八話
「先の話だが、私達は本当に『親子』なんだ」
「何?」
そこそこに食事も終わった頃。ユズリハは使用した食器を片付け、リンデンはフェンネルの為に軽食を作ろうと準備をしている。
ローズマリーとクミンは二人でダイニングに座り、歴史書を開いて一緒に読んでいた。クミンが質問しながら二人で勉強していた時、彼女の隣に座るローズマリーが、ふと口を開いた。
「だが、年齢がおかしいだろう。ローズマリーは子供だ」
「私が産んだんじゃない。でも『親子』なんだ。わかるか?」
首を傾げるクミンに、ローズマリーは優しく微笑んだ。
「血の繋がりなど無くとも、誰もが皆『家族』になれる」
「心の絆、だったか。それは軍隊や集団を伴う職業にも必要だと読んだ」
「……そうだな。クミンは、オリヴェール族の特性は読んだか?」
「明るい茶色の髪に、緑色の瞳。事故、事件以外での寿命は決まって二百年、『拓き』と呼ばれる変異が起きると身体的な老化が止まる」
「その通りだ。よく覚えたな」
「ローズマリーは、その身体的特徴をすべて持っているな。お前はオリヴェール族なのか?」
「そうだ」
頷いたローズマリーは、何処か儚げに微笑んでいた。
このハイマート共和国には、四つの種族が存在する。色素が薄いオリヴェール族、他種族より小柄な者が多いマティアス族、身体能力が高いヴァルテッリ族、そして薄い青色の肌を持つラウリ族だ。
「私は十三歳で身体が『拓いて』しまった。それからずっと、この見た目で生きている」
「じゃあ、実際の年齢は見た目とは違うのか」
「ああ」
長寿で知られるオリヴェール族という人種に生まれ、十三歳で成長を止めた彼女は、見目は少女のままでも、実は優に八十二年の時を生きている年配者だ。オリヴェールは一定以上成長すると二日間ほど眠れなくなるという異変があり、眠れない時間が終わればその瞬間から肉体は成長や老化をやめ、二百年の時をその姿で生きる事になる。
「オリヴェール族の人は、大体見た目よりも年上の人が多い。身体が老化しない分、子沢山の人も多いから、このハイマートではオリヴェール族の人口も一番多いんだ」
しかし個人差が激しい『拓き』の変異は、老人になり死ぬまで起きない者もいれば、ローズマリーの様に、幼くして起きてしまう者もいる。
ローズマリーは身体的な成熟が未発達の状態で『拓き』を迎えたため、子を授かる事が出来なくなった。
ローズマリーの話を聞いたクミンは、絶望に近い愕然とした表情でローズマリーを見ていた。
「見ての通り、私の身体は幼いままだ。だから子を産む事は出来ないが、それでも、たくさんの子供達を何人も育ててきた」
「……そんな……」
「その中で、私の事を『母』と慕ってくれる子も大勢いる。自分で産まなくても、命は繋いでいく事が出来るんだぞ」
しかし、クミンの表情は変わらない。
戸惑い、焦り、悲しみ、絶望。そんな感情を少女の瞳に感じたローズマリーは、思わず苦笑を浮かべる。
「……聞け、クミン。血筋に拘らなくても、この世界には『母』の温もりを待つ子等がたくさんいる。その子等に愛を注ぐ事も、『母』としての立派な務めなんだぞ」
「でも……それでも、私は『神の子』を産まねばならないんだ……」
「クミン……」
そう応えたクミンは、何処か、とても苦しそうだった。
その時、夕飯の仕込みも終わらせて準備を万端にしてきたリンデンが、クミンの向かい側の席へと腰掛ける。
「ねぇ、クミンは何にそんな拘ってんの?」
「こ、拘ってなど……! これは『使命』だ」
「使命って言うけどさ。それは、誰から受けた使命なの?」
「それは……!」
クミンは勢いで何かを言いかけるが、肝心の言葉が出てこないのか、ぐっと飲み込むように俯いてしまう。
「お、覚えて……いないが……」
何かを探るような、リンデンのクミンに向けた眼差しは無表情のまま変わらない。
少し悲しげに目を伏せたローズマリーが、クミンの顔を覗き込むように首を傾ける。
「……クミンは、『母親』になりたいんじゃないのか?」
「母……子を持つ親の、女性の事だったな」
「……そうだな」
ダイニングテーブルを囲んで交わされる会話にしては不穏になってきた空気に、洗い物をし終えたユズリハも傍まで来て合流する。
俯いていたクミンは小さく息を吸うと、言葉を選んでいるのか、答えを探しているのか、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「……私は、その『母』というものを知らないし……別に、なりたい訳では無い」
「……なら、何故そこまで子を望むんだ?」
「それが私の存在しうる理由だから」
ローズマリーはリンデンを見た。彼は小さく首を振り、クミンの言葉に嘘がない事を知る。
ローズマリーが続けて「子を成して産んだ後はどうするのか」と問えば、まだ幼気な少女は「知らない」と答えた。
どうしてそう思うのか、誰かに頼まれたのか、果たして、それが『一度』で終わるのか。
彼女はそれ以上、何も覚えていなかった。
「……神の子を産む事こそ、私が生きていられる理由なのだ。子を産めぬ者は……世界に必要無い」
「……おい、今なんつった」
「いいんだ、リン」
一瞬、冷気で張り詰めたような感覚がリビングに走る。すぐにローズマリーが「落ち着け」と制止し、クミンの震える肩を優しく抱きかかえる。
「彼女が悪いんじゃないんだ。……クミンは今まで、そうやって教えられてきたのだろう?」
俯いたまま頷いたクミンは、ほんの僅かに鼻を啜った。リンデンも視線をテーブルに下げ、ローズマリーはユズリハを見上げて「温かい物を」と頼むと、彼はすぐにキッチンへと戻り準備を始める。
「クミン、この世界では、誰もそんな事を気負わなくても良いんだ。血統も遺伝子も関係無く、あらゆる人間が、あらゆる人生を自由に謳歌できるんだから」
「でも……」
「お前だって、まだまだ子供じゃないか。その『神の子』とやらは、もっと大人になってからでも良いんじゃないか? 私としては、好きな人と幸せな時間の中で、ゆっくりと家庭を築いて欲しいものだけどな」
「………………」
言葉も無く、クミンは静かにローズマリーの優しい言葉を聞いている。その時、そっと彼女の前に、ユズリハが温かいココアを差し出した。
「……クミンさん。大切なのは、これからをどう生きるかです」
「ユズリハ……」
彼を見上げたクミンの瞳は、既に涙で潤み揺れている。
「突然知らない場所に放り込まれて、不安ばかりなのも理解できます。ですが、もし困った事があっても、我々が必ず貴女をサポートします。安心して、新しい人生を歩いていきましょう」
ユズリハの言葉に、クミンは顔をくしゃくしゃに歪ませ、大粒の涙を流し始めた。声も上げずに泣き出してしまった彼女の頭に、ユズリハは慰めの意を込めて大きな手を優しく乗せる。
「泣かないでください。全ては『これから』なんですから」
「そうだぞ、クミン。大船に乗ったつもりでドンと構えてろ」
大船、って分かるか?
ユズリハの問いにローズマリーが吹き出す。「本当だ」、と笑う彼女と呆れるユズリハの声に、クミンは再び鼻を啜り、手首で濡れた目を拭った。
「……父母、とは……このような存在なのだろうか」
「ん?」
「私は、『親』というものが分からない。事典では、子に対して無償の愛を注ぐ存在だと読んだ。親とは……両親とは、皆この様な存在なのか?」
「……どうだろうな。私も、自身の親とは仲が良い方ではなかったから」
どこも同じだな、と、ユズリハも苦笑した。
「でも、クミンがそう思ってくれるなら、私達は全然構わな……」
「嫌だ」
「ふぁっ?」
意外な拒否に、二人は目を丸くする。クミンは涙に濡れる顔を隠す事も無く、どこか悔しそうに訴える。
「ユズリハが、『父』なのは嫌だ……っ!」
「!?」
「俺……!?」
「ユズリハの隣には、私が並んでいたいのに……っわ、私は……私が、この男の番に……『妻』というものになりたいのにぃ……!」
ついに机に突っ伏して、クミンは声を上げて泣き出してしまう。
ユズリハは天井を仰いで深い深い溜め息を吐き出し、ローズマリーは視線を逸らして肩を震わせていた。
「……笑い事じゃないぞローズマリー……」
「ぐふっ……わ、わかってる。いや、ここまでくるとな……思想がどうのというより、可愛らしい恋心のようじゃないか。幸先は良さそうだ」
「何処が良いんだ。まったく、どいつもこいつも……」
その時、ふと肌を刺すような、電気が走るようなピリピリとした感覚を覚えて、ユズリハはリンデンへと目を向ける。彼は椅子に腰掛け腕を組んだまま、何かを考え込むようにテーブルの上の虚無を見つめていた。否、その表情は何処か、焦りや緊張、怒りのような感情を含んでいる。
まるで、ドライアイスの冷気が直接流れ込んでくるようだ。
「……リンデン」
「ッ!」
名を呼ばれ、驚いて顔を上げたリンデンに、クミンの背を撫でながら慰めていたローズマリーが顔を上げる。
「どうした?」
「リンデンの機嫌が悪い。お前、抑制装置付けるの忘れてきてるだろ」
「え? うわ、ホントだ」
パーカーの袖を捲り、手首にリストベルが無い事に気付いたリンデンは少し慌てたように謝罪した。
「ごめん、本気で気付かなかった。もしかして空気悪かったの?」
「いや、それはいい」
本当にゴメンね、と申し訳無さそうに笑うリンデンに、ユズリハは少々神妙な面持ちで問う。
「今までの会話を聞いてて、何か気になった事でもあったのか? 随分考え込んでた様だったが」
「んー、考え込んでたっていうか……いや、特に何でもないんだけどさ」
ユズリハの問いに、リンデンは少し照れ臭そうにはにかんだ。
「俺の親ってどんななのかな、って思っただけ」
「……何か、思い出したのか?」
「全然。俺の『お母さん』はずっとマリーさんだし、ユズさんやフェンネルは、尊敬できる格好良い『兄貴』だ」
「いや俺は下男でいい」
「んもー、ユズ君はどうしてそんなに自己評価が低いんだ」
「ユズさんは『兄貴』だよ。友達だし、先輩だ。……でもさ、絶対に『父親』じゃない」
「待て待て。リンまで、どうしてそんなに酷い事を言うんだ」
「言ってないよ、逆、逆」
そう言ったリンデンは苦笑しながらも、何処か真剣な眼差しで語る。
「……何かね、『父親』って感覚に強い嫌悪感があるんだよね。許しちゃいけないっていうか、絶対に相容れない存在っていうか……」
「覚えていなくとも、か?」
ユズリハに問われてリンデンが頷く。
「勿論、俺に関わってくれた大人はみんな良い人ばっかりだ。でも、その人達だって『父親』みたいとは思えない。思っちゃいけない。あんなのと……『アレ』と大事な人達を、一緒には出来ないんだ」
「リン……」
「……俺にとって、『父親』ってそんな感覚なんだよね」
話を聞いていたユズリハとローズマリーが困った様子で顔を見合わせる。しかし、リンデンに先に応えたのは、そっと顔を上げたクミンだった。
「……私は」
「!」
「私は……それでも、『父』に認めて貰いたかった」
「……クミン……」
「……諦めろ。『アレ』は人間じゃねぇよ」
ぞっ、と、背筋の芯が凍るような、冷たい感覚が皆に走る。
無表情で放たれたリンデンの言葉に、クミンは絶望に打ち拉がれ、諦観の念を浮かべて頬を濡らす。さめざめと声も上げずに泣く彼女を、ローズマリーが咄嗟に抱き締めた。
「私は認めるぞ、クミン。頑張り屋で素直で純粋な、一人の恋する女の子であるお前を認める。だからお前は、どうかありのままで生きていってくれ」
「ローズマリー……!」
「俺も、今のクミンさんを応援していますよ。貴女は今、充分努力なさっている」
クミンはローズマリーの温かさやユズリハの優しい声を受けて、溢れる涙をそのままに目の前のローズマリーを抱き締め返した。
頭の片隅に残った『使命』という鎖に取り憑かれ、自身が信じてきたものが崩れ去る絶望を拒絶して尚も『使命』にしがみ付こうとしていた。なのに彼等は皆、己を拒絶する事なく全てを受け入れてくれているのだ。
この世界の優しさに触れたクミンは、幼子が母に縋るようにローズマリーにしがみ付く。その手は力強く握り締められ、痛々しい程に震えていた。
「……すまない……」
「クミンが謝る事は何も無い。悪いのは、クミンを酷い目に合わせた当時の状況なんだ。ここは我が家、不満も悲しみも喜びも、私が全て受け入れよう」
その言葉を受けて、クミンはやっと嗚咽を漏らした。
「……ところでリンデン」
「んぇ? 俺?」
妙な返事で自分を指差すリンデンに、ユズリハは「さっきの話だが」と続ける。
「お前が言う『アレ』とは、まさか彼女が言った『父』と同一人物なのか?」
「え? 違うでしょ。なんで?」
「さっき、クミンさんに『諦めろ』と言っただろ。まるで彼女の『父』を知っているような口ぶりだったぞ」
「いやいや、それは……んーちょっと説明できないけど、俺はクミンの親父も知らないし、自分の親だってモヤッとした感じだけで、詳しい事は全然分かんないし」
「……そうか」
「それに、もし一緒だったら俺とクミンが兄妹になっちゃわない? 全然似てないし、絶対違うと思うよ」
「……まぁ、それもそうだな」
そうだよー、とリンデンは笑う。しかし、ユズリハは先程クミンと話をしていた彼が、明らかに自分が知るリンデンではなかった事に気が付いていた。
あの時、『諦めろ』と言った彼の瞳には、一体何が映っていたのか。いつもの明るく活発で少年のようなリンデンが、まるで凄惨な歴史を歩んできた男のような。
「………………」
その違いを説明する事も出来ず、ユズリハは一つ、深く溜め息を吐くしかなかった。
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