誑かす女、欺く男
腹の探り合いに、真実はあるのか?
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階段を登った先で、ユズリハは『彼女』に向けて恭しく頭を下げた。
「……ご機嫌麗しゅう、閣下」
「こんな場で『閣下』はやめて下さるかしら。私の名はご存知でしょう?」
「……マルベリー殿」
「『名で呼んで』、と言ったのに」
「これ以上はお見逃しを。……アンタの姿に気後れしてるんだ」
「ふふ。お上手」
その見目よりも、彼女の声は低い。その細い手を取り、「足元に注意を」と促しながら二人は指定席へと向かう。
「……バーカウンターに居る『彼女』はいいの?」
「ここへ来るために、半ば無理に連れてきた。気にする程の事でもない」
「彼女も幹部なのでしょう? 主に武器の製造に関わっているとか」
「部品があれば何だって作れる所は買っているが、些か『嫉妬深い』のが玉にキズでね。捨てるにも捨てられなくて困ってる」
「酷い人……でも、『夢』を目指す男性は、そうでなくては前へ進めないものね。目標にひた走る男性は、いつの時代も好ましいわ」
席に着き、入口から入ってくる客達を眺める。出来る限りバーカウンターへ視線を向けないように辺りを確認すれば、そろそろ『オープニング』という主催の挨拶が始まる筈だ。
「この店へは初めて来たが、いつもこんなに賑わってるのか?」
「あら? 初めての割には、随分と熟れた様子に見えるけれど」
「……いつもは『パピヨン』の方へ顔を出してるからな」
この店から、一つ南にずれた大通りの店。その名前を聞いたマルベリーは呆れたように鼻を鳴らした。
「……通りで、日頃から貴方を見つけられない筈だわ。あの店は、私には少々『治安が悪い』もの」
過激派の中でも、彼女が金を流している事はごく一部の人間しか知らない。その事を調べていたアニスと、それを利用したフェンネルの『脚本』にユズリハは静かに長く息を吐き出した。
さすがと言うべきか。オープニングの演説に歓声が上がる中、彼はバーカウンターに向けて手を上げた。
「私も何か飲もうかしら」
「マルベリー殿は、どんな種類を嗜まれるんで?」
「最近はワインが多いけれど、洒落たカクテルも嫌いじゃないわ。貴方は?」
「俺はもっぱらウイスキーだな。樽や製造場所によって味が違うのが面白いんだ」
「素敵ね、ワインにも近い物が有るから……そうだわ、私が『オススメ』を教えてあげる」
「……良いのか? そんな、アンタが直々になんて……」
「『恐れ多い』? ここはナイトクラブ、無礼講は当然でしょ」
リンデンが席に上がってくると、ユズリハとマルベリーの間に膝を着く。小さく手招いた彼女に耳を寄せると、マルベリーは視線をユズリハに向けたまま、扇で口元を隠してリンデンに耳打ちした。
ユズリハからは彼女の声が聞こえない。「かしこまりました」と頷くリンデンの声だけがイヤホンからはっきりと聞こえ、彼は腰を上げて席を離れていく。
《ユズリハ、めちゃめちゃ古い酒が来るぞ。『ユグドラシル・ヘザー』の七十五年だ》
《おっさけーおっさけは燃料だからっ♪ 明日に響けば、うどんを月見で……♪》
階段を降りるリズムで妙な歌を歌うリンデンに、ユズリハは僅かに眉を寄せる。
聞き覚えのある銘と、以前彼が「ガソリンの匂い」と言ったウイスキー。隣で微笑むマルベリーに何を頼んだのかと問えば、彼女は「当ててみて」と目を細めた。
「貴方なら、もしかしたら飲んだ事があるかも知れないけどね」
「……楽しみだな」
ふと、バーカウンターに腰掛けリンデンと話をしているフェンネルを見る。二人の会話は先程彼女が頼んだ酒を自分も寄越せ、というフェンネルの無茶なオーダーをリンデンが苦笑しながら「だーめっ」と断っているものだが、その席の端、フェンネルに声を掛けようとしている男の姿を見つける。
オリヴェール族で、見た事のある顔。確か、マルベリーの『弟』……?
「こんなに『良い女』を捕まえて、もう余所見するの?」
「!」
扇を使って頬に触れ、顔の向きをそっと変えられる。抵抗する事無く従った視線の先には、マルベリーの美しい微笑みがあった。
近い。
「随分余裕なのね、ユズリハ・ダイオプテーズ。夢中なのは私の方だけ?」
「……まさか」
ユズリハは扇に触れて引き寄せ、彼女の右手甲に唇を落とす。
「バーのカウンター席にいるのは、アンタの『弟』だろ?」
「!……知ってるの?」
「一度、光学サイトと強化榴弾のパーツを『譲って』もらった。知らないのか?」
少しだけ眉間に皺を寄せたマルベリーだったが、心当たりがあるのか「ああ」と吹き出して笑った。
当然、それは違う組織の取引だったが、ローズマリーから「あの女は会合を行う相手の取引をもう一度確認していく」と聞いたフェンネルが、自分の名前に書き換えて登録を改竄しておいたものだ。
「……女の名前だったから、よく覚えてるわ。発注を掛けたのは、あそこにいる『彼女』?」
「俺の命令だ。あの男が下手を打てば、こっちは『アイツ』を切るだけで丸く収まる」
『コスト』を押さえるのは、『そっち』も同じだろう?
据わる目でマルベリーを静かに睨むユズリハにに、彼女は嘲笑うような笑みを零した。
「……どうせ『捨てる』予定があるのでしょう? だったら、今の内に『彼』へ売ってしまえば良いんじゃないの?」
だが、ユズリハの反応は変わらない。
寧ろ今の状況を想定していた『彼』の『脚本』に感心すら覚えた程だ。
「……残念だが『先約』がある」
『女』の事を言われたら、既に確約されている事にしましょう。
この設定は、当事者となるフェンネル自身が考え出したものだ。
「今の買い手より上で払ってくれるんなら、譲ってやっても良い」
「……幾ら?」
「三億」
目を丸くしたマルベリーは、声を上げて笑った。
「有り得ないわ。あんなマティアスの汚い小鼠に、そんな大金を誰が払うの?」
ユズリハは彼女の扇から手を離し、一人掛けソファの背凭れに体重を預けた。
「……マティアスだが、ブランド力は強い。アイツは『木苺の宝石』が遺した『一人娘』だ」
「…………」
マルベリーは扇を広げ、少しだけ目を細めてバーカウンターを見下ろす。
「……可哀想なセリ。イリスアゲートの屑があの子を捨てたりしなければ、今頃は屋敷の中庭で好きな紅茶を嗜んでいた筈なのに……」
「アイツの事は、別の部隊に居たのを引き抜いた。『ファーム』襲撃事件で負傷している所を拾われたらしいが、あの事件の首謀者は軍だと教え込まれたみたいでな……仇を討とうとチャンスを伺っている」
「なら、軍属の私は嫌われていて当然ね。私を見る目が不機嫌そのものだわ」
「……不愉快なら席を外させようか?」
「いいえ。彼女が決して『届かない席』から見下ろすのは気分がいいわ。可愛いあの子が産み落としたのは、所詮塵屑の落とし胤。お金も勿体無いし、ここから見下して遊ぶだけに留めてあげる」
「有難い。無理言って悪いな」
「貴方が『私』を『選んだ』から、許してあげてるのよ?」
微笑む眼差しを扇越しに向けてくるマルベリーに、ユズリハは口角を上げて答えながら心の中で盛大な溜め息を吐いた。
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