ユズリハという男
この男を形作るものとは。
※
「ローズマリーが話していただろう。制御室の近くで、私はリンデンと共に倒れたらしい」
その時、頭の中に浮かんだ。そう彼女は話した。
「……聞きました」
「アレがどの様な状況なのかは分からない。でも、逃げ惑う人間を捕らえては……今思い返しても、生々しさが手に残っている。まるで戰場にでも居たようだった」
「そうだとしても、貴女の年齢で有り得ません。『ライカン』に幻覚を見せられたんですよ」
「……でも、私は心が動かなかった。あの『弁当屋』の男が死んでも、何も感じなかったのだ」
ユズリハは膝に頭を乗せる彼女を見下ろす。こちらを見上げた瞳は僅かに揺れ、不安と恐れを孕んでいた。
「……きっと私が、とんでもない殺戮者だからだろう。今だって、何の躊躇いもなく人を殺せる。お前の嫌いな相手を教えてくれれば、気付かぬ内に体の中を捻じる事だって……」
彼女は己の手を見る。ユズリハも否定しようと口を開くが、言葉は出ずに視線を俯かせた。
彼女と出逢った時から、その危険さを一番理解しているのはユズリハなのだ。動きを封じられ、リンゴジュースですら巧みに操る姿は、この国にいるどんな屈強な隊士ですら、手も足も出ないだろう。
知らぬ間に、息の根を止められる事も有り得るのだ。
「……なら、どうして」
ユズリハは、彼女の頬を伝う涙を拭った。
「……皆が、傷付いている。それが羨ましい」
目の前で、人が死んだ。彼女にとって、それは「ただ驚いただけの事」だった。死んでしまった者は戻らない。それ以上の感情を抱く事は無いものだと思っていた。
だが皆は違う。彼の死を悲しみ、己を責め、悼む。少女には、その感情が理解出来なかったのだ。
「私には『死』というものがあまりにも遠い。だが皆が……お前がもし死んだ時、『あんな風に』思うのは嫌なんだ」
居なくなった事を悲しめないなど、あまりにも寂しいではないか。
嗚咽も無く、ただ静かにユズリハの脚を濡らすクミンは小さく笑い声を漏らした。
「いつか私は、皆が大切に思う人を平気で傷付けてしまうかも知れない。そうなった時、皆は私を憎み恨むだろう。……それが、怖い」
ユズリハは何も言わない。ただ、彼女の言葉を受け止めていた。
「……皆、同じですよ。それが『討伐隊』という仕事です」
「でも……!」
「嫌われたくない、と思える人がいる……それが答えですよ。クミンさん」
彼女は、ズボンの裾を掴む。表情の分からないその小さな頭を、ユズリハは優しく撫で下ろした。
「恐れる事は、何ら悪い事ではありません。恐怖を拒絶するだけが勇気ではない」
「……恐怖で心が苦しい時は、どうすれば良い?」
「貴女には仲間がいます」
今は、俺がいる。
「…………」
クミンは振り向く。見下ろす眼差しは、今までで一番暖かく、優しかった。
「……やっぱり、お前はいい男だ」
微笑んだ彼女は再び背を向けると、ユズリハの脚から腹に引っ付くほど身を寄せる。
「お前は酒に酔うと優しくなるんだな。最初だって、追い返されると思ったのに」
「約束ですから」
「うふふ。酔っている時が狙い目か」
「早く寝なさい」
「じゃあ、今度はお前が何か話してくれ。声を聞いていたい」
お前は『貰うばかり』なのか?
そんな風に言われては、ユズリハも眉間に皺を寄せる。
「……じゃあ、昔話を一つ」
「うん」
そう、ユズリハは大変に酔っていた。
※
当時も、彼は酔っていた。
丁度、十四年前。花街『ファーム』の入口にある飲み屋街、とある治安の悪い酒場で、彼はカウンターに腰掛けて酒を煽っていた。
客引きの女を時折追い払いながら、手酌でウイスキーをグラスに注ぐ。二ヶ月前、完全に職を失った彼が「最後に」と買ったボトルだった。
日雇いで食い繋いでいても、彼には養うべき家族がいる。目先の未来さえ見えない状況に何度か足掻いてはみたが、今はただ、絶望を酒と一緒に飲み下すのが精一杯だった。
「隣、良いかな?」
ふと、声を掛けられる。彼は声の主を見る事もなく、グラスの中身を空にしてテーブルに置いた。
「……周り見てみろ。席なら空いてる」
「私はここがいいんだ」
相手は男に構わず、カウンターの椅子に座る。黒いスーツに茶色のレザーコートを羽織り、口髭を蓄えたその出で立ちは、およそ酒場には似つかわしくない姿だった。
「……冷やかしなら帰れよ、『貴族被れ』のオッサンが来る所じゃない」
「おや、これでも私は常連だよ。ちゃんとボトルもある」
スーツの男はバーテンダーに声を掛け、キープボトルを出して貰っている。その銘柄は、己が今飲んでいるものと同じ酒だ。
「……庶民じみてんな」
「中身はジンジャーコーディアルを割ったものだ。飲んでみるかい?」
「は?」
「私は酒が飲めなくてね。色も似ているだろ?」
「……アンタ、何しにここへ来たんだよ」
バーテンダーからアイスペールを受け取り、スーツの男は自分で氷をグラスに入れて酒瓶に入ったドリンクを注ぐ。
「私だって、たまには呑兵衛の気分を味わいたい時もある。言わば、ストレス解消だよ」
「こんな場末まで来て、『成り金』が酒呑みの真似事か? イカれてんな」
「お、私が『成り金』だと?」
何故、と問うスーツの男に、彼は視線も合わさずに鼻で嗤う。
「どっからどう見ても、この辺りの人間じゃないだろ」
「ほう?」
「かと言って、貴族のフリした詐欺師にしては、身なりの崩し方に慣れてる感じだな。そんなのは成り上がりの金持ちか、叩き上げの軍人のどちらかだ」
「成る程、君は名探偵だな」
「……好きで覚えたんじゃない」
彼はグラスを空け、酒瓶の中身を全てグラスに注ぎ入れた。最後の一滴まで流し込み、瓶をカウンターに置く。
「俺の酒も尽きるし、いい加減アンタも帰んな。これ以上ここに居るなら相席代を請求するぞ」
「おや、ビジネスの話かい? それなら私の得意分野だ」
「だったら他所でやってくれ。俺は興味が無い」
しかしその時、スーツの男は分厚い包みをカウンターに乗せ、こちらの手元に差し出す。彼が見下ろすと、そこには茶色い油紙で包まれた四角い塊が置かれていた。
「……何だよ」
「ここに五百万ルニー用意した。前金としては少ない方かな?」
「……は?」
「この酒場が私の行き付けなのは本当だ。だが、私は今日、飲みに来たのではない。ここへ君に会いに来たんだ」
スーツの男は帽子を取る。こちらを見据えるその瞳を見た彼は、思わずグラスをカウンターに落としてしまった。横倒しになった酒が、カウンターのテーブルと油紙に包まれた札束を濡らしてゆく。
この国に現存する、どの人種にも属さない『赤い瞳』が、不敵に細められた。
「さぁ、ビジネスの話をしようじゃないか。ユズリハ・ダイオプテーズ君」
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