第21話 二つの立候補
入学から、二か月半が過ぎた。
放課後の鐘が鳴っても、担任の教師は教室から出ていかなかった。
「全員、そのまま席にいろ。今日は大切な話がある」
帰り支度を始めていた生徒たちが、面倒そうに手を止める。
教師は教壇へ一枚の紙を広げた。
「二週間後、A・Bクラスの入れ替え戦を行う」
教室の空気が、わずかに重くなった。
入学式の日に説明された、クラス対抗の模擬戦。
AクラスとBクラスが、それぞれ三人一組の代表班を選出して戦う。
Bクラスが勝てば、わたしたち十五人は翌日からAクラスとなる。
清潔で設備の整った教室、豪華な給食、談話室に併設されたカフェの利用権。さらに演習場を回数制限なく使え、緊急時を除けば保健室での治療も優先される。
そのすべてが手に入る。
代わりに、現在のAクラスはBクラスへ落ちる。
大きな機会であるはずなのに、教室から歓声は上がらなかった。
教室の後方に、一つだけ空いている席がある。
そこに座っているはずなのは、活発そうな獣人の男子だ。同じ班の二人から班長と呼ばれていたと思うけれど、なぜか今日も学園へ来ていない。
「班長がいないんだから、俺たちはどうでもいいよ」
「わたしも、それで構わないわ」
空席の近くに座る二人は、それだけ言って興味を失ったように視線を逸らした。
「王女殿下が相手ですよ? 勝てるわけがありません。費用対効果が悪すぎます」
そう口にしたのは、王国の伯爵家出身だと聞いたことのある女子生徒だった。
Bクラスとなったことがよほどショックだったのか、入学した頃から浮かない顔をしている。
「まあ、どこかのバカが勝手に飛び出したせいで、先日の模擬戦にも負けてしまいましたし」
「……ケッ」
少し離れた席に座る男子生徒が、忌々しそうに舌打ちした。
「わたしも、やる気ないやぁ。王女様って強そうだもん」
別の女子生徒は、ニンジンをかじりながら気の抜けた声を漏らした。
「まあ、今回は班長の言うことが正しいと思うわ」
「ちょっと、それはひどいよ!」
隣の女子生徒の言葉に、ニンジンをくわえたまま即座に言い返す。
「わしも、今回は気乗りせんのう」
もう一人の班員も同意し、再び教室に諦めた空気が広がった。
ゲームで描かれた二年生の入れ替え戦では、Aクラスが必ず勝つ。
Bクラスは主人公たちの強さを見せるために用意された相手で、勝敗を競う存在ですらなかった。
一年生の試合については、行われたという説明しかなく、参加者も結果も語られない。
けれど、この教室の空気を見れば、現実でもBクラスが勝つことを期待されていないのは明らかだった。
自分たちは、Aクラスの引き立て役。
最初から勝てないと決めつけ、傷つかずに終わることだけを考えていた。
「今から代表班を決める。希望する班は立候補しろ」
誰も手を挙げない。
互いの顔をうかがいながら、自分が指名されないよう視線を伏せている。
わたしは隣に座るテラとリリスを見た。
テラは緊張した顔で、それでも小さくうなずいた。
リリスは、最初から答えなど決まっているように笑う。
わたしは右手を挙げた。
「わたしたちが――」
「俺たちが出ます」
教室の反対側から、別の声が重なった。
立ち上がったのは、背筋をまっすぐに伸ばした少年だった。
短く切りそろえた紺色の髪。腰には、学園内でも片時も離さない長剣を下げている。
ゲイル・ダイフクン。
キルラルド帝国の子爵家に生まれ、入学試験の総合順位は十六位。Bクラスでは最も成績が高い生徒だ。
ダイフクン家は、マルチーズ家と同じく、代々多くの騎士を輩出してきた家系でもある。
「ゲイル班と、ミルロ班の二組か」
教師がわたしたちを見比べる。
教室内が、急に騒がしくなった。
「やっぱりゲイルだよな」
「剣術だけなら、Aクラスでも上位だって聞いたぞ」
「もう一組はミルロ? 本気なのか?」
ゲイルの両隣でも、二人の生徒が立ち上がった。
一人は、テラにも負けないほど大きな身体を持つ牛の獣人だ。
太い二本の角と、鍛え上げられた腕。ワイマール共和国出身のダン。
その背後に、炎でできた闘牛の精霊が現れる。
『俺はバーニング! 正面から全部吹き飛ばすぞ!』
「声が大きい……」
テラが耳を押さえながら、大きな身体を縮めた。
ダンは炎属性。
バーニングを介して生み出した炎を爆発させ、その勢いを加えた突進を得意としている。
同じ獣人の炎使いでも、魔法を使うほど動けなくなるテラとは正反対だ。
もう一人は、砂色の長い髪を整えた少女だった。
ソフィア・ランドル。
キルラルド帝国出身で、総合順位は十八位。十七位だったリリスとは、わずか一つ違いだ。
足元には、丸い目と口を持つ小さな砂山がいる。
『シャネル、準備できてるシャ』
「頼みますわ、シャネル」
ソフィアもリリスと同じ土属性。
ただし、石を美しく形作るリリスとは違い、砂を素早く操る魔法を得意としている。
ランドル家が営むランドル商会は、大陸各地を結ぶ物流商会の一つだ。
ブティックを営むシナプス商会とも長年取引があり、ソフィアとリリスも幼い頃から面識があると、以前リリスから教えてもらった。
「リリス。まさか、あなたも代表になるつもりですの?」
「そのつもりよ」
「初級魔法一つに、いつまでも模様を彫っているあなたが?」
「でも、入学試験はわたしが十七位で、ソフィアは十八位でしょう?」
ソフィアの眉が跳ね上がった。
「たった一点差ですわ!」
「一点でも勝ちは勝ちよ?」
「だから、あなたには負けたくないのです!」
二人の間に見えない火花が散る。
美しさと品質を重んじるシナプス商会と、品物を早く、安く、大陸各地へ届けるランドル商会。
商売でも魔法でも、二人の考え方は正反対らしい。
そして、ゲイルの肩の上には、白く丸い精霊が浮かんでいた。
アイスクリームのような身体に、小さな手足がついている。
『ゲイル。熱くなりすぎるな』
「分かっている、ハゲン」
ゲイルも、わたしと同じ氷属性だ。
魔力量は多くない。しかし剣術の腕は高く、限られた氷を刀身や足元だけに集中させて戦う。
遠距離から大量の氷を生み出すわたしとは、同じ属性でも使い方がまったく違う。
「ミルロ・マルチーズ」
ゲイルが、まっすぐにわたしを見た。
「立候補を取り下げろ」
「お断りします」
「これは遊びではない。Bクラス全員の立場が懸かっている」
「分かっています」
「分かっている人間が、どうして手を挙げられる?」
教室が静まり返る。
「入学試験で不正を働き、それを見抜かれて最下位へ落とされた。そう聞いている」
「それは事実ではありません」
「なら、なぜ公表された成績が三十位なんだ?」
「わたしの成績を、別の方のものと入れ替えられたからです」
教室のあちこちから、疑うような声が上がった。
「そんな話、信じられるか」
「証拠はあるの?」
「都合のいい言い訳じゃないのか?」
入学から二か月半。
最初の頃より、わたしたちの実力を認める者は増えている。
それでも、不正の噂が完全に消えたわけではない。
ゲイルの目に浮かんでいるのは、成績への嫉妬ではなかった。
本気の怒りだ。
「ダイフクン家では、マルチーズ家を尊敬すべき好敵手だと教えられてきた」
ゲイルの手が、腰の剣を強く握る。
「だからこそ、その名を継ぐ人間が、不正によって家名を汚すことは許せない。まして、そんな人間にBクラスの名を背負わせるわけにはいかない」
「ですから、不正はしていません」
「言葉だけなら、何とでも言える」
「では、どうすれば認めるのですか?」
「実力を見せろ」
ゲイルが一歩、前へ出た。
「俺たちより弱い班に、代表を譲るつもりはない」
「その意見には賛成です」
わたしも席から立ち上がる。
「勝てない方が、代表になるべきではありません」
「なら、その自信が本物か、明日の試合で確かめてやる」
「望むところです」
わたしはゲイルから視線を外し、教室を見回した。
古い机、ひびの入った壁、最初から勝つことを諦めたクラスメイトたち。
「このクラスへ来た日、わたしは皆さんから不正をした人間だと思われていました。テラは自分を弱いと思い、リリスは魔法が遅いという理由で評価されていなかった」
二人が、わたしの隣へ並ぶ。
「それでも、わたしたちは弱くありません」
「こ、怖いけど……わたしも、Aクラスに勝ちたい」
テラが震える声で、それでもはっきりと告げた。
「わたしたち三人なら、最高に美しく勝てるわ!」
リリスも胸を張る。
「このクラスが、負けるためだけに用意された場所ではないと証明します」
教室の空気が変わった。
誰も勝てるとは言わない。
けれど、先ほどまで伏せられていた視線が、わたしたちとゲイル班へ集まっている。
「話は決まったな」
担任の教師が、教壇を指で叩いた。
「代表枠は一つ。立候補した班が二つなら、戦って決める」
「異存ありません」
ゲイルが即答する。
「わたしたちもです」
「代表決定戦は、明日の放課後。実際の入れ替え戦と同じ三対三の形式で行う」
ゲイルの肩の上で、ハゲンが白い冷気をまとった。
ダンの背後では、バーニングの身体を形作る炎が燃え上がる。
ソフィアの隣で、シャネルの身体から砂がさらさらと流れ落ちる。
対するわたしの肩にはユキメ。
テラの隣にはハナビ。
リリスの頭上にはスタルンが現れた。
「ミルロ。騎士の家の名と、Bクラスの代表を懸けて勝負だ」
「家の名ではなく、わたしたち自身の力で勝負しましょう」
ゲイルとわたしの魔力が、それぞれハゲンとユキメを介して冷気へ変わる。
二つの冷気が、教室の中央でぶつかり合った。
Aクラスと戦う前に、越えなければならない相手が決まった。




