大金
目的のために手段を選ばない男。
その手段に振り回される男。
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その男、ユズリハは大変困っていた。
背負うバッグには全財産。金銭ではなく、一通りの日用品のみ。
否。後は、二日前に渡された五百万の札束が入っている。
「どうしろってんだよ……」
後ろで結った髪を掻きながら、彼は指定された場所へと足を進めていた。
※
昨夜、大金を渡されたユズリハはすぐに拒絶した。
「……こんな大金、俺には受け取れない」
「おや、何故かな? 今の君には、喉から手が出るほど欲しいものだと踏んだんだが」
「……余っているなら、寄付なりバラ撒くなりすればいい」
「余っているのではなく、『君を買いたい』と言っているんだ」
突然に爆弾発言をした相手に、周りの数人がこちらに視線を向けた。しかし、スーツの男は全く気にした様子もなくニコニコと微笑んだままだ。
「あれは四年前かな。軍立学校の編入試験会場で君を見た」
「……試験なら落ちたが」
「あの暴れっぷりは素晴らしかったよ。私も右フックを食らったものだ」
笑い話のように語る彼に、ユズリハは呆気に取られた。
四年前、当時十六歳だった彼が、故郷を出て最初に選んだのが『軍』という職業だった。
軍属になるためには、幹部は十四歳から、一般は十六歳から公募が始まる。まさに適齢、書類も不備なく通過した、のだが……。
実技試験の会場で、ラウリ族に似つかわしくない体格と家族を差別された彼は大暴れをして失格となった。
「君の戦闘能力は目を見張るものがある。実は、私の管轄内の船に欠員が出てね……君には、その船の搭乗員として働いて欲しいんだ」
「……俺には務まらないさ。あの場に居たなら知ってるだろ? 協調性が無いんだよ」
「いいや、協調性が無い人間は、そもそも『会話』が出来ないものだよ。本当に大切な仲間と巡り会えた時、君ほど頼れる人間はいないだろう」
「買い被ってくれるじゃないか、副司令官ともあろう男が」
瞬間、男が眉を上げる。そのキョトンとした表情に、ユズリハは思わず鼻で嗤う。
「……隠せてると思ってたのか? ジャスパー三尉殿」
「やはり私を知っていたか」
「軍に詳しい赤い瞳のマティアスなんざ、アンタぐらいのモンだ」
「流石だな。その情報の早さたるや、こんな所で腐らせるには惜しい力だ」
「既に目星をつけた『黒猫』が居るだろ。数を増やせば嫉妬されるぞ」
「あの子は君が救った子だ、ヤキモチなど焼かんよ。今は諸事情で療養中だが、元気にしている」
「……地獄に引き摺り込んだだけだ」
「そう自分を卑下するな、君は自身の価値を分かっていないようだな」
「アンタが俺の何を知ってるって言うんだよ……!」
咄嗟に掴んだグラスには、最早溶けかけた氷しか入っていない。ユズリハはグラスを呷って氷を口に含み、音を立てて噛み砕いた。
スーツの男、バーベインはバーテンダーに手を上げ、「オールドを」とユズリハが知らない銘を頼む。
「君が悩んでいるのは、この先の未来の事だろう? 君が首を縦に触れば、万事解決なんだがね」
「俺はもう『処理仕事』はやらない。新しい『猫』が欲しいなら、『木苺』の娼館へ探しに行けばいいだろ」
「私は君を助けたいのだよ、ユズリハ君。……いや、ダイオプテーズ曹長、と言うべきかな?」
「!」
バーテンダーが黒い瓶を持ってくる。バーベインは笑顔で礼を言い、瓶のコルクを開けると、新しく用意された氷入りのグラスに半分ほど注ぎ入れた。
「『お尋ね者』なのだろう? 私なら、君を護ってやれる」
「……どこまで知ってる?」
「どこまでも。全てだよ、ユズリハ君」
君の事を家族に知られて、無駄な心配を掛けたくないだろう?
そう笑顔を向けられ、息を呑む。既に、己に拒否権など有りはしなかった。
「……俺に、何をしろって言うんだ」
バーベインは、再び不敵に口角を上げる。
「なんて事はない。ただの『虫捕り』だよ」
瞬間、ユズリハに緊張が走る。
虫捕り。それは、この国のエネルギーでもある『キュア』の捕獲作業の隠語だ。軍の中でもトップレベルの精鋭達が選ばれ、捕獲船に乗り込み国外の危険地帯へと赴く。
危険は高く、しかし軍の花形ともされる任務の一つである筈。編入試験すら落ちた己が務めても良い仕事ではないのは確かだ。
密猟を行う不届き者も、確かに存在はするが……。
「……俺はこれ以上、犯罪に手を染めるつもりはない」
「ほう、『これ以上』とは?」
「ただでさえ日雇いの護衛は自警団に目をつけられやすい。実際、俺も暴力沙汰にされて検挙された事もある」
「それは災難だったな」
「……まだ捕まる訳にいかないんだ。これ以上の面倒事は御免被る」
「それなら、何ら心配はない」
バーベインは再び笑顔を見せた。
「君を派遣する船は、私の直属だから他船との交流が殆ど無くてね。君の素性が外部に漏れる事は絶対に無いと断言できる」
「……どうだか」
「脅しはしたが、雇用するに当たって君に任務を押し付ける気は無い。そうだな……お試し期間は二週間にしよう」
「……何?」
お試し期間?
ユズリハが頭を傾げても、バーベインの説明が止まる事はない。
「君が本当に『無理だ』と言うのであれば、期間中でも船を去ってくれていい。船長にもその旨は伝えておこう」
「ちょっと待て、強制じゃないって言うのか?」
「当然だろう、そんなのは『やくざ者』がする事だ。正式に船員として君を雇う事が決まれば、給与は前職の五倍を約束しよう」
いよいよ、開いた口が塞がらなくなる。
この男は、本当に自分が『何をしてきた』のか知っているのだろうか。
「もちろん、先に二週間分の給与は支払わせてもらう。いつ君が去ってしまうか分からないからね」
「ちょ……ちょっと待ってくれ!」
あまりにも甘い話。ユズリハは軽い目眩と共に、若干の恐怖すら覚えた。
「どうしても信じられない。なんで俺なんかに、アンタがそこまで……」
「その謙虚さが気に入ったからだよ」
嘘か真か、笑みを絶やさないバーベインはグラスに少しだけ口を付ける。
「んっ、やっぱり酒は苦手だな。この辛味がどうしても受け付けなくてね」
「……やっぱり、俺は……」
「自首しようなどと言わないでおくれよ? 君の正義感に勝つためには、私には金銭を出すしか無いのだから」
「…………」
「どうしても不安なら、明日の正午にでも船長に合わせよう。まずは職場見学、そして職業体験といこうじゃないか」
「……考えとく」
「では、明日。『中心街』の正門で待っているよ」
この酒は君にやろう。
そう差し出したボトルとグラスを置き去りに、バーベインは「では明日」と言い残して颯爽と去っていく。店を出ていくのを唖然と見送ったユズリハが残されたボトルを見れば、その銘を見て再び愕然と目を見開く。
『ユグドラシル・ヘザー』オールドゴールド。革命戦争以前に製造された五十年物のウイスキーだ。
「……おいおい」
いつ払ったんだよ、とユズリハは呟く。
グラスに余った酒を一口含めば、成る程これが二百五十万ルニーの味かと納得した。
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「なんでこんな事に……」
溜め息を吐き、視線を前に向ければ見覚えのあるスーツの男性が爽やかな笑顔で手を振っている。
ユズリハは、その男に歩み寄り呆れたような眼差しで口を開いた。
「……あの酒は、アンタの名前でキープして貰ってるからな。勝手に取りに行ってくれよ」
「残念、今朝取りに行ったんだ。君は置いていくだろうと思ったからね」
バーベインは細長い紙袋をユズリハに手渡す。中を見てみれば、昨日見たコルク栓が顔を覗かせていた。
「アンタなぁ……」
「君との出逢いを、そして新たな門出を祝して、その酒は君にプレゼントしよう。私は飲めないしね」
さぁ行こう、と進みだしたバーベインの後ろ姿に、また一つ増えてしまった荷物にユズリハは呆れから首を横に振るしか無かった。
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