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アブサンヴェール70

気合と度胸と僅かな理性と酒。

※



「貴方が『彼女』を尻尾切りに使っているなら、私にとって『彼』は同じ存在かしらね。私が今までどうやって不起訴でやり過ごせてたかご存知?」


 この言葉に、内心冷や汗を流したのはユズリハだけではない。

 バーカウンターの席に隣合って座る男の言葉に、フェンネルも動揺を扇で隠した。


「意外だったか? 俺も今じゃすっかり下っ端さ。ま、だからこそ自由に動かせて貰ってんだけど」

「……貴方が契約を受け付ければ、『お姉さん』がお金を出してくれるって事?」

「役割がハッキリしてりゃ仕事が捗るからな。おたく等もそうだろ?」

「……その通りだわ。契約書は?」

「そんなモンはここにあるメモ一つでいい」


 内ポケットのメモ帳を少しだけ引き抜いて見せた彼は、再びポケットの中へとメモ帳を入れ直す。


「俺の字でそっちの連絡先が分かれば、後は『彼女』が書類を勝手に作ってくれる。後の保存は『秘密の場所』だ」

「……随分簡単なのね」

「はははっ! 『ヴァージン』でもないクセに、ウブな反応してくれるじゃねーか。フェノン・ラピス」


 下卑た顔で偽名を呼ぶ男は、その結った黒髪に顔を寄せてフェンネルの肩に指を滑らせる。


「知ってるんだぜ? 前の取引……光学サイトと強化榴弾のパーツを売ったのは別の男だ。『おたく等』じゃない」

「…………」

「どうしても『俺達』と『お近付き』になりたかったんだろ? 黙っててやるから、下手な真似はしない方が身のためだぜ」


 ちょっくら便所で『出してくる』よ。

 一々下品な男の言葉に反応も返せず、ステップを踏みながらバーカウンターを離れていく男の背中を見送る。フェンネルは「聞いてたか?」と口元を隠した。


「さっきの話がガチならヤバいぞ。現行犯逮捕どころの話じゃねぇ」

《このままだと、『セカンド』を捕まえても『ターゲット』はまた証拠不十分で不起訴処分だ。何とかして、あの女を取引に関わらせないと……》

「あのクズ、さっきからターゲットの名前すら出さねぇ。ナメた態度で接してくるくせに徹底して仕事してやがる」

《私達の作戦が関わっていない所でも、あの女を狙って来ている人間が集まってるようだ。早くしないと『先を越されて』しまう》

「……暗殺者が来てる、って事か?」

《さっきリンが落ち着かせてくれた。素人だったから説得出来たが、プロが相手の場合は『処分』も避けられないだろう》

「……面倒臭ぇ」


 バーカウンターに戻ってきたリンデンに、フェンネルは「アブサンヴェールの七十」と注文を付ける。それを聞いたリンデンは目を見開き、すぐに首を振って拒否した。


「ダメダメダメ! 消毒液じゃん、あんなの」

「いいからショットで寄越せ、早く」

「ま……マリーさぁん……?」

《……何か考えがあるんだな?》

「早く」


 船長の許可を受け、リンデンは渋々冷凍庫から小さな瓶を取り出す。ショットに緑色の液体を注ぎ、恐る恐る差し出した。

 ぱっとグラスを取り、がっと呷ると、だんっとテーブルに叩き付ける。俯いたまま動かなくなったフェンネルに、リンデンはそわそわとしながら「あの……?」と彼を覗き込もうとした。

 その時、用を足しに席を離れていたディルが席に戻ってくる。


「あれ? 何だよ、待っててくれてもいいのに」


 その手に握られた空のショットグラスを見つけたディルは、「今日は一人じゃないんだから」と呆れたように笑いながら彼の隣に座る。素肌の肩を抱くその男にリンデンが片眉を上げた時、フェンネルがグラスをリンデンに押し返した。

 隣の男を見上げた目は、僅かに潤んだ秋波を送る。


「声を掛けてきたくせに、私を置いていったのは誰?」

「……もしかして、寂しかった?」

「着慣れないドレスの所為で背中が寒いの。もっと寄ってくださる?」

「ははは、勿論だとも」


 大胆にも男にすり寄り、その細い脚を相手の膝に乗せ、更に膝を重ねて脚を組む。ディルのジャケットを躊躇いなく開くと、彼が何か言う前に内ポケットからリング留めのメモ帳を取り出し、リング部に挿してあった細い鉛筆を抜いてメモ帳を開く。

 中には何も書いていない。書き記す毎にページを破っている様だ。


「ここに『おねだり』すればいいの?」

「そう。欲しいモノ全部書き出してみて」


 フェンネルは鉛筆を唇に当て、小首を傾げて「んー」と小さく唸る。その横顔を愛でるような視線に流し目で答え、彼は鉛筆を紙の上に滑らせ始めた。

 その字は細く美しい。その長い指に堪らず男が触れれば、彼は少しだけ手を引いて「待って」と微笑んだ。


「これでどう?」


 メモを受け取って目を通した男は、顎に手を当て少し考えている。


「……これでいいのかい?」

「今はね」

「おや、もっと『お願い』されちゃうの?」

「……貴方に優しくされたら、甘えちゃうかも」


 男からメモを取り上げて、シルバーの指輪が光る手に重ねられた彼の細い指が絡まる。

 指の間を縫うように握り込んだ手を唇に寄せ、その胸へ抱き締めるように腕を抱え込んだ。


「確かに『あの人』に頼まれたのは、ここに書いた弾薬の裏流しとスカイライドの発注だけだったけど……」

「……君の希望はもっとあるって事?」

「ステルスドローンの開発費用が欲しいの。でも私はお金が欲しい訳じゃないから、開発した物の特許は要らないわ。利益の三十パーセントを資材代と人件費に回させてもらって、後は全部『あなた達』が好きに使って」

「そんなの、君達が損してるじゃないか。それでやっていけるのかい?」

「ハイマート軍に地獄を見せてやれれば、私はそれで大満足。死んだ同志達や母の為に、この国を引っ繰り返したいのよ」


 お願い、ディル様。

 男の肩口に頭を預け、擦り寄り見上げると眉を下げて見つめる。

 その上目遣いと甘い香りに、男は思わず息を呑んだ。


「……いいねぇ、大胆なのは大好きだ」

「私を『女王様』にしてくれるんでしょう……?」

「……当然だとも」


 二人の距離が縮まろうとした瞬間、カウンターの向かい側から少し低いブザーが鳴り出す。

 慌てて屈んだギャルソンの若い青年に、男が少し不機嫌そうに文句を投げた。


「おいおい、君ねぇ。仕事中ぐらい通信機の電源は切っとけよ」

「えへへ、すいません」


 さっと屈んでブザーを止めた彼に、フェンネルは目を細めて小さく溜め息を吐いた。

 一般通信機の着信音などでは無い。あれは彼のリストベルに組み込まれた、制御装置の警告音だ。

 彼が『暴走』してしまう前に、早く終わらせてしまわなければ。フェンネルは彼がしゃがんでいる間に「続きは仕事の後で」とディルの耳元に囁いた。


《おいリン、大丈夫か?》

「『セカンド』が気持ち悪いよぉ……! 貰いゲロしそうなんだけど……!」

《頑張れ、フェノンだって頑張ってるんだから!》

「でもフェンネルの『我慢』が痛々しくて……!」

《何とかやり過ごすんだ。大丈夫、フェノンのお陰で『セカンド』の音声は撮れてるから》


 もう少しだ。

 ローズマリーに励まされ、足首に巻いたリストベルの音量をバイブレーションのみに設定したリンデンは、ゆっくりと立ち上がりながら引き攣った笑みで二人に会釈した。



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