『脇(サブ)』
楽しい役割だけじゃない。
※
「お前は鼻の奥の血管どうなってんだ?」
そう眉を顰めたのはフェンネルだ。
結局弁当を持ってリビングに移動し、標的の潜伏場所をどう対処するかで話し合った船員達は、そのまま夕食を終えて各自の雑務に取り掛かる。皆の日課である家事や船の点検も行っていれば、あっという間に今日一日が終わろうとしている。
自室に集まったリンデン達三人も、今日話し合った事の確認をしながら就寝の準備をしていた。
「討伐以外で鼻血出したの初めてかも」
「鼻の出血って二種類あって、一つは骨折とか粘膜の傷、もう一つは急激な血流の増加で鼻の血管密集部が充血する事で血管が裂けるって」
「アニスちゃん賢いね」
「人体解剖楽しいよ?」
「言ってる事はバカそのものだけどな」
何が『人体解剖』だ、と、『狂医師』のような彼の発言にフェンネルが舌を打つ。
「それより、こんな事テメェに頼むのはかなり癪なんだが」
「何、何? このアニスにお願い事かい?」
「当日着ていく『服』が無ぇ。あの店のドレスコードに合ったヤツを適当に見繕って用意して欲しい」
「服?」
リンデンが聞き返せば、注文を受けたアニスは見た事無い程の楽しそうな笑みをゆっくりと浮かべた。
否、ただ楽しそうなのではない。リンデンが感じ取ったのは、孤児院でもよく見る『新しい玩具を見つけて目を輝かせる子供』とよく似たものだった。
「いいの、フェノン? それを僕に頼んでも」
「誰も詳しくないんだから、テメェに頼むしかねぇだろ」
するとアニスは「ふっふっふ」と含み笑いをしながら、リンデンのベッドから大きな段ボール箱を取り出す。
「あっ、その箱」
リンデンが気付けば、フェンネルが訝しげに眉を寄せる。
「……いつ部屋に入った?」
「僕は入ってないよー。今日の夕方に届いた小包をリンちゃんに預けといたのさ」
大事なものだから、と小包を任せられたリンデンは、無くさないように自分のベッドへと運び入れていた事を忘れていたようだった。
フェンネルは頭を抱えるも、「全員分用意できてるよん」とニンマリ笑んだアニスに溜め息を吐き出す。
「僕の見立てに間違いは無いから、サイズもピッタリ……の、筈だけど」
「あ?」
「サイズ合わせしとく? したいでしょ?」
「したくねぇよ」
「見たい、見たい!」
「明日で良いだろうが……」
「みーたーいー!」
「着ーせーたーいー!」
「黙れ者共」
いよいよ天井を仰いだフェンネルを他所に、段ボールを開けたアニスはビニールに包まれた数着の服を取り出す。
リンデンにどんどん手渡されていく服は、どれも綺羅びやかに装飾を施された高級な布地だ。手を動かす毎に部屋の灯りを反射して水面の如く輝くそれに、リンデンは思わず片眉を上げる。
「……何か、派手だね?」
「当然。パーティーに出るんだから派手じゃなきゃ」
「でも、目立っちゃダメなんでしょ?」
「コイツは別」
フェンネルを顎で指し、試しに一着、とアニスはビニールを開ける。「じゃじゃーん」とファンファーレを歌った彼が広げたのは、装飾が美しいスリットの入った女性物のドレスだった。
リンデンは呆気に取られ、フェンネルは手で顔を覆って嘆いた。
「嫌過ぎる……なんで俺が……」
「……アニスちゃん、間違えてない? フェンネルは男だよ?」
「ちょっとフェノンちゃーん? なんでメンバーに作戦が行き届いてないのかなー?」
「うるせぇ黙って仕事しろカス」
本当に嫌なのか、暴言が酷くなってきたフェンネルに苦笑したアニスは彼を無視してリンデンからドレスを受け取る。
「リンちゃん、今回フェノンは女の人のフリして潜入するの。パーティーは必ず男女一組での入場、ユズリハ氏だけじゃターゲットにも近付けないからね」
「ローズさんじゃ駄目なの?」
「船長さんは何かあった時戦えないからねぇ」
「アニスちゃんは?」
「僕は本部でターゲットと何度も会ってるから、顔がバレちゃってるんだよねぇ」
「……じゃあ俺とか……」
「どうした、リンデン。俺じゃ不服な理由でもあんのかよ?」
声を低くし、椅子に持たれて脚を組んだフェンネルがリンデンを睨む。「突然ノリノリじゃん」と茶化すアニスに鼻を鳴らし、すぐ横の机に肘を着いた。
「俺だって、任務だからって理由でやりたくもねぇ仕事に精出して準備進めてんだよ。それを不服だと思われたら癪に障るだろうが」
「まぁー面倒臭い理由だねー」
「ふ……不服とかじゃないよ。フェンネルの作戦はいつも完璧じゃんか」
「だったら何だよ。言いたい事あんならハッキリ言いやがれ」
俯き目を泳がせるリンデンに、フェンネルは呆れた様子で「何も無ぇなら文句言うな」と顔を逸らす。
彼が何処か傷付いたような感覚を察したリンデンは、「違うよ」と叫んで勢いよく立ち上がった。
「違うよ……!」
驚いたフェンネルとアニスは、リンデンを見上げたまま目を見開き固まっている。
「……何だよ」
「……昨日、クミンが言ってたじゃん。『薄汚い女狐の色目にユズさんを晒したくない』って」
「うっそ、あの子そんな事言ってたの? 情熱的ぃー」
「まさか『同じ理由』だとか言わねぇよな……?」
「駄目なの? 同じ理由じゃ駄目なのっ?」
「いや別に……」
「お昼の時に見た『顔』だってそうだよ! あんな『顔』で潜入行くの!? パーティー出るの!?」
「……おいテメェ、そりゃどういう意味だコラ」
勢い余って立ち上がったフェンネルの両腕を掴み、リンデンは叫んだ。
「悪い奴に触られたり酷い事されたりしたらどうすんの!?」
「……は?」
「あっはっはっはっ! お腹痛ぁーい!」
腹を抱えて転がり回るアニスに「笑い事じゃないよ!」とリンデンが怒る。しかし、よろけながらも身体を起こしたアニスは彼の肩に手を置き目を細めて微笑んだ。
「もー、リンちゃんったら。そんな状況からフェノンを護るのが君の仕事でしょ?」
「……えっ? あっ」
「仕事も大事だけど、あくまでも君は『背景』なんだから。ちゃんと『演者』を助けてあげるんだよぉ?」
アニスに諭され、己が勘違いをしたのかと思ったリンデンはフェンネルから手を離して顔を覆う。
「……ごめん、フェンネル」
「……何に対しての謝罪かは理解しかねるが、俺の作戦にケチ付けるなら代替案を持って来い。一応は聞いてやる」
「うん」
反省した様子で、しょんもりと俯くリンデンの背中を二度叩く。そんな二人の様子を見ていたアニスは、「嘘でしょ」と眉間に皺を寄せた。
「フェノンはせめてもうちょっとフォローしてあげなさいよ。まさか照れ隠し? 思春期のガキじゃあるまいし」
「あぁ? なんでテメェまで不機嫌なんだよ面倒臭ぇ」
「ひどーい、リンちゃんが可哀想ぉー」
夜も深くなってきており、結局その日は試着を見送った。
翌日、ユズリハの分もリビングで広げ、クミンを含めた三人が着せ替え人形となったのは言うまでもない。
「すごいな、よく似合ってるじゃないか」
「駄目だ駄目だ駄目だ!! そんな格好で外へなど出せるか、変なのが寄ってきたらどうするんだ!」
アニスに髪を結われながら、紺のジャケットに袖を通したユズリハを指差しクミンが怒る。
そんな彼女に「有り得ないのでご心配無く」とネクタイに苦戦しながら答えた彼は、結局ローズマリーに助けを求めて結んでもらった。
「出来たぞ。しかし、潜入なのにフォーマルじゃないのは不思議だなぁ」
「こんなカジュアルで大丈夫なのか?」
ローズマリーに礼を言いつつ、アニスに問えば「分かってないなぁ」と鼻で笑われてしまう。
「高級パーティー会場と言っても、所詮は『成金が作った街』。スマートカジュアル以上は逆に浮いちゃうよ?」
「決まりだかルールだか、やっぱり人が集まる場所は面倒臭いな」
「……なぁユズリハ、やっぱり今回の任務は断るべきだ。私が潜伏先を探すから、そこで皆捕まえればいいだろ」
「世の中、そう都合良くはいかないんですよ。捕まえれば裁判が待ってる、その裁判で罪を決めるための『証拠』を集めに行くんですから」
「全員極刑で良いじゃないか、そんなの……」
「駄目に決まってるでしょう」
「こっわ、突然の恐怖政治じゃん」
「……あの子等は何やってるんだ?」
ローズマリーの言葉に、皆が視線を向ける。そこには、蹲り、額を床につけて頭を下げるギャルソン姿のリンデンと、彼の前に仁王立ちで立っているフェンネルの姿が有った。
八センチの高いヒールから伸びる脚が眩しい真っ赤なドレスは、彼の細身を美しいシルエットとして際立たせている。長い黒髪が映える色に、アニスは「やっぱり僕の大正解だったね」と悪戯っぽく笑った。
だが、その所為で二人は何やら揉めているらしかった。
「……脚を……脚を出さないで下さい……」
「あぁ!? 聞こえねぇなぁ、もっとハッキリ言ってみろやクソが」
ダイニングの脇、クミン用の踏み台をヒールで引き寄せ、右足を乗せると肘を着いたフェンネルが蹲るリンデンを見下しながら睨み付ける。
その顔は、何処となく赤い。
「テメェが『どうしても見たい』っつーからこうやって着てやってんのに、いざ見てみたら『目も当てられません』ってか? ひでぇ男だなぁリンデン・クォーツ、文句があんなら目ぇ見てしっかりハキハキ喋れっつってんだろうがこのクソ野郎」
「脚を上げないで下さい……!」
「だから代替案を出せって俺はずっと言ってんだがテメェの頭は合挽き肉でも詰まってんのか? あぁ?」
「上着を着て下さい……!」
ただの痴話喧嘩だね。
興味も無い様子のアニスに、最早『日常』の光景であるユズリハや慣れてしまったクミンも二人から視線を逸らして其々に服の準備を再開する。
胸ぐらを掴まれ、尚も目を閉じて抵抗するリンデンに「こっち見ろやコラ」と凄むフェンネルを見かねて、ローズマリーが止めに入った。
「だから過激な照れ隠しは止めろといつも言ってるのに! フェノンの頭も挽き肉にしてやろうか!」
「やれるもんならやってみろクソババア!」
「マリーさん……フェンネルが可愛い……! 見れない……!」
「ほら、泣いちゃったらどうするんだ!」
「知るか、泣かしときゃ良いだろうが気色悪ぃ」
「んもー!」
「うるさいぞ、お前等。サイズ見たなら着替えて早く選べ」
ユズリハも声を掛け、やっと事態が収束する。
アニスが「賑やかだねぇ」と小さく呟くと、「楽しいぞ」と僅かに微笑んだクミンに、彼は目の前の小さな頭を優しく撫でてやった。
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