ手を当て、頬を膨らませた。
「あたし、ミルロを守るために必死で土をまとわせましたけれど……思い返せば、あれは全然可愛くありませんでしたわ! もっとハートとか、星の模様とかをつけたかったのに。ああ、もう! 芸術家として最悪です!」
一見すると、いつものリリスだった。
作品の可愛さを語り、余裕たっぷりに不満を並べている。
けれど、わたしたちには分かっている。
あの瞬間のリリスに、造形を整える余裕などなかった。
勝つために。
わたしを守るために。
何より大切にしていた美しさへのこだわりを曲げてまで、必死に魔法を使ってくれたのだ。
「ありがとうございます、二人とも」
「い、今さら何よ。あたしたちは同じ班でしょう?」
「うん。仲間だから、当然だよ」
リリスは照れたように横を向き、テラは小さく笑った。
それにしても――。
「わたしたち、同じことを考えていたんですね」
「わたしたち、同じことを考えていましたのね」
また、メイ様と声が重なった。
顔を見合わせる。
今度は言い直すこともできず、二人そろって黙り込んだ。
「なによ。さっきの降参もそうだけれど、二人とも仲がよすぎでしょう」
リリスが半眼でわたしたちを見る。
「本当にそうですよ。逆に、ちょっと羨ましいです」
テラまで、こくこくと頷いた。
「降参の宣言も、ほとんど同時に聞こえました。果たして、どちらの勝ちになるのでしょう……」
シリルさんが、不安そうに両手を胸の前で組む。
そのとき、こちらへ歩いてきたゲイルが、わたしの前で足を止めた。
「ゲイルさん。申し訳ありません。せっかく力を貸していただいたのに、わたしは――」
「謝るな」
言葉を遮り、ゲイルはわたしの右肩へ手を置いた。
「お前たちは、よく戦った。王女殿下は、俺が想像していたよりも遥かに強かった。仮に俺たちが代表だったとしても、勝てなかっただろう。ましてや、あそこまで追い詰めることなどできなかった」
「本当ですわ」
ゲイルの後ろにいたソフィアが、悔しそうに髪をかき上げる。
「兄君をも超える《雷姫》という噂は耳にしていましたが、まさかあれほどとは。わたくしも、自分の速度などまだまだだと思い知らされましたわ」
「くそーっ! あんな戦いを見せられたら、俺も真正面からぶつかりたかったぜ!」
ダンが興奮を抑えられない様子で吠える。
その大声に重なるように、会場内がざわめき始めた。
壇上の扉が開き、審議を終えた教職員たちが姿を現したのだ。
先頭を歩く一年Aクラスの担任が、壇上の中央へ立つ。
講堂が、しんと静まり返った。
「待たせたな。先ほどの試合について、教職員で記録映像を確認した」
先生は一度言葉を切り、わたしとメイ様へ視線を向けた。
「両者の降参は、まったくの同時だった。一寸の狂いもない」
メイ様と目が合う。
わたしたちは、同時に頷いた。
あの場にいたからこそ分かる。
どちらが早かったということはない。本当に、同時だった。
少なくとも今回の審議では、クラス分け試験のときのような不正はないらしい。
わたしは胸の前で手を握り、先生の続く言葉を待った。
「よって、この試合は引き分けとする。ただし、A・Bクラスの入れ替えにはBクラスの勝利が必須条件だ。そのため、今回は入れ替えを行わず、両クラスの立場は従来どおり――」
「許しませんわーっ!」
先生の言葉を、メイ様の大声が遮った。
「メイ様?」
隣を見る。
もう、そこにメイ様はいなかった。
金色の雷が、座席の間を一直線に駆け抜ける。
あれほど激しい戦いをした直後だというのに、メイ様は一瞬で壇上の前まで移動していた。
「もう、そこまで回復したのですか……?」
いくらヘルミーナ先生の治療が優れているとはいえ、規格外にもほどがある。
呆然とするわたしをよそに、メイ様は先生を真っすぐ見上げた。
「引き分けなら、AクラスとBクラスに優劣はないということでしょう?」
「いや、しかし規則では、Bクラスは勝利しなければ――」
「それなら、どちらもAクラスでいいではありませんか!」
先生の反論を、メイ様の声が許さない。
「教室も訓練場も広いですし、あと十五人増えたところで問題ないでしょう?」
「だが、それでは他学年や今後の生徒に示しが……」
「みなさんも、そう思いませんかーっ?」
メイ様が会場へ振り返り、両腕を大きく広げた。
けれど、誰も答えなかった。
講堂は、痛いほどの静寂に包まれている。
メイ様には申し訳ないけれど、勝てなかったことも事実だ。
自分たちの力不足は痛感している。規則に従い、今の結果を受け入れるべきだという気持ちもあった。
ここで強引に賛同すれば、先生方の決定へ王女の立場で圧力をかけたようにも見えてしまう。
それでは、メイ様のお立場を悪くする。
だから、積極的に声を上げることはできない。
それでも、わたしたちのために怒ってくれるメイ様の優しさがうれしくて、胸の奥が熱くなった。
静寂の中へ、一つの拍手が響いた。
続けて、もう一つ。
一定の間隔で鳴る二人分の拍手が、ゆっくりと壇上へ近づいてくる。
「素晴らしい意見だ。僕は賛成するよ」
姿を現したのは、二年生の見知った顔だった。
ジーク様。
キルラルド帝国の皇太子であり、ゲームでは、この学園で起きる数々の事件を裏から引き起こした元凶。
その隣を歩くのは、艶やかな黒髪を持つ少女――アリア。
本来なら、この世界の主人公となるはずの人だ。
二人が婚約していることは、リリスから聞いている。カフェで仲睦まじく過ごす姿も見た。
ゲームとは、何もかもが違っている。
わたしの行動が巡り巡って変化をもたらしたのか、それとも、最初から別の何かが動いていたのか。
もう、ゲームの知識をそのまま信じることはできない。
いったい二人は、何を言い出すつもりなのだろう。
「あなたは、どなたですの?」
メイ様の問いかけに、ジーク様は優雅な仕草で一礼した。
「ご挨拶が遅れました。僕はキルラルド帝国皇太子、ジーク=キルラルド。そして、こちらは僕の婚約者であるアリア=グラディウス嬢。帝国の公爵令嬢です」
「アリア=グラディウスです。どうぞ、お見知りおきを」
アリアが制服のスカートの裾をつまみ、優雅に頭を下げる。
「これは失礼いたしました。ウィシュタリア王国王女、メイ=ウィシュタリアですわ」
先ほどまで先生へ食ってかかっていたメイ様も、すぐに王女の顔へ戻った。
礼儀正しく名乗り、二人へ美しいカーテシーを返す。
「メイ王女。そして、ミルロ嬢」
ジーク様が、今度はわたしへ視線を向けた。
「二人の戦いは、実に見事でした。力と速度を高い水準で両立させるメイ王女の身体能力。そして、針の穴を通すようなミルロ嬢の正確な弓術と、人を動かす優れた頭脳」
その目が、テラ、リリス、シリルさんへと順番に動く。
「二人を支えた仲間たちも素晴らしい。まあ、一人だけ代表として不適格な者もいましたが……今回は、言及を避けましょう」
カワリの表情が、目に見えて強張った。
ジーク様は気に留めることなく、穏やかな笑みを浮かべる。
「誰もが、この学園でも上位に入る逸材です。僕たち上級生も、うかうかしてはいられませんね」
「それは、どうもありがとうございますわ」
メイ様は素直に胸を張った。
「それで、僕はメイ王女の意見に賛成です。一年生のAクラスとBクラスは、なくしてしまえばいい」
「しかし、それは前代未聞だ! 今後の示しがつかないと、先ほどから――」
「先生。そんなことは分かっています」
今度はジーク様の静かな声が、先生の言葉を遮った。
大声ではない。
けれど、不思議と誰も逆らえない力があった。
「何も、この先ずっと制度をなくせと言っているのではありません。今年の一年生、その前期だけです」
「前期だけ……?」
「ええ。今回は引き分けでした。ならば前期の残り期間は両クラスを統合し、全員を同じ条件で学ばせればよい。そして前期試験の成績をもって、改めて後期のAクラスとBクラスへ分けるのです」
学園には、入れ替え戦とは別に、定期試験の成績でクラスを移る制度がある。
ジーク様の提案なら、規則そのものを壊すことにはならない。
「なるほど。ジーク殿下のおっしゃることはもっともですわ。ありがとうございます」
メイ様が、満足そうに頭を下げた。
会場内がざわめく。
やがて、誰かが小さく手を叩いた。
それに続き、別の場所からも拍手が上がる。
一つ、また一つ。
ぽつぽつと始まった拍手は、やがて大きな波となって講堂全体を包み込んだ。
「ほら。生徒たちも賛同しているようですよ」
ジーク様が先生へ微笑みかける。
壇上の先生は、鳴りやまない拍手を前に言葉を失っていた。
「はいはい、みんな静かになさーい」
よく通る太い声が、講堂全体へ響き渡った。
教職員たちの中から、三年生の担任であり、教師たちをまとめる主任でもあるキャサリン先生が前へ出る。
教師用のローブを内側から押し上げる、鍛え抜かれた筋肉。
そのたくましい両腕を胸の前で組み、キャサリン先生はわたしたち一年生を見回した。
「規則っていうのは、生徒を縛るためじゃなく、成長させるためにあるものよ。想定していなかった結果が出たからって、無理やりどちらかを下に置く必要はないわ」
その言葉だけで、広がっていた拍手が少しずつ収まっていく。
「両クラスの実力が拮抗していることは、先ほどの試合で十分に証明されたわ。前期の残り期間を同じ条件で学ばせて、試験の結果で改めてクラスを分ける。教育的にも、筋の通った提案だと思うわよ」
キャサリン先生の言葉を受け、教職員たちが短く意見を交わす。
やがて、何人もの教師が同意するように頷いた。
「話はまとまったわ」
キャサリン先生が、分厚い胸板を張って宣言する。
「今年度の一年生に限り、前期終了までA・Bクラスの区分を停止します。前期試験の結果をもって、後期から改めてクラスを編成する。それで文句はないわね?」
直後、元Bクラスの仲間たちから歓声が爆発した。
「やったよ、ミルロちゃん!」
「これで同じ教室ですわ!」
テラとリリスが、左右からわたしへ抱きついてくる。
一方、元Aクラスの生徒たちは、メイ様とシリルさんを除いて不満そうにこちらを睨んでいた。
もちろん、これで終わりではない。
前期の間だけは、同じ立場になった。
けれど、努力を怠れば、後期には容赦なくBクラスへ戻される。
今度こそ、不正につけ込まれる余地がないほどの結果を出さなければならない。
「もっと、頑張らないといけませんね」
わたしは二人に抱きしめられながら、新たな決意を胸へ刻んだ。
◇
昼休憩を挟み、午後から二年生の入れ替え戦が始まった。
今度のわたしたちは、講堂の観客席から戦いを見守っている。
ゲームにおけるこの試合は、主人公アリアにとって最初の戦闘――つまり、プレイヤーが操作を覚えるためのチュートリアルだった。
本来のAクラス代表は、アリア、ゼノン様、そしてお兄様。
対するBクラス代表の中心人物は、ダルタン=ポッキーヌ先輩。
ポッキーヌ子爵家の息子で、殴る、蹴るといった喧嘩殺法を得意とする素行の悪い生徒だ。
風の精霊クルールが生み出した風の鎧を全身へまとい、その速さを生かして一方的に相手を叩きのめす戦法を得意としている。
ゲームでは、ゼノン様とお兄様が敵の攻撃を引き受け、アリアが二人を回復させることで、戦闘の基本を覚える仕組みになっていた。
けれど、目の前のAクラス代表は違う。
ジーク様。
アリア。
そして、なぜか悪役令嬢であるカトレア様。
「どうして、カトレア様が……?」
小さく呟く。
ゲームと違うことには、もう驚かない。
けれど、帝国の皇太子とその婚約者の隣に、王国の公爵令嬢であるカトレア様が立っている理由は分からなかった。
一方、Bクラス代表はダルタン先輩と、ゲームでも名前のなかった二人の生徒だ。
開始を告げる合図が、演習場へ響いた。
「俺を舐めるなぁぁぁ!」
ダルタン先輩の隣へ、淡い緑色の光が集まった。
現れたのは、クローバーを思わせる小さな風の精霊――クルール。
粗暴な雰囲気を持つダルタン先輩とは対照的な、愛らしい姿をした精霊だった。
ダルタン先輩が送り込んだ魔力を、クルールが渦巻く風へ変える。
生み出された風は鎧となり、ダルタン先輩の全身を覆った。
重い足音を響かせ、一直線にジーク様へ突進する。
ジーク様は逃げなかった。
自らの魔力を送り込むと、傍らに控えていた金色のゴーレム――契約精霊ゴルディーナが輝きを放つ。
ゴルディーナがその魔力を金を操る魔法へ変えると、地面へ置かれていた金の塊が宙へ浮き、長い槍へ形を変えた。
ジーク様の魔法は、金の操作。
新たな金を生み出すことはできず、あくまで存在する金を動かし、形を変えるだけの力だ。
金には魔力を通さない性質がある。そのため魔法への防御力は高いけれど、金で覆われていないジーク様本人にまで魔法が効かなくなるわけではない。
ゲームで戦ったときも、この時点では決して手に負えない相手ではなかった。
「クルール、いくぞ! スカイ――」
「動きが単純だね」
ジーク様が金の槍を横へ振るう。
槍の柄が、ダルタン先輩の顔面へきれいに直撃した。
「ぐはっ!」
たった一撃だった。
ダルタン先輩の巨体が宙へ浮く。
地面を何度も転がり、そのまま動かなくなった。
『ダルタン=ポッキーヌ、戦闘不能!』
審判の声が響いたときには、残る二人の勝負も終わろうとしていた。
「ミーティア」
アリアの呼びかけに応え、その隣へ金色の髪を持つ少女の姿をした精霊が現れる。
唯一の光属性を持つ伝説の精霊、ミーティア。
アリアが、自らの魔力をミーティアへ送り込む。
その魔力を光へ変えたミーティアの身体が、眩く輝いた。
アリアが掲げた手のひらへ、二つの光球が生まれる。
「《セイント》」
放たれた光球が弧を描き、それぞれ別の相手へ吸い込まれていく。
悲鳴を上げる間さえない。
二人は光に弾き飛ばされ、ほぼ同時に地面へ倒れた。
『二名とも戦闘不能! 勝者、二年Aクラス代表!』
試合開始から、わずかな時間しかたっていなかった。
圧勝と呼ぶことすら生ぬるい。
ダルタン先輩たちには、何一つ見せ場がなかった。
そして、カトレア様は――。
「何も、していない……?」
最初から最後まで、ジーク様とアリアの後ろに立っていただけだった。
武器を構えることも、精霊を呼び出すこともない。
ただ二人の戦いを、黙って見つめていた。
けれど、それ以上にわたしの胸へ引っかかったのは、アリアの戦い方だった。
ゲームのチュートリアルで、アリアは自分から攻撃しない。
傷ついたゼノン様とお兄様を癒やし、光の加護を与え、二人の戦いを支える。
攻撃役ではなく、回復と支援を担う存在だった。
そのアリアが、今はためらうことなく光を敵へ放った。
誰かを癒やすためではない。
自ら相手を倒すために、伝説の精霊の力を使ったのだ。
勝利を告げる歓声の中、アリアは倒れた対戦相手へ目を向けることもなく、ジーク様の隣へ歩み寄った。
その横顔に、わたしの知る主人公の面影はなかった。
やはり、この人は違う。
ゲームのアリアとは、決定的に何かが変わっている。




