自棄酒と訪問者
その幼い存在は、神か、悪魔か。
※
部屋に持ち込んだ酒瓶が、そろそろ底を付いてしまう。
残り一杯分。瓶を逆さにして最後の一滴まで残さずにグラスへ注ぎ入れ、ユズリハは瓶を古い書斎机に置いた。
元々は倉庫だった部屋。四畳程の空間には、この机と簡易ベッド、小さなチェストが置いてあるだけだ。机とセットになっている椅子の背凭れに体重を乗せ、深く長い溜め息を吐き出した。
目の前には、書きかけの書類とメール報告用の端末が置いてある。その中の一枚に書かれた名前を見て、彼はグラスを呷った。
その時、ふとドアにノック音が響く。卓上の時計を見れば、とうに日付は変わり二時を指そうとしている。
船長も、確か「今日は徹夜だ」と苦笑していたか。
「……入るなら入れ。鍵は掛けてない」
酔っている自覚はあるが、少々きつい言い方になってしまった事を後悔する。
八つ当たりは、嫌いなのに。
「……ユズリハ」
「!」
ドアは開いたが、姿は見えない。しかし、名を呼ぶその声にユズリハは思わず立ち上がった。
部屋から顔を覗かせれば、ドアの向こうに立っていたのは先日船に来たばかりの少女だ。
「クミンさん……!」
「す、すまない……忙しいと聞いたのに」
「それは良いんです。まったく、今何時だと……ローズマリーは?」
「リビングで、ずっと何かを書いている」
咄嗟に廊下の先を見る。部屋の明かりに気を遣い、彼女は自室ではなくリビングを作業場に選んだらしい。
船長はきっと、彼女が起きてきている事を知らない。
「声を掛けても……忙しそうだったんだ。『あの二人』はもう寝てるみたいで反応無いし」
「……まだ夜は冷えます。部屋に戻りましょう、送りますから」
しかし途端にクミンは俯き、裾をもじもじと弄り始める。
「……一緒にいて欲しい」
「その内、ローズマリーが戻ってきますよ。不安なら電気を付けたままでも……」
「一緒に部屋で待っててくれるか?」
「迂闊に異性を部屋へ招いちゃいけません」
「じゃあ、ユズリハの部屋で待たせてくれ」
「迂闊に男の部屋に入っちゃいけません」
「……だったら、ここで待ってる」
「リビングに行けば、ソファで休めます。我儘言わずに……」
「独りは嫌だ」
震える唇を強く噤んだ彼女は、前髪に隠れた瞳から滴が溢れてしまわないように耐えているようだ。
船長が仕上げているだろう報告書の期日は明日……否、本日の正午だ。眠っている二人を起こすには、今日はあまりにも色々と起き過ぎた。
そう、色んな事が起き過ぎたのだ。幼い少女が暗がりの中で独りで眠るには、あまりにも。
「……分かりました。貴女が眠るまでで良いのなら」
彼は大変に酔っていた。それは、本人も気付かぬ程に。
迎え入れられ、部屋へと入ったクミンは真っ直ぐにベッドへと向かう。部屋履きを脱いで身軽に飛び乗れば、毛布に包まって団子になる。
「うふふ、酒臭い。部屋が狭いから、ユズリハがずっと大きく見えるな」
「……部屋に文句がお有りでしたら」
「ローズマリーの部屋は可愛いが広い。すごく遠くに感じるんだ」
「………………」
褒めているのか、貶しているのか。
否、どちらでも無いのだろう。彼女は正直で、素直なだけだ。
「……俺も仕事があります。あまり、相手にはなりませんが……」
「こっちに座ってくれ。手に触っていたい」
「話を聞いて下さい」
「そんなに酒を飲んだ状態で、まともな仕事が出来るのか?」
ユズリハは思わず言葉を詰まらせる。毛布から顔を覗かせた彼女は、悪戯っぽく笑っていた。
「お前の仕事は、ローズマリーより急がないのだろう。休憩しろ。こっちに座ってくれ」
自分の頭元へ促すようにベッドを叩くクミンに、ユズリハは頭を掻いて溜め息を吐く。
「……眠るまで、との約束でしたね」
「そうだ。約束は守るものだぞ」
「分かりました」
数歩でベッドへ行き着き、どっかりとベッドへ座る。衝撃で多少跳ねたクミンは小さく笑みを零すと、すぐに彼の膝に頭を乗せて彼の手を己の頭に乗せる。
当然、ユズリハは手をすぐに離し、拒絶の意を唱えるが。
「ちょっと、何なんですか」
「撫でろ」
「嫌です。勘弁して下さい」
「リンデンが、『小動物を撫でると癒やされる』と以前話していたぞ。『小児の体温も落ち着く』と読んだ。ユズリハも、きっと癒やされるぞ」
「貴女は小動物ではないですし、ここまで高圧的な小児はいません」
「そう固い事を言うな。早く撫でろ」
何故、そこまでして。
「……分かりましたよ……」
疲れもあり、抵抗する体力も殆ど無い。早く眠ってもらえば、自分も開放される。そっと彼女の頭に掌を乗せれば、彼女は満足そうに鼻を鳴らした。
彼女の頭は自身の手に収まりそうなほど小さく、艷やかな髪はその細さと柔らかさに指を滑ってゆく。
「どうだ、癒やされたか?」
「……早く寝て下さい」
溜め息交じりに答えたユズリハに対し、クミンは悪びれもなく「何か話をしてくれ」と言い出す。
「嫌です」
「いけずな男だな。これは『睦言』とかいうヤツだ」
「やめなさい」
「じゃあ私から話すぞ」
「寝なさい」
「私はきっと、酷い人殺しだったと思う」
……は?
思わず撫でていた手を止めたユズリハを見上げる彼女の顔は、およそ少女とは思えないほど切なげに微笑んでいた。
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