第26話 速さの中にある美しさ
――リリス視点――
「――完成よ!」
絵筆を置き、あたしは三体の作品を見上げた。
水色の髪をなびかせ、《青龍の弓》を構えたミルロ。
白い毛の一本一本まで塗り分け、両腕を広げたテラ。
そして、土魔法を放とうと片手を突き出すあたし。
三人の等身大人形が、狭い部屋に並んでいる。
ここは学園から与えられたあたしの個室――だった場所だ。
今では寝台の上に絵の具と彫刻刀が積み上がり、床には粘土と石材が並び、壁には衣装の下絵が貼られている。
もはや部屋ではない。立派なアトリエだ。
『リリス、三人ともそっくり!』
頭上で星形の精霊スタルンが、きらきらと光った。
「当然でしょう? 特にこの髪の色を出すのが大変だったのよ」
ミルロの人形へ顔を近づけ、最後に頬の色を確かめる。
造形だけでは足りない。肌も、髪も、制服も、本物と見間違えるほど丁寧に着色した。
この三体を戦場へ並べれば、どれが本物か一目で見抜くことは難しい。
Aクラスの視線を惑わせ、攻撃の狙いを散らす。
それが、あたしに与えられた役割だった。
「あとは、これに入れるだけね」
机の上には、小さな白い鞄が置かれている。
昨日、リリィお姉様を通じてララネお姉様から届いた収納バッグだ。
鞄の口より大きな物でも、内部に作られた魔法空間へ収められる希少な魔道具。
同封された手紙には、ララネお姉様らしい整った文字で注意書きが並んでいた。
『内部容量には限界があります。収納する物の大きさと魔力量を事前に確認すること。便利だからといって、部屋にある物をすべて詰め込まないように』
「あたしを何だと思っているのかしら」
『この部屋を見たら、ララネも心配すると思うよ』
「必要な物しか置いていないわ」
『寝台の上にも?』
「全部必要よ」
スタルンの疑いを振り払い、収納バッグを一体目の人形へ向ける。
ミルロの人形が白い光に包まれ、小さな鞄の中へ吸い込まれた。
続いてテラ。
最後に、あたし自身の人形。
三体目を収めた瞬間、鞄の口に刻まれた術式の光が赤く変わった。
「満杯の印ね」
試しに小さな石像を入れようとしたが、鞄は何の反応も示さない。
等身大人形を三体入れるだけで、容量はいっぱいいっぱいらしい。
これ以上作っても、入れ替え戦へ持ち込むことはできない。
「でも、三体あれば十分よ」
あたしは椅子へ腰を下ろし、絵の具で汚れた指を眺めた。
人形は完成した。
収納バッグも届いた。
これで、あたしの役割は終わり。
あとはミルロの合図で人形を取り出し、相手を惑わせればいい。
「……本当に、それだけでいいのかしら」
胸の奥に、小さな棘が残っていた。
◇
『戦場で完成しない作品に、価値なんてありませんわ!』
代表決定戦で、ソフィアから投げつけられた言葉がよみがえる。
あたしは言い返せなかった。
ソフィアの魔法は、砂を飛ばすだけ。
可愛らしい形もなければ、美しい模様もない。速さだけを求め、飾りをすべて捨てた魔法だ。
そんなものは芸術ではない。
そう言ってやればよかった。
それなのに、あたしが砂の波に押し流され、演習場の外へ落ちる直前。
ほんの一瞬だけ、ソフィアの魔法が美しく見えた。
なぜなのか、自分でも分からない。
分からないままでは、気持ちが悪い。
「スタルン、出かけるわよ」
『どこへ?』
「ソフィアのところ」
『仲直りするの?』
「違うわ!」
反射的に否定してから、収納バッグを肩へ掛ける。
「あの子の地味な魔法を、もう一度見せてもらうだけよ」
◇
ソフィアは、Bクラスの演習場にいた。
足元には砂の小山に目と口がついた精霊シャネル。
少し離れた場所には、訓練用の標的が十個並べられている。
「シャネル。三列目、右から順番に」
『任せるシャ!』
ソフィアが扇を振る。
砂が細い針のように固まり、三発続けて飛び出した。
標的の中央へ、ほとんど同時に三つの穴が開く。
「もう一度。今度は左右を入れ替えますわ」
次の砂が作られるまで、ほとんど間がない。
扇を振る角度。シャネルへ魔力を送る量。標的へ向ける視線。
すべての動きが迷いなくつながっている。
「そこで何をしていますの?」
ソフィアが振り返った。
「べ、別に隠れていたわけではないわ」
「物陰から覗いておいて、よく言えますわね。わたくしの技を盗みに来たのかしら?」
「あなたの地味な魔法を盗むわけがないでしょう!」
「帰ってくださる?」
「待ちなさい! もう一度、あなたの魔法を見せてほしいの」
ソフィアの扇が止まった。
「今、何と?」
「何度も言わせないで。代表決定戦で使った砂魔法を、もう一度見せてほしいと言ったのよ」
「自分を負かした魔法から学びたいと?」
「負けたのは事実ですもの」
悔しいけれど、そこまで否定するつもりはない。
ソフィアはしばらくあたしの顔を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「そこまで正直に認められては、断りにくいではありませんか」
「では――」
「ただし、邪魔はしないでくださいませ」
「誰が邪魔なんて――」
「話しかけない。勝手に標的を飾らない。シャネルへリボンを結ばない」
「最後の一つは約束できないわ」
『シャネル、リボン似合うシャ?』
「似合うに決まっているでしょう!」
「結ばせませんわよ!」
◇
ソフィアの砂魔法を間近で見ると、代表決定戦では気づかなかったことが分かった。
砂を集める場所、固める量、飛ばす順番。
一つ一つの判断が、とても細かい。
ただ速いのではない。速くするため、不要な動作を徹底的に削っている。
「同じ土属性なのに、どうして石ではなく砂を作れるの?」
「……本気で聞いていますの?」
「ええ」
「土属性が作り出す基本形は岩石です。ですが、魔力で粒を細かくすれば砂に、粘りを持たせれば粘土にも変化させられる。最初の授業で習いましたわ」
「そうだったかしら」
「あなた、授業中に何をしていましたの?」
「先生が作った見本の石があまりにも不格好だったから、翼を彫れば可愛くなると思って……」
「聞いていなかったのですね」
「興味のない話は、頭に入ってこないのよ」
「どうしてそれを堂々と言えますの?」
ソフィアがこめかみを押さえた。
「あなたは形にこだわるのでしょう? それなら最初から硬い石を削らず、加工しやすい粘土で形を作ればよろしいのではなくて?」
「粘土で……」
あたしは両手を前へ出した。
「スタルン。やってみるわよ」
『キラッ!』
あたしの魔力がスタルンを介して土魔法へ変わり、地面から柔らかな粘土が盛り上がる。
石を削るより、ずっと簡単だ。
指先で形を整えるように魔力を動かすと、丸い身体に小さな翼を持つ鳥が、瞬く間に完成した。
「できたわ! 速くて可愛い!」
「喜ぶのは、撃ってからにしてくださいませ」
「ストーンシュート!」
粘土の鳥が、標的へ飛んでいく。
ぺちゃり。
情けない音を立て、標的の表面に潰れて張りついた。
「……威力がないわ」
「粘土ですもの」
「どうして先に言わないのよ!」
「撃ってから喜べとは言いましたわ!」
『鳥さん、平らになっちゃった』
スタルンの光まで寂しそうに弱くなる。
作る速さは手に入った。
けれど、石の硬さと重さを失ってしまった。
粘土をすべて石へ変え直せば時間がかかり、今までと同じになる。
「全部を石にする必要は……ないのかも」
あたしは、標的に張りついた粘土を見つめた。
「ぶつかる場所と、力を伝える芯だけ硬ければいい」
「先端と、身体の中心だけを石へ変えるつもりですの?」
「ええ。それから――ただ飛ばすのではなく、回転させるわ」
もう一度、粘土で鳥を形作る。
今度は嘴を細長い螺旋状に整え、その部分と、身体の中心を貫く芯だけを硬い石へ変えた。
表面の柔らかな粘土は、鳥の形を整えるために残す。
翼は回転する力を受けられるよう、少し斜めに傾けた。
「スタルン。今度は真っすぐではなく、思いきり回して!」
『ぐるぐる、キラッ!』
「《スパイラル・ストーンシュート》!」
螺旋の嘴を持った鳥が、高速で回転しながら飛び出した。
石の先端が標的へ食い込み、身体を貫く芯が回転の力を一点へ伝える。
大きな音とともに、標的の中央へ深い穴が開いた。
「やった……!」
作り始めてから発射まで、今までの半分もかかっていない。
石だけで作った魔法に、威力も劣っていなかった。
「まだ無駄が多すぎますわ」
ソフィアは標的へ近づき、穴を確かめた。
「翼をもう少し短くすれば、さらに速くなる。嘴に刻んだ螺旋状の溝も多すぎます。三本あれば十分でしょう」
「この翼の丸みが可愛いのよ。嘴だって、溝は五本の方が綺麗でしょう?」
「だから遅くなると言っているのです!」
「なら、もっと速く作れるように練習するわ!」
「その努力を、なぜ飾りを減らす方へ使えませんの?」
二人の声が、ほかに誰もいない演習場へ響く。
やっぱり、ソフィアとは考え方が合わない。
美しいものを作りたいあたしと、誰よりも速い魔法を求めるソフィア。
正反対だ。
それでも今は、代表決定戦で見た砂が美しかった理由を分かる気がした。
「ソフィア」
「今度は何ですの?」
「あなたって、美しいのね」
「なっ――!」
ソフィアが大きく後ずさった。
「ど、どういう意味ですの!? わたくしに、そのような趣味はありませんわよ!」
「あたしにだってないわよ!」
思わず同じだけ後ろへ下がる。
「あなたの魔法の話よ。形はまったく可愛くないし、色も地味だけど」
「褒めるのか、けなすのか、どちらかにしてくださる?」
「速くするために、ずっと練習してきたのでしょう?」
先ほどの魔法には、一つも迷いがなかった。
きっと、同じ動きを何百回、何千回と繰り返したのだ。
誰よりも速くありたいという思いが、あの砂の一粒一粒にまで宿っていた。
「形だけが美しさではなかったのね」
何かを大切に思い、ひたむきに努力する心。
それが動きや魔法を通して外へ現れたとき、人は形のないものにも美しさを感じる。
ソフィアの魔法が美しく見えたのは、そのためだった。
「……当然ですわ」
ソフィアは顔をそらし、扇で口元を隠した。
「ランドル商会は速さこそ命。その看板を背負うわたくしが、誰よりも練習するのは当たり前です」
「でも、次はあたしが勝つわ」
「人に教わっておいて、よくその台詞が言えますわね」
「あなたのおかげで、速くて強くて可愛い魔法が完成したもの」
「最後の一つは不要ですわ」
「必要よ! だから、あなたの魔法は地味なの!」
「教えたことを後悔させないでくださる!?」
「後悔するくらいなら、もっと教えなさい。明日もここへ来るわ」
「勝手に決めないでくださいませ!」
「同じ時間でいいわよね?」
「話を聞きなさい!」
ソフィアは怒っていた。
それでも、もう来るなとは言わなかった。
あたしも、言われなくても明日は来るつもりだった。
きっと、これからも意見は合わない。
会えば口喧嘩をして、魔法を撃てばどちらが優れているか張り合うのだろう。
それでいい。
負けたくないと思える相手がいることも、少しだけ美しいと思えた。




