市場へ
黄昏に現れる、綺羅びやかな世界。誘惑と魔性の場所。
※
当日に合わせ、ローズマリーはクミンのために新しい服を新調してやった。
ワンピースは汚すと着替えが大変、という事で、初めて皆と同じ黒の服で揃えた。動きやすいストレッチ素材のキュロットに、VネックのTシャツ、そしてユズリハと同じ黒いパーカーの袖に腕を通す。
「どうだ!」
孤児院から帰宅し、着替えたクミンは皆の前でふんぞり返った。ローズマリーやリンデンは「可愛い」と褒めてくれて、クミンは上機嫌でくるくるとその場で回って見せる。
「そうだろう、そうだろう。上着はユズリハと同じにしてもらったんだぞ!」
「……見事な『見た目』負け」
呟いたフェンネルをキッと睨むが、それでもクミンは「勝手に悔しがっておれば良いわ」と鼻を鳴らした。
「形から入る、という言葉を知らんのか? 貴様などすぐに追い越してくれよう」
「……負け犬の遠吠え」
「勝負もしとらんのに誰が負け犬だこの下郎め!」
地団駄を踏むクミンに、フェンネルは編み針を見つめたまま眼鏡を上げる。悔しそうに舌打ちする彼女をローズマリーが手招きし、ダイニングへと案内した。
ジュースを注いだリンデンが、席に着いたクミンの前にグラスを差し出す。
「まぁまぁ、これ飲んで落ち着きなよ」
「アイツは本当にどうしていつもいつも私にばかり……」
「クミンだけじゃないってぇ。俺なんかしょっちゅうキレられてるしさぁ」
「……それは貴様が悪いのではないのか?」
「だが、最近フェノンがリンデンに怒っている姿を見ないな」
お菓子を持ってきたローズマリーの言葉に、一瞬だけリンデンは目を伏せる。
「……へへ。呆れられちゃったのかも」
「それこそ今更じゃないか?」
「そうかなぁ」
「まったく、お前達らしくないぞ。喧嘩でもしたのか?」
「んー、怒られる事はあるけど……俺がフェンネルの事大好きなのは変わらないし」
「?」
顔を顰めて二人を見るクミンだったが、リビングに入ってきた気配を感じて椅子から降りる。
孤児院の中庭でブランコの修理を手伝っていたユズリハは、シャワーを浴びて濡れた髪を乾かしながら皆に準備の状況を問う。
「みんな準備出来てるぞー」
「もしかして俺が最後か? 五時前か……急がないとな」
「ユズリハ! 見ろ、ローズマリーが新しい服を買ってくれたんだ!」
目の前でくるくると回る少女に、ユズリハはキッチンへ移動しながら微笑ましげに目を細めた。
「よく似合ってますよ。動きやすそうだ」
「可愛いか? どうだ? この上着は……」
「はは、俺とお揃いですね」
「!」
言う前に気付いてくれた。
彼の言葉に、クミンは茹でダコ宜しく顔を真っ赤にさせる。ユズリハは彼女の長い髪に触れ、「あとで結いましょう」と微笑んだ。
「見積書と予約表だけ持ってくる。リンデン、お前も確認しとけよ」
「えっとー、何が要るんだっけ」
ウエストポーチの中を探るリンデンに苦笑し、「頼むぞ」と言い残してユズリハは水の入ったボトルを手にリビングを後にする。
ローズマリーはお菓子に埃除けを被せて、皆で飲んでいたグラスをキッチンへと運ぶ。その時、首まで真っ赤に染めたクミンがキッチンの隅で小さく丸くなっているのを見つけて肩を飛び上がらせた。
※
「ここが『市場』……!」
停泊場の南、船舶マリーナの近くまでは徒歩で行ける距離だ。そこには沢山の出店や屋台が並び、水面に沈む美しい夕焼けの光を浴びながら、様々な明るさの電気が星の如く輝いていた。
「……今日って何かの祭だったか? 建国記念?」
「それは来月でしょ」
「……『即位祭』だ。軍の即位祭」
「『即位祭』?」
「そう。……革命軍が、旧帝国軍に『勝利』した日だ」
少し息を吸って、そう言ったローズマリーの目に笑みは無い。
リンデンは大きく背伸びをして、目を輝かせるクミンの隣に並ぶ。
「市場は広くて、色んな物が溢れてる。お金の使い方は覚えた?」
「当然だ! 孤児院でも『お店屋さんごっこ』は大人気だからな」
「それじゃ、俺から言える事は一つかな」
「?」
首を傾げたクミンのポニーテールが揺れる。リンデンは、美しい景色を見ながら、何処か遠い目をした。
「使うお金の金額は、絶対に守らないとお財布の中すぐ空になるから気を付けてね」
「……は?」
「市場は素敵な場所だけど、誘惑に満ちた魔性の場所でもあるんだ。店員さんに勧められたら、『限定でここしか置いてない』って言われたら……断れなくてさ……」
「そ、それは本当なのか……!?」
「気付いたらお財布の中が丸裸に……」
「なんて事だ……!」
「それはテメェだけだろうがアホめ」
何故か怯えるクミンの背後に近付き、リンデンの頭頂部に軽く手刀を食らわせる。「いてっ」と頭を擦るリンデンに溜め息を吐いたフェンネルは、「ユズさんがそろそろ行くって」と親指で示した。
「えっ、もう!?」
「研ぎ直しも頼んでただろ。早く行ってこい」
「……フェンネルも一緒に行かない?」
「アホが、船長とチビでこんな人混みの中放っといたらすぐ『連れて行かれる』ぞ」
ちぇー、と指を合わせて唇を尖らせる彼に、フェンネルは舌打ちする。
「……っみ……」
「へ?」
「み、土産とか……何か……みっ、見繕っとく、から……」
視線が泳ぎ、その白い肌が赤くなる。
目を丸くするリンデンの隣で訝しげに眉根を寄せるクミンが見つめる中、リンデンは「……本当?」と呟いた。
「俺の、ために?」
「……いいから、早く行け」
「お、お土産って何!? 俺、可愛いのが良い!」
「『見繕っとく』っつっただけで買うとは言ってねーんだよ早く行けグズ!」
「やったーっ! 楽しみにしてるからね! すぐ戻るよ!」
軽やかにスキップしながらリンデンは「行くぞー」と手を挙げるユズリハの元へ向かう。
その場にしゃがみこんでしまったフェンネルの背に手を乗せ、クミンは「土産を買うなら手伝うぞ」とニヤニヤしながら囁いた。
「それ以上言ったらその自慢の髪フェルト生地にしてやるからな」
「うふふ、貴様も難儀な男だ」
「おーい、先に『市場』を回りに……何してるんだ?」
クミンは状況をローズマリーに項垂れるフェンネルを半ば引き摺るように、市場へ続く階段を軽快に降りていった。
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