第29話 最初の脱落者
――ミルロ視点――
A・Bクラス入れ替え戦。
ゲームにおけるこのイベントは、主人公アリアにとって初めての実戦だった。
試合は、一年生、二年生の順番で行われる。
けれど、アリアが学園へ編入するのは二年生から。そのためゲーム本編では、一年生の試合が行われたという説明だけで、参加者も結果も語られない。
プレイヤーが実際に操作する二年生の試合は、移動や魔法、仲間への指示の出し方を覚えるためのチュートリアルだった。
敵の能力は低く設定され、普通に操作すれば負けることはない。
けれど今、わたしが立っているのは、ゲームでは描かれなかった一年生の試合だ。
攻略情報は、何もない。
そして、本来ならAクラスにいるはずのわたしが、Bクラスの代表としてメイ様と戦おうとしている。
「いよいよですね、ミルロちゃん」
隣から、テラの緊張した声が聞こえた。
わたしはゲームの記憶を閉じ、目の前の野外演習場を見渡す。
「はい。ここからは、わたしたち自身で勝ち方を作りましょう」
◇
入れ替え戦の会場は、学園から少し離れた場所に造られた、広大な野外演習場だった。
見渡す限りの草原。
その先に広がる深い森。
さらに奥には、演習場を横断する川が流れている。
三つの地形すべてが、一つの戦場だ。
森の木々や川の水を魔法へ利用してもよい。身を隠し、待ち伏せをすることも認められている。
勝利条件は、相手三人全員を戦闘不能にするか、降参させること。
ただし、殺害だけは固く禁じられている。
演習場の各所には、映像を記録する魔道具が設置されていた。
魔道具が捉えた戦いは、学園の講堂に置かれた巨大な投影板へ映し出される。生徒や教師たちは、そこから試合を見守ることになっている。
「試合を始める前に、一人紹介しておく」
審判役の教師が横へ退いた。
代わって前へ出てきたのは、保健室を預かるヘルミーナ先生だった。
穏やかな笑顔を浮かべ、わたしたち六人を順番に見つめる。
「死なない限り、どんな怪我でもわたしが治します。若いのですから、全力で青春をぶつけなさい」
「はい!」
誰よりも大きな声で返事をしたのは、メイ様だった。
ヘルミーナ先生の笑顔が、わずかに引きつったように見えた。
「念のため言っておくが、今の言葉は何をしてもよいという意味ではない。殺意を持った攻撃や、戦闘不能になった相手への追撃は即失格とする」
審判の教師が慌てて付け加える。
「各班、開始位置へ移動しろ」
わたしたちは草原の東側へ。
メイ様たちは、遠く離れた西側へ向かった。
互いの姿は見えるが、通常の魔法や矢が届く距離ではない。
テラが何度も深呼吸している。
リリスは、ララネお姉様から届いた収納バッグが肩にあることを確かめた。
「作戦は、先週確認したとおりです」
わたしは二人へ手を差し出した。
「相手はAクラスです。でも、わたしたちは勝つためにここへ来ました」
「う、うん。今度は、わたしがミルロちゃんを守る」
「最高に華麗な勝利を飾りましょう!」
三人の手を重ねる。
遠くで、開始を告げる鐘が鳴った。
「森へ向かいます!」
わたしたちは同時に、草原を駆け出した。
◇
――メイ視点――
『メイ、ミルロたちは森へ入ったよ!』
空から戻ってきたライラが、わたしの肩へ着地した。
「やはり、正面からは来ませんのね」
草原の向こうでは、水色の髪も、白く大きな身体も、すでに見えなくなっている。
ミルロたちは、三人そろって森へ向かったらしい。
「僕たちは、少し様子を見た方がよいと思います」
シリルがおずおずと口を開いた。
「ミルロさんは、代表決定戦でも相手の動きを利用していました。僕たちを森へ誘い込むための罠かもしれません」
「罠でしょうね」
「でしたら、まずライラに森の中を詳しく――」
「先に行きますわ!」
全身へ雷をまとい、地面を蹴った。
「メイ様!?」
「お待ちください!」
背後からシリルとカワリの声が聞こえたけれど、足を緩める理由にはならない。
ミルロが罠を仕掛けている。
それなら、罠ごと正面から打ち破ればよい。
それに、もう待ちきれなかった。
「早く戦いましょう、ミルロ!」
草原を駆け抜け、そのまま森の中へ飛び込む。
『メイ、二人がついてきてないよ!』
「すぐに追いつきますわ!」
『多分、無理だと思う』
ライラの声を聞き流し、木々の間を雷の速さで駆け抜ける。
早くミルロと戦いたくて、身体の奥がうずうずしていた。
後ろを振り返る時間さえ、もったいない。
シリルとカワリが追いつけないことなど、分かっていた。
それでも、そのときのわたしは、ミルロを探すことしか考えていなかった。
◇
――カワリ視点――
「ま、待って……!」
木の根につまずき、わたしは地面へ手をついた。
顔を上げたときには、メイ様の姿はどこにもなかった。
シリルさんの背中も、木々の向こうへ消えようとしている。
「シリルさん!」
呼び止めると、シリルさんは一度だけ足を止めた。
しかし、森の奥から雷鳴が響く。
「申し訳ありません! メイ様を一人にするわけにはいきません!」
それだけ答え、シリルさんも走り去ってしまった。
「どうして、二人とも……!」
立ち上がろうとしても、足に力が入らない。
わたしには、自分の身体を強化する魔力がない。
契約精霊もいない。
雷をまとって駆けるメイ様はもちろん、魔法を使えるシリルさんの速さにさえついていけなかった。
一人きりになった森は、急に静かになった。
聞こえるのは、自分の荒い呼吸と激しい鼓動だけ。
『絶対にミルロへ勝利せよ』
『敗北すれば、お前の居場所はない』
お父様から届いた手紙の文字が、頭の中で何度も繰り返される。
「勝たなければ……」
指輪をはめた右手を強く握る。
「わたしが、ミルロを倒さなければ……!」
そのとき、木々の隙間に水色の髪が見えた。
少し離れた、開けた場所。
ミルロが、こちらへ背中を向けて立っている。
弓は下ろされ、周囲にテラとリリスの姿もない。
「見つけた……」
気づいたときには、木の陰から飛び出していた。
周囲を確かめるより先に、指輪をはめた右手をミルロの背中へ向ける。
「風神の指輪よ!」
緑色の宝石が輝き、小さな旋風が生まれた。
風の塊が木の葉を巻き上げながら進み、ミルロの背中へ直撃する。
その身体が前へ倒れた。
「当たった!」
宝石の緑が、ほんの少し濁る。
残り九回。
わたしは喜びのまま、倒れたミルロへ駆け寄った。
「これで、わたしの勝ち――」
言葉が止まる。
倒れたミルロの頬に、細い亀裂が入っていた。
人の肌ではない。
着色された土が崩れ、その下から硬い石がのぞいている。
「人形……?」
背筋が冷たくなる。
わたしは、最初から見られていた。
「どこから――」
風を切る音がした。
◇
――ミルロ視点――
森を見下ろす斜面の上で、わたしは弦から指を離した。
人形へ攻撃が当たった瞬間、木々の隙間からカワリの姿が完全に見えた。
距離は遠い。
普通の氷矢なら、途中で枝に阻まれる可能性がある。
相手はAクラスの代表だ。
魔法を隠していることも、何らかの切り札を持っていることも想定していた。
実際、土人形を一撃で倒すほどの風魔法を使った。
正体の分からない力を持つ相手を、このまま自由に動かす方が危険だ。
だから、手加減はしない。
「《ブリザードアロー》」
青白い矢が、森を一直線に走る。
青龍が使った《氷獄の息吹》をまとわせた、わたしの奥の手。
枝も、舞い上がった木の葉も、矢へ触れる前に白く凍りついた。
カワリが音に気づき、こちらを振り向く。
けれど、そのときにはもう遅かった。
矢はカワリの右腕へ触れた瞬間、形を失う。
解き放たれた冷気が、全身を駆け抜けた。
「え――」
声さえ、最後まで続かなかった。
足元から頭上まで青白い氷が覆い、一瞬で動きを封じる。
人を貫くための矢ではない。
触れた相手の生命活動を損なうことなく、氷の中へ閉じ込める矢。
完全に凍結したカワリは、氷像のようにその場で動きを止めた。
『一人、止めたわね』
隣に浮かぶユキメが告げる。
「はい。ですが、あと四発です」
《ブリザードアロー》は、魔力の消費が大きすぎる。
残る相手は、メイ様とシリル。
本当の戦いは、ここからだ。
◇
――学園の講堂――
巨大な投影板に映し出された光景を前に、生徒も教師も言葉を失っていた。
遠く離れた斜面から、木々のわずかな隙間だけを通して放たれた一矢。
その正確さだけでも、普通の弓使いには真似できない。
さらに、命中と同時に一人の人間を完全に凍結させた魔法。
「あれが……クラス分け試験三十位?」
「嘘だろ。あんな魔法、授業でも見たことがないぞ」
「あれほど離れた場所から射抜いたのか……?」
静寂が、大きなどよめきへ変わっていく。
Bクラスの生徒たちの中で、ゲイルだけは投影板を見つめたまま拳を握っていた。
「俺たちとの試合でも、あの矢は使っていなかった」
近くにいた教師が、映像へ顔を寄せる。
「凍結の内側に生命反応があります。殺してはいない……恐ろしい制御だ」
保健室のヘルミーナ先生は、すでに凍りついたカワリを回収するため、演習場へ向かっていた。
その直後、試合場全体へ審判の声が響き渡る。
『カワリ・ニュギュウ、戦闘不能。Aクラス代表、一名脱落!』
◇
――メイ視点――
森の中を駆けていたわたしは、その宣告を聞いて足を止めた。
驚いたのは、ほんの一瞬だけだった。
すぐに口元をつり上げ、楽しさがこみ上げてくる。
「やりますわね、ミルロ」
金色の雷が、再び全身を走った。
「そうこなくては」




