第28話 雷姫と小さな雨雲
――メイ視点――
「もう一度ですわ、ライラ!」
『まだやるの?』
「当然でしょう!」
放課後のAクラス演習場に、金色の雷が弾けた。
わたしからライラへ流した魔力が、金色の雷へ変わって全身を包む。
地面を蹴った瞬間、景色が後ろへ飛んでいった。
訓練用の木剣を握り締め、正面に並べた三体の標的へ一息に迫る。
一体目を横から薙ぎ払う。
返す剣で二体目を切り上げ、その勢いのまま身体を回す。
最後の標的へ、雷を集中させた切っ先を突き込んだ。
轟音。
三体の標的が、ほとんど同時に砕け散った。
木片が地面へ落ちるより先に、わたしは次の標的へ目を向ける。
「まだ遅いですわ」
『さっきより速くなっていたよ』
「ミルロなら、二体目を攻撃したところで矢を当ててきます」
『ミルロを基準にすると、いつまでたっても休めないよ』
「休んでいる時間はありません。入れ替え戦まで、あと十日もないのですから」
わたしは新しい木剣を拾い上げた。
わたしは戦わずに代表となり、ミルロは三対一を覆して代表となった。
思い出すたびに、羨ましさと闘志が込み上げてくる。
ずるい。
わたしも戦いたかった。
だから、その不満をぶつけるように、毎日一人で演習場へ通っている。
次に本気で戦える相手はミルロだ。
そのときまでに、もっと速く、もっと強くならなければならない。
「メ、メイ様……」
背後から、小さな声が聞こえた。
振り返ると、演習場の入り口にシリル・シュクリンが立っていた。
肩まで届く淡い金色の髪。少女のように細い身体。その頭上には、小さな太陽の形をした炎の精霊サンが浮かんでいる。
「何かご用ですの?」
「あ、あの……よろしければ、僕も訓練をお手伝いします」
「結構です。わたし一人でできます」
「でも、僕たちは同じ班ですから……」
「でしたら、入れ替え戦までにご自分の魔法を磨いておいてください」
「はい……」
シリルがうつむいた。
これで自分の訓練へ戻るだろうと思ったのに、いつまでも入り口から動かない。
「まだ何かありますの?」
「その……父から、メイ王女殿下とお近づきになるようにと言われていまして」
「それを、わたし本人へ言ってしまうのですか?」
「嘘をつくのはよくないと思って……」
『シリルは正直だね!』
サンが楽しそうに輝く。
「シュクリン侯爵は、あなたを使って王家とのつながりを作りたいのですね」
「た、多分……そうだと思います」
「わたしは、そのような理由で仲良くする相手を選びません」
「そうですよね……」
シリルの肩が落ちる。
「ですが、父親に言われたことを守ろうとする姿勢は立派ですわ」
「え?」
「見学するだけなら、お好きになさい。ただし、危険ですから離れていること」
「は、はい!」
返事だけは、先ほどより少し大きくなった。
◇
シリルを演習場の端へ下がらせ、わたしは木剣を構えた。
今度は、標的を一体だけ置く。
必要なのは、複数の相手を倒す速さだけではない。
ミルロの守りを、正面から突破する一撃。
全身を巡る雷を、両足と剣先へ集中させる。
『メイ。さっきより魔力が多いよ』
「分かっています」
『本当に大丈夫?』
「試さなければ、使えるようにはなりませんわ」
足元の石が、雷の熱で黒く焦げた。
一歩。
踏み込んだ瞬間、身体が金色の光となった。
標的との距離が消える。
木剣が中心を貫き、内側へ流し込んだ雷が爆発した。
標的だけではない。
背後に積まれていた古い訓練器具まで、まとめて吹き飛んだ。
「きゃあっ!」
シリルの悲鳴が聞こえる。
「男性が、きゃあとは何ですの」
「メイ様、後ろです!」
「後ろ?」
振り返る。
砕けた木片に、金色の火花が残っていた。
乾燥した藁へ火が移り、演習場の端で赤い炎が立ち上がる。
「火事……」
『だから、魔力が多いって言ったのに!』
「話は後ですわ。先に消します!」
わたしは燃えている藁束を蹴り飛ばした。
けれど、崩れた木材の下にも火が回っている。
風を受けた炎は、隣の訓練器具へ燃え移った。
このままでは、資材置き場に並ぶ訓練器具へ次々と燃え広がってしまう。
「これをどかせば――」
燃えている木材をつかむ。
「メイ様、素手では駄目です!」
「この程度、平気ですわ!」
熱に耐え、木材を炎の中心から引きずり出す。
手袋が焼け、右手首へ熱い痛みが走った。
それでも、手を離すわけにはいかない。
「僕が消します!」
「サンの炎では、余計に燃えるだけでしょう!」
「サンではありません!」
シリルの声が、初めて強く響いた。
「来て、レイン!」
その背後に、小さな灰色の雲が現れた。
ふわふわとした雨雲の身体。下側からは、青い雨粒が一滴ずつ落ちている。
『……シリル』
サンとよく似た、幼い声だった。
「演習場へ雨を降らせて!」
『うん』
シリルからレインへ魔力が流れ込む。
レインの身体が大きく膨らみ、シリルの魔力が大量の雨へ変わった。
ぽつり。
頬へ雨粒が当たる。
次の瞬間、演習場だけを覆う激しい雨が降り始めた。
燃え広がっていた炎が、一斉に小さくなる。
赤い火は白い蒸気へ変わり、黒く焦げた木材から煙だけが立ち上った。
それまで乾いていた空から、突然降り注いだ雨。
わたしは右手の痛みも忘れ、シリルの隣に浮かぶ精霊を見つめた。
「今の精霊は、誰ですの?」
シリルの顔から血の気が引いた。
「あ……」
「サンとは別の精霊ですわね」
「ち、違うんです。これは、その……」
『ぼくの双子、レインだよ!』
サンが明るく答えた。
「双子の精霊!」
思わず、レインへ顔を近づける。
「では、あなたは炎だけでなく、水属性も使えるのですか?」
「は、はい……」
「すごいですわ!」
「……え?」
「一人で二属性を使えて、しかも精霊が二人もいるのでしょう? かっこいいではありませんか!」
シリルもレインも、同じように目を丸くした。
「気持ち悪く、ないのですか?」
「どうして気持ち悪いと思うのです?」
「二十年前の戦争で、帝国三将軍の筆頭アスラが、フウジンとライジンという双子の精霊を使いました。多くの王国兵や騎士を殺したため、王国では今も双子の精霊が恐れられています」
シリルは胸元で両手を握り締めた。
「双子の精霊は災いを呼ぶ。二つの力を持つ人間は、いつかアスラのようになると……。だから、レインのことは誰にも見せないようにしていました」
「くだらないですわ」
「くだらない……?」
「アスラのことくらい、わたしも知っています。ですが、あなたはアスラではありません。サンとレインも、フウジンとライジンではないでしょう?」
「それは……そうですが……」
「恐れるべきなのは、力を人殺しに使ったアスラです。双子であることではありませんわ」
「ですが、もし再び戦争が起きて、アスラと戦うことになったら……」
「それなら、なおさら心配ありません」
「え?」
「そのときは、わたしがアスラを倒しますもの」
あまりにも当然のように言い切ったため、シリルは言葉を失った。
「それに、一つより二つの方が多いではありませんか」
「え……?」
「使える魔法が増えれば、できることも増える。精霊が二人も力を貸してくれる。それのどこが不吉なのです?」
わたしには、世間が何を恐れているのか理解できなかった。
「少なくとも、わたしは素敵だと思います」
シリルがうつむいた。
泣かせてしまったのかと思ったが、長い前髪の隙間から見えた口元は、少しだけ笑っていた。
「……ありがとうございます、メイ様」
『シリル、うれしそう』
レインから、小さな雨粒が落ちる。
「あっ、メイ様。その手……!」
シリルが、わたしの右手首を見た。
焼けた手袋の下で、皮膚が赤く腫れている。
「この程度なら、放っておいても治ります」
「駄目です。火傷は、すぐに冷やさないと」
「ですが――」
「レイン、お願い」
『いたいの、流すね』
レインが、わたしの手首の上へ移動した。
シリルの魔力がレインを介して柔らかな雨へ変わり、火傷へ降り注ぐ。
ひんやりとした水が熱を奪い、その奥から温かな力が染み込んでくる。
赤く腫れていた皮膚が、少しずつ元の色へ戻った。
痛みも消えていく。
「回復魔法まで使えるのですか!」
「軽い傷だけです。大したことは……」
「十分すごいですわ!」
攻撃のサン。
広い範囲へ雨を降らせ、傷まで癒やすレイン。
二人の力を同時に使えるのなら、シリルはわたしが考えていたよりも、ずっと強い。
「シリル。明日からは、わたしと一緒に訓練なさい」
「ぼ、僕がですか?」
「同じ班なのでしょう? あなたがどれほど戦えるのか、興味が湧きました」
「でも、レインをほかの人に見られたら……」
「誰もいない時間に訓練すればよいのです。あなたが自分から見せたいと思うまで、わたしも黙っています」
「メイ様……」
「ただし、訓練を始めたら手加減はしませんわよ」
「はい!」
シリルの返事は、今までで一番大きかった。
◇
――シリル視点――
誰かにレインの姿を見られた瞬間、すべてが終わると思っていた。
二十年前、帝国三将軍の筆頭アスラは、双子の精霊フウジンとライジンを従え、大勢の王国兵や騎士を殺した。
それ以来、王国では双子の精霊は災いを呼ぶと恐れられている。
二つの属性を持つ人間は、いずれアスラのようになる。
それが、幼い頃から何度も聞かされてきた言葉だった。
だから、サンだけを人前へ出し、レインの存在を隠してきた。
気味悪がられるのが怖かった。
シュクリン家の恥だと言われることも、レインが悪い精霊として扱われることも、耐えられなかった。
けれど、メイ様は笑わなかった。
怖がりもしなかった。
炎を使えて、水も使える。
精霊が一人ではなく、二人も力を貸してくれる。
それを、かっこいいと言ってくれた。
もしアスラと戦うことになっても、自分が倒すと迷いなく言い切った。
『よかったね、シリル!』
サンが、僕の周りを楽しそうに飛び回っている。
『メイ、レインのこと嫌いじゃない?』
「うん。素敵だと言ってくれたよ」
『レイン、素敵?』
「そうだよ」
レインの灰色の身体から、小さな雨粒がこぼれた。
雨粒は床へ落ちる前に消えたけれど、レインが喜んでいることは僕にも伝わってきた。
父から、メイ王女殿下へ近づくように命じられた。
王家とのつながりを作るためだと言われ、僕はその言葉に従って演習場まで来た。
けれど、父はレインを見せろとは言っていない。
僕がレインを呼んだのは、メイ様を助けたかったからだ。
「明日も、ここへ来よう」
『お父さんに言われたから?』
サンの問いに、僕は首を横へ振った。
「違うよ」
今度は僕自身が、メイ様と一緒に戦ってみたいと思った。
◇
――カワリ視点――
同じ夜。
わたしは寮の自室で、一通の手紙を握り締めていた。
封蝋に刻まれているのは、ニュギュウ伯爵家の紋章。
お父様から届いた手紙には、温かな言葉など一つも書かれていなかった。
『A・Bクラス入れ替え戦では、必ずミルロ・マルチーズに勝利せよ』
『我が家からの養子の申し出を拒んだ娘に、ニュギュウの名を持つお前が敗れることは許されない』
『敗北すれば、お前の居場所は伯爵家にも、学園にもないものと思え』
文字を追うたび、指が震えた。
「居場所が……なくなる……」
孤児だったわたしを、お父様は拾い上げてくれた。
綺麗な服。温かな食事。貴族として呼ばれる名前。
それらを手放し、元の暮らしへ戻るつもりなどない。
お父様に気に入られるためなら、何でもすると決めた。
だから、ミルロの成績と自分の成績を入れ替える話にも、自分から乗った。
机の上には、緑色の宝石がはめ込まれた指輪が置かれている。
魔法を生み出す魔道具――《風神の指輪》。
一度使えば、小さな旋風を起こす。
使えるのは十回だけ。
使うたびに宝石は濁り、十回目の魔法を放てば、指輪そのものが壊れる。
魔法適性を持たず、契約精霊もいないわたしが頼れる力は、それだけだった。
実技の授業を休み続けてきたのも、残された十回を減らさないためだ。
指輪を右手にはめ、拳を強く握る。
冷たい指輪が手のひらへ触れた瞬間、遠い昔に握ってくれた、姉の手の温もりが蘇った。
「お姉ちゃんのためにも、わたしはここで終わるわけにはいかない」
お姉ちゃんが守ってくれた、この命。
何者にもなれないまま、すべてを失うわけにはいかない。
「ミルロと出会わなければ、お父様と出会う機会もなかった……」
お父様が王都の教会を訪れたのは、ミルロを養女として迎えるためだった。
ミルロがいなければ、お父様がわたしを見つけることもなかった。
本当なら、感謝しなければならない。
けれど、お父様が最初に選んだのはミルロだった。
わたしが選ばれたのは、ミルロが養子の申し出を断ったからだ。
学園に来てからも、本来は自分が受けるはずだった称賛を、ミルロが奪おうとしてくる。
メイ様までも、自分ではなく、ミルロばかりを見ている。
「わたしは、いつまであの女の代わりでいなければならないの……?」
胸を満たしていた恐怖が、少しずつ怒りへ変わっていく。
「絶対に負けない。あの女を倒して、わたしこそがニュギュウ伯爵家にふさわしいと認めさせる」
握り締めた拳の中で、緑色の宝石がかすかに光った。




