昼休憩
それは束の間に訪れた恋心。
※
「本当に信じられない! 仕事中だぞ!? 午前中だぞ!? 国の税金で生きているなら、ちゃんと仕事しろバーカ!!」
ダイニングテーブルを囲み、昼食のミートスパゲティを豪快に啜りながらローズマリーが怒りを顕にした。
「仕方無いんじゃないですかー? あのアバズレも、自分で『依存症だ』っつってるぐらいですしぃー」
「だったら病院に行け!!」
「僕に言われてもぉー」
「マリーさん、ソースが跳ねて来てるんだけど……」
「ゴメンね!!」
ぷりぷりと怒る船長の向かい側、クミンはどんよりとした顔でパスタをフォークに巻き付け続けていた。
やつれた表情で深い溜め息を吐く彼女に、キッチンで食事を済ませたユズリハが心配そうに声を掛ける。
「……食欲無いんでしたら、残しても構わないですよ?」
「ユズリハが折角作ってくれたのに……せめてこれだけは完食したい」
「無理して吐くようでも困りますし……」
「嫌だ」
一口だけ、クミンはフォークに巻いたパスタを口に運ぶ。フォークを口に含み、引き出して咀嚼すればトマトと挽き肉の旨味がパスタの程良い弾力に絡まり、口の中に心地良く広がる。
脳裏に過る光景さえ無ければ。
気分の悪さに溜め息を吐き、涙目になるクミンの隣に座っていたアニスが、そっと彼女に耳打ちする。
「ねぇ、残してみて」
「……貴様の指図は受けぬぞ。食事を残すのは作り手への侮辱に値する」
「しっかり覚えてて、しっかり見ててね。一口食べたんだから、侮辱にはならないよ」
「しかし……」
「ユズリハ氏、クミンちゃん『もう要らない』ってー」
「!」
声を聞き、ユズリハがこちらを向く。立ち上がり歩み寄ってきた彼は「大丈夫ですか?」と優しく顔を覗き込んできた。
有り難いし、気遣いが嬉しい。だがそれ以上に、残してしまう罪悪感でクミンは顔が上げられなかった。
フォークを取られ、アニスがフォークをパスタの乗った皿に乗せて彼に手渡す。実際これ以上は食べられそうにないし、彼女は俯き「すまない」と小さく謝罪した。
「体調に合わせて無理をしないのも『方法』ですよ。さっぱりした飲み物でも用意しましょう」
「それどうするの?」
「? そりゃ食うだろ」
え?
クミンが顔を上げると、ユズリハはフォークをベーパータオルで軽く拭う。そのままクミンが使っていたフォークで食べながら、最後の一口をズルっと啜ったローズマリーに対しリンデンと共に文句をつけた。
「汚いよマリーさぁん」
「パスタは啜るなっつってんのに」
「またフェンネルに怒られるよぉ?」
「麺は啜るものだろ!」
「パスタは麺じゃないよぉ」
この船での生活上、残飯は殆ど出さないという暗黙の了解が存在する。水の節約もさる事ながら、極力無駄にしない方法を取るのが船員達には染み付いていた。
食べ切れない場合など殆どないが、平気で菜を分け合ったりしている彼等には見慣れた光景である。遠征が多い船での習慣を熟知しているアニスだからこそ、その事も知っていたのだが。
ユズリハが簡単に皿を平らげた光景を唖然と見つめていたクミンに、アニスがそっと囁いた。
「……食べられちゃったねぇ?」
顔を真っ赤に染め上げてバシバシと隣のアニスを叩き出すクミンに、彼はさも満足げに「可愛いー!」と満面の笑みを見せる。突然の事に、テーブルを拭いていたローズマリーが「どうした」と首を傾げ、リンデンも不思議そうに眉を寄せた。
「なんでクミンはそんな嬉しそうなの?」
「嬉しそうなのか?」
「え、だってメチャメチャ喜んで……」
その瞬間、塊と化したグラスの中の水がリンデンの顔面に思い切りぶつけられた。勢いのまま、彼は椅子ごと後ろにひっくり返る。
「あいた――――っ!」
「リン!」
「うるさい、私は喜んでなどないっ! 愚弄するな、リンデンのくせに!」
「何、さっきの!? ちょっと待って、何!? 無重力!?」
「落ち着けクミン、説明しなさい!」
「でっでで出来るわけ無いだろぉぉ!!」
頭を抱え、天井を仰ぐ彼女にローズマリーは『次男』のある反応を思い出す。
「何をそんなに興奮してるんだ、元気になって良かったがフェンネルじゃないんだから過激な照れ隠しは良くないぞ!」
「照れてなどおらぬわ、放っといてくれ!」
「あ、今度はユズさんみたいだ」
「かーわい――――っ!」
「ああぁぁぁ元はと言えば貴様の所為だぞ下郎めぇぇぇ!!」
自分がパスタを平らげている間に、何故か突然混沌としたダイニングに、ただただユズリハは訝しげに「?」と眉を顰めるだけだった。
※
「クミンが怒るせいで練習できなくなっちゃったじゃんかー……」
昼食には出られないかも、とローズマリーに託けていったフェンネルの為に、ユズリハが作った弁当をリンデンは両手に包んで廊下を歩く。リビングではクミンが能力で探し出した相手の位置と建物の情報を、アニスを交えて皆で話し合っている。昼前から自室に籠もっている彼は、皆の話し合いに参加しなくても良いのだろうか、とリンデンは思ったが。
「……資料があるなら、あとで話を聞くだけでも大丈夫なのかも。アニスちゃんもいるし、寝る前でも質問は出来るよね」
アニスは今日、自分達の部屋に泊まる事になっている。軍立学校の寮を思い出すなぁ、とリンデンは微笑みながら、部屋のドアを二回叩いた。
「フェンネル、入るよー?」
返事は無い。リンデンはもう一度呼んだ。
「……フェンネルー?」
三度呼んで、返事が無い。リンデンはそっとドアを開くと、中を見渡してその影を探す。
しかし、ベッドにもデスクにも彼の姿は無い。リンデンは部屋に入り、その名を呟いた。
「……何処行ったんだろ……?」
一瞬、心がざわつく。だが船からは出ていない事は間違いなく、預かってきた弁当を彼のデスクに置いて再び部屋を出る。
気配を辿り向かうと、あるドアが僅かに開いているのを見つけた。
シャワー室……否、脱衣所の洗面台だろうか。
電気は点いていないが、確かに彼がいると分かる。リンデンは開きかけたドアを軽く叩いた。
「フェンネル」
がた、と何か物音が聞こえる。只事じゃないような気配を感じたリンデンは、勢いよくドアを引いた。
「ねぇ、フェンネル」
「は、入ってくるなよ。何だ、何しに来た?」
「お昼ご飯持ってきたんだけど……大丈夫? 具合悪いの?」
「別に大丈夫だ、先にリビングへ戻ってろ」
「何焦ってんの? 何かあったの? ここで何してたの?」
「く……来るな、出てってくれ」
「フェンネル」
僅かに抵抗してくる細い腕を掴み、暗がりの中その眼差しを覗き込む。どうやら本当に体調が悪い訳ではなさそうで、リンデンはその胸を撫で下ろす。
何故か一生懸命顔を逸らそうとしている彼の顎を両手で捕まえた時、開け放したドアからまだ明るい陽の光が差し込んだ。
「……え?」
両手に包む彼の顔を見た時、リンデンは思わず言葉を失った。
「ま、まだ……練習中だ。俺は遠視で目が良くないから、鏡見ても上手く描けてなくてだな……」
「え……と……」
「当日アニスがいる訳でもねぇし、最低限ぐらいは自分で出来るようになっとかないとって……」
目を逸らし、早口で捲し立てたフェンネルは「それは別にいい」と自分で会話を切り上げてリンデンの手を顔から剥がす。
動く事を忘れた様に、彼の手はすぐに離れた。
「顔洗っていくから、先にリビングへ行っててくれ」
「……待ってる」
「待たなくて良い、先に戻ってろ」
呆けた顔で、後退るように脱衣所を出る。洗面台の前で屈み顔を流す彼の背中を見ながら、リンデンは頭から離れない先程見た彼の姿を思い返していた。
それは、一瞬で目を奪われる程の。
「お、ちょうど良い所にリンちゃん発見。フェノンなんだけど……どしたの?」
「……へ?」
「鼻血出てるよ」
唇から顎を伝う液体を、指で掬い見て「うわ」と声を漏らす。
結局、顔を洗い終わったフェンネルの文句と愚痴を聞き流しながらリンデンも血を洗い流した。
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