あと十分
証拠は揃った。任務は終わった。あと十分。
※
《今、バーベイン殿に『任務完了』の連絡を送った。今回、突入はしない約束だから、少し時間が掛かるかも知れない》
マルベリー達の席を離れ、階段を降りる途中でフェンネルは待ちに待った連絡を耳にする。
今度は「お花摘みに行ってくるぜ〜」と宣いながら席を離れたディルに手を振り、バーカウンターに腰掛けた彼は頭を抑えて俯いた。
洗った食器を拭くリンデンが、横目に彼を見て声を掛ける。
「……大丈夫?」
「帰ったら殺してくれ」
終わった後の証拠確認が嫌過ぎる。
そう嘆く彼に、リンデンは鼻を鳴らし「嫌だ」と呟いた。
「……テメェ何か怒ってんな?」
「べっつにー?」
唇を尖らせ、不貞腐れた様子の彼にフェンネルも呆れた溜め息を深く吐き出す。
「……任務なんだから仕様が無ぇだろ」
「分かってますぅ」
「だったら……」
「だから、終わったら司令に文句言ってやるの。『仲間が嫌がる事させないで』って」
呆気に取られるフェンネルに、リンデンの視線は手元のグラスに向いたままだ。
「使えるものは全部使うって、フェンネルはいつも言ってるけどさ。……得意な事としたい事は違うじゃん。出来るから、やりたくない事するのは違うじゃんか」
「…………」
「今のフェンネルはスゴく綺麗だよ。でも、しんどくて苦しい事してるフェンネルは見たくないよ」
フェンネルは、『だったら見るな』と口を開きかける。
だが直後に、「フェンネルだって俺が拷問受けながら尋問受けてるのとか見たい?」と言われて何も言えなくなった。
身体的苦痛に比べれば、後遺症も残らない『楽な仕事』。心が幼い彼にとっては『どちらも同じ』なのだろう。
ただ、その考えがフェンネルだけのものである事は、彼自身も気付いてはいないが。
「だから司令に文句言うの。フェンネルは『任務だ』って我慢できるかもだけど、フェンネルが苦しい思いする任務なんかしなくていいよ。ユズさんだって、マリーさんだって同じ筈だ」
彼の言葉を聞いていた誰もが口を閉ざす。標的の化粧直しを待ちながらユズリハは酒を傾け、それを指示し証拠のために全てを記録するローズマリーは思わず俯く。
皆の無線をスピーカーにしてもらい、能力の練習をしながら会話を聞いていたクミンは、「……成る程」と手の中でオレンジジュースから抽出した水分をその手に握った。
「その『司令』とやらを潰せば、ユズリハはこんな真似をしなくても済むのか」
「こらクミン」
そんな車内の会話を聞いていたフェンネルが思わず、本当に小さく吹き出した。
「……それで司令に文句か」
「うん」
「俺も賛成だ。こんな事は二度とゴメンだからな」
「本当だよ。フェンネルがこんな思いしないと守れない軍なんか滅んじゃえばいいんだ」
「おーい、不敬罪不敬罪」
《『軍に対する不敬罪』は録音を消しとくからなー》
「ごめんマリーさん。でも本気だもん」
《こら、増やすな増やすな》
「ははっ」
ついフェンネルが笑みを零し、その顔を見たリンデンが満面の笑みで目を細める。彼の嬉しさは周囲にも広がり、口論になっていたテーブルも、不満をスタッフに投げていた客も、水分を求めて白くなっていた観葉植物の葉も、皆が喜びと潤いに満たされ怒りを収めていく。
「おまたせ。寂しかった?」
フェンネルの背後に声を掛け、すぐに肩を抱く男にフェンネルは驚いたフリをする。
「遅いじゃない。寂しがり屋だって言ったばかりなのに」
「それにしては、随分楽しそうだったけど?」
「そこの『坊や』に貴方の話を聞いてたの。いつか貴方も自分の店を持つつもりなんでしょ?」
「あっちゃー、ネタバレされちゃってんじゃん。もう噂になってんだなぁ」
リンデンが別の客から仕入れた情報が当たり、次の経営についての話も交えて談笑を重ねる。酒もそこそこに進んだ頃、ふと男のジャケットから通信機のブザーがなった。
「おっと、誰だ? 空気が読めない奴だな」
「出なきゃダメなの?」
「外の見張りからだ。緊急だと困るから、内容だけ聞いて対応してくるよ」
外ポケットから小型の黒い機械を取り出し、フェンネルに謝罪のウインクを残して男は席を離れる。「俺だ」と通信に出た彼の背中を見送ったフェンネルは「見張りから連絡があったぞ」とリンデンと顔を見合わせてローズマリーに報告する。
「どうなってる、まさか司令がマークされてたって事か?」
《女狐の方にも執事か何かが連絡を入れてきた。ユズ君が何とか誤魔化して座らせてる》
「聞いてたよ。『今離れたら逆に怪しまれるから、暫くは様子を見た方が良い』だっけ」
《バーベイン殿を恨む人間は多い。パーティーに参加するだけで大騒動とは》
「今まさに俺達からも恨みを買ってるしな」
《んもー、フェノンまで……いや、でも今回は否定しない。私も謝罪しよう》
「謝罪は良いから頭垂れて感謝しやがれ」
《ありがとうございました》
車内で本当に頭を下げて感謝の弁を述べるローズマリーの背中を、クミンが呆れながら見つめる。
その時、彼女は知った気配を近くに感じてモニターに近付き、ローズマリーの名を呼びながらある一点に指を差した。
「ここにアニスがいる」
「何?」
ローズマリーが目を凝らせば、そこには貴族がよく利用する馬車の従者が立っている。玄関脇の広場で、馬車の到着を待つ何気無い光景のようだが……。
他のモニターを確認していくと、店の裏手、丁度この車が止まっている近くに見覚えのある馬車を見つけた。
渋滞に掛かり、馬車の前にはオートモービルや他の馬車もずらりと並んでいる。原因はその先の交差点で、馬が突然暴れた事による怪我人の発生だった。
「バーベイン殿は目と鼻の先だが、今ちょっとアクシデントが起きてる」
《はぁ?》
《もしかして遅くなるの?》
「十五分……いや、十分だ。あと十分だけ頑張れ」
《十分っつっても……》
リンデンはユズリハ達を一瞥し、フェンネルは鏡張りになっているバーカウンターの棚から背後を確認する。
音声を聞けば、何とか席を離れたいマルベリーは、ユズリハと共にこの店の二階にある『救護室』へと誘おうとしているようだ。
《あそこなら誰の目にも付かないわ。ねぇ、お願い……嫌な予感がするのよ》
《『外の連中』は何の反応も見せてないぞ。それに、もし軍が突入してきても俺といれば対処はできる》
《貴方が『傷物』になる所なんか見たくないわ。三十分もあれば、救護室の非常口から外へ出ても安全でしょう?》
やり取りを聞いていたフェンネルが「その三十分で何をするつもりなんだか」と鼻で嗤う。
《何って何だ。何って何だ!? おい! あの下民はまさか『あんな事』をユズリハにさせるつもりじゃないだろうな!?》
《落ち着けクミン》
《はぁぁ!? 絶対許さんぞ頭から弾け飛ばしてくれるわ!!》
《暴れないでくれ、車が揺れるだろう》
「どっちにしても、司令が来るまでに席を離れられるのはマズい。何とかして留めないと……」
リンデンが辺りを見渡せば、パーティーフロアで行われていた歌姫の歌唱が丁度終わった所だ。ビッグバンド達が楽器の調整を行い、その間にマイクを持った若い男が何かを呼びかけている。
〚夜も深くなってまいりました。只今より、当店自慢のビッグバンド達による演奏を、ダンスと歌でお楽しみ下さい!〛
同時に、飛び入り参加を呼び掛ける声にいち早く反応したリンデンは、「そうだ」と手を打った。
「踊ろう!」
「……あ?」
「フェンネル、俺達で踊ろう! このお店は有名な曲しか流さないってアニスちゃんが言ってた!」
「は?」
「相手はフェンネルの事知ってるでしょ? だからフェンネルが『俺』と踊ってたら何か注目させられるかも!」
「な、お前何言って……」
カウンターから出てきたリンデンに手を引かれ、未だ彼の意図を理解しきれていないフェンネルは訝しげな表情のままフロアへと引っ張って来られてしまう。
リンデンがマイクを持った男性に何かを伝えると、その男性がドラム担当の男性に耳打ちし、彼が楽しげにスティックを回した。
《……何する気だ?》
耳元にユズリハの声を聞く。直後、流れ始めた背を叩くようなドラムの重低音に、フェンネルは突然リンデンの『作戦』を理解して目を見開いた。
「……いやいやいやお前嘘だろ絶対無理だ俺はやらんぞ」
「アニスちゃんは『フェンネルも知ってる』って言ってたよ?」
「何年前の話をしてんだ、自警団の時に半年だけ遊びで習ってただけなんだぞ!?」
「大丈夫だよ、一回踊れたら身体が覚えてるって」
「テメェじゃねぇんだよ、出来る訳無ぇって!」
フロアに出てきた事で、観客からの視線が一斉に二人へと向けられる。
極端に注目を浴びて青褪めるフェンネルは首を振りながら拒否し続けるが、そんな彼に、外の仲間達からも何故か応援の声が届き始める。
《フェノン、ターゲットがちょっと興味を持ってるぞ! 踊れそうなら踊ってくれ!》
「踊れねぇっつってんだよ話聞いてたのか!?」
「大丈夫だって! 俺がリードするし」
《貴様が目立てばユズリハを毒牙から守れるんだろう!? 役を演じるなら最後まで演じ通せ!》
「だからってこれは……! 練習だって何一つしてねぇのに」
「出来るよ。俺達なら平気」
「恥晒すだけだ……!」
《頼むフェノン! 曲が始まってしまうぞ!》
《根性見せろ、ユズリハを守るんだ!》
頑張れ。
現在進行系でターゲットを抑えてくれているユズリハすらも、声の無い応援を吐息だけで投げる。
全員が見ている中、リンデンは満面の笑みでフェンネルに手を差し伸べた。
「踊ろう、一緒に」
「……ふざけやがって」
その手を取れば、管楽器が一斉に演奏を始める。
激しいスィングジャズの楽曲に合わせて、二人は同時にその脚で素早いステップを切り始めた。
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