第23話 勝者と敗者
三対一。
演習場に立っている味方は、もうわたし一人しかいない。
正面には、氷の剣を構えたゲイル。
右には炎をまとったダン。左には砂を従えたソフィア。
数だけを見れば、誰にとっても絶望的な状況だろう。
しかし、ゲイルたちの顔に余裕はなかった。
「ミルロ」
審判を務める教師が、わたしへ確認する。
「続けるのか?」
「もちろんです」
わたしが答えると、ゲイルは小さく舌打ちした。
「お前が強いことは認める。昨日聞いた噂だけで判断したことも謝ろう。だが、これは三対一だ。怪我をする前に弓を置け」
「ご心配ありがとうございます」
わたしは、つがえた三本の氷矢を少し持ち上げた。
「ですが、本気でそう思っていますか?」
「何?」
「あなたは最初にわたしを足止めし、テラとリリスを引き離しました。わたしたちに連携させては勝てないと判断したからでしょう?」
ゲイルは答えなかった。
短い攻防だけで、ゲイルはわたしとの実力差を見抜いた。
だからこそ、正面からわたしを倒そうとはせず、二人との連携を断つことを優先したのだ。
「テラとリリスは敗れました。ですが、二人のおかげで、わたしはまだ一度も攻撃を受けていません」
わたしは三人を順番に見据える。
「勝負は、ここからが本番です」
「そう来ると思っていた」
ゲイルが氷の剣を握り直す。
「だが、これで三対一だ。数の上では、こちらが圧倒的に有利だ」
「ええ。二人が一人では勝てなかったことも、わたしたちの連携に弱点があったことも認めます」
わたしが崩された瞬間、テラとリリスは自分たちの戦い方を失った。
それは受け止めなければならない。
「それでも、二人は何も残せなかったわけではありません」
演習場の地面は、テラの炎によって溶かされた氷でひどくぬかるみ、いくつもの水たまりができている。
その先には、リリスが作った石柱が並んでいた。
完成したものも、途中で砂に削られたものもある。
どれも戦場に残り、まだ役割を失っていない。
「二人がここに立っていたから、今の戦場があります」
「なら、その戦場ごと打ち破る」
ゲイルが剣先をこちらへ向けた。
「三人で行くぞ!」
「おう!」
「一気に終わらせますわ!」
三人が同時に動いた。
最初に魔法を放ったのはソフィアだ。
「シャネル、視界を奪いなさい!」
『砂嵐だシャー!』
小さな砂山の身体が崩れ、演習場いっぱいに砂が舞い上がる。
目を開けていられないほどの砂嵐。
けれど、その中からは、ぬかるんだ地面を踏みつける音が聞こえていた。
ピチャピチャと水を跳ね上げる音が、こちらへ近づいてくる。
あれだけ大きな身体で走れば、足音を消せるはずもない。
「見えなければ、弓は撃てないだろ!」
『真っすぐ吹き飛ばすぞおおっ!』
炎が爆発した。
地面を揺らすほどの足音が、一直線に迫ってくる。
「確かに、姿は見えませんね」
ですが、位置を隠すには、あまりにも騒がしすぎます。
『ミルロ。来るよ』
「分かっています」
ユキメの声に答え、身体強化魔法を全身へ巡らせる。
地面を強く踏み込み、一気に後ろへ跳んだ。
直後、熱風が頬をかすめる。
わたしの横を通り過ぎたダンが、砂嵐の向こうで足を踏ん張った。
「避けただと!?」
「一度外れたくらいで止まるな、ダン!」
「分かってる!」
再び炎が膨れ上がる。
ダンが向きを変え、二度目の突進を始めた。
わたしは一本目の矢を、ダンではなく地面へ放つ。
水たまりが一瞬で凍りついた。
けれど、作ったのはダンを滑らせるための平らな氷ではない。
先端が演習場の外へ向いた、なだらかな氷の坂道。
「何を狙って――」
砂嵐から飛び出したダンの足が、その坂へ乗った。
バーニングの爆発で加速した巨体が、勢いを落とせないまま氷の斜面を駆け上がる。
「止まらない!?」
『ダン、飛んでるぞおおおっ!』
「うおおおおおっ!?」
ダンとバーニングは、そのまま柵の向こうへ飛んでいった。
大きな音を立てて、演習場の外の地面へ落ちる。
「ダン、場外! 失格!」
教師の宣言が響いた。
砂嵐が弱まり、驚いたソフィアの顔が見える。
「勢いが強いほど、急に向きを変えることは難しくなります」
「そんな……わたくしの砂で何も見えていなかったはずですわ!」
「ちっ、音か!」
ゲイルが地面を見て舌打ちする。
テラの炎によってできた水たまりが、ダンの居場所を教えてくれた。
わたしは二本目の矢を空へ放つ。
矢はソフィアの頭上を越え、その背後に残っていた星形の石柱へ当たった。
表面を美しく磨き上げられた石が、氷の矢を滑らせる。
「その角度では当たりませんわよ」
『後ろだシャ!』
跳ね返った矢が軌道を変え、ソフィアの足元へ突き刺さった。
矢を中心に氷の花が咲き、ソフィアの両足を地面へ縫いつける。
「矢が曲がった……!?」
「ただ硬いだけの石柱なら、氷の矢は衝突した瞬間に砕けていました」
リリスが時間をかけ、表面を滑らかに磨いていたからこそ、矢は壊れずに軌道を変えられた。
テラが地面をぬかるませたから、姿の見えないダンの位置を音で判断できた。
リリスが石柱を残してくれたから、ソフィアの背後へ矢を届けられた。
二人の魔法が戦場に残っていたから、今の二射が届いたのだ。
「シャネル、足元の砂を崩しなさい!」
『か、固くて動かないシャ!』
ソフィアが必死に扇を振る。
わたしはその間に移動し、ソフィアとの間に障害物がない位置を取った。
すでに三本目の矢は弦につがえてある。
その切っ先を、ソフィアの胸元へ向けた。
「まだ続けますか?」
「……降参しますわ」
「ソフィア、降参! 戦闘不能とする!」
三対一が、一対一になった。
◇
「ダンの勢いと、ソフィアの砂。それだけではない。倒れた仲間の魔法まで利用したのか」
ゲイルが、氷の剣を構え直す。
「お前は、どこまで見えている?」
「演習場の中でしたら、だいたいは」
「そうか」
ゲイルの口元が、わずかに上がった。
「なら、正面から超える!」
ハゲンの身体から、強い冷気が放たれた。
ゲイルの足元へ細い氷が伸びる。
大量の氷を作るのではなく、必要な場所へ、必要な分だけ。
右足を押し出す氷。
着地を支える左足の氷。
剣の切れ味を高める刃の氷。
魔力量が少ないからこそ磨かれた、無駄のない魔法だ。
ゲイルが地面を滑る。
わたしは身体強化魔法で後ろへ跳びながら、氷の矢を放った。
ゲイルの剣が閃き、矢を切り落とす。
二本目も、三本目も弾かれた。
「いくら威力があっても、当たらなければ意味はない!」
「そのとおりです」
ゲイルは距離を離されまいと必死に食らいついてくる。
けれど、わたしにはまだ余裕があった。
踏み込む足と肩の動きを見れば、次にどちらへ進むのか分かる。
身体強化魔法で距離を保ち、その動きを止めるように矢を放つ。
「くっ、速すぎる!」
呼吸を乱すことなく、さらに矢を放つ。
ゲイルは剣で矢を弾きながらも、一歩ずつわたしとの距離を詰めようとしていた。
このままでも、いずれ勝てる。
けれど、ただ矢を撃ち続けるだけでは、ゲイルへ致命傷を与えてしまうかもしれない。
これは模擬戦だ。
倒すだけでなく、相手を傷つけずに止める必要がある。
わたしは身体強化魔法を両足へ集中させ、地面を蹴った。
飛び乗ったのは、演習場に残っていた最も高い星形の石柱だ。
「高い場所へ逃げたか!」
違う。
ここならゲイルの全身を見渡せる。
足元へ正確に矢を放ち、急所へ当てる危険を避けられる。
わたしは一本の矢を放った。
矢はゲイルの右足からわずかに外れ、地面へ突き刺さる。
そこから氷壁が立ち上がった。
「外したな!」
ゲイルが氷壁の横を抜けようとする。
その進路へ、二本目の矢を放つ。
矢は左足の近くへ突き刺さり、もう一枚の氷壁を生み出した。
「二本とも俺には当たっていない!」
「当てる必要はありません」
「何?」
二枚の氷壁の根元から冷気が広がる。
左右から伸びた氷がゲイルの両足へ絡みつき、足首ごと地面へ固定した。
「しまった!」
ゲイルが足を動かそうとする。
しかし、二枚の《アイスウォール》に挟まれた両足は、わずかにも動かなかった。
氷を剣で砕こうとすれば、その間に矢が届く。
わたしは石柱の上から《青龍の弓》を構え、弦を限界まで引き絞った。
生まれた氷の矢を、ゲイルの喉元へ向ける。
「これで逃げられませんよ」
「くっ……」
「このまま、わたしが撃ち続ける矢を、剣でひたすら防ぎますか?」
ゲイルが氷の剣を握ったまま、わたしを見上げる。
しばらくして、その肩から力が抜けた。
「……降参だ」
氷の剣が地面へ落ちる。
「勝負あり!」
教師が高く右手を上げた。
「勝者、ミルロ班! A・Bクラス入れ替え戦の代表は、ミルロ、テラ、リリスの三名とする!」
一拍遅れて、柵の外から大きなどよめきが上がった。
成績だけを見れば、結果は明らかだったはずだ。
Bクラス首席のゲイルが率いる上位三人。
対するのは、最下位のわたしと、その一つ上の順位だったテラを含む班。
わたしたちの勝利を予想していた者は、ほとんどいなかっただろう。
けれど、実際に試合が始まれば、わたしは一度も攻撃を受けないままゲイル班を破った。
結果だけを見れば、余裕の勝利に見えたかもしれない。
「まあ、当然でしょう。王国が帝国に劣る確率は、限りなくゼロです」
「けっ。相変わらず忌々しい」
「くそっ、俺にも戦わせろ!」
「あー、ニンジン全部食べちゃった。部屋に取りに戻らないと」
「あなた、本当にニンジンしか食べてなかったわね」
柵の外から、好き勝手な声が聞こえてくる。
本来の成績なら、わたしはAクラスでも上位にいるはずだった。
だから、Bクラス上位の三人を相手に勝つこと自体は、不思議ではない。
それでも、ゲイルたちは決して弱くなかった。
三人とも自分の長所を理解し、それを生かすための戦い方を身につけている。
今回は班としての戦いを優先したけれど、もしテラとリリスの残したものがなければ、わたしも奥の手を使わざるを得なかっただろう。
そして、今は敗れたテラとリリスにも、それぞれ光るものがある。
ゲイル、ダン、ソフィアは、現時点では二人を上回る実力を持っている。
けれど、二人が自分の弱点を乗り越えれば、その差はどうなるだろう。
わたしが思っていたよりも、AクラスとBクラスの実力差は小さいのかもしれない。
そこで、わたしはテラとダンの戦い方に、一つの共通点があったことに気づいた。
二人とも魔法を使えないわけではない。
けれど、細かな魔力操作よりも、生まれ持った身体能力へ魔法の力を上乗せするような戦い方をしていた。
ワイマール共和国では、学園で教えられている人間を基準とした魔法の扱いに、まだ慣れていない者が多いのかもしれない。
あるいは、優れた身体能力を中心に戦うことが、共和国では一般的なのだろうか。
もし、獣人の持つ身体能力に、洗練された魔法技術まで加わったなら――。
共和国出身の生徒会長の姿が脳裏に浮かんだ。
そうか。
だから、あの方はあれほど強いのですね。
わたしは柵の外へ目を向ける。
先ほどのウサギの獣人が、ニンジンを取りに戻るため、こちらへ背を向けて歩いていた。
もしかすると、彼女も――。
「負けたよ、ミルロ」
ゲイルの声で、わたしは思考を止めた。
氷の拘束を解かれたゲイルが、わたしへ右手を差し出している。
「少なくとも、お前が実力を偽った人間ではないことは分かった。噂だけで不正を決めつけたことも謝る」
「信じてくださるのですか?」
「成績が入れ替えられたという話までは、まだ証拠を見ていない」
ゲイルは真面目な顔のまま答える。
「だが、この実力で試験を不正する必要がないことくらい、俺にも分かる」
「ありがとうございます」
わたしは石柱から降り、その手を握り返した。
「Aクラスにも勝て」
「そのつもりです」
代表の座は手に入れた。
けれど、テラとリリスはうつむいたままだった。
◇
「ごめんなさい、ミルロちゃん」
試合が終わった演習場で、テラが頭を下げた。
「わたし、一人になったら何もできなかった。ミルロちゃんの氷がなかったら、うまく動くこともできなくて……」
「わたしもよ」
リリスが、砂に削られた未完成の石を拾い上げる。
「時間を作ってもらわなければ、わたしの魔法は一つも完成しない。可愛くしたいと言いながら、結局はミルロに守ってもらっていただけだったわ」
二人の言葉を、わたしは否定できなかった。
大丈夫だと慰めることは簡単だ。
でも、それではAクラスに勝てない。
「今日の勝利は、わたし一人で得たものではありません」
わたしは、地面に残る水たまりと星形の石柱を指した。
「テラが氷を溶かし、リリスが石柱を残してくれた。二人が戦っていなければ、三対一から逆転するために、別の力を使う必要がありました」
「でも、それを利用したのはミルロちゃんだよ」
「ええ。そしてAクラスには、わたしへ二人を助ける余裕を与えない相手がいます」
メイ様。
一度前へ出れば、三人まとめて薙ぎ倒しかねない、Aクラスの主攻撃役。
そのメイ様を相手に、今日と同じ戦い方は通用しない。
「次は、わたしがいなくても戦えるようになってください」
テラが顔を上げる。
「ミルロちゃんが、いなくても……」
「テラには、テラにしか作れない炎があります。まだ完成していないのなら、完成させましょう」
テラの隣で、ハナビが小さく燃えた。
「熱くない、冷たい炎……」
「リリスの魔法も、完成すればソフィアの砂より強い。戦いが始まってから作る時間がないのなら、始まる前に完成させておけばいいのです」
リリスが未完成の石を見つめる。
「人形を先に作って、収納バッグへ入れておく……」
「お二人の弱点は、もう分かっています。でしたら、あとは変えるだけです」
しばらく黙っていたテラが、自分の頬を両手で叩いた。
「わたし、やる。今度はミルロちゃんを助ける」
小さな声だった。
けれど、試合前よりもずっと強い声だった。
「わたしだって、負けたままでは終われないわ!」
リリスも未完成の石を握り締める。
「次は誰よりも速く、とびきり可愛い魔法を完成させてみせる!」
「はい。三人で、Aクラスに勝ちましょう」
代表にはなれた。
けれど、今日のわたしたちは、まだミルロ班という一つの班にはなれていなかったのかもしれない。
一人の力に、残る二人がついていくだけ。
そんな戦い方では、メイ様には届かない。
勝ったからこそ、自分たちの弱さが見えた。
わたしたち三人の本当の戦いは、今日、ここから始まる。




