命令違反
初仕事にして、初『命令違反』。
※
「個人行動は禁止、必ず仲間が見える範囲で捕獲、探索するように」
三人で小型無線のチャンネルを合わせ、イヤホンを右耳に装着する。フェンネルは「痛いからヤダ」と、無線機からイヤホンを抜いて直接音声が出るように自分で調整していた。
ローズマリーは船を出てすぐの大きな岩に上がり、辺りを見渡しながら周囲を確認する。
フェンネルの後に付いて進むユズリハは、改めてその広大な『花畑』に息を呑んだ。
「……これは、見事だな……」
基本は薄い乳白色、その中を遊色の虹が、風に靡く度、陽の光を浴びて美しく光り輝いている。砕け散るように反射する光は、まるで風に揺れる湖畔の水面を歩いているかのようだ。
時折、花の上を飛び交う蝶も、その虹色の羽を輝かせながら、花から花へと飛び交っている。その蝶を、虫取り網を持って追い掛けるフェンネルの防護服だけが、妙な違和感を醸し出していた。
虫取り自体は微笑ましく愛らしい。防護服、という姿が、現状の危険さを教えていた。
「ほら、ユズ君も仕事、仕事。油断禁物で頼むぞ」
「……分かってる」
ユズリハもまた、用意していた網を広げて目の前の蝶を素早く掬った。
捕獲組の二人は船の周辺を注意深く探索しながら、少しずつ範囲をずらして『キュア』の蝶を虫取り網で捕まえていく。ローズマリーは二人に安全の確認と蝶が現れる範囲を指示しながら、背負っていたクロスボウに矢をセットし、花畑周辺の森を警戒していた。
《ユズ君、分かってるとは思うが、君は初回だから『モルス』を見つけても戦おうとは思うなよ。すぐに私かフェノンに知らせるんだ》
「ああ、分かってる」
《前足を狙うのは教えたよね。足止め出来たら、船に向かって逃げて》
「分かってる」
《捨て身作戦禁止だからな。囮とかになろうとしたら、一生給仕の刑だからな》
《寝てる間に靴下全部裏返しにするからね》
「分かってる、分かってるから」
罰がどうしてそんなに微妙な陰湿加減なのか。本人達がそれで『重い罰』だと思っているなら、あまりにも優し過ぎるのではないだろうか、とユズリハは少々心配になる。
どちらかと言うと、彼等は『心配してくれている』のだろう。こんな見目をした、大の男相手に。
「……まったく、おっさん相手に過保護な奴等だ」
呆れて呟けば、即座に苦情と反論が返ってきた。
《はぁ? どの口が『おっさん』とか言うんだか》
《『男は六十五歳から』って知らないの? 『ファーム』じゃ常識だったよ》
《二十歳なんかこないだ生まれたのと一緒だぞ》
《若過ぎるね》
《私の歳を超えてから言ってみろバーカ》
「……それは最早『ジジイ』なんだよ……」
乗る船を間違えたな。
年長者の船長と幼い先輩の集中攻撃を受けつつ、ユズリハは溜め息交じりに苦笑を浮かべ、満杯になった一つ目の網を片付けた。
その時、ふと無線に聞こえたフェンネルの声色が変わる。
《ユズさん、そっちに何かいる》
ユズリハは動きを止める。耳を澄ませば、右隣の草陰から何かが葉を揺らす音が聞こえた。
気付けば、随分と船から離れている。そっと網の柄を折り畳んでベルトに差し、背負っていたショットガンを構えた。
《フェノン、何か分かるか?》
《遠過ぎて分かんない。今の所『モルス』体の検知無し》
《念の為、一旦距離を置いてみよう。ユズ君は船に戻りなさい》
「……待ってくれ、何か聞こえる」
《『命令』だ、船に戻れ》
「人の声だ、誰か居るぞ!」
《ユズ君!》
花畑を走り出し、背の高い草を掻き分けて何かが飛び出してくる。遠目から、ライフルを構えたままユズリハを見ていたフェンネルが、「本当に人がいたんだ」と少し驚いたように呟く。
「でも、ユズさんは命令を無視しちゃった。どうする?」
《んもー……まぁ今回は特例だ、要救護者の保護に当たろう。ユズ君を手伝ってやってくれ》
「了解」
ライフルを下ろし、フェンネルは花畑をユズリハの方へ小走りで向かった。
一方、飛び出してきた人物を受け止めた彼は、そのまま倒れ込む血だらけの男に思わず戦慄する。
「お前っ、二番隊の……!」
「曹長……曹長ではありませんか!」
フェンネルが到着した時、マティアス族の男は背中と脚に大きな引っ掻き傷を負っていた。恐怖ゆえも有るだろうが、歳はユズリハよりも上に見える。
近付いて確認すれば、背中の一番深い傷は皮膚を黒く染め始めていた。
「……ローズ、『モルス』による負傷者一名。傷も深くて汚染症状が出てる」
男はユズリハの服にしがみ付き、しきりに「化け物に襲われた」「皆食われた」と繰り返している。
「どういう事かちゃんと話せ。お前はなんでここに居るんだ」
「みんな、みんなです! 部隊が全滅しました! 残っているのは、残っているのは……!」
「泣くんじゃない、しっかりしろ。何があったんだ?」
「無駄だよ、ユズさん」
フェンネルの声に、ユズリハは眉を顰める。
「……どういう意味だ」
「その人、『モルス』に引っ掻かれてる」
「!」
パニックになってるのは、『モルス』の瘴気が身体の中に入ったから。
そう言われ、ユズリハは小さく舌を打った。
「……軍は『インフェイス』を治せるのか?」
「研究はされてるけど、今の技術じゃ無理」
「……クソッ……!」
《ユズ君。残念だが、彼が『ここ』にいるって事は……》
「分かってる」
分かっている。彼は間違いなく、『密猟者』なのだ。
何故。傭兵として、仲間として彼と過ごした日々もあった。結婚して、子供が生まれたから、安全な仕事に就くと傭兵を辞めていった筈なのに。
「……なんで『ここ』にいるんだよ……!」
その時、フェンネルが持っていた小型の機械がブザーを鳴らした。
「……ローズ、『モルス』体検知十二パーセントから上昇中。段々近付いてるみたい」
《了解だ。二人共、静かに戻ってきなさい》
「分かった」
「……こいつ等のキャンプが近くにある筈だ」
「多分『そこ』が『巣』になってる」
ざわ、と背筋が戦慄く。しがみ付いていた男を剥がせば、彼は蹲ってがたがたと身体を震わせている。ゆっくりと立ち上がったユズリハは、ショットガンを構え直して先台をスライドさせた。
フェンネルが、鳴り止まないブザーを止める。二人が銃口を向ける先の茂みが揺れ、遂に、敵がその姿を現した。
「……なんてこった……!」
黒い大きな犬のような風貌をした『それ』は、赤い目を光らせて口音を立てながら汚らしく咀嚼を繰り返している。その牙の間からは、明らかに人間のものである指がはみ出していた。
限界が来たらしい男が、突然強く叫び出す。およそ人間とは思えない声に二人は驚愕に身構えるが、悲鳴を上げ続ける彼は船に向けて走り出してしまう。
「は!? 何!?」
フェンネルが驚き、四足小型が男に視線を向ける。その瞬間、ユズリハはショットガンを『モルス』の右前脚目掛けて撃ち放った。
「フェンネル、船へ走れ!」
「はぁぁ!?」
驚く彼を横目に、膝を負った四足小型に一瞬で駆け寄ったユズリハはその顎を真上へ蹴り上げる。その瞬間、腰から抜いた斧を構え、剥き出しになった腹へとその『キュア』を研いだ刃を叩き込んだ。
切り裂き、覗いた核が砕ける。あっという間の一部始終を見ていたフェンネルは唖然と口を開け、四散を始める『モルス』から離れるユズリハに怒鳴った。
「ちょっと、怪我したらどうすんの!! 瘴気を吸い込むのだって危険なのに……!」
「何やってる、早く船へ!」
「それは私の台詞……!」
ユズリハは結わえ付けたパラコードを握り、次に茂みから飛び出してきた四足小型に斧を投げる。頭に刺さった斧を引き寄せ、『モルス』の真下に入ると腹目掛けてショットガンを撃つ。ダメージは無くとも靄を分けて核を顕にし、パラコードを引き下ろして斧の柄を握ると真上の核を叩き割った。
この間、四秒と掛かっていない。二体目を倒し、しかしユズリハはフェンネルに再び「船に戻れ」と叫んだ。
「どんどん来るぞ! 音だけでも三十体はいる!」
「……なんで……!」
「早く! 船長を守るのがお前の仕事だろうが!!」
珍しく悪態を叫んだフェンネルは、ユズリハを置いて船へと走り出した。その時、ローズマリーが無線で叫ぶ。
《フェノン、今回はユズ君の判断が上だ! その判断に従ったお前も賢いぞ!》
「うるさいバーカ! 新人が死んだらローズの所為だからね!」
《泣くな、少年! まだまだこれからじゃないか!》
「泣いてないし! ふざけんな、オババのくせに!」
《はっはっふうわぁぁ!?》
「!?」
ローズマリーの笑い声が突然驚きに代わり、強めのノイズが流れた後で、彼女の無線からは先程走っていった男の音声が混じり始める。
フェンネルは彼女が立っていた筈の岩に、彼女のミニガンだけが残されているのを見て戦慄した。
《った、助けて!! 助けてくれ!!》
《何をするんだ、離してくれ!》
《助けてくれぇぇ!!》
《離っ……や、やめてくれ! 離せ!》
「ローズ!!」
岩までは、まだまだ距離がある。ライフルを抱え、懸命に走ってもフェンネルの体力では息が続かない。
姿さえ見えれば。そう考えた時、突然フェンネルは足が浮いて宙を二、三度駆けた。
「!?」
視界が飛行バイクの如く通り過ぎ、腹に体重が掛かって僅かに苦しさを感じる。
見上げれば、そこには先程まで向こうで戦っていたユズリハだった。
「揺れるぞ、舌噛むなよ!」
あっという間に岩を越え、ローズマリーを押し倒し抱き付いている男の横腹を思い切り蹴り上げる。同時にローズマリーの上へフェンネルを落とし、男の握力でローズマリーが引き摺られないように防いだ。
落とされたフェンネルと、腹で彼を受け止めたローズマリーが「ぐへっ」と声を揃える。
「フェノン、大丈夫か?」
「不満しか無い!」
フェンネルの不満は恐らく『後輩』に向けられたものだ。だがローズマリーは、一人立ち尽くし、自らが失神させた男に「悪く思うなよ」と呟いたのを無線越しに聞いていた。
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