『母』が望む事
古参から若手へ、『母』から『子』へ。
※
翌朝。
起きてきたフェンネルは、未だダイニングに座って書類にペンを走らせるローズマリーに溜め息を吐いた。
「結局、寝なかったのかよ」
「逆だよ。気付いたら寝落ちしちゃっててな」
苦笑する彼女は、「実は一時間前に目が覚めた」と時計を差した。
現在、午前七時半と、普段の起床時間よりはずっと遅い。久々の平日休暇というのも有るが、それでも、彼女の書類は正午までに仕上げなければならないものだ。
毛布を肩に掛けたまま、「もう少しだから」と仕事に戻った彼女にコーヒーを淹れ、自身もカフェオレをマグに淹れた。
「朝食は?」
「ユズ君がまだ寝てるから、朝は自由に用意して食べていいぞ」
「ユズさんが寝坊? 珍しいな」
「寝坊というより、昨夜遅くまで呑んでたらしい。今そこのソファで寝てるから、そっとしておいてやってくれ」
「……ソファ?」
フェンネルがソファに近付けば、ソファの肘置きを枕に毛布を被っているユズリハが寝息を立てている。相当呑んだのか、二、三歩離れた距離でも僅かにアルコールの匂いが漂っていた。
無理も無い。昨晩は、己も似たようなものだったから。
この人は、たった独りで悲しみを受け止めていたのか。フェンネルは眉間に皺を寄せた。
「……本当、話してくれないよな。この人は」
呟いたフェンネルに、ローズマリーがペンを止めた。
「……悲しみや苦しみを、独りで受け止めるのに慣れてしまったんだろうな」
「慣れてんなら、なんで酒に溺れるような真似してんだよ。慣れねぇから呑んだくれる事になってんじゃねぇか」
ダイニングに戻り、ローズマリーの向かいに腰掛けたフェンネルは舌を打った。
頼ってくれても良いのに。そう言いたげな『息子』を見て、ローズマリーもソファへ視線を向ける。
「……頼れないんだ。頼った事がないから」
「阿呆臭ぇ……俺よりも長く生きてんのに」
「その『経験』の所為で頼れないんだ。彼は、『独り』でいる時間が長すぎたんだよ。……ずっと、小さな頃からな」
「……阿呆臭ぇ」
「頼る事を覚える前に頼られるようになってしまえば、もう誰にも頼れない。心を開かないんじゃない……頼る事で、その相手が傷付くのが恐ろしくなるんだ」
ローズマリーは、フェンネルが淹れたコーヒーに息を吹きかけ、軽く啜った。
「仲間が傷付くぐらいなら、自分独りが殿を引き受けて相打ちになった方が良い。お前ならその気持が分かるだろう?」
問われたフェンネルは、不満そうに鼻を鳴らした。
「……適材適所、ってあんだろうがよ。俺ならリンデンを殿に据えるぜ」
「はは、アイツは強いからなぁ」
「俺がアイツの援護に付いて、ユズさんにはテメェとチビの護衛と船からの後方支援に回ってもらう。船を出発させて、後部ハッチを開けといて貰えりゃフックショットで帰艦出来る。これなら誰も傷付かねぇ」
「……そうだな。完璧だ」
「……何が言いてぇんだよ」
「何も言う事なんて無いさ。お前はそれでいい、今が完璧なんだ」
「……あぁ?」
「今の感情を、『全員を助けたい』と願う心を忘れてはいけない。それだけは覚えていてくれ」
ユズリハが、昨日放った言葉と同じ意味を感じたフェンネルは、再び舌打ちをかまし「何なんだよ」とテーブルに肘を着いた。
「分かってるさ……『私達』だって、自分を大切に想ってくれている人がいるって事ぐらい」
「……だから何だ」
「でも、どうしても我慢ならないんだ。自分の知らない所で仲間が傷付いて、自分を護るために誰かが死んでいく……そんな不条理な状況が、そんな『運命』が」
「………………」
「だから『家族』を護るためならどんな手段も厭わないし、傷付けるなら容赦はしない。どんな手を使ってでも排除し、皆を護る。それが、今まで失ってきたもの全てへの贖罪であり自分へ課した罰でもあるから」
人の命は数じゃない。だが、『私達』は『それ以上』に失い過ぎてしまったんだよ。
そう語るローズマリーは、微笑みの中に埋まる事の無い空虚を瞳に抱えていた。
確かに、その気持ちは痛い程に理解できる。昨日、ユズリハが語った意味も、分かった気がした。
あの時だって、俺は『弁当屋』の首を跳ねようとしてた。
頼むから、俺のように成るなよ。
「……チッ」
彼の『優先』が、『生存者』だっただけだ。汚染され、助からない命より、生きている者を助ける方を優先しただけなのだ。
だから、先程まで話をしていた相手が斬れる。生存者を護るため、犠牲者を助ける為に、仲の良い仲間も民間人も、脅威と化す前に斬り伏せる事が出来る。
もし自分が汚染され『ライカン』となっても、きっと彼も、目の前の『母』も、何の反応も見せずに首を跳ねてくれるだろう。強い後悔に苛まれる事になろうとも。
「お前達が強い事は充分に分かってる。だから、お前達が新しい戦い方を……新しい『護り方』を見つけていって欲しいんだ。排他的な方法じゃなく、皆が悲しまない方法をな」
「……若手に押し付けんな、四長老がよ」
「ふふ、お前達だから頼むんだ。『後悔』を忘れなければ、必ず良い方法へ辿り着く。私達の様に『仕方無かった』と切り捨ててしまう人間にならないでくれ」
「……馬鹿にしやがって」
「馬鹿になんかしてないよ。慈しんでいるんだ」
「やめろ、気色悪ぃ」
「あはは。ユズ君にも教えてあげてくれ、『今からでも間に合う』と」
「テメェもだろ、クソババァ」
「……ありがとう、フェノン」
「ふん」
鼻を鳴らし、マグを傾けるフェンネルに、ローズマリーは優しく目を細めて微笑んだ。
※




