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第2話 二度目の人生で、弓を引く

わたしは、二度目の人生でも死ぬ運命にある少女へ転生していた。


 あまりの事実に、しばらく鏡の前で動けずにいた。


「ねえ。どうしたの? さっきからずっと考え込んでる」


 ユキメが不思議そうに首を傾げた。


 胸の前まで垂れた白い髪が、ふわりと揺れる。


「あなた、ミルロっていうんだよね?」


「ええ。そうよ」


「よかった。契約した人の名前を間違えていたら、どうしようかと思った」


 ユキメは安心したように笑った。


 当然だけれど、ユキメは弓田綾のことも、ゲームのことも知らない。


 いくら契約を結んだとはいえ、わたしの記憶や考えていることまで分かるわけではないのだ。


 ユキメにとって、わたしはミルロという名前の契約者。


 今は、それが少しだけありがたかった。


「ごめんなさい。少し混乱しているの」


「あれだけたくさんの魔力を一度に出したんだもの。無理もないよ。まだどこか痛む?」


「その前に、わたしはどれくらい眠っていたの?」


「丸一日くらい。何度呼んでも起きないから、心配したんだからね」


「そんなに……」


 窓の外が暗い理由も、それで分かった。


 身体の状態を確かめるように、手足を動かす。


「身体は大丈夫。今までで一番、元気なくらいよ」


 十歳の身体は痩せ細っていたが、痛みなく息ができる。


 指も脚も、望んだとおりに動く。


 それが嬉しくて、同じくらい苦しかった。


 この身体が健康であるほど、弓田綾には二度と戻れないのだと思い知らされる。


 父と母は、手術室の外で何を聞かされたのだろう。


 母と交わした約束も果たせなかった。


 借りたゲームを、沙耶へ自分の手で返すこともできない。


 もう一度会いたい。


 謝りたい。


 ありがとうと伝えたい。


 けれど、どれほど願っても、この世界に三人はいない。


「ミルロ……?」


 ユキメの声で、自分が泣いていることに気づいた。


 小さな手の甲で拭っても、涙は次々とこぼれてくる。


「少しだけ……少しだけ、泣いてもいい?」


「もちろん」


 ユキメはわたしの肩へ降りると、小さな両腕で頬を抱きしめてくれた。


 触れた頬は冷たかったのに、その抱擁は不思議なほど温かく感じられた。


 わたしは声を押し殺して泣いた。


 綾だった十六年を、なかったことにしないために。


 大好きだった家族と友人に、心の中で別れを告げるために。


     ◇


 ひとしきり泣いたあと、わたしはベッドの上で膝を抱えた。


 悲しむことと、これからを諦めることは別だ。


 この世界が『マナアース』と同じなら、わたしには知っておかなければならないことがある。


「ユキメ。少し考え事をするから、そばにいてくれる?」


「うん。契約者のそばにいるのが、わたしの役目だもの」


 頼もしい返事を聞きながら、ゲームの記憶をたどる。


『マナアース―フェアリーデイズ―』の物語は、大きく三つに分かれていた。


 魔法学園で、平民出身の少女アリアが攻略対象者たちと出会う学園編。


 アリアと仲間たちが王国を侵略する帝国と戦い、その中でアリアが聖女に、彼女が選んだ攻略対象者が勇者として認められる戦争編。


 そして、復活した魔王を倒し、世界を救う魔王編。


 綾が夢中で遊んだのは、アリアたちが何度倒れても立ち上がる物語だった。


 では、その物語の中でミルロは何をしていたのか。


 主人公たちより一学年下で魔法学園へ入学する。


 そして、全学年のAクラス生徒が、学年を越えた班を組んで競い合うランク戦で、欠員の出た公爵令嬢カトレアの班へ補充要員として加わる。


 淡い紫色の髪を持つカトレアは、攻略対象の一人である王子の婚約者だった。


 ミルロは班へ加わったことをきっかけに、カトレアの取り巻きとなる。


 ゲーム画面での立ち位置は、いつもカトレアの斜め後ろ。


 学園編では一度しか名前を呼ばれず、単独の立ち絵さえ用意されていなかった。


 そのため、プレイヤーから呼ばれていた通称は――取り巻きC。


 戦争編の中ボスとして再登場した際に、本名がミルロだと明かされた。それでも、一度定着した通称が変わることはなかった。


「自分のことだと思うと、想像以上に腹が立つわね……」


「しー?」


「こっちの話よ」


 取り巻きCとなったミルロは、カトレアと一緒にアリアをいじめる。


 やがて悪事が露見し、学園を追放される。


 その後は復讐のため帝国側につき、王国軍との戦いで命を落とす。


 それで終わりかと思えば、帝国の実験の副産物によってカトレアとともに蘇らされる。


 二人はゾンビ兵の軍団を率いる中ボスとなり、再び主人公たちの前に立ちはだかるのだ。


 もちろん、そこでも主人公たちに倒される。


「生き返らせたあと、もう一度殺す必要があるの?」


「何を言ってるの? ミルロはこうして生きてるよ?」


 ユキメが不思議そうに首を傾げる。


「ううん。これから死なないために確認しているの」


 正確には、ゲームどおりなら最初に命を落とすのは何年も先だ。


 しかし、現在のミルロは、今日を越えられる保証さえない孤児だった。


 住む場所もない。


 頼れる大人もいない。


 食べ物を手に入れられるかどうかも、その日の運次第。


 学園や帝国、魔王を心配する前に、まずは今夜から生き延びなくてはならない。


 不安がないわけではない。


 前世の家族を失った悲しみも、まだ胸の中から消えてはいない。


 それでも、これからを諦めるつもりはなかった。


 一度目の人生は、病気に奪われた。


 ようやく手に入れた二度目の人生まで、決められた筋書きに奪われてたまるものか。


 ゲームの主人公が誰であろうと、そんなことは関係ない。


 ここがゲームと同じ世界であっても、今を生きているわたしにとっては現実だ。


 この命は、わたしのもの。


 この人生の主人公は――わたしだ。


 前世の記憶がある。


 この先に起こる大きな出来事も知っている。


 何より、今のわたしにはユキメがいる。


「ねえ、ユキメ。あなたは雪と氷を司る精霊だと言ったわね。わたしにも魔法が使えるの?」


「もちろん。ミルロの魔力を、わたしが雪や氷の魔法に変えるの」


「どうすればいい?」


「うーん……よく分からない。ミルロの魔力なんだから、作りたいものを思い描けばいいんじゃないかな?」


「ずいぶん曖昧ね。でも、やってみるわ」


 目に見えないものを、寸分違わず思い描く。


 それなら、六年間続けた弓道とよく似ていた。


 射る前から、矢が的へ届くまでを心の中に描く。


 足の位置。


 胴の構え。


 弓を押す左手と、弦を引く右手。


 一つでも曖昧なら、矢は正直に的を外れる。


 わたしはベッドから降り、部屋の中央に立った。


 両足を開く。


 左手を前へ。


 右手を頬の横へ。


 今の小さな手には、弓も矢もない。


 それでも、前世の身体で繰り返した動きは、記憶の中に残っている。


 冷たい力が胸の奥から腕へ流れ、左の手のひらへ集まっていく。


 水色の光が細長く伸びた。


 緩やかに反った弓身。


 握りを境に上下の長さが異なる、前世で慣れ親しんだ和弓の形。


 透き通った氷の弓が、わたしの手の中に現れた。


「できた……」


 自分の身長を越える弓を見上げ、息を呑む。


「すごいよ、ミルロ! 初めてなのに、こんなにはっきり形にできるなんて!」


 ユキメが目を輝かせ、氷の弓の周りを飛び回った。


 右手を離すと、弓は淡い光となって消えた。


 まだ数秒しか形を保てない。


 それだけで、息も上がっている。


 けれど、確かに握った。


 もう失ったと思っていた弓を、この手に。


「もう一度。今度は矢も作る」


「待って。身体を休めないと」


「あと一度だけ」


 目を閉じ、氷の弓を思い描く。


 先ほどよりも速く、鮮明な輪郭が生まれた。


 続いて右手へ、一本の矢を作る。


 透明な矢柄の先に、鋭く尖った氷の鏃。


 羽根まで含め、前世で使っていた矢と同じ形を思い描いた。


 そのまま射ようとして、わたしは慌てて弓を下ろす。


「さすがに、部屋の中で射ったら怒られるわね」


「うん。まあ、危ないよね?」


「まあ、ではなく危ないのよ」


「そうなの?」


 ユキメは分かったような、分かっていないような顔で首を傾げた。


 窓を開くと、冷たい夜気が流れ込んできた。


 眼下には、誰もいない教会の中庭がある。


 その向こうには一本の大きな木が立ち、月明かりに照らされた幹の途中に黒い節が見えた。


 距離は二十歩ほど。


 今の身体と、初めて作った弓で、どこまで射られるのかは分からない。


 けれど、狙う場所さえ決まれば迷いは消えた。


 窓辺に立ち、足を開く。


 左腕で弓を押し、右手で弦を引く。


 痩せた腕が震えた。


 前世のように大きく引き分けることはできない。


 それでも姿勢だけは崩さず、木の節をまっすぐに見据える。


 息を整える。


 放つ。


 澄んだ弦音が、夜の中庭へ響いた。


 氷の矢は水色の光を引いて飛び、狙った節から指二本分だけ下へ突き刺さる。


 幹の表面を、白い霜が走った。


「当たった……!」


 胸の奥が熱くなる。


 完璧な一射ではない。


 狙いも、ほんの少し外れた。


 それでも、自分の足で立ち、自分の手で弓を引き、自分の意志で矢を放った。


 その事実だけで、泣きたくなるほど嬉しかった。


 直後、足から力が抜けた。


「きゃっ……!」


 わたしは、その場に尻餅をついた。


「ミルロ!」


 ユキメが慌てて、わたしの顔の前まで飛んでくる。


「魔力の使いすぎ! 初めて魔法を使った日に、弓と矢まで作る人がいる?」


「ここにいたわね……」


「もうっ。今夜は絶対に練習禁止だからね」


 叱るユキメの声を聞きながら、わたしは床に座ったまま笑った。


 弓が引ける。


 まだ狙いはわずかに外れる。


 威力も持続時間も足りない。


 それなら、これから伸ばせばいい。


 今度は、時間があるのだから。


 扉を叩く音がしたのは、そのときだった。


「ミルロさん、起きていますか?」


 若い女性の声に返事をすると、栗色の髪をした修道女が、湯気の立つスープを手にして入ってきた。


「まあ! 床で何をしているの!?」


「魔法の練習を、少し……」


「魔法の?」


 修道女は、開いた窓へ目を向けた。


 月明かりの下、中庭に立つ木へ氷の矢が突き刺さり、その周囲を白い霜が覆っている。


「あれを、あなたが?」


「はい。少しだけ狙いを外しましたが」


 修道女は目を見開き、木とわたしの顔を何度も見比べた。


「昨日、精霊と契約したばかりですよね?」


「そうみたいです」


「目を覚ましたその日のうちに、あれほどはっきりと矢を形にしたのですか……」


 驚いていた修道女は、床に座ったままのわたしを見ると、すぐに表情を険しくした。


「いえ、感心している場合ではありません。目を覚ましたばかりなのに、倒れるまで魔力を使うなんて!」


「申し訳ありません……」


「さあ、ベッドへ戻ってください。神父様にも、目を覚ましたとお伝えしなくては」


 修道女に抱き起こされながら、スープの匂いにお腹が鳴った。


 ミルロの記憶にある限り、こんな温かな食事は久しぶりだ。


「それから、明日の朝、あなたに会いたいという方々がいらっしゃるそうですよ」


「わたしに?」


「ええ。昨日の儀式を見ていた貴族の方々です。あなたを養女に迎えたいと申し出ている方が、何人もいらっしゃるそうです」


「養女……」


 その言葉と同時に、ゲームの中で一度だけ語られていたミルロの過去が蘇った。


 ミルロは学園へ入る前、ある貴族の養女になる。


 そして、その家の都合でカトレアの班へ入れられ、彼女の取り巻きとなるのだ。


 誰に引き取られ、何を選ぶのか。


 その結果によっては、ゲームと同じ未来へ進むことになる。


 どうやら、筋書きを変える最初の分かれ道は――もう目の前まで来ているらしい。

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