一話
「ねぇマリーさん、今日ってどうするの?」
クミンが保護されてから二日後の、午前七時。
ユズリハが朝食の洗い物をしている隣で、食器を拭いていたリンデンが問い掛けた。
リビングのソファの上で、クミンとタオルを畳んでいるローズマリーは当然のように「行くぞ」と答える。
「もちろん、今日も十時に予約が入ってる。準備が出来次第、すぐに出発するからな」
「どこかへ行くのか?」
続いてクミンが問えば、ローズマリーは頷き笑顔を見せた。
「ああ。毎週末、私達は子供達のお世話を手伝いに孤児院へ出向いているんだ」
「コジイン?」
「そう。身寄りの無かった子供達が、生きていくために必要な全てを学べる場所だ」
ローズマリーの説明を聞いても、クミンは不思議そうに首を傾げる。苦笑するローズマリーは「一緒に行こうな」とクミンに微笑み、食器を洗うユズリハに振り返る。
「ユズ君、今日は何処だっけ?」
「『マーガレット学習院』だ」
「ん? でも今日って遠足じゃなかったっけ。確かカレンダーに入ってたけど」
リストベルのスケジュールを確認したリンデンの言葉に、何故かユズリハの顔が若干暗くなる。
「……小学部と中学部だけな。それも、『ガーベラ』と『カマリア』も合同で行くそうだ」
「すげぇ、大人数だ。何処行くの?」
「旧皇家の博物館と樹立公園らしい」
「ほえー、みんな賢いねー……ん?」
ふと、リンデンは気付く。
「待って待って、じゃあ『ガーベラ』と『カマリア』の幼学部は誰が看るの?」
「……合同で『マーガレット』に集まるんだと……」
「マジで!?」
ユズリハの言葉を聞いたリンデンは、両手を上げて喜んだ。
「やったー! 赤ちゃんがいっぱいだー!」
「……また『大合唱』か……」
高身長と強面の顔のせいで毎度乳幼児に泣かれてしまうユズリハは、天井を見上げてどんよりと肩を落とす。
そんな彼に、ローズマリーも楽しそうに笑いながら彼に慰めの言葉をかけた。
「ははは、いつも最初だけじゃないか。すぐ仲良くなってるのに」
「向こうが妥協してくれてんだよ……」
「そんなに器用な幼児は居ないぞ。大丈夫だ」
ふとローズマリーがクミンを見れば、彼女は落ち込むユズリハを心配そうな眼差しで見つめている。そんなクミンに、ローズマリーは「今の内だけだから」と説明した。
「どういう事だ……? ユズリハは、一体何をさせられるんだ?」
「彼に危険は一切無いぞ。ユズ君が優しいだけだ」
「……?」
「あ! 今日メンテナンスじゃん! ちょっと取りに行ってくる!」
「リン、フェノンにも声を掛けてきてくれ。今日は整備室でガトリングを診てる筈だ」
「分かった!」
自室に置いてある己の愛剣を取りにリビングを出て行ったリンデンを見送り、「私達も急ごうか」とローズマリーがクミンに微笑む。何も分からないクミンは、ただ皆の様子を静かに見ているしか無かった。
「……私は、何をしていれば良いんだ?」
ぽつり、と少し申し訳無さそうに聞いたクミンに、ローズマリーは満面の笑みを向ける。
「一緒に行こう。今はそれでいい」
「……私でも、戦力になれる事があるのか?」
「勿論だ! むしろ、来てくれなきゃ困る」
「そ、それほどの事が……?」
「今日は特に、少しでも人手が多い方が嬉しい。みんな良い子達だから、いろいろ教えてくれるぞ」
「……迷惑に、ならないなら……」
「迷惑になど、なるものか! 楽しいぞー? だって、可愛い子ばかりなんだからな!」
ローズマリーは畳み終えたタオルを綺麗に重ねて両腕に抱える。ユズリハに「片付けてくる」と一声掛けると、同じくフェイスタオルを抱えたクミンと共にリネン室へと向かった。
一方、整備室へと降りたリンデンは、床に直接胡座をかいて部品を磨いているフェンネルの背中を見つけて声を掛ける。
「フェンネルー! おはよう!」
「うるせぇ」
彼の周りは分解したガトリング銃の部品が広げられ、リンデンは足の踏み場を探しながらゆっくりと歩み寄る。
フェンネルはそんなリンデンを無視したまま、持っていたスパーギアをウエス代わりの布巾に置く。
「朝ご飯、ありがとう! 美味しかったよ!」
「……どうも」
笑顔のリンデンを見る事無く、フェンネルは次のギアを手に取り、ホワイトガソリンを染み込ませた布でギアを丁寧に磨き始めた。
「今日も早いね。部屋から出ていったの気付かなかったよー」
「へぇ」
「ユズさんが『明日の朝はゆっくりしてて良い』って。夕食の下拵えまでしてくれてたの、お礼言ってたよ」
「そうか」
「マリーさんは『早起きし過ぎだ』って、ちょっと心配してた。今日のご飯は、クミンも気に入って完食して」
「黙れ」
「……むー……」
食い気味に言葉を遮ってきたフェンネルに、リンデンは少しだけ困ったように眉を下げた。
フェンネルがクミンと顔を合わさないように早起きをしていた事は、リンデンも気が付いていた。皆の分の朝食を作って準備してあったのも、誰かに頼まれたクミンが自分に朝食を持ってきたりしないようにする為だ。
先日の一件で、フェンネルは徹底的にクミンを避けて生活していた。昨日一日、クミンはずっとリビングでユズリハとローズマリーに勉強を見てもらっており、その間、フェンネルはずっと船の外壁や監視台の点検、搭載してある重火器等の整備と補充を行っていた。
誰かがフェンネルへの用がある際は、リンデンが率先して皆の橋渡し役を担っていたが。
「……テメェも暇じゃねぇんだから、いちいち行ったり来たりしてんなよ。リストベル使えってローズに言っとけ」
視線をギアに落としたまま、フェンネルは呟くように文句を垂れる。
しかし、そんな彼にリンデンはきっぱり「嫌だ」と答えた。
「そんな事したら、フェンネルは絶対顔見せなくなるじゃん」
「テメェは同室だろうがよ……」
「嫌だ。俺は寂しいの!」
「……勝手にしろ」
「うん!」
どれだけ突き放しても、冷たくあしらっても、フェンネルの言葉にリンデンはいつも笑顔を返す。
「やっぱり、直接声聞けるのが嬉しいもん」
「……ふん」
まるで小春日和に浴びる、暖かな日差しのような眼差し。絶え間ない優しさを向け続けてくれるリンデンに、フェンネルは毎度、悔しい思いを感じながらも絆されてしまっていた。
「ねぇねぇ、今日の『お手伝い』だけどさ」
「行かねぇ」
「え!?」
しかし、『それ』と『これ』とはまた別だ。
お手伝い、とは、孤児院訪問による児童監督員の助手……簡単に言えば、保育士補助のアルバイトである。
全てを言い終える前に即答で断ってきたフェンネルに、リンデンは目を剥いて驚いた。
「嘘でしょ、今日は合同保育だよ!? 『カマリア』と『ガーベラ』の赤ちゃん達も来るんだよ!?」
「だから何だよ」
「一緒に癒されに行こうよぉー! 絶対可愛いよー……!」
「知るかよ」
一切こちらを見ないフェンネルに、リンデンは彼の袖を引いて駄々を捏ね始める。
「ねぇってばー……行こうよー……」
「『あのガキ』が来るなら俺は行かねぇ」
「クミンは多分、ユズさんと幼学部に行くだろうしさぁ……マリーさんに言っとけば、色々手配もしてくれると思うしぃ……」
「うぜぇ」
「ねぇ、行こうよ……一緒に、赤ちゃんのお世話しようよ……」
おねだり、と言うには、あまりにも寂しげに顔をしょんもりさせ、袖を引いてくるリンデンをフェンネルは白い目を向けた。
このまま押し通す事も出来るだろうが、もしそうなった時、この状態の彼なら「船に残る」と言い出しかねない。ただでさえ今日は人手が欲しい筈の孤児院にも、その孤児院の院長であるローズマリーにも、多大な迷惑が掛かってしまう。
結局、自分が譲るしか無いのか。フェンネルは盛大に溜め息を吐いた。
「……わかった。行ってやる」
「え、マジで!?」
呆れ返った口調でも、その言葉を聞いた瞬間にリンデンは潤む瞳を大きく見開いて喜ぶ。
「本当に!?」
「二言は無ぇ。ギアの洗浄液も、白油も切れた所だったし……ついでだから、テメェの剣もメンテナンスに持ってってやるよ。後で合流する」
「いいの!? やったぁーっ!!」
思わず抱き締めてこようとするリンデンを咄嗟に腕で防御し、「いいから準備してこい」と火傷痕の残るその顔を押し返す。
鬱陶しそうに不機嫌な顔をしつつも、仄かに紅くなっているフェンネルの耳元を見たリンデンは、心から嬉しそうな笑みを浮かべて全身で喜びを表した。
「ああぁ好き! もう本当好き! ありがとうフェンネル!」
「うぜぇ」
「じゃあ、俺、お金とかケースとか準備してくるから! 出発の時に渡すね! やったーっ!」
「早く行け」
「分かった!」
整備室から走って出ていったリンデンに、フェンネルは僅かに苦笑を零す。自分も片付けて準備をしなければ、と腰を上げ膝を着いた時、何故かリンデンが階段を駆け下り戻ってきた。
「そうそう、言い忘れてた!」
「あ?」
「逃さないからね!」
唖然とするフェンネルにビシッと指を差し、リンデンは再び階段を駆け上がっていく。その間にも、「上で待ってるから」と叫ぶ彼の声が、遠退きながらも整備室まで大きく響いていた。
逃さない、とは。言質を取った、という意味なのか、はたまた、自分が彼の剣を持って馴染みの武器整備店に行ったまま逃亡を図るとでも思ったのか。
「……チッ」
その手があったか。
本当はそのまま一緒に孤児院へ向かうつもりだったのだが、先に手を封じられた事への腹いせと、何となく信用されていない気配を感じて悔しくなったフェンネルは、盛大な舌打ちを一つかました。
※
準備を終え、全員が荷物を確認して船外へと集合する。ローズマリーが最後に船を出ると、ハッチを締め、掌紋認証でロックを掛けた。
最後にユズリハが舗装されていない土の地面に長い釘のような鉄の棒を突き刺し、登録したリストベルを持っていない者が船に近付くと感電するよう防犯機材ののスイッチを入れる。
「みんな、忘れ物は無いな?」
「マリーさん!」
リンデンがぱっと手を上げる。
「どうした、リン」
「行き掛けにコリアンダー整備店に寄ってください!」
「用があるのは俺だがな」
「分かった、途中で寄っていこう。出発だ」
リンデンとフェンネルの予定も確認し、ローズマリー達は船を後にした。
全員で最寄りのバス停を目指し、徒歩数分の距離を並んで歩く。
初めて船を降りたクミンは辺りをキョロキョロと見渡し、全てを不思議そうに眺めている。時折ローズマリーに質問したり、リンデンに「あれ見て」と教えてもらったりと、数百メートルの距離でも、彼女は楽しそうに過ごしていうようだ。
そんな彼等を、五メートル程後ろに下がって付いて行くユズリハとフェンネルが、並んで様子を眺めていた。
「……心境の変化が?」
ふと、ユズリハが隣を歩くフェンネルに声を掛ける。
「……そんなんじゃねぇですよ」
「『残る』って言い出すのかと思ったんだが」
「言いましたよ。……アイツに脅されたんです」
そう答えた視線の先には、リンデンの後ろ姿がある。
ユズリハは意外な理由に笑みを零した。
「ほぉ、脅されたのか?」
「『逃さねぇ』って言われました」
「ははは、アイツらしい。『気配』を追う、だったか? お前がちょっと動いたらすぐに気付くのは流石というべきか」
「そういうのを『キモい』っつーんですよ」
「そう言ってやるな。お陰で助かってる面もある」
「……ふん」
ユズリハは、フェンネルが背負うリンデンの剣についても質問してみる。すると彼は「ついでです」としか答えず、まったく正直に話さないフェンネルを微笑ましく思い目を細めた。
「また絆されたか。お前も丸くなったなぁ」
「失礼な、俺は元々丸いでしょうよ」
「何処がだよ。サボテン並みにトゲトゲだったくせに」
「まったくユズさんは酷い人だ。サボテンに謝罪を要求します」
「はっはっ、サボテンにかよ。フェンネルは俺と違って優しい男だもんなぁ」
「白々しいにも程があるでしょ」
不機嫌そうに嗤ってみても、先程と違って多少喋るようになっている。少しでもフェンネルの不安や緊張を解く事が出来ただろうかと、何処か嬉しそうにユズリハは微笑んだ。
そんな二人を、いつの間にか信号待ちで立ち止まっていたリンデンとクミンが凝視する。
「……いいなぁ……」
信号が青になって再び歩き出し、小さく呟いたリンデンに「あまり見るな」とローズマリーが制止する。
「フェノンも今『距離』を図りながら頑張ってるんだから、照れさせたら面倒だぞ。我慢しろ」
「むー……」
リンデンは寂しそうな、不満そうな顔で唇を尖らせる。そんな様子を見たクミンは、そっと彼の袖を引いて「おい」と小声で声を掛ける。
「ん、何?」
「その……リンデンは、フェノンと仲が良いのか?」
ローズマリーがそう呼ぶため、彼の名前を幼名で覚えていたクミンに、リンデンが優しく「フェンネルね」と訂正してやった。
「ふぇんねる……? あの男はフェンネルというのか」
「そ、フェンネル。フェンネルに『間違えんなよ』って言われてるからさ」
リンデンがそう説明すると、何故か危機感を覚えたクミンは少し緊張した面持ちで俯き息を呑む。しかし、何とか持ち直してリンデンに向き直ると、意を決したように口を開いた。
「その……ち、朝食の礼を……言いたいんだが……」
「あー、朝ごはん? 今日も美味しかったもんねぇ」
リンデンは懐かしむように目を細めて頷いた。
とは言っても、フェンネルはこの二日間、特に変わった朝食は作っていない。一日目は味噌汁に焼き魚だったし、今朝用意されていたのはサンドイッチだ。
しかし、何か気に入ったらしいクミンがユズリハに作り方を問い掛けるも、彼は「これはフェンネルが作ったものですので」と笑顔で返されていた。
「フェンネルはやっぱり料理上手だよなぁ。あっさり系が多くて、お出汁が美味しくて。ユズさんの作る料理もさ、幾らでもご飯が進むっていうか、お箸もフォークも止まらなくなっちゃうっていうか……」
「あの男は……私にまで、朝食を用意してあった。その礼が言いたい」
「え? 皆の分作るのは当たり前じゃないの?」
「だって……奴は、私の事を嫌っているのだろう? 嫌いな奴の食事など、普通は用意せんぞ」
「そうなの……? ねぇ、マリーさん」
クミンの言葉に悩んだリンデンはローズマリーを呼ぶ。一通りの説明をリンデンから聞いたローズマリーは、二人に「いい悩みだな」と優しく微笑んだ。
「簡単なようで難しい問題だ。食事だって、人数分作るのは当たり前なようで、実は違う」
「そうなの?」
「リンも覚えておくんだぞ。お前達が生きていられるのは全て、お前達を愛してくれる人がいるからなんだ。愛は無償だが、『愛してくれる』という事そのものは、まったく『当たり前』じゃない」
「当たり前じゃ、ない……」
復唱したクミンに、ローズマリーが頷く。
「フェノンがリンを想っている事も、ユズ君がクミンのお世話係を引き受けた事も……全て、彼等が『したいからしている』に過ぎないんだ。お前達がそれを当たり前だと思って無償の愛に胡座をかいていたら、相手の気持ちなんかすぐに離れていってしまう」
何か思う所があるのか、ぐっと唇を噛むクミンの頭を、ローズマリーは優しく撫でる。
「皆から貰った愛は、ちゃんと愛で返さなきゃいけない。受け取る事が難しいヤツもいるんだから、優しさや愛を、無視するような事だけはしちゃ駄目だぞ」
「分かった!」
理解しているのか否か、強く頷いたリンデンは、早速フェンネルとユズリハの所へと走っていってしまう。唖然とするクミンの横で、ローズマリーは呆れながらも優しく微笑んだ。
「ま、アイツは心配ないか。何か本能的に分かってそうだし」
「……愛を、愛で返す……」
「そうだ、クミン。難しい事だが、実はすごく簡単な事でもあるんだぞ」
「そうなのか……?」
「ああ。『ありがとう』と、心から言えば良いだけだからな」
今、クミンが望んでいるように。
そう言われて、クミンはぱっと顔を明るくさせた。
「そ……そうか。これが、『愛を返す』という事なのか」
「フェノンは優しくて思いやりに溢れる子だ。だが、それ以上にずっと怖がりで臆病でもある。お礼を言いたい気持ちも分かるが、あの子がまだ怯えている内は、無闇に近付かない方が良い」
「……私が、嫌いな訳では無いのか?」
「勿論だ。……ただ、今は本人も気付いてないけどな」
「……?」
ローズマリーは、苦笑しながらクミンの頭を再び撫でる。しかし、それでも残念そうに落ち込むクミンの後ろ姿を、リンデンとユズリハの会話を聞きながら、フェンネルが警戒した眼差しで静かに見つめていた。
※
バスを乗り継ぎ、一行は『マーガレット学習院』を目指して足を進める。
その間、クミンには常に誰かが声を掛け、街の風景、人々の暮らし、歴史的な建造物や文化を、彼女に教えながら移動時間を過ごしていた。
『礼を言いたい』という彼女の気持ちも尊重しつつ、しかしフェンネルの心も知る他の乗組員達は、ローズマリーの指示でクミンが迂闊に彼に近寄らないよう、注意を払いながら間に入って声を掛け続けていた。
そのお陰か、リンデン曰くフェンネルは常に落ち着きを保ち、クミンもそわそわしたり落ち込んだ様子を見せながらも、気ままにフェンネルに近付いたりせず大人しくローズマリーの引率に従っていた。
「……どいつも、妙に気を回しやがって」
途中、リンデンの剣を調整に出すために寄った整備店で、受付を待っていたフェンネルが呟いた。
腕を組み、休憩用のベンチに腰掛けて壁に凭れる彼の横で、立ったまま商品棚を眺めていたリンデンが微笑む。
「そんな事してないよ。クミンは『人間初心者』っぽいから、暴走しないように皆で注意してるだけ」
「それが『余計だ』っつってんだよ。結局テメェも店まで付いてきやがって」
「元々は俺の剣だもん。フェンネルだって、いきなりクミンがこっち走ってきたらビックリするでしょ? 先住猫ちゃんと新入り猫ちゃんは、お互い慣れさせてから合わせないと喧嘩するっていうし」
「誰が『先住猫』だクソゴリラが」
「ゴリラは猫ちゃん達を守りたいの!」
リンデンはフェンネルの隣に座り、眉間に皺を寄せて目を伏せる彼の横顔を覗き込む。
「……フェンネルもさ。実はちょっと気付いちゃってるんじゃないの?」
「……何が」
「クミンは『バジルさん』と同じかも、って」
バジル。その名を聞いて、フェンネルは更に険しい表情を浮かべる。
最後に逢ったのは五年前、リンデンが口に出した『バジル』とは、フェンネルにとって唯一の異母妹だった。
リンデンは笑顔を見せ、「大丈夫」と囁く。
「怖くなんかない。人は変われるよ、フェンネル」
「………………」
「バジルさんも、ちゃんと変われたじゃん」
「……アイツは俺の『異母妹』だからな」
「クミンも俺達の『妹』だよ。ローズマリーさんが決めたんだから、大丈夫」
「……ふん」
相変わらず視線は床を見つめたまま、フェンネルは鼻を鳴らす。
しかし、それでも彼は、確かに彼が少しずつ警戒と『恐怖心』を解き始めている。その事に気付いたリンデンは、嬉しさを満面に表した。
「……何ニヤニヤしてんだ、気色悪ぃ」
「べっつにー?」
会計と預け入れを済ませ、機嫌が悪いフェンネルと、彼に後ろから肩を殴られ続けるリンデンが店から出てくる。それを確認した三人は、腰掛けていた花壇から荷物を持って立ち上がった。
「った、叩かれてるぞ……っ!」
「リンデンが笑ってるので大丈夫でしょう。どうせ痴話喧嘩です」
「『チワゲンカ』……?」
首を傾げたクミンに、ローズマリーは苦笑しながら「今は気にするな」と彼女の肩に手を置く。
「おい二人共、あと二十分だ。先を急ぐぞ」
「お待たせー!」
二人が合流し、リンデンが「遅くなっちゃった」と照れ臭そうに笑う。その後ろに立つフェンネルはその様子を黙って見ていたが、つい、その気配に顔を向けてしまった。
「!」
ばち、と音がしそうな程に、その大きな瞳と視線がかち合う。その時初めて、フェンネルは彼女がリンデンと同じ赤い瞳を持っている事を知った。
「……あ……」
何かを伝えようとしている口元。しかし言葉が出てこないのか、またはローズマリーかユズリハに止められているのか。
戸惑った様子で目を泳がせ、結局彼女は何も言わないまま、白いワンピースの裾を握り締めて俯いてしまった。
その反応に、フェンネルは苦虫を噛み潰したような表情で視線を逸らし、彼女に背を向けた。
「……………」
フェンネルもまた、戸惑っていた。
彼女の様な人間なら、こちらの敵意に過剰なほど反応すると思っていた。周りを取り込み、利用しようとするか、『使えないもの』は排除を選んでくる……そんな人間ばかりだったのに。
だが彼女が先程見せたのは、戸惑いと謝罪の念のみで、敵意どころか、歩み寄ろうとしている様子すら伺える。
「…………チッ」
分かっている。自分は既に『自由』なのだと。
己を縛っていた『呪い』は、この世界中もう何処にも存在しないのだと。
フェンネルは深い溜め息を吐き出し、伏せていた視線を上げた。
※
「院長先生!」
「院長先生だ!」
マーガレット学習院。『チャーチグリム号』の一行が玄関での受付を行っていると、中庭で遊んでいた年長の子供達がローズマリー達を見つけて騒ぎ始めている。
「みんなー! 元気かーっ!?」
気付いたローズマリーが中庭に手を振れば、ハキハキとした声で「元気ーっ!」と叫ぶ子供達の声が響いた。
「うんうん、元気だな」
一行は受付で来院者名簿に名前を記入し、靴を脱いで上履き用のシューズに履き替える。子供達に危険な装備や所持品は全て事務室に置かせてもらい、皆は決まった色の薄手の帆布で縫われたエプロンを着た。
順番に手を洗い、消毒液のスプレーを持つローズマリーに皆が手を差し出していく。一人ずつ掌にスプレーを吹き付けていくローズマリーは、戸惑うクミンに近付き『消毒』の説明と必要性を説明した。
「子供達は元気だが、同時に風邪を引きやすい。私達が守ってあげないとな」
「……守る……こんな事で、守れるのか?」
「当然だ。バイ菌から子供達を守るには、これが一番効果的なんだぞ」
「ばいきん……」
クミンはローズマリーのスプレーを受け、言われた通りに手指全体に消毒液を馴染ませる。『消毒液』という物に興味を唆られたのか、自分の手を嗅いだクミンは次亜塩素酸ナトリウムの独特な匂いに思わず「うっ」と身体を仰け反らせた。
それを見ていたユズリハが、小さく微笑んだ。
「ローズマリー、彼女は『何処』へ?」
「年長組さんだ。歳が近い方が学べる事も多いし、おままごとに混ぜてもらえたら社会勉強になる」
ユズリハは「成る程」と唸る。確かに、おままごとは子供達にとって『人生で最初のコミュニティ』だ。クミンにとっては、最高の疑似生活が体験できるだろう。
「リンは外遊び担当、ユズ君と私は、年中、年少組さんを中心に屋内担当だ」
「了解した。フェンネルは今回も?」
「アイツほど乳幼児組が得意な人間もそうは居ないからな」
ローズマリーは少し得意げに笑った。
ユズリハが視線を向ければ、既にフェンネルは長い髪を後頭部に結い直し、事務室に常備してある簪でしっかりと固定している。
その脇ではリンデンが中庭で走り回る子供達を見つめて目を輝かせており、何も分からないクミンはそっとユズリハに近付き、彼のエプロン裾を掴む。
「……『こっち』も個性豊かだな」
苦笑するユズリハに、ローズマリーもつられて微笑んだ。
「さぁ聞け、みんな」
準備を終えた船員達を集めて、ローズマリーは受付で貰った勤務表を片手に割り振りを始めた。
「今回メインの乳幼児組は、今までで一番多い十七人だ。保育士さん全員集めても大変だから、幼学部は私達と保育士さん二人で看る事になる。上の子達がお昼寝に入ったら、リンとユズ君もフェノンと交代で乳幼児組のお手伝いに行ってくれ」
「分かった!」
「了解だ」
「……交代とか要らねぇ」
「じゃあ休憩だな。休憩は取れ」
「俺、先行ってくる!」
「私は……?」
「俺が案内しますので、付いてきてください」
屋内、中庭共に、元気で可愛い怪獣達が騒ぐ明るい声が響き渡っている。
其々に確認し合い、一行はいざ『決戦の地』へ足を踏み入れていった。
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