これが愛の形。
愛に怯える男、恋に素直な少女。
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小さな頭を撫でていた手は、気付けばその艷やかな髪に指を滑らせ遊んでいる。
知らぬ間に眠ってしまった幼い彼女をそっと抱えてベッドに乗せ、そのままベッド下の酒瓶を取り出す。立ち上がって小さなコルク栓を抜き、直接瓶を呷った。
『ユグドラシル・ヘザー』オールドゴールド50th。現価値で三百万ルニーを超える、年代物のウイスキーだ。
「………………」
今では、この酒の甘みも深さも香りも、その違いが分かるようになった。任務終わりに一口だけ、を繰り返し、今ではその量も半分になっている。
こんな感情で飲んだのは初めてだった。
テーブルの上には、今日の負傷者名簿が数枚に渡って重ねられている。その中で、唯一の犠牲者が写真を添えて一番上に乗せられていた。
初めて逢った義兄は、話に聞く以上に男気のある強く優しい男だった。どうして彼が、と思う自分もいれば、『なら他の人間だったら良かったのか?』と、他の犠牲を求める己を諌める『理性』が、醜い心を殴り付けてくる。
あの時、あの牙を受けていたのは彼ではなく、己だった筈なのに。自分が、選ばれるべきだったのに。
また、奪ってしまった。
「……『世界樹の枝にて、今暫しの休息と安寧を』……か」
自分が往くまで待っていて欲しい、という、ハイマート共和国の信仰に基く故人を偲ぶ祝詞だ。
引き出しの奥から、一通の封筒を手に取る。手元に来てから封筒に入れたままだった中身を取り出せば、そこには優しく微笑む義姉と、今日『世界樹の枝』へと旅立ったケヤキが笑っている。
ユズリハは写真を時計に立て掛け、グラスに波々とウイスキーを注いだ。
彼は、ユズリハが妻の義弟であった事を知らない。『初めて』出逢った男を気遣い、その身を呈して護った。ただ、優しい男だっただけだ。
「……俺と出逢ったのが『運の尽き』だったな、ケヤキ」
酒瓶をグラスに軽く打ち付け、瓶の中にあった酒を全て飲み下す。空の瓶を書斎机に叩き付ける様に置いた時、ふと、背後から小さく漏れた少女の声が聞こえた。
振り返ってみれば、彼女は寝返りを打ってこちらに背中を向けている。ユズリハは彼のために注いだグラスの酒を一口だけ口に含み、グラスを机に戻した。
彼女が何故、自分に執着するのか分からない。早々に見切りを付けて、他に言い寄っていけばこちらの気は楽になる。それをしないのは、彼女が未だ何かに怯え、新たな人生を歩む事に恐れを抱いているからだろう。
この歳で、本気で自分などに想いを寄せる筈がない。でなければ、困る。
「……酔ったな」
彼は自嘲に笑んだ。
義姉によく似た肌を見て、生まれてくる子に想いを馳せる。彼の息子は、ラウリか、もしくはヴァルテッリか。
……もし、あの日に父親が帰ってこなければ。父が母の死に狂わなければ、きっと、『この隣』には。
「………………」
これ以上は『義兄』に対しての侮辱になる。ユズリハは考える事をやめた。
この船に乗って、自身も『家族ごっこ』を楽しませて貰っている。だが、それは永遠であってはいけない事を、ユズリハは改めて思い知らされた。
己は、『代わりなど幾らでもいる乗組員』でなければいけないのだから。
そっとベッドに近付き、彼女の身体に毛布を掛ける。その身体は本当に小さく、すぐにでも壊れてしまいそうな感覚を覚えた。
彼女の背後にしゃがみ込み、その髪に触れた彼は目頭の熱さを耐えるように強く目を瞑る。
貴女だけは、どうか。
これ以上、俺に近付かないでいて欲しい。
喉元まで迫り上がった願いは、彼女の想いを踏みにじるものだ。言葉に出さず飲み込めば、その小さな頭に手を乗せて耳元に優しく唇を寄せた。
「お休みなさい」
彼は、大変酔っていた。
隣家の田畑を荒らした初めての夜、隣家の夫婦が、寝る前に義姉と並んで自分にも同じ様に囁いてくれた。
それが、彼らの『愛』だったのだと今なら分かる。だからこそ、己はそれを受け取ってはならない。
……この命ある限り、全力で護る。だから、皆は俺の居ない所で幸せになってくれ。
それが己の幸せだと目を伏せ、ランプを消した彼は部屋を出ていった。
だが、彼は大変酔っていた。故に、すっかり失念していたのだ。
この部屋で眠る少女が、リンデンと同じく不思議な力を持っているという事を。
「………………っ!!」
髪に触れた時点でクミンは起きていた。最も慕う気配を真後ろに感じ、驚かせてみよう、と悪戯心を抱き、息を潜め狸寝入りをしていたのだ。
両手で口を覆い、目を見開いたまま動けない彼女の手は緊張から震えている。真っ赤に染め上げた顔はトマト宜しく、未だ現状が信じられないクミンは身体を丸くして息を整える。
耳元に、大好きな声があった。自分から要求するばかりだった温もりが、大きな手の優しさが。
あれ程、近くに。
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
ある程度の理性で叫んだりしないが、ベッドの上でクミンは精一杯脚をバタつかせて悶え、喜びを全身で爆発させる。
しかし簡易ベッドの軋みや時折壁に当たる脚は隣の部屋にも盛大に響き、目を覚ましたらしいフェンネルの怒りの壁ドンを二回食らったクミンはやっと落ち着いた。
毛布に潜れば、酒だけじゃない、彼の匂いがする。石鹸、スパイス、そして先程に感じた彼自身の匂いにまた悶え、三十分ほど興奮に暴れたクミンは電池が切れたように幸せな夢の中へと旅立っていった。
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