『姉』
全てが嘘ではない。全てが真でもない。
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フェンネルは記憶の中から必死に次の動作を辿り、己の腕を引いてフロアを広く使うリンデンに合わせ、ステップを出しターンを繰り返す。
早い回転によろけても、リフトで持ち上げられ振り回されても、彼のリードで何とかついて行けている状況だった。
「見なさい。小鼠がもう違う男に手を出してるわよ」
先程まで己を連れて席を離れようとしていたマルベリーも、相手を見下すネタを見つけて冷ややかな嘲笑を浮かべてフロアを眺めてる。
ユズリハはふと思い立ち、「あのバーテンダーだが」と口を開いた。
「アイツは、弟がフェノンの護衛で忍び込ませた手下だ。歳も近くて孤児同士、昔から仲が良かった」
「あら、まさに『お似合い』の二人じゃないの」
リンデンも、一見すれば瞳の色以外はマティアス族に見える。遠目から髪の色で判断し、嘲笑う彼女にユズリハも「そうだな」と微笑んだ。
「俺もそう思うよ。あの二人がくっつけば良いと思ってた」
「……変ね、『彼女』は貴方の『色』だったのでしょう?」
「それなりに相手してやってただけだ。『そういう関係』は一切無い」
「信じられないわ。彼女は貴方に夢中だったじゃない」
「アイツを拾って育ててきたのは俺なんだ、言い寄られても『娘』か『妹』にしか見えないな」
「……そんなものかしら?」
「それに」
マルベリーの茶色い長髪に触れ、「俺は『年上』が好みでね」と髪に口付ける。満更でもなさ気な彼女も「本当かしら」と微笑んだ。
「俺は軍を壊滅させて国を変えるまで、『家族』なんて生温いものに浸かる気は無い。わざわざ弱点を作るようなものだからな」
車内、暴れるクミンの口元を押さえていたローズマリーが、彼の言葉に一瞬だけ表情を曇らせた。
「私の事は? 『欲しい』とは思ってくれないの?」
「思うさ。だが俺は束縛するぞ? それこそ、誰の目にも見えないように閉じ込めておきたい程に」
「……それは困るわね」
「俺の事は好きにしてくれて良い。『都合の良い相手』とでも思ってくれ」
「随分と自分の事を下げるじゃない。小鼠とは随分と態度が違うのね」
「アンタに捨てられないように必死だからな」
「本当に、貴方は甘い言葉をくれるのね。その声も……力強さも心地良いわ」
ユズリハの肩に凭れ掛かったマルベリーに、ユズリハは迷わずその白いドレスから覗く肩に触れる。引き寄せる腕にマルベリーはうっとりと目を細め、ユズリハの耳元では遠くに少女の怒れる悲鳴が聞こえて思わず笑みを零す。
「……だから、アンタが『丁度良い』んだ。『全てを知っている』アンタが隣に居てくれた方が、俺は安心して戦える」
「あの小鼠は、何も知らないと言うの? 幹部を勤めてまでいるのに」
「人間は『恨み』だけじゃ戦えない。だから俺は、弟に売ろうとしたんだ。弟はアイツを気に入ってたし、屋敷には『あの護衛』もいるからな」
「でも、彼女を大金で買って手を出さずに居られるかしら?」
「弟は、アイツの技術だけで三億出す気だったんだよ。弟には『旦那』がいるから」
ああ、と彼女は納得した様にフロアへと視線を向ける。
「サルファーから聞いたか? 俺が『ファーム』のテロに参加してたって」
肩に掛かった髪を弄る彼の指先に吐息を漏らし、マルベリーが小さく頷いた。
「……『過激派の星』、だなんて呼ばれてたわ。貴方は……最後まで、見つからなかったけど」
「クズを何人殺しても国は変わらない。今の組織自体が変わらないと、何も知らない奴等は一番最初に死んでいく……俺はそれが耐えられない」
「……その目よ。私は、貴方のように力強くて、意志のある目が、その眼差しを愛してやまないの」
白く細い指が、彼の青い肌を撫でる。ユズリハが見下ろせば、「本当にラウリ族なの?」とその紫色の瞳を見上げる。
「……アンタだったら分かってくれるだろ? 俺はこの国を、『何も知らない奴等』の未来の為に変えたいんだ」
「分かるわ……私だって、伊達にこの歳まで生きてないもの。貴方も、『戦争』を知ってしまった人間なのね」
「平和な世の中を作るのが、そんな時代を生きてしまった『俺達』の役目だろ。アイツ等が、幸せに生きていくために」
「貴方が、その美しい手を汚すのは愛する者のため?」
「……自分の『幸せ』の為だ。俺は強欲だからな」
「ふふ……その見え透いた自己欺瞞も、貴方が語ると美しいわ。……羨ましい程に」
「……俺と一緒に、この世界を変えてくれるかい?」
「勿論……貴方となら、いくらでも」
その影が重なり、音を立てて唇が離れる。曲も終盤に入り、ホールではアクロバティックな二人の大技に観客が歓声を上げていた。
「アンタは、何か護りたいものは?」
「……私は、全てを手に入れてしまったから、現状維持を目指すだけ。私は、私の全てが大事だから」
「俺と同じだな。『現状維持』、素晴らしいじゃないか」
「だから、貴方のような人の夢を応援する余裕もある。財産も、地位も……この美貌も、私が目指しているのは『永遠』よ」
「その『永遠』の傍に、俺も連れて行ってくれたら嬉しいね」
「任せて。こう見えて一途なのよ?」
大きなシンバルと管楽器が最後の一音を合わせ、曲が終わると二人は息を切らして抱き合っている。
持っていたフェンネルの脚を降ろしたリンデンは、涙ぐみながらその細い身体を抱き締めた。
「……『彼等』でも、『最後の別れ』を惜しむのかしら」
感傷的になったのか、その目に蔑みの色は見られない。フェンネルの「離せ、何泣いてんだ」という声が届き、リンデンの小さな笑みが溢れると、二人は横に並んで観客に向け頭を下げた。
ローズマリーからも、「あと三十秒でバーベイン殿が入場する」と連絡が入る。
「……俺も、最後に二人へ声だけ掛けてくる」
「酷いわ、女を独りにするの? 無粋な人」
「二分だけだ、マルベリー」
名を呼ばれ、呼び捨てにされた彼女は思う所があるのか言葉を詰まらせる。
「……『不意打ち』なんてズルいわ」
「夜は長い。焦らなくても俺は逃げないよ」
「……『二分』を取引とするなら、それなりの見返りがあるのよね?」
「俺が戻ってきたら、その後はアンタの望むままに」
救護室から、外へ逃げよう。
その言葉を聞いて、マルベリーは今日一番の笑みを見せた。
「……良いわ。許してあげる」
軽い笑みを見せたユズリハは、席を離れ階段を降りてゆく。
その後姿を見つめていたマルベリーだったが、ふと、その隣の空席に腰掛けた人物に目を向ける事無く鼻を鳴らした。
「……ちょっと、自己紹介も無く女の隣に座るの?」
「おっと、これは失礼」
「まったく……最近の男は礼儀を知らない奴等ばかりね」
「貴殿を『女』とは思っておりませんからね」
は? とマルベリーが振り向く。その深く被った帽子を見た事があった彼女は、その声を聞いて戦慄する。
「っば、バーベイン・ジャスパー……!!」
「貴殿に礼儀など無用。言い訳は後でまとめて聞くとして、今はまず一緒に来たまえ」
「……連れを待っているのだけど」
「連れ? ああ、一緒に居たラウリ族かね。残念だが彼も我々の部下が逮捕に向かった。その内貴殿と同じ証言台に立つ事になるだろう」
「なんて事……!」
「トパーズ三佐、抵抗は無駄だと弁えよ」
気付けば、彼女の背後にはダガーナイフを構えた従者の服を着たアニスの姿がある。トパーズは舌を打ち、「連行させて頂く」と立ち上がるバーベインに続いて席から重い腰を持ち上げた。
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