アブサンヴェール70
気合と度胸と僅かな理性と酒。
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「貴方が『彼女』を尻尾切りに使っているなら、私にとって『彼』は同じ存在かしらね。私が今までどうやって不起訴でやり過ごせてたかご存知?」
この言葉に、内心冷や汗を流したのはユズリハだけではない。
バーカウンターの席に隣合って座る男の言葉に、フェンネルも動揺を扇で隠した。
「意外だったか? 俺も今じゃすっかり下っ端さ。ま、だからこそ自由に動かせて貰ってんだけど」
「……貴方が契約を受け付ければ、『お姉さん』がお金を出してくれるって事?」
「役割がハッキリしてりゃ仕事が捗るからな。おたく等もそうだろ?」
「……その通りだわ。契約書は?」
「そんなモンはここにあるメモ一つでいい」
内ポケットのメモ帳を少しだけ引き抜いて見せた彼は、再びポケットの中へとメモ帳を入れ直す。
「俺の字でそっちの連絡先が分かれば、後は『彼女』が書類を勝手に作ってくれる。後の保存は『秘密の場所』だ」
「……随分簡単なのね」
「はははっ! 『ヴァージン』でもないクセに、ウブな反応してくれるじゃねーか。フェノン・ラピス」
下卑た顔で偽名を呼ぶ男は、その結った黒髪に顔を寄せてフェンネルの肩に指を滑らせる。
「知ってるんだぜ? 前の取引……光学サイトと強化榴弾のパーツを売ったのは別の男だ。『おたく等』じゃない」
「…………」
「どうしても『俺達』と『お近付き』になりたかったんだろ? 黙っててやるから、下手な真似はしない方が身のためだぜ」
ちょっくら便所で『出してくる』よ。
一々下品な男の言葉に反応も返せず、ステップを踏みながらバーカウンターを離れていく男の背中を見送る。フェンネルは「聞いてたか?」と口元を隠した。
「さっきの話がガチならヤバいぞ。現行犯逮捕どころの話じゃねぇ」
《このままだと、『セカンド』を捕まえても『ターゲット』はまた証拠不十分で不起訴処分だ。何とかして、あの女を取引に関わらせないと……》
「あのクズ、さっきからターゲットの名前すら出さねぇ。ナメた態度で接してくるくせに徹底して仕事してやがる」
《私達の作戦が関わっていない所でも、あの女を狙って来ている人間が集まってるようだ。早くしないと『先を越されて』しまう》
「……暗殺者が来てる、って事か?」
《さっきリンが落ち着かせてくれた。素人だったから説得出来たが、プロが相手の場合は『処分』も避けられないだろう》
「……面倒臭ぇ」
バーカウンターに戻ってきたリンデンに、フェンネルは「アブサンヴェールの七十」と注文を付ける。それを聞いたリンデンは目を見開き、すぐに首を振って拒否した。
「ダメダメダメ! 消毒液じゃん、あんなの」
「いいからショットで寄越せ、早く」
「ま……マリーさぁん……?」
《……何か考えがあるんだな?》
「早く」
船長の許可を受け、リンデンは渋々冷凍庫から小さな瓶を取り出す。ショットに緑色の液体を注ぎ、恐る恐る差し出した。
ぱっとグラスを取り、がっと呷ると、だんっとテーブルに叩き付ける。俯いたまま動かなくなったフェンネルに、リンデンはそわそわとしながら「あの……?」と彼を覗き込もうとした。
その時、用を足しに席を離れていたディルが席に戻ってくる。
「あれ? 何だよ、待っててくれてもいいのに」
その手に握られた空のショットグラスを見つけたディルは、「今日は一人じゃないんだから」と呆れたように笑いながら彼の隣に座る。素肌の肩を抱くその男にリンデンが片眉を上げた時、フェンネルがグラスをリンデンに押し返した。
隣の男を見上げた目は、僅かに潤んだ秋波を送る。
「声を掛けてきたくせに、私を置いていったのは誰?」
「……もしかして、寂しかった?」
「着慣れないドレスの所為で背中が寒いの。もっと寄ってくださる?」
「ははは、勿論だとも」
大胆にも男にすり寄り、その細い脚を相手の膝に乗せ、更に膝を重ねて脚を組む。ディルのジャケットを躊躇いなく開くと、彼が何か言う前に内ポケットからリング留めのメモ帳を取り出し、リング部に挿してあった細い鉛筆を抜いてメモ帳を開く。
中には何も書いていない。書き記す毎にページを破っている様だ。
「ここに『おねだり』すればいいの?」
「そう。欲しいモノ全部書き出してみて」
フェンネルは鉛筆を唇に当て、小首を傾げて「んー」と小さく唸る。その横顔を愛でるような視線に流し目で答え、彼は鉛筆を紙の上に滑らせ始めた。
その字は細く美しい。その長い指に堪らず男が触れれば、彼は少しだけ手を引いて「待って」と微笑んだ。
「これでどう?」
メモを受け取って目を通した男は、顎に手を当て少し考えている。
「……これでいいのかい?」
「今はね」
「おや、もっと『お願い』されちゃうの?」
「……貴方に優しくされたら、甘えちゃうかも」
男からメモを取り上げて、シルバーの指輪が光る手に重ねられた彼の細い指が絡まる。
指の間を縫うように握り込んだ手を唇に寄せ、その胸へ抱き締めるように腕を抱え込んだ。
「確かに『あの人』に頼まれたのは、ここに書いた弾薬の裏流しとスカイライドの発注だけだったけど……」
「……君の希望はもっとあるって事?」
「ステルスドローンの開発費用が欲しいの。でも私はお金が欲しい訳じゃないから、開発した物の特許は要らないわ。利益の三十パーセントを資材代と人件費に回させてもらって、後は全部『あなた達』が好きに使って」
「そんなの、君達が損してるじゃないか。それでやっていけるのかい?」
「ハイマート軍に地獄を見せてやれれば、私はそれで大満足。死んだ同志達や母の為に、この国を引っ繰り返したいのよ」
お願い、ディル様。
男の肩口に頭を預け、擦り寄り見上げると眉を下げて見つめる。
その上目遣いと甘い香りに、男は思わず息を呑んだ。
「……いいねぇ、大胆なのは大好きだ」
「私を『女王様』にしてくれるんでしょう……?」
「……当然だとも」
二人の距離が縮まろうとした瞬間、カウンターの向かい側から少し低いブザーが鳴り出す。
慌てて屈んだギャルソンの若い青年に、男が少し不機嫌そうに文句を投げた。
「おいおい、君ねぇ。仕事中ぐらい通信機の電源は切っとけよ」
「えへへ、すいません」
さっと屈んでブザーを止めた彼に、フェンネルは目を細めて小さく溜め息を吐いた。
一般通信機の着信音などでは無い。あれは彼のリストベルに組み込まれた、制御装置の警告音だ。
彼が『暴走』してしまう前に、早く終わらせてしまわなければ。フェンネルは彼がしゃがんでいる間に「続きは仕事の後で」とディルの耳元に囁いた。
《おいリン、大丈夫か?》
「『セカンド』が気持ち悪いよぉ……! 貰いゲロしそうなんだけど……!」
《頑張れ、フェノンだって頑張ってるんだから!》
「でもフェンネルの『我慢』が痛々しくて……!」
《何とかやり過ごすんだ。大丈夫、フェノンのお陰で『セカンド』の音声は撮れてるから》
もう少しだ。
ローズマリーに励まされ、足首に巻いたリストベルの音量をバイブレーションのみに設定したリンデンは、ゆっくりと立ち上がりながら引き攣った笑みで二人に会釈した。
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