九話
「ふぇーんねるー。おはよー」
「……来るな」
「入るよー」
「出てけ」
「入ったよー」
その後、時間を見計らって部屋に入ってきたリンデンに、布団に包まるフェンネルは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
頭まで被り直した布団も意味をなさない程、強く甘辛いソースのような匂いを感じたフェンネルは、舌打ちをしながら布団から顔を覗かせた。
「……臭ぇ……」
「じゃじゃーん。お肉だよー」
盆に乗った唐揚げとハンバーグのプレートを得意げに見せてきたリンデンは、ベッドの向かい側、チェストの脇にあるサイドテーブルを引き寄せて、料理が乗った皿を並べていく。
その数、中皿四枚。大量の料理を目にして、フェンネルは若干気持ち悪くなる。
「……起きてすぐ、食えってか……?」
「絶対無理だと思って、サラダとハムエッグのプレートも作って来た! ついでにバターブレッドもセットだよ!」
「っせーな……なんでそんなテンション高ぇんだよ……」
「フェンネルが起きたから!」
「あぁ……? 今、何時だ……」
フェンネルが頭元の時計を確認すると、アナログの針は四時半過ぎを差している。布団に引き籠もったのは、確か午後二時前だった筈。
「……二時間半か……寝過ぎたな」
のっそりと起き上がり、目を擦って欠伸を一つ。腕を上げて背筋を伸ばし、フェンネルは一つ息を吐いた。
「本当によく寝てたねー! いつもお疲れ様!」
「いい加減うるせぇ、仮眠で大騒ぎしやがっ……」
しかし次の瞬間、フェンネルは窓の外を見て愕然と目を見開いた。
見上げた先の窓の外は真っ暗、澄んだ空気に、星が明るく輝いている。
「……嘘だろ……」
仮眠程度と思っていたら、まさかの明け方起床にフェンネルは思わず頭を抱えた。
「……皆、夕飯どうした」
「ん? ご飯? 夜は俺が作ったよ。ハンバーグにした」
「エンジンの点検と整備は……」
「ユズさんがやってくれた」
「弾薬の棚卸しは……?」
「俺がしました」
「……なんで起こさなかったんだよ……」
自分の仕事を放り出して、ここまで寝入ってしまっていたとは。
つい心の声が漏れたフェンネルだったが、リンデンは至極正直に理由を話した。
「マリーさんがね、『アイツは寝なさ過ぎだから、今のうち熟睡させとけ』って」
フェンネルは『母』の高笑いが聞こえたような気がした。
「……あのクソババア……!」
「たまには良いじゃーん。少しは体力回復になったでしょ?」
「良くねぇよ、任務放棄したんだぞ。明日……いや、もうあと一時間後だな。ユスさんに頭下げねぇと」
「大丈夫だって! 取り敢えず、ご飯食べよう。俺も食べるから」
「テメェが食いたいだけだろうが」
「まぁまぁ。先にお手洗い行って、顔洗ってきなよ。さっぱりするよー?」
「……ふん」
しかし、大人しくリンデンの言うとおりに手洗いに立って数分後に戻ってきたフェンネルは、自分が眠っていたベッドに腰掛け、二人で小さなテーブルを囲って手を合わせた。
フェンネルはリンデンが淹れてくれたコーヒーを啜り、バターブレッドに手を伸ばす。
「お前は何やってた? まさか今まで起きてたんじゃねぇよな」
「あはは、寝た寝た。 九時から四時まで」
「……結構ガッツリめに寝てんな。心配して損した」
「心配してくれたんだ? ありがと」
「うるせぇ。……リンデンは人が良すぎるからな。『あのクズ』に手を焼いてたんじゃねぇかと思っただけだ」
「ああ、クミンの事?」
ハンバーグを頬張るリンデンが言う。彼から聞き覚えの無い名前が出て、フェンネルはサラダのフォークを持つ手を止める。
「『クミン』?」
「うん。クミン・ラリマーだって」
名付けの経緯を聞き、フェンネルは心底呆れた溜め息を吐き出した。
「……名前なんか付けんなよ、あの見境無しは……」
「でもフェンネルが部屋に入ってから、マリーさんの言う事聞いて、大人しく勉強してたよ。態度も考えも、だいぶマシになってる」
「勉強?」
「ハイマートの歴史とか法律とか、倉庫の本は全部引っ張り出してきてた。……俺の『キュートオーク』二年分も、アイツに譲ったさ……」
「あぁ? お前、先々月までのは捨てたっつってただろ」
「本当にすいませんでした」
約束を破り、嘘を吐いていた事に対してフェンネルはしっかりリンデンにキレた。
「バカじゃねぇのかテメェふざけんなよクズが」
「本当にすみませんでした」
「立って頭下げた上で更に土下座して謝れ。誠心誠意心込めて『申し訳ありませんでした許して下さいメノウ上級曹長殿』って言え」
リンデンは神妙な顔付きで椅子から立ち上がると、一言一句言われた通りに謝罪する。実はこのやり取りは年に三回ほどの頻度で行われているため、フェンネルは相手に謝罪の念を感じればその場で許してやっているし、リンデンも心からの謝罪と反省を述べ、悔い改めた上で許しを請えば相手が許してくれる事を知っている。
ちなみに、ユズリハには「懺悔するなら、お前はどうして怒られると分かっている事をわざわざ選ぶんだ」とリンデンはがっつり叱られている。
丁寧に頭を蹲い謝罪するリンデンに、フェンネルは今回も「二度とやるなよ」と許してやった。
「まったく、お前も毎度学習しねぇのな。何か? 記憶喪失になったら覚えとく事が難しくなんのか?」
「それは俺だけだと思います。性格上の問題であります」
「もういい、分かった。手ぇ拭いて座れ」
「うん」
再び椅子に腰掛け、除菌タオルで手を拭うリンデンにフェンネルは深い溜め息を吐く。
「……お前が性格上で小っちぇえ事も守れねぇのに、国の制度や法律を学んだところで、歪んで育った性根が変わるかよ」
そう続けたフェンネルの言葉は、リンデンではなくあの少女に向けられている。怒りや呆れ、憎しみだけでなく、その声音は諦観故の悲しみも孕んでいた。
「……んー、まぁ、そうだよね」
それでも、リンデンは彼が優しい男であると知っている。フェンネルは同じ立場であった己を受け入れ、様々な場面で手を差し伸べ助けてくれているのだ。
彼のようになりたい。それは、リンデンの目標の一つでもあった。
「確かに、アレがアイツの性格だったら、勉強じゃ根本的な解決にはならないかも知れない。でも、クミンは俺と違って性格の問題じゃなかった。明日、会ってみたら驚くかもよ?」
「知った事か、俺には関係無ぇ」
「でも、俺の事は?」
「あぁ?」
フェンネルは伏せていた視線を向ける。目の前には、「俺も同じだったよ」と自分を指すリンデンの姿がある。
「マリーさんが船で引き取ってくれた時も……一緒に兵舎学校通った時も、フェンネルはずっと側にいて俺を支えてくれたよ」
「……俺は何もしてねぇ。ローズが勝手に決めた事だ」
「軍で人体実験されててもおかしくない奴なのに? 前にも、色々やらかしてるし……なのに、全部受け入れてくれたじゃん。なんで?」
「しつけぇな、あれは『お前だから』って言って……」
そう途中まで言って、ニッコリと微笑んでくるリンデンに気付いたフェンネルは苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向いた。
自分が過去に迷い、落ち込んだ時に彼はいつも『お前だから助けた』と言ってくれる。リンデンは嬉しそうに、少し照れたようにはにかんだ。
「へへ……えへへ」
「うぜぇ」
「大丈夫だよ、フェンネル。俺が立ち直れたんだもん」
「……アレは駄目だ、クズがチラついて吐きそうになる」
「んー……まぁね」
フェンネルが『クズ』と呼んだ相手が誰なのか、リンデンはすぐに気付いた。
「……ねぇフェンネル?」
「何だよ」
「もし、ね? もし……俺の『父親』がヤバい奴だったら、どう思う?」
突然に話題が代わり、レタスを頬張るフェンネルが訝しげにリンデンへと視線を戻す。
「……何だ、いきなり」
「昼間、ちょっと話題に上がってさ。……俺の父親がって、話になって」
「……フェヌグリークじゃなく?」
フェヌグリーク、とは、彼等が世話になっているローズマリーの顔見知りの男性だ。彼女に何かあった時、彼等の後見人となる人物として申請されている。
しかし、リンデンは首を横に振る。
「ううん。俺の……自身の、生みの親の事」
「覚えてるのか?」
「いや、知らない。でも……」
そう続けたリンデンは、何処か怯えているようだった。
「会った事も無いのに……なんかさ、考えるだけでスゴく嫌な感じがする。クミンは、マリーさんとユズさんが『父母とはこんな感じか』って言ってて……」
「ユズさんは父親というより、良く出来たローズの弟って感じだけどな」
「いや、そうかもなんだけど……俺は、父親って存在と、ユズさんを一緒に言われたくなくて」
「……つまり?」
「『アレ』は人間じゃない。……同じ、生き物と思えないんだ。『ソレ』が何をしたのかは分かんないし、顔も名前も存在も分かんないけど……でも、大切なユズさんを一緒に考えたくなくて」
「……成程」
そう相打ちを打ったフェンネルは、特に表情を変える事なく言葉を返した。
「まぁ、その気持ちは分からんでもない」
「で……でも俺は、そんなのの子供かも知れなくてさ。顔も声も知らなくたって、『アレ』がヤバい奴っていうのは分かる。俺は『アレ』の子供で、だから人間じゃなくて、もし……ヤバい化け物だったら……」
「お前がか?」
「だって……今でも変な能力を制御し切れてないし、感情で左右されまくってて、何か……本能剥き出しの動物と一緒みたいで……」
「今更だろ」
「……怖くない?」
「………………」
嫌いにならないで。
上目遣いで不安そうに見上げてくる怯えたような瞳は、捨てられる事を恐れる幼子のそれそのものだった。
フェンネルは、呆れたように溜め息を吐きながら持っていたミニボウルをテーブルに置いた。
「……お前は、俺をどう思う?」
「すっごい好き」
「違ぇわ阿呆リンデン。お前も俺の父親が何をしたのか知らない訳じゃねぇだろ」
「そうだけど……」
「だったら、何故お前は俺に懐いたり出来るんだよ」
「だって……フェンネルはフェンネルだもん。親父さんとは別の人間で……」
その時、リンデンの表情が何かに気付いたようにはっとする。
「お前の感情に、俺の父親は関係してんのか?」
「……フェンネルも、同じ?」
「見た事も無ぇ野郎なんざ知ったこっちゃねぇよ」
驚いた様子で目を見開くリンデンをフェンネルは鼻で嗤い、呆れた顔でふんぞり返った。
「お前が俺に対して特に何も変わらないのに、この俺が、お前の親がどうとかで何か変わると思ったのか? 見下されたモンだぜ、くだらねぇ」
「……ごめん」
「二度は言わん。そんな事で時間を無駄にするな」
「……うん……」
「泣くな、鬱陶しい」
顔を歪ませ、汚い顔でぐしゃぐしゃと泣き出す不出来で可愛い『弟』をフェンネルは再び鼻で笑い、苦笑を浮かべたまま再びサラダを頬張り始めた。
共に過ごした時間は十年以上。生まれた頃は知らずとも、己にとっては過ごした時間だけが全てであり答えなのだ。
ただ、ほんの数年前は、不安な事や悩みは全て隠してしまっていた彼の事を考えれば、こうして打ち明けてくれる様になったのは大きな成長ではなかろうか。
「顔拭け、汚ぇ」
嬉しさに頬を濡らし、柔らかい笑みを見せる。今もこうして変わらない純粋さを向けてくれる彼に対し、誰が恐れを抱こうか。
フェンネルがベッド脇のフェイスタオルをリンデンに投げ渡せば、彼は潤む瞳をフェンネルに向けて愛おしそうに細めた。
「……フェンネル」
「何だよ」
「大好き」
「……もう夜明けだ、早く食え」
そう言って誤魔化したフェンネルに、リンデンは照れ臭そうに笑う。
しかし、リンデンがその赤くなった耳元に気付くと、素直じゃない『兄』の不貞腐れた顔に、ただ笑顔を浮かべて彼を見つめていた。
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