初体験
優しさは世代を超えて。
※
そして、明け方。
日は既に顔を覗かせ、辺りの山々を朝日が照らし始めている。
ハッチの外で残り少ない煙草に火を付け、吸い込んだ煙を吐き出したユズリハは美しい景色をぼんやりと見つめていた。
「火気厳禁だよ」
監視台から梯子を降りてきたフェンネルに言われ、「船長から許可は取ってる」と中を指差した。
「ちゃんと寝たのか?」
「本当なら私が一日起きてた方が良いんだけど……夜通しの見張りは、ローズが許してくれないから」
「当然だな。十八まではしっかり寝ておかないとチビになる」
「縮むの?」
「背が伸びないって事だ」
ハイマート共和国において、成人は十六歳だ。だが、心身の健康、成長はその限りでは無い事を、ユズリハは幼い彼に話した。
「睡眠不足は体力も付かないし、免疫も落ちるから病気になりやすい」
彼は、ユズリハが肘をつく柵へと身軽に飛び乗った。
「落ちるぞ」
「平気」
だが、幼い彼の顔色は優れない。
「……眠れないと、やっぱり駄目?」
「ベッドに入って目を閉じてるだけで脳は休まるらしいから、時間だけ見てれば良いんじゃないか?」
「……そっか」
不眠に悩む少年に、「無理に寝ろ」とは口が避けても言えない。
身に覚えがあるユズリハも、紫煙を吐き出し携帯灰皿に押し付け揉み消した。
「……煙草、止めた方が方がいいよ。身体動かす仕事だし」
「そうだなぁ。考えてはいる」
「自分だけじゃなくて、一緒にいる人の肺も焼く。止められるなら、これを最後にして」
「……じゃあ、本当にこれが最後だな」
手の平に収まる大きさの袋に刺さった、最後の一本を抜き取って袋を潰す。フェンネルは「捨てて」と言ったが、ユズリハが「友人に貰ったものだ」と説明すれば、彼は渋々「最後なら」と頷いてくれた。
「煙が苦手なら中に入ってて良いんだぞ」
「匂いには慣れてる。『家族』に吸ってる人が居たから」
「成る程、それで注意してる家族も居たのか」
「うん」
ふと、ユズリハは、先程フェンネルが言った言葉を思い返す。
「……『煙に肺を焼かれる』、か。前も同じ事を言われた気がする」
「親?」
「まさか。……そう言えば確か、フェンネルは『ファーム』出身だったな」
「うん」
「リリー・ブラック、って聞いた事あるか?」
別名、『黒髪の白百合』。その名を聞いた瞬間、フェンネルは目を見開いて驚く。
「……り、リリー・ブラック!? 超高級『フランボワーズ』だよ、なんで!?」
「彼女に言われたんだよ。彼女も、煙草が嫌いみたいだった」
「……ユズさん、超お金持ちだったんだね……」
「はは、でもない」
思わず、はにかむ。些か十歳の少年と語る話題ではないが、あまりにも食い入って聞いてくれる彼に、こちらもつい口が軽くなる。
「昔に傭兵部隊で働いてたんだが、そこの隊長に連れて行かれたんだ。『デビューだ』っつって全額出してくれたモンだから、断れなくてな」
「う……嘘でしょ!? 『デビュー』って……『初めて』!? 『筆下ろし』がリリーだったの!? すごーい!」
はしゃぐ少年に、流石に若干の羞恥を感じたユズリハは「静かに」と口に指を当てる。
「船長に聞かれたら何か面倒そうだ、声は抑えてくれ」
「ふふ、ごめんなさい。でも、スゴいや……! リリーは相手を選ぶので有名だったのに、超贅沢だね」
「まぁな。『宝石』の名に違わぬ絶世の美女……そう言われてるが、実際会ってみると、それ以上の女性だったな」
噂の方が過小評価だった。煙草に火を付け、そう語る彼にフェンネルは目を輝かせる。
「甘ったるい訳じゃない。変にテンションが高い訳でもない。何と言うか……本当に、『当たり前』を思わせる人だったな。ただの小僧だった俺を、とにかく気遣ってくれた」
彼女がくれたのは、優しさと温もり。これが『普通』というものか、と感じさせてくれる、気さくで明るく、優しい女性だ。
姉のようで、妹のようで、母のようでもある人。それが、ユズリハが彼女に抱いた印象だった。
「ねぇ、名前聞いたっ? 本名って聞けたのっ?」
「……ああ。聞いたよ」
認めた彼に、フェンネルは一層はしゃいで足をパタパタと揺らす。
「スゴい、ユズさん『本物』だったんだ! フランボワーズに本名を教えてもらった人は、すごく出世するって。ユズさんは選ばれたんだね!」
「彼女の気まぐれだよ。俺みたいな若造が無茶して何度も来るから茶化したくなったんだろ」
「何度も行ったの!?」
「……でも、『木苺の宝石』が俺を選んでくれた、とはね……悪い気はしないな」
煙を長く吐き出した彼の表情は、フェンネルとは違い少し沈んでいた。
「ユズさん?」
「……何でも無い」
彼女の名を聞いた半年後に、その名を軍発行のテロ事件死亡者リストで見つけた。
名前を知っていたから見つけられた。しかし、名前を聞いてしまったから、彼女が死んだ事を知ってしまった。
家を出て、軍の試験に落ちて、傭兵となっても何も変わらない。やさぐれ、荒れていた自分を、独りになって初めて心配してくれた女性だったのだ。火が付いたように我武者羅に頑張って金を貯め、隊長に初めて連れて行かれた日から、更に二回、彼女に逢いに行った。
過去も今も地獄、未来も地獄かも知れないが、地獄の中にも幸せは見つけられる……そう教えてくれたのは、彼女だった。
『君が、諦めなければね』。
いつかもう一度逢えたなら、優しい言葉をくれた事に心からの礼を伝えたかった。
ユズリハは届かない想いを馳せ、煙を燻らせながら遠くを眺める。煙と共に深い溜め息を一つ吐き出すと、最後の一本を携帯灰皿に押し入れた。
「……強くて、本当に美しい人だったよ」
「何百人と客を手玉に取ってきたセリちゃんが、今まで客に名前を教えたのは三人だけだって言ってた。まさか、ユズさんがその内の一人だったなんてね」
「……運が良かっただけだ」
「やめて、もっと自信持ってよ」
フェンネルはユズリハの肩を力いっぱい叩いた。
「せっかくセリちゃんが選んだ人なんだから、それに見合うぐらい堂々としてて。私が恥ずかしくなるじゃん」
「……セリちゃん、か。やっぱり知り合いだったんだな」
「お母さんだよ」
至って普通に答えたフェンネルの隣で、ユズリハは動く事を忘れて目を見開く。
「……な、ん、んん? 何?」
「セリちゃんは私の『お母さん』だよ」
「ちょっ……ちょっと待て。待ってくれ。おまっ……は!? あの、セリ・メノウは……!」
「お母さん」
『木苺の宝石』と呼ばれた、最高級フランボワーズの息子。
冷や汗を浮かべ、突然上手く回らなくなった舌で何度も問えば、フェンネルは「そうだよ」と答えた。
「……嘘だろ……!!」
やってしまった。
頭を抱え、酷く落ち込む彼にフェンネルは肩に手を置き「そんなに下向かないで」と慰めた。
「セリちゃんは最期まで戦ってた。強い人だから」
「分かってる、分かってるけど多分お前が考えてる所とは違う部分で俺はショックを受けている」
「ローズにも話してこよ」
「っ待て待て待て、ちょっと待て! おい! フェンネル!!」
※
「そうか、ユズ君はフェノンのお母さんを知ってたのか。良かったなぁ」
「うん」
「ユズ君も、意外な繋がりがあって驚いたな」
「いや……その……」
朝食時。準備中にダイニングでしっかり語り込まれたユズリハは、微笑ましく話を聞いている船長の反応に居た堪れない気持ちでいっぱいだった。
「ユズ君との接点があってフェノンも嬉しそうで何よりだが、この子はまだ未成年だから『筆下ろし』だのといった類の話はちょっと……」
「本当に申し訳無い、話の食いつきが良かったもんだからつい……!!」
正直に話して頭を下げる彼に、船長であり保護者の彼女は「まぁ、今回は結果オーライだから」と苦笑した。
「ローズ、それぐらい誰でも知ってるし」
子供扱いしないで、と言いたげなフェンネルは唇を尖らせて怒る。
「分かっているさ。だが、たとえ知ってても世間のマナーは大事にしないと駄目だ。尻の軽い人間に見られてしまうぞ?」
「……それはヤダ」
「な? 自分の事は大事にしないと」
「分かった」
「ところでユズ君」
「……な、何でしょうか」
「フェノンのお母さんには何回会いに行ったんだ?」
「……は?」
「セリ・メノウ……この子の母が勤めていた店への入店回数を知りたい。回数と時期、その時の状況と他に出逢った人間を覚えている限り事細かに教えて欲しい」
目の前で十歳の少年が「聞きたい」と目を輝かせ、船長はメモを取る準備をしている。
プライバシーとは。デリカシーとは、一体。
「……何の冗談なんだよ……」
頭を抱えたユズリハは、「『ファーム』襲撃事件に関わった奴等を炙り出すためだ」と言われ、一切顔を上げる事無く渋々質問に答えていった。
「……なぁおい……この質問、まだ答えなきゃ駄目か……?」
「出来れば、もっと詳しい日時も教えて欲しいな」
「もしかして最近!?」
「黙っててくれ!」
彼は初めて、この船に乗った事を後悔した。
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