第3話 最初の選択
翌朝、わたしは教会の応接室へ向かっていた。
昨夜の修道女が身体を洗い、絡まっていた髪を丁寧にとかしてくれた。
借り物の白いワンピースは少し大きい。それでも、儀式のときに着ていたぼろ布よりはずっとよかった。
鏡に映った水色の髪と赤い瞳は、ゲームで見たミルロそのものだった。
けれど、その胸の内まで同じではない。
肩の上には、ユキメが座っている。
これから会う貴族たちが気になるのか、先ほどから落ち着かない様子で廊下の先を見つめていた。
「緊張していますか?」
隣を歩く修道女が、わたしの顔をのぞき込んだ。
「少しだけ」
「大丈夫。皆様、あなたを家族に迎えたいとおっしゃっています」
「どうして、わたしを?」
「精霊と契約できる人は、とても少ないのです。平民となれば、なおさらですよ」
家族に迎えたい。
その言葉だけを聞けば、路地裏で生きてきたミルロにとって、夢のような話だ。
雨をしのげる家があり、毎日食事ができる。
眠っている間に、靴を盗まれる心配もない。
それでも、無条件に喜ぶことはできなかった。
昨日まで見向きもしなかった大人たちが、魔法を使えると分かった途端に家族を名乗ろうとしている。
彼らが欲しいのは、ミルロという子供なのか。
それとも、雪と氷の魔法なのか。
「嫌なら、断ってもいいのでしょうか」
わたしが尋ねると、修道女は足を止めた。
一瞬だけ驚いたあと、安心させるように微笑む。
「いきなり知らない方の養女になるのは、不安ですよね。でも、大丈夫です。皆様、王国が身元を確認した貴族の方々ですよ」
「王国が?」
「はい。精霊と契約した平民の子供には、貴族家の養子となり、十分な教育と保護を受けられる制度があるのです」
「平民でも、貴族になれるのですか?」
「ええ。だからフェアリーデイズは、どれほど貧しい家に生まれた子供にも、人生を変える機会が与えられる日だと言われています」
精霊と契約した子供が、その力を利用され、使い潰されることを防ぐ意味もあるらしい。
家族のいる子供なら、本人と両親が話し合って決める。
わたしのような孤児の場合は、教会が保護者となり、本人の意思を確かめることになっている。
「もちろん、どの家へ入るかは慎重に決めて構いません。養子を希望する貴族家は、王国の審査を受けています。それでも嫌なら、今日中に決める必要はありませんし、別の方を探していただくこともできますよ」
「それなら安心しました」
誰に引き取られるのか、何も知らされないまま決められるわけではない。
三人の話を聞き、わたしを大切にしてくれる家を見極めていいのだ。
そう考えると、不思議なほど気持ちが落ち着いた。
◇
応接室には、神父と三人の男性が待っていた。
わたしが入ると、全員の視線が一斉に集まる。
値踏みされているような居心地の悪さを覚えたが、背筋を伸ばして一礼した。
「お待たせいたしました。ミルロです」
「孤児と聞いていたが、身なりを整えれば、なかなか見られる姿ではないか」
中央に座る男が、遠慮なくわたしの全身を眺めた。
艶のある赤紫色の上着に、大きな宝石の指輪。
椅子へ深く腰掛けた身体は丸く、笑っているのに目だけは細く冷たい。
わたしの肩では、ユキメが男を警戒するように見つめていた。
「まずは皆様をご紹介しましょう」
神父が、男たちを順番に示した。
「こちらがニュギュウ伯爵。そのお隣がクリム伯爵。そして、こちらがマルチーズ男爵です」
最初の名前を聞いた瞬間、頭の奥でゲームの記憶が弾けた。
ニュギュウ。
ゲームの中で、ミルロが名乗っていた家名だ。
ミルロ・ニュギュウ。
魔法を使える子供を欲しがった伯爵に引き取られ、家の中では血のつながらない兄や姉から疎まれる。
やがて魔法学園へ入学すると、ニュギュウ家の働きかけによって、欠員の出たカトレアの班へ補充要員として入れられる。そして、そのまま彼女の取り巻きとなるのだ。
すべての始まりは、この養子縁組だった。
「ミルロ」
ニュギュウ伯爵が、指輪をはめた手をこちらへ差し出す。
「我が家へ来なさい。伯爵令嬢として、最高の衣服と教育を与えよう。路地裏にいた頃とは比べものにならない暮らしが待っているぞ」
「どうして、わたしを選んでくださったのですか?」
「もちろん、お前が精霊と契約したからだ。そうでなければ、血のつながりもない孤児を、わざわざ養女へ迎える理由はない」
あまりにもはっきりとした答えに、胸の奥が冷たくなる。
「ほかにも、わたしに望むことはありますか?」
「そうだな。十三歳になれば魔法学園へ通い、優秀な成績を収めてもらいたい。精霊と契約した娘が学園で活躍すれば、我が家の評価も上がる」
ニュギュウ伯爵は、当然のことを語るように続けた。
「それに、お前と同じ年には王女殿下も入学される。できれば親しくなり、王家との縁を結んでもらいたい。それができれば、言うことはない」
「そうですか……」
ニュギュウ伯爵は満足そうに頷くと、ほかの二人を見回した。
「この者たちが望んでいることも、大して変わらんだろう。ならば、最も優れた家を選ぶのが、お前にとっても近道というものだ」
クリム伯爵は、笑顔を崩さないまま目を細めた。
「クリム家も同じ伯爵家ではあるが、我がニュギュウ家とは歴史も格も違う。まして男爵家と比べるまでもない」
神父がわずかに眉をひそめたが、ニュギュウ伯爵は気にする様子もない。
この人は、わたしを娘として見ていない。
ニュギュウ家の評価を上げ、王家との縁を結ぶための駒として見ている。
けれど、伯爵の言い分も理解できなくはなかった。
精霊と契約していなければ、血のつながりもない孤児を養女にしたいとは思わなかっただろう。
ここにいる三人がわたしへ会いに来た理由も、突き詰めれば魔法の力だ。
それを理解していても、胸に広がった嫌な気持ちは消えなかった。
「お話しいただき、ありがとうございました」
感情を表に出さないように頭を下げる。
次は、クリム伯爵だ。
この人も、ニュギュウ伯爵と同じなのだろうか。
そう考えながら、わたしは隣に座る細身の男性へ顔を向けた。
◇
「ただいま紹介にあずかった、クリムだ」
クリム伯爵は、柔らかな声で名乗った。
茶色の髪をきれいになでつけた、細身の男性だ。
親しみやすい笑顔を浮かべているが、わたしを見る目には商人のような鋭さがある。
「君が精霊と契約したから養女に迎えたい。その動機自体は、ニュギュウ伯爵と変わらない」
「では、ニュギュウ伯爵様と同じなのですか?」
「王国では、精霊と契約した平民の子供が望めば、貴族家の養子となり、必要な教育と保護を受けられる。我々は、その受け入れ先として名乗り出た家の者だ」
クリム伯爵は穏やかな笑顔を崩さず、言葉を続ける。
「すべての貴族に、養子を迎える義務があるわけではない。だが、一度受け入れた以上、その子供を家族として育て、成人するまで守る義務が生じる。力だけを利用して放り出すことは、王国法で禁じられている」
「では、わたしに望むことは?」
「もちろん、魔法学園へ通い、優秀な成績を収めてほしいとは思っている。王女殿下と親しくなってくれるなら、それも大歓迎だ」
そこまで話したクリム伯爵は、商人らしい鋭い目でわたしを見た。
「だが、僕が最も期待しているのは、君が持つ氷魔法の可能性だよ」
「わたしの、氷魔法……」
「我がクリム家は、王国領を中心に商いを広げている。食料や薬、衣服など、扱う品は多い。しかし、帝国や共和国にまで販路を広げようとすると、国ごとの法律や関税、輸送費が大きな壁になる」
販売網。
物流。
前世でも聞き覚えのある話だった。
「特に、生鮮食品や薬を遠くへ運ぶうえで、暑さによる傷みは長年の悩みだ。我が家でも氷魔法を保存や輸送へ利用しているが、使える人間の数も、一人が生み出せる氷の量も限られている」
クリム伯爵の視線が、わたしの肩にいるユキメへ向いた。
「先ほど、神父殿から聞いたよ。昨夜、君を見た修道女から報告があったと‥」
「中庭で魔法を使ったことですか?」
「目を覚ましたばかりだというのに、自分で氷の弓と矢を作り、中庭の木へ命中させたそうだ。契約した翌日に、初めての魔法でそこまで明確な形を作れる者は珍しい」
昨夜の修道女は、神父へ詳しく報告していたらしい。
「君の氷魔法には、まだ大きな可能性がある。その力が成長すれば、これまで届けられなかった土地まで、多くの品を安全に運べるかもしれない」
クリム伯爵は、そこで表情を少し和らげた。
「それから、我が家には君と同じ年の娘がいる」
「同い年の……」
「あの子も、先日のフェアリーデイズで精霊と契約した。魔法の腕は、まだこれからだろう。だが、あの子は数字に強い。計算の速さと正確さには、我が家の商人たちも目を見張っている」
魔法の才能だけではなく、娘の得意なことを誇らしそうに話している。
「君が我が家へ来れば、あの子とは姉妹になる。できれば仲良くなり、互いの得意なことを生かして支え合える相棒に育ってほしい。父親としても、商人としても、それが僕の望みだ」
姉妹。
家族を知らずに育ったミルロにとって、その言葉は少しだけ魅力的に聞こえた。
「もちろん、すぐに働かせるつもりはない。まずは我が家で学び、外の世界を見てほしい。成長したあと、君自身が納得してくれたなら、その力を貸してもらいたい」
クリム伯爵は、そこで一度言葉を切った。
「当然、ただで使わせるつもりもない。君の力によって得られた利益には、相応の報酬を支払う」
利用する目的を隠してはいない。
けれど、その代わりに何を与えるのかも明確だった。
養女として育てたうえで、将来は事業の協力者になってほしい。
前世の言葉で表すなら、ビジネスパートナーに近い考え方なのかもしれない。
少なくとも、わたしを家の評価を上げるための駒としてしか見ていなかったニュギュウ伯爵より、ずっと信用できる。
クリム伯爵家を選ぶのも、悪くないかもしれない。
そう考えながら、わたしは最後に残ったマルチーズ男爵へ顔を向けた。
◇
三人の中で最も大柄な男性だった。
短く整えた金髪に、鋭い青い瞳。
礼服の上からでも分かるほど身体が鍛えられ、右の眉には古い傷が走っている。
マルチーズ家。
その名にも覚えがあった。
ゲームで主人公たちの仲間となる重騎士、アーサーの家名だ。
巨大な盾で敵の攻撃を受け止め、剣で仲間へ迫る敵を退ける、頼れる前衛。
マルチーズ家の騎士は弓術も修めており、離れた敵への牽制や後方支援までこなせる。
防御だけでなく、状況に応じて剣と弓を使い分けられるため、綾が編成から外したことは一度もない。
そして、彼の父親は王国騎士団の団長だったはずだ。
「マルチーズ男爵だ。王国で騎士団長の任を拝命している。こちらから望むことを話す前に、一つ聞きたい」
低い声に、自然と背筋が伸びる。
「昨夜、君が氷の弓と矢を作ったという話は、私も聞いている。なぜ、弓だった?」
予想していなかった問いに、わたしは瞬いた。
「なぜ、とは?」
「初めて魔法を使う者は、氷の塊をそのまま飛ばしたり、投げつけたりすることが多い。扱いに慣れれば、刃や壁の形にする者もいる」
マルチーズ男爵は、わたしの手を見た。
「だが、君は最初から弓と矢という複雑な形を作った。そこには、理由があるはずだ」
ニュギュウ伯爵は、自分の家が与えられるものを語った。
クリム伯爵は、互いに与え合えるものを語った。
この人だけが、わたしのしたことを見て、その理由を尋ねている。
「弓が、好きだからです」
気づけば、胸の前で両手を握り締めていた。
「わたしは弓を引きたい。もっと遠くへ、もっと正確に矢を届けられるようになりたい。その力で、自分の生き方を自分で選べる人になりたいです」
部屋が静まり返った。
十歳の子供らしくない言葉だったかもしれない。
けれど、これだけは嘘をつきたくなかった。
「なるほど」
マルチーズ男爵は目を閉じ、しばらく考えた。
「我が家へ来れば、弓を学ぶ環境は与えよう。息子も弓術を学んでいる。練習相手にはなるだろう」
「本当ですか?」
「望むなら、騎士を目指してもいい。ただし、なれると約束はしない」
マルチーズ男爵は、真っすぐにわたしを見た。
「騎士の名は、他人から与えてもらうものではない。自分の鍛錬で勝ち取るものだ」
厳しい言葉なのに、なぜか嬉しかった。
「もう一つ。私は器用な父親ではない。妻と息子は歓迎するだろうが、伯爵家ほどの贅沢もさせてやれん」
そこで初めて、マルチーズ男爵の表情がわずかに和らいだ。
「それでも我が家へ来るなら、魔法使いとしてではなく、一人の娘として守る」
その言葉には、飾りがなかった。
できることと、できないこと。
約束することと、わたし自身が努力すべきこと。
すべてを真っすぐに伝えてくれた。
もう、迷いはなかった。
◇
小さな手で、マルチーズ男爵の大きな手を握る。
ゲームの中で、彼女はミルロ・ニュギュウになった。
けれど、この世界でわたしが選んだ名は――ミルロ・マルチーズ。
たった一つ、家名が変わっただけ。
それでも確かに、決められていた物語から最初の一歩を踏み出したのだ。




