嫌悪と優しさ、色と殺意
交錯する思惑の中で。
※
《お味は?》
《……『懐かしい』味だが、かなり甘いな》
ウイスキーの銘柄を当てるユズリハの声を聞きながら、フェンネルは目の前でグラスを拭くリンデンに「同じのロックで寄越せ」と肘を付きながら無茶を言った。
「いやいや、金庫に入ってる程のお酒だよ? マリーさん払える?」
マルベリーからオーダーを受けたのはリンデンだが、酒を席まで運んだのは給仕長直々だ。彼女が頼んだ酒はこの店で一番高く、その存在を知っている者も少ない。
《絶対出すなよリン。一杯でも出したらこの先三ヶ月分の全弾薬が補充出来なくなる》
「死活問題じゃぁん」
「……チッ」
《んもー、フェノンは態度を隠す気も無いじゃ……》
ここで言葉を切った船長に、カウンターを挟んで二人が顔を見合わせた。
《二人共左側注意、『二人目』が接近中》
瞬間、二人からすっと表情が落ちるも、違和感の無いようにフェンネルは太々しい態度を続ける。
彼の隣に腰掛けたその男は、その見目からして五十代半ばだろうか。
「このクラブで独り酒かい? 淋しいじゃないか」
扇子を広げ、口元を隠したフェンネルは誰にも聞こえない大きさで舌打ちした。
《舌打ちするな、目の前に敵がいるんだぞ》
「……貴方の『お姉さん』に『連れ』を盗られてるの」
伏し目がちに、扇で相手に耳打ちする。
彼の低い声も小声だとある程度澄んで聞こえ、辺りが賑わっていると、より誤魔化しが効く。
その男、ディル・サルファーは少し驚いたように身を引き、何が嬉しかったのかゆっくりと厭らしい笑みを見せた。
「止めとけ止めとけ、あんな野郎。傭兵時代に軍将校やら傭兵幹部やらを皆殺しにして逃げた男だぜ」
「!」
《どうして、その事を……!》
フェンネルはそこまでの脚本を書いていない。もしかしたら、『重要参考人』として捜索願が出されていた情報を嗅ぎつけたか。
一回きりだから、と、彼の名をそのまま使った事を後悔したフェンネルだったが。
「俺、実はあそこに居たんだよ。左肺撃たれたんだ、見る?」
「……彼は、強かった?」
「強いも何も、テントに入ってきたと思ったらあっという間だった。あんまり話聞いてなかったが、『進軍を止めろ』だの何だの叫んでたなぁ」
「…………」
「俺は怪我が元で軍を引退、トパーズ家は将校に居座り続けてるマルベリーが継いで天下を取った。お陰で今の俺がいる」
「……彼を恨んでる?」
「まさか、感謝してるぐらいだ」
ディルはリンデンに「エキスパートハンター」と指を差した。
リンデンは迷う事無く後ろの棚から緑色の瓶を手に取り、冷凍庫に入っていた小さなグラスを出してくると、どす黒い液体をゆっくりと注ぎ入れる。
「家の都合で仕方無く職業軍人やってたが、上官にヘコヘコ頭下げるだけのつまんねぇ人生より、今の方がよっぽど刺激的で楽しいぜ。これも、ダイオプテーズ様々ってな」
「……そこまで褒めてくれるなら、何故『止めとけ』だなんて言うの?」
「そんなの決まってる。俺にとって『邪魔』だからだよ」
リンデンが差し出したグラスを、取り上げるように掴む。するとディルはグラスを呷り、注がれた液体を一気に飲み下した。
アルコールの強さに吐息を漏らしながら、フェンネルの目の前に顔を寄せて口角を上げる。
「俺は、君を口説きたい。あんな無粋で冷たい男なんか止めて、今すぐに俺を選んでくれ。俺なら、誰もが羨む『女王様』にしてやれるぜ」
「……興味深いわ」
ここまで真っ赤な嘘を吐いた事が、今までにあっただろうか。
フェンネルの引き痙った顔でも『笑んだ』と捉えたらしい彼は、得意げに立ち上がり両手を広げた。
「まずは邪魔な『ビジネス』の話だ。君も仕事で来てる、俺だって仕事で来てる。まずは『やっとかなきゃ怒られる事』を終わらせて、その後ゆっくり話し合おうじゃないか」
リンデンが唖然と口を開ける中、フェンネルはリンデンに「テキーラのショット」と注文して首を横に振られていた。
※
眉間にキツく皺を寄せ、モニターを睨んでいるクミンに、ローズマリーは「あまり集中し過ぎるなよ」とその背に手を置く。
「身体が持たないと、いざという時に仕事が出来ないぞ」
「…………」
すっかり静かになってしまった彼女に、ローズマリーはカップに注いだオレンジジュースを渡す。
クミンはモニターから目を離さないまま、カップを受け取った。
「……ありがとう」
「瞬きはしなさい。目が乾くぞ」
「ユズリハに対する殺意を感じる」
「……何?」
「どの辺りかは分かるが、遠過ぎて正確な場所が絞り込めない」
「……教えてくれ、どこだ?」
すぐにクミンの元へ移動し、同じモニターに目を凝らす。彼女が指差した方向から、そこに映っている人物全員の視線の先、表情、持ち物や服装を把握したローズマリーは、キーボードを叩きながら会場にいる仲間の名を呼んだ。
「リン、お前から見て一階席二時の方角に不審人物の報告あり。分かるか?」
リンデンに取り付けられたカメラが動き、ローズマリーが指定した方向を捉えた。
直ぐ様クミンに確認させると、彼女は「コイツだ」と一人掛けソファに据わる人物を指差した。
「B席の帽子を深く被った紺スーツの男だ」
「男じゃない、女だ」
「はんっ?」
「男に見えるが、間違いなく女だ。リンデンなら捕まえられる」
「リン」
リンデンのカメラが動く。ホールを回る同僚に手を上げて持ち場を離れる事を伝え、フェンネルとディルに「ごゆっくり」と告げてカウンターを出た。
違和感の無い速さで階段を上がりながら、リンデンはサロンのポケットに入れていたメニュー表を取り出す。
《マリーさん、アイツが狙ってるのはターゲットの方だよ。ユズさんじゃない》
「ふむ……だとしてもバーベイン殿からは何も聞いてない。個人的な恨みを持つ者か、傭兵部隊が雇った暗殺者の可能性がある」
《どうする? 捕まえとこうか?》
「いや、今『あの女』に店を退場されたら困る。誰にも気付かれないよう、出来る限り『穏便』に『お引き取り』願え」
《でも抵抗されたら?》
「……静かに『処分』を。相手も覚悟の上だ」
《了解》
階段を登り切り、人を避けながら席へと壁沿いに進む。近付く毎にクミンが言っていた『殺意』が強くなり、リンデンは席への数メートルを急いだ。
相手が腰から何かを抜く。それが小さな拳銃だと気付いた彼は、席から立ち上がろうとした相手の手首と肩を掴んで制止した。
飛び上がる程に驚いた様子の相手だったが、リンデンはその傍らに膝を着き「落ち着いて」と囁く。
「『こんなの』使っちゃ駄目だよ。皆ビックリしちゃうよ?」
「っは、離せ……!」
リンデンは眉を下げて微笑む。「お前に関係無い」とこちらを睨む相手の声は高い。
「今がチャンスなんだ、頼むから……!」
「この距離から三佐を狙っても、そんなに小さなハンドガンじゃ、違う人に当たっちゃうよ」
「離せ……っ!」
敵を見据え、涙目で腕を上げようとする彼女から、「駄目」とハンドガンを彼女の手からゆっくりと取り上げた。
「『俺達』の狙いも三佐だもん、今店を出ていかれたら困っちゃうの」
「お前も『市長』の私兵か……? だったらお前から先に……!」
「『市長』って誰?」
「とぼけるな……『あの女』が傭兵に渡す金は私達の血税だ!」
声を張り上げそうになる女性の前に指を立て、リンデンは「しーっ」と女性を見つめる。
「ねぇ、それ司令に話してくれたら『証拠』って奴にならないかな?」
「は……!?」
《……かなり面白い話だ。ターゲットが連行されたら、是非バーベイン殿に直接聴取を受けてもらいたい》
「三佐が『連行』されたら、ジャスパー司令官にお話してあげてって。何とかしてくれると思うよ」
「そんなの待ってられない! あの女は何回逮捕されたと思う? そして何回不起訴で出てきたと思う? たとえ捕まっても、嘘と色目と金でどうとでも出来るんだ。今のウチに殺しておかないと……!」
「駄目だって。君も犯罪者になっちゃうじゃん」
「覚悟の上だ!」
「だーめ」
リンデンは彼女の両手を握り、にこやかに笑い掛けた。
「俺達に任せてよ。君の覚悟には頼りないかもだけど、皆君の味方だから」
「……信じられるか……!」
「ねぇ、聞いて」
リンデンは女性の耳元に顔を寄せ、皿に小声で耳打ちする。
「パーティーの終盤、三佐が席を経ったら、店の裏に続く勝手口に先回りしてみて。三佐が『一人になる瞬間』があるから、狙い目は『そこ』かも」
「!」
「このナイフを渡しておくね。『キュア』の刃だから金属探知機も反応しないよ」
黒いスラックスの裾を捲り、脛にバンドで固定していたダガーナイフを鞘ごと外す。リンデンはそれを女性に握らせ、にこやかな笑みを彼女に見せた。
「俺は君を信じてる。一緒に頑張ろうね!」
「…………」
呆然と目を見開く女性の手を離す。リンデンは笑顔を浮かべたまま、席を離れて階段を降りた。
「これで大丈夫だよ、マリーさん」
《やるじゃないか。回収した銃は、隙を見て私のいる車に持ってきてくれ。ギャルソンのお前が持っているのは怪しいからな》
「フェンネルに渡さなくていい?」
《今渡したらアイツが隣の男にぶっ放しかねない。やめときなさい》
「分かった」
ウキウキ気分で降りていくリンデンの後ろ姿を、何故か湧き上がる温かい感情に涙を流しながら、ナイフを握り締める女性が見つめていた。
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