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第20話 知らない一年

【ミルロ視点】


 アリアとジーク殿下をカフェで見かけた、その日の夜。


 わたしは相談したいことがあると、アーサーお兄様へ手紙を送った。


 同じ学園にいても、お兄様は一学年上だ。


 二年生になると、授業だけでなく、学園外での実習や魔物討伐も増える。返事はすぐに届いたものの、なかなか時間が合わなかった。


 そして、手紙を送ってから二週間後。


 ようやく放課後に会えることになった。


 待ち合わせ場所は、学園の弓術場。


 わたしが到着すると、お兄様は一人で弓を引いていた。


 弦が鳴る。


 放たれた矢は、離れた的の中央近くへ突き刺さった。


「少し右ですね」


「来て早々、それか?」


 お兄様が苦笑しながら振り返る。


「風が変わる直前に放しました。あと一呼吸、待つべきでした」


「三年前なら、素直に褒めてくれたのにな」


「あの頃より、お兄様が上達されたからです」


「要求まで上がったというわけか」


 お兄様は弓を下ろし、弓術場の端にある長椅子へ腰を下ろした。


「それで、相談とは何だ? 手紙には詳しいことが何も書かれていなかったが」


「ある人物について、お尋ねしたいことがあります」


「人物?」


「アリア様という、二年生の女子生徒をご存じですか?」


 お兄様の表情が、少しだけ真剣になった。


「もちろん知っている。知らない生徒のほうが少ないだろう」


「それほど有名なのですか?」


「伝説の光精霊と契約しているからな」


 その言葉を聞いた瞬間、ゲームの画面が脳裏に浮かんだ。


 アリアの隣で、柔らかく笑う小さな少女。


 長い金色の髪と白い服をまとい、人間の子どもと見間違えるほど整った姿をしていた。


 光を司る唯一の精霊、ミーティア。


「ミーティア……」


「名前まで知っているのか」


「名前だけです。お兄様は、実際に見たことがありますか?」


「何度かある。金色の髪をした、小さな女の子の姿だ。あれほど人間に近い精霊は、俺も初めて見た」


 間違いない。


 カフェにいた少女は、ゲームの主人公アリアだ。


「アリア様は、いつからこの学園にいるのですか?」


「一年生の頃からだ。俺やゼノン殿下と同じ日に入学した」


「一年生の頃から……」


 わたしがゲームで知っているアリアは、一年生のときには学園へ通っていない。


 ミーティアの特別な力を理由に、教会で聖女候補としての教育を受けていた。


 そして二年生の春、魔法学園へ編入する。


 そこでゼノン殿下と出会い、仲間を集め、ゲームの物語が始まるはずだった。


 けれど、現実のアリアは違う。


「アリア様も、帝国のご出身なのですか?」


「いや、帝国の生まれではないらしい。精霊と契約したあと、帝国の貴族家へ養女として迎えられたそうだ。そこで貴族としての教育を受け、そのまま一年生から入学している」


「帝国貴族の、養女……」


 リリスから聞いた話と一致する。


「それだけではない。入学したときには、すでにジーク・キルラルド皇太子殿下の婚約者だった」


「お二人が婚約した時期までは分かりますか?」


「入学前としか知らない。ずいぶん熱心だな。何かあったのか?」


「先日、カフェでお二人を見かけました。仲がよさそうだったので、少し気になっただけです」


 嘘ではない。


 すべてを話していないだけだ。


 お兄様は納得していない顔をしていたけれど、追及はしなかった。


「アリア様は、学園では誰と班を組んでいるのですか?」


「ジーク殿下と、カトレア・ジーエルン公爵令嬢だ。一年生の頃から変わっていない」


 今度こそ、息が止まりそうになった。


「カトレア様……?」


「ああ。意外か?」


「はい。帝国の皇太子殿下と、王国の公爵令嬢が同じ班を組んでいるとは思いませんでした」


 それ以上の言葉を、どうにか飲み込む。


 カトレア・ジーエルン。


 ゲームにおける悪役令嬢。


 そして、ミルロが取り巻きとして仕えるはずだった相手だ。


 本来の物語で、わたしはカトレア様のそばにいた。


 カトレア様の命令に従い、その手足となってアリアを苦しめる。


 やがてカトレア様とともに断罪され、破滅へ向かう。


 それが、ゲームの中でわたしに与えられていた役割だった。


 けれど、今のわたしはメイ様の護衛騎士として生きている。


 カトレア様とは、言葉を交わしたことすらない。


 そして、本来ならわたしが立っていたはずの場所には、敵対するはずだったアリアがいる。


 主人公と、敵国の皇太子と、悪役令嬢。


 決して同じ場所に並ぶはずのなかった三人が、一年も前から班を組んでいた。


「あの班は、強いのですか?」


「嫌になるほど強い」


 お兄様は、苦々しそうに答えた。


「俺たちの班は、これまで一度も勝てていない」


「お兄様たちでも、ですか?」


「ああ」


「ですが、二年生の首席はゼノン殿下では?」


「個人成績ならな」


 ゼノン殿下。


 メイ様のお兄様であり、ゲームでは筆頭攻略対象者だった人物。


 契約精霊は、最強格と呼ばれる雷竜グラン。単独での戦闘力なら、学生の水準を大きく超えている。


「一対一なら、ゼノン殿下に勝てる生徒はいない。筆記、実技ともに首席だ。だが、三人一組の模擬戦では話が違う」


「ジーク殿下たちには、勝てないのですか?」


「これまで一度もな」


 お兄様の声には、隠しきれない悔しさが滲んでいた。


「正確には、ジーク殿下とアリア様の二人に勝てないんだ」


「お二人だけで、ですか?」


「ああ。カトレア様は、試合中もほとんど戦闘に参加されない。後方に立ったまま、一度も魔法を使わずに終わることさえある」


「それでは、実質的に三対二ではありませんか」


「そうだ。それでも、俺たちは勝てない」


 お兄様の手に力がこもる。


「ジーク殿下は戦場を見る目がある。こちらの狙いを先に読み、ゼノン殿下と俺たちを分断する。三人を同時に相手にしても、決してアリア様へ攻撃を通さない。それどころか、自分一人でこちらの陣形を崩してくる」


「アリア様は、後ろから回復を?」


「それだけじゃない。アリア様はミーティアを介して光魔法を使い、ジーク殿下を守る。こちらの攻撃を防ぎ、負傷すれば即座に治療するんだ。隙があれば、攻撃にも加わる。ようやく追い詰めたと思ったときには、ジーク殿下の傷も体力も元に戻っている」


 倒れない前衛と、傷を残さない後衛。


 どちらか一人を狙えば、もう一人に阻まれる。


 二人だけで、攻撃、防御、回復のすべてが完成しているのだ。


「人数では、お兄様たちが上回っています。それでも……」


「勝てない。俺たちが先に崩され、最後にはゼノン殿下一人が残される。そこをジーク殿下とアリア様が二人がかりで仕留める。いつも同じ流れだ」


 本来のゲームでは、アリアがゼノン殿下を支える。


 主人公であるアリアと、筆頭攻略対象者のゼノン殿下が手を組み、学園で起きる事件を解決していく。


 けれど、この世界では違った。


 ゼノン殿下を最強にするはずだった光の力が、敵国の皇太子であるジーク殿下を支えている。


「学年首席はゼノン殿下だ。それでも、二年生のAクラスで最も強い班はジーク殿下たちだと、誰もが思っている」


「では、お兄様たちの班は……」


「実質的には二番手だ。ゼノン殿下本人は、絶対に認めないだろうがな」


「アリア様ご本人は、どのような方ですか?」


「礼儀正しくて、誰に対しても穏やかだ。成績も優秀で、頼まれれば治療も断らない」


 そこまでは、ゲームのアリアと変わらない。


「ただし、必要以上にほかの生徒と親しくはしない。普段からジーク殿下と行動し、何かを決めるときも、必ず殿下の意見を確かめている」


「カトレア様とは?」


「同じ班ではあるが、親しく話しているところはあまり見ないな。カトレア様も、二人の行動にはほとんど口を挟まない」


 同じ班でありながら、その中心にカトレア様はいない。


 本来ならカトレア様の取り巻きになるはずだったわたしもいない。


 代わりに、カトレア様が敵視するはずだったアリアと、その婚約者であるジーク殿下が班の中心に立っている。


「ゼノン殿下とは?」


「同じクラスの生徒というだけだ。話しているところも、授業以外ではほとんど見ないな」


 アリアとゼノン殿下が出会い、惹かれ合う物語。


 その始まりさえ、この世界には存在しなかった。


     ◇


「ミルロ」


 お兄様の声で、意識を現実へ戻す。


「お前、あの二人を警戒しているのか?」


「……はい」


 これ以上ごまかせば、かえって怪しまれる。


「伝説の光精霊と契約した方が、敵国の皇太子殿下と行動しているのです。いつか、メイ様に関わることになるかもしれないと思いました」


 それは嘘ではない。


 ただ、わたしが知っているゲームの物語について話していないだけだ。


「気持ちは分かる。だが、一人で帝国の人間を探るな」


「ですが、お兄様を巻き込むわけには……」


「お前は俺の妹だ。妹が危ないことをしているのに、兄だけ安全な場所にいられると思うのか?」


 お兄様が、わたしの頭へ手を置いた。


 大きな手が、水色の髪を乱暴に撫でる。


 三年前、初めて会った頃のお兄様なら、こんなことは言わなかっただろう。


「何か分かったら、必ず俺にも話せ。約束しろ」


「……分かりました。約束します」


「本当だろうな?」


「努力します」


「そこは、はいと言え」


 お兄様が呆れたように笑った。


「代わりに、俺もアリア様たちの様子を見ておく。ただの学園生活なら、それが一番だ」


「ありがとうございます」


 立ち上がったお兄様が、置いていた弓を手に取る。


「せっかく弓術場まで来たんだ。一射だけ、見ていくか?」


「先ほど右へ外した射を直せたのなら」


「本当に厳しくなったな、お前は」


 口ではそう言いながら、お兄様は楽しそうに射位へ戻った。


 わたしも、その背中を見ながら青龍の弓を取り出す。


 わたしは、アリアの物語が変わっていることに、これまで気づかなかった。


 彼女の編入を待っていたわけでも、ゼノン殿下との恋を見守りたかったわけでもない。


 自分とメイ様の未来を変えることだけを考え、ゲームの主人公など気にしていなかったからだ。


 けれど、わたしが目を向けなかった一年の間にも、この世界は動いていた。


 アリアは教会ではなく、帝国貴族の家で育てられた。


 ゼノン殿下ではなくジーク殿下の婚約者となり、本来なら敵対するはずだったカトレア様と班を組んでいる。


 本来ならカトレア様の隣にいたはずのわたしは、メイ様の護衛騎士となった。


 そして、カトレア様の班では、ジーク殿下とアリアの二人だけで学年最強と呼ばれるほどの力を手に入れている。


 ゲームと違う。


 その一言で片づけるには、あまりにも多くのものが変わっていた。


 弦を引き絞る。


 今まで見ていなかったからといって、これからも目を背けていいわけではない。


 放った氷の矢は、お兄様の矢のすぐ隣――的の中央へ突き刺さった。

第20話までお読みいただき、ありがとうございます。


明日からは、毎日1話ずつ投稿していく予定です。

物語はここからさらに動いていきますので、引き続きお読みいただけましたら幸いです。


もし本作を面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです。


これからも、ミルロとメイの戦いを見守ってください。

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