第16話 白熊の本棚
学園へ入学して、最初の休日。
わたしは床に積み上がった本を前に、途方に暮れていた。
教科書、戦術書、魔物図鑑、王国と帝国の地図。
授業で必要なものだけでも十冊を超えている。そのうえ、図書館から借りてきた本まで加わり、小さな机はすでに埋まっていた。
わたしに与えられたのは、メイ様の部屋に隣接する使用人用の小部屋だ。
寝台と机、衣装棚だけでほとんど隙間がない。
「一冊くらいなら、まだ……」
山の上へ新しい本を置く。
傾いた。
慌てて押さえようとしたものの、間に合わない。
十数冊の本が、大きな音を立てて床へ崩れ落ちた。
「ミルロ! 何の音ですの!?」
壁を隔てた扉が勢いよく開き、寝間着姿のメイ様が飛び込んできた。
休日の朝なので、まだ眠っていたらしい。
「申し訳ありません。本が崩れただけです」
「襲撃ではないのね?」
「はい」
「まったく……驚かせないでくださいな」
メイ様は胸を撫で下ろし、床に散らばった本を見る。
「どうして床へ置いているの?」
「ほかに置く場所がありませんので」
「本棚を用意すればいいでしょう」
「置く場所がありません」
「それなら、もう少し広い部屋へ移りなさい」
「この部屋でなければ、メイ様をすぐにお守りできません」
わたしが答えると、メイ様は少しだけうれしそうな顔をした。
「仕方ありませんわね。小さな本棚を買ってきなさい」
「今日、家具店を見てきます」
そう話していると、廊下側の扉が叩かれた。
訪ねてきたのは、テラとリリスだった。
三人で対抗戦に向けた相談をする約束をしていたのだ。
「お、お邪魔します」
「ミルロちゃんのお部屋、見せてもらうわね!」
テラは大きな身体をぶつけないよう、おそるおそる入ってくる。リリスは遠慮なく部屋を見回した。
「狭いわ!」
「入ってすぐ言うことですか?」
「でも、素材は最高ね。水色の髪、白い肌、氷の精霊。それなのに部屋が地味すぎるわ。白い布と銀色の飾りを使って――あら?」
リリスの視線が、奥に立つメイ様で止まった。
緑色の瞳が大きく見開かれる。
「なんてきれいな方なの!」
「当然ですわ」
メイ様が胸を張る。
初対面のはずなのに、二人の間には一瞬で通じるものがあったらしい。
「まっすぐな金色の髪に、宝石みたいな青い瞳。寝間着なのがもったいないわ。濃い赤のドレスに金糸を合わせたら、絶対に似合う!」
「あなた、なかなか見る目がありますわね」
「リリス・シナプスよ。ミルロちゃんと同じ班なの」
「メイ・ウィシュタリアです。ミルロから話は聞いていますわ」
二人は楽しそうに握手を交わした。
その後ろで、テラが真っ青になっている。
「お、お、お、王女殿下……!」
慌てて背筋を伸ばしたテラの頭が、扉の上枠へぶつかった。
鈍い音がする。
テラは頭を押さえながら、その場へ膝をついた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい! 扉を壊してしまって……!」
「壊れていません。それに、今日は学園の生徒同士です。そこまで堅苦しくしなくて結構ですわ」
「でも、わたしは共和国の大工の娘で……」
「あなたがどこの誰でも、ミルロの班員であることに変わりはないでしょう?」
テラは目を瞬かせ、やがて小さくうなずいた。
「は、はい。よろしくお願いします、メイ様」
「ええ。よろしく、テラ」
どうやら、無事に挨拶は済んだらしい。
わたしは床に落ちた本を拾い始めた。
「今日は相談のあと、家具店へ行くことになりそうです。この本を置く棚が必要なので」
「本棚なら、わたしが作れるよ」
「テラが?」
顔を上げると、テラは床の本ではなく部屋の壁を見ていた。
「この隙間なら、幅はあまり取れないけど、高さを使えば全部入ると思う。下を少し深くして、重い本を置けば倒れにくいよ。壁に留めてもいいなら、もっと安全にできる」
いつもの頼りない声ではなかった。
壁から机までの距離を大きな手で測り、天井を見上げる。その目は真剣で、もう王女を前にしていることさえ忘れているようだった。
「作れるのですか?」
「うん。お父さんが大工だから、小さい頃から手伝ってたの。共和国を出る前も、机や椅子を一緒に作っていたよ」
「でしたら、お願いできますか?」
「わたしでよければ!」
テラの白い耳が、うれしそうに立ち上がった。
「待って」
リリスが二人の間へ割り込む。
「ただの四角い本棚では、ミルロちゃんに似合わないわ。雪の結晶を彫って、棚板の端は波形にしましょう。上には氷のお城を――」
「狭い部屋だと言ったでしょう」
「だからこそ、一つの家具へすべてのかわいさを詰め込むのよ!」
テラが困ったように、わたしとリリスを交互に見る。
こうして、対抗戦の相談より先に、三人で本棚を作ることになった。
◇
学園には、壊れた机や訓練用の盾を修理するための作業場がある。
管理人へ事情を話すと、余っていた木材と道具を使わせてもらえることになった。
メイ様も着替えを済ませ、当然のようについてきた。
「お部屋で待っていてもよかったのですよ」
「また、わたしを置いて三人だけで楽しむつもりですの?」
「本棚を作るだけです」
「三人で何かをするのでしょう。でしたら同じですわ」
先日のパフェのことを、まだ気にしているらしい。
作業場へ着くと、テラは何枚もの板を並べ、反りや傷を確かめ始めた。
「この二枚を横板にして、こっちを棚板にするね。背板は薄くてもいいけど、下の段だけ補強したほうがいいと思う」
「こちらの板のほうが、木目がきれいよ」
リリスが細い板を持ち上げる。
「それは使えないよ」
「どうして?」
「真ん中に小さな割れ目があるの。今はきれいでも、重い本を置いたら広がるから」
「でも、この部分を星形に切り抜けば――」
「駄目」
きっぱりとした声だった。
リリスだけでなく、わたしとメイ様までテラを見る。
自分が大きな声を出したことに気づき、テラの耳がぺたりと伏せられた。
「ご、ごめんなさい。でも、本棚は本を守るものだから。見た目のために、壊れやすくするのは駄目だと思う」
リリスは手にした板とテラを見比べた。
「分かったわ。あなたが一番丈夫だと思う形にして」
「怒ってない?」
「どうして怒るの? わたしは美しくしたいけれど、すぐ壊れるものが美しいとは思わないもの」
リリスは紙を広げ、新しい飾りを描き始めた。
「形を変えずに美しくする方法を考えるわ。強さはテラ、かわいさはわたしに任せて!」
「う、うん!」
二人の役割が決まった。
テラが木材へ線を引き、大きな鋸を動かす。
太い腕から想像するような力任せの作業ではない。刃を木目に沿わせ、同じ速さで正確に引いていく。
切り口は驚くほどまっすぐだった。
「すごいですわね」
メイ様が素直に感嘆する。
「剣で切ったものより、ずっときれいですわ」
「剣で家具を作ろうとしないでください」
「まだ作るとは言っていないでしょう」
「考えてはいたのですね……」
わたしは薄い氷で直角の型を作り、テラが板を組み合わせるのを支えた。
リリスは棚板へ彫る模様を描き、メイ様は釘や道具を手渡す。
「その釘ではなく、短いほうをお願いします」
「こちら?」
「それは長すぎます。板を突き抜けちゃうから……あっ」
テラの動きが止まる。
王女へ次々と指示を出していたことに、今さら気づいたらしい。
「ご、ごめんなさい!」
「また謝るの? 今はあなたが一番詳しいのですから、堂々と命じなさい」
「め、命じるなんて無理です!」
「では、堂々とお願いしなさい」
「短い釘を……お願いします」
「よろしいですわ」
メイ様が短い釘を渡す。
テラは少しだけ笑い、作業へ戻った。
やがて、細長い本棚が組み上がった。
下段は厚い戦術書を置けるよう深く、上段は小さな教科書に合わせて幅が変えられている。壁へ固定するための金具まで用意され、テラが揺すってもびくともしない。
狭い小部屋へ置くために作られた、世界に一つしかない本棚だ。
「完成――ではないわ!」
リリスが筆を掲げた。
棚板の縁へ銀色の線を引き、側面には白い雪の結晶を描いていく。星の形をした小さな飾りと、丸い炎の模様も加えられた。
「雪の結晶はミルロちゃん。星はわたし、炎はテラとハナビよ」
『ぼくもいる!』
呼ばれたハナビが、炎の模様の隣でうれしそうに跳ねる。
「わたしの印がありませんわ」
メイ様が不満そうに言った。
「これは、わたしたち三人の班で作った本棚ですから」
「わたしも釘を渡しました!」
「では、何か描きますか?」
「描くより、こちらのほうが早いですわ」
メイ様が人差し指を木の側面へ当てる。
小さな雷が走り、焦げた線で稲妻の印が刻まれた。
「完璧ですわ」
満足そうにうなずく。
少し曲がっているけれど、それを指摘するのはやめておこう。
◇
完成した本棚を部屋へ運び、壁に固定する。
床に積み上げていた本が、すべてきれいに収まった。
さらに少し余裕まで残っている。
「本当にありがとうございます、テラ」
「わたし、役に立てた?」
「もちろんです。お店で買うより、ずっとわたしの部屋に合っています」
「よかった……」
テラは大きな手で、完成した棚をそっと撫でた。
「戦うときは、いつも二人に助けてもらってばかりだから。わたしにもできることがあって、うれしい」
「わたしは何もしてもらっていませんわよ」
メイ様の言葉に、テラの顔から笑みが消える。
「メイ様!」
「ですから、今度わたしの部屋にも作ってくださいな。もっと大きなものをお願いします」
「え……?」
「わたしの本も増えるでしょうし、剣を飾る場所も欲しいですわ。あなたになら任せられます」
テラの顔が、再び明るくなった。
「はい! 頑丈なものを作ります!」
「わたしが装飾を考えるわ!」
「今度は最初から、わたしの稲妻も入れなさい」
いつの間にか、次の本棚まで作ることになっている。
けれど、悪い気はしなかった。
「そうだわ!」
リリスが両手を合わせる。
「次は作業着ではなく、もっとかわいい服を着て四人で出かけましょう」
「四人で?」
「ええ。わたしの家のブティックが、魔法学園領にもあるの。ミルロちゃんも、メイ様も、テラも、わたしが最高にかわいくしてあげる!」
「面白そうですわね」
メイ様が即答した。
「わ、わたしは似合わないと思う……」
「似合う服を見つけるのが、わたしの役目でしょう?」
リリスがテラの腕へ抱きつく。
「決まりね。次の休日は、四人でお買い物よ!」
テラが助けを求めるように、わたしを見る。
メイ様はすでに乗り気で、断れる雰囲気ではない。
「諦めましょう、テラ」
「ミルロちゃんまで……」
白熊の少女が、小さな声でつぶやいた。
新しい本棚には、雪と星と炎、そして少し曲がった稲妻が並んでいる。
この狭い部屋には、少しにぎやかすぎるかもしれない。
それでも、何もなかった白い壁より、ずっと好きだと思った。
【タイトル変更のお知らせ】
作品内容に合わせて、タイトルを
『悪役令嬢の取り巻きCですが、この人生の主人公は私です』
から
『わたしは脇役ではありません!~氷弓の少女と雷の王女は、二人で運命を変えていく~』
へ変更しました。
物語の内容に変更はありません。これからもミルロとメイの物語をよろしくお願いいたします!




