『背景(モブ)』
「身体を動かすの好きだよ。楽しいもん」
※
一方キッチンでは、アニスがローズマリーに取り寄せさせた酒瓶をキッチンに並べて、様々な種類と『技術』をリンデンに説明していた。
「このカクテルは氷の量がこのスコップ一杯。擦り切れ以上入れないでよ?」
「個数で覚えちゃ駄目なの?」
「駄目。何なら分量か重さで覚えて」
「重さで良いなら出来るかも。一回お見本で入れてみて」
「んー……」
これくらいかなぁ、とアニスはアイスピックで砕いた氷を小さなスコップに掬い入れる。その量を目と手の感覚で覚え、アニスに言われた量を、次にスコップを持ったリンデンは一度で適量を入れてみせた。
「オッケー、大体覚えたね。『マティーニ』は?」
「ジンと白ワインのヤツ」
「ちゃんと答えて」
「あ――え――――っと……べ、べるもっと……?」
「駄目」
「あ、辛口の方! 『ドライ』だっけ。ドライ・ベルモット」
「そう、ちゃんと銘見て作ってよね。入れるフルーツは?」
「オリーブかレモンの皮」
「オッケー、じゃあ教えた通り作ってみて」
「分かった」
アニスはダイニングから椅子を持ってきてキッチンの横に腰掛け、腕を組んで鋭い眼差しをリンデンに向ける。
リンデンは冷凍庫から氷の塊を取り出してアイスピックで割り、言われた量の氷を水で洗ってシェイカーに入れた。
「えっと、何か話さなきゃいけないんだっけ?」
「時と場合に寄るけど、無表情よりは笑顔の方が良いよ」
「分かった」
「難しいなら、フェノンが見てるの想像しながら作ってみたら?」
「へへ、逆に緊張しちゃうかも」
はにかみながらも専用のメジャーで透明の瓶とワインボトルから其々に酒を測り入れ、「指先まで意識して」と注意を受けながら銀色の蓋をしっかりと閉めた。
「おってだっま、おってだっま」
「その変な歌、絶対歌っちゃ駄目だからね」
「はーい」
手首を使って素早く振り、シェイカーを文字通りお手玉のように宙へと投げる。右から左へ、前から後ろへ……空中を舞っては飛び回る銀色の輝きに、コントロールパネルから見ていたローズマリーとクミンが「おぉー」と拍手を送った。
華麗なシェイカー捌きを観せたリンデンは、その表面が霜を纏ったのを確認して左手で捕まえる。決して手を止めないようにシェイカーを振りながら冷凍庫から三角のグラスを取り出し、水で霜を軽く落とすと銀色の蓋を回し開けた。
そっと静かにグラスへ注ぎ入れれば、氷の膜が表面に浮かぶ美しい酒がグラスを彩ってゆく。
「アニスちゃん、どっちにする?」
「んー、いちいち聞くのも面倒だなぁ……色も綺麗し、オリーブに統一しよっか」
「了解」
七センチ程の竹串を刺したオリーブの実を、そっとグラスの中へ入れる。教えてもらった差し出し方でカウンターを滑らせると、リンデンは「どやぁ」と本人なりに格好付けて口角を上げてみせた。
「最後のドヤ顔いらないかな。技が派手な分、謙虚にいこう」
「むぅー」
唇を尖らせるリンデンを無視し、グラスを手に取ったアニスは迷わず口に含み、その味を確かめる。少しだけ不安そうに片眉を上げたリンデンに親指を立て、「完璧」と合格を出した。
「これなら出せるね。さすがリンちゃん」
「全部作る? 教えてもらった分」
「全部っ? 誰が飲むの、その百五十種類」
「んー……ユズさんかなぁ?」
「あっは、マジ!? 飲ます? 飲ましてみる?」
面白そう、と、はしゃぐアニスの声に、リビングのソファから「聞こえてるぞー」という低い声が響く。
「実技、学科ともに一通り完了だね。カメラはちゃんと発注掛けてる?」
「連絡来てたよ。明日の午後三時以降に発送らしいから……」
「遅い。店へ仕掛けに行くの僕なんだから、明日の午前中には届くようにしといて」
「了解。サっちゃん泣いちゃうかなぁ」
「こっちの命運掛かってんだから頑張んなさいよって言っといて。不備あったらアニスが寝込みを襲いに行くからね」
「分かった」
アニスはグラスのマティーニを一気に呷り、「ごちそーさま」とダイニングに置いた。
裏方に必要な技術は粗方教えた。警戒や『潜入員』の護衛だけでなく、他の客からも情報を聞き出すためのさり気ない会話、バーテンダーだけでなく、酒や食事を運ぶウェイターとしてのマナーや客への気遣い方など、普段の任務では絶対に学ばない『人間を相手にした身の隠し方』をリンデンに叩き込んでおいた。
嘘は吐けなくても、人間好きな彼にはかなり向いている役だ、とアニスは思う。相手の感情を読む事に長け、その優しさと『不思議な力』で相手を癒やす彼なら、こちらが誘導せずとも向こうが勝手に情報を吐いてくれるだろう。
あとは彼の全身に盗聴器とカメラを仕込み、ローズマリーがデータとして記録すれば証拠採集としては完璧だろう。
ただ。
「ある程度の『興味の引き方』は教えたけど、間違っても楽しくなって前に出たりしないでよね。あくまでもアンタは『背景』、目立ったらユズリハ氏やフェノンが死ぬと思いなさい」
「分かった!」
強く頷いた彼が、何処まで約束を守ってくれるのか。
時と場合、『臨機応変』という言葉もある通り、あまり強くは言えないのがアニスの『最後の悩み』だった。
「しかし……リンちゃんが優秀過ぎて時間余っちゃったなぁ。店で掛かる曲の練習でもする? 何かの役に立つかも」
「何の練習?」
「ラテンダンス。ルンバかジャイブが主だろうけど……どう? フェノンも知ってるし」
「やる」
流石に目立つから控えてくれよ、というローズマリーの苦笑も他所に、リンデンはどんどん技を覚えては皆に拍手を貰っていた。
「私もユズリハとやりたい……」
「勘弁して下さい」
「クミンはもう少し大きくなってからだなぁ」
「クミンちゃん、僕と踊ってみる?」
「……嫌だ」
「あーん、フラれちゃったぁ」
「じゃあ、もう一回俺と練習して!」
「いいよー」
その楽しい『ひととき』に、いつの間にかフェンネルの姿は無かった。
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