『死(モルス)』
死は誰にでも平等で、不公平に訪れる。
※
船に帰還しても、皆ぎこちなく時間を過ごしていた。
一番の原因は、やはりユズリハの雰囲気なのだろう。それに加えて、目覚めてから彼にべったりだったクミンがローズマリーの傍から離れなくなり、ユズリハを避けているような動きを見せていた。
時折じっと見つめ、彼が近付けば距離を取るか船長の背中に隠れる。様子を伺う、というより、明らかに『怯えている』ような仕草だった。
当然、避けられている本人が自覚しているため、彼も執拗に声を掛けたりしない。何かあればローズマリーに声を掛け、それ以外はリビングを離れる。いつものように夕食を作り、自分の分は食べずに保存容器に移して冷蔵庫に入れる。皆にひと声かけて自室へ戻る後ろ姿を見ながら、クミン以外の三人は一斉に溜め息を吐いた。
「……怒ってるねぇ」
リンデンの呟きに目を見開いたクミンが、「私のせいだ」と冷や汗を浮かべる。
「あ、あいつに酷い態度を取ってしまった……きっと、私が怒らせたんだ」
「それは違うぞ、クミン」
「でも……っ!」
「図に乗るなよ、チビ。むしろ気遣ってもらってんだから感謝しやがれ」
向かい側の席で黙々と食事を食べていたフェンネルがクミンを睨んだ。
「誰の所為でもねぇよ。……だから、ムカつくんだ」
「誰の、所為でも無いのに……怒るのか? ユズリハは何に怒っているんだ?」
「怒るっていうか、悔しいんだよ」
フェンネルの隣で、行儀悪く背を伸ばしたリンデンが苦笑する。
「クミンだって、前の討伐でフェンネルに怒られて泣いてたじゃん」
「っそ、それは怒られて泣いてたんじゃない! 自分の不甲斐なさが情けなくて……」
「それと同じだ、クミン」
そう応えたローズマリーが、クミンの肩に手を置いた。
「そんな……でも、ユズリハがあの場で出来る事など、殆ど無かったじゃないか」
「テメェ、それ本人に言うなよ。殺されるぞ」
「う……」
「こら、フェノン」
たじろいだクミンに、リンデンが「でも」と続ける。
「……それでも、やっぱり生きていて欲しかったな。店長さん、良い人だったもん。クッキー美味しかった」
「テメェは『それ』ばっかりだな」
「充分だよ。それだけで充分だ。……また食べたかった。また食べれるって、また逢えるって思ってたからさ……」
沈黙。フェンネルが食器を使う音だけが、異様に響いて聞こえた。
「……ユズリハは、悲しいのか」
「……そうだ」
怒っているんじゃない。彼は深く悲しんでいるんだ。
ローズマリーの言葉に、深層で渦巻く見えない心を感じ取とったクミンは、半分ほど残っている自身の食事を見下ろしていた。
※
「……ねぇフェンネル」
「何だよ」
時刻は日付を回ろうとしている。シャワーを浴びて寝間着に着替え、明日の用意を済ませても、ベッドの中で無駄な時間だけが過ぎていく。
諦めてベッドから出てきたフェンネルは、制御室での戦闘中に排莢不良を起こして発砲出来なかったショットガンを分解、部品の清掃と修理を、自身のデスクで黙々と行っていた。
そんなフェンネルの後ろ姿に、同じく眠れないリンデンがベッドの上段から身を乗り出して声を掛ける。
「……もし、さ。俺が暴走したら……」
「今日しかけただろうが。絞め落としが効いて良かった」
「じゃあフェンネルが居ない所で暴走したら?」
デスクに座る彼の手が止まった。
「……その場の人間が『処理』するだろ」
「確かに、誰かは『止めてくれる』と思う。……でももし、そうなったらフェンネルは悲しんでくれる?」
「……そういう話は、自分の場合を話してから聞け」
椅子をずらし、背凭れに肘を乗せてフェンネルはベッドに向く。
「テメェはどうなんだよ。もし俺が『モルス』に汚染されたら、トドメを刺してくれんのか?」
「……状況に寄るかな」
「はぁ? テメェだって、いい加減な答えを……」
「フェンネルが『やれ』って言っても、きっと待つと思う。完全にフェンネルが『居なくなる』のを」
自分と同じ答え。フェンネルは視線を下げる。
「でも、その後すぐに、探しに行くと思う」
「……『探しに』?」
「俺がその場に居なかったら……やっぱり、すぐにフェンネルを『探しに行く』かな。いなくなったら分かるし」
「探すって、何を」
「え? フェンネルを」
「どこに?」
「『世界樹』の枝」
「…………は?」
思わず、ぞっとする。ベッドで微笑む彼の目に他意は無い。
「マリーさんにも聞いたし、ハイマートの歴史書も読んだよ。人間の『魂』は、身体を離れると樹立公園の『世界樹』に集まるって」
「……そういう事じゃ無ぇだろ。本気で言ってんのか?」
「俺はフェンネルと居たいもん」
「冗談じゃねぇ。仮にでも軍属なら、せめて任務を全うして……!」
「俺が軍に入ったのは、フェンネルと一緒に居たいからだよ。国のためでも、お金のためでもない。マリーさんに止められても、俺はフェンネルを追い掛ける。俺にとって、フェンネルが俺の全てだから」
執着、というには些か甘い。だが、愛というには、あまりにも重い。
それは彼の『覚悟』などではなく、そうなった場合を想定した『マニュアル』でしかない。少々予想外だった返答に、フェンネルは少し戸惑った声で「もっと選択肢を増やせ」と訴えた。
「……視野が狭過ぎるぞ。もっと周りを見て……」
「そんな事言わないで」
「ローズも言ってただろ。いろんな物に触れて、世界を見て回れば……」
「そんな事言わないでっ!」
その表情は、今にも泣き出しそうな程に歪む。
「……泣くなよ……」
「……俺、記憶を無くす前」
「!」
「やっぱり『ライカン』だったんだと思う」
「……は?」
「分かってるよ、『根拠も無い事言うな』ってんでしょ? 『ライカン』は人間には戻せない、有り得ないって分かるよ。でも……」
あの時。
生産施設の廊下で、頭痛で歪む意識の中、頭に浮かんだのは己が空を掛ける光景だった。
広い大地には大勢の人間が武器を持って暴れており、己は『モルス』を従えてその場所を駆け回っていた。
大勢の人間を斬り伏せ、薙ぎ倒しながら。
「………………」
「昔の俺は、きっとどこか遠くの国で、大勢の人を殺して回ってたんだ。だから、今はこんなにも『奪いたくない』『失いたくない』って思うのかも」
どこか他人事の様に、リンデンは話した。
「……俺はもう、『二度と』人を殺さない。フェンネルとずっと一緒にいる。それが、俺が生きていく理由だから」
リンデンは、皆が思うよりもずっと、己が残酷な人間である事に気付いていた。
大切なものが増えた。好きな物も出来た。得意な事、美味しい食べ物、美しい景色。この世界が、どれほど素晴らしいのかをこの目で見て、学び、感じてきた。
しかし、それは全て『彼』が隣に居てくれたからだ。
「フェンネルが居ない世界に興味なんか無いもん」
彼は、押し付けている訳では無い。ただ、彼が『そうしたいのだ』と願っているだけだ。
もう、『二度と』……か。フェンネルは溜め息を一つ吐き出し、舌打ちを落とした。
「……それが、答えなんだな」
「うん」
「だが、俺はお前が完全に『ライカン』になっても後を追ったりしねぇからな。俺の手で『処理』しようが、俺の知らねぇ場所で勝手に死のうが……俺は『この船』を守るために生きていく。寿命一杯まで走りきってやるぜ」
「うんうん、俺もそれが良い」
「テメェさっきと言ってる事違うじゃねぇかクソが」
「俺の事じゃないってぇ」
はにかみながら笑って応えるリンデンに、先程の陰りは無い。
「生きてる皆が大好きだからさ。皆に生きてて欲しいから、俺も一緒に戦うの」
「……手前の事は二の次ってか?」
「俺は皆みたいに『良い人間』じゃないから。ユズさんみたいに賢くないし、マリーさんみたいに何でも出来る訳じゃない。クミンは小さいから、まだまだ色んな事覚えられるし……」
フェンネルは眉間に皺を寄せ、分解中のショットガンの上に防塵用のシートを掛ける。
「それに、俺はいつもフェンネルを怒らせて、ばっかり……?」
部屋履きを脱ぎ、何の迷いも無く上段への梯子を登ってくる彼に目を丸くしてその動きを見つめる。リンデンの両足を跨いで壁側に陣取り、クマの顔が象られたクッションを引き寄せたフェンネルは彼の毛布へ勝手に潜ると「寝る」と一言ベッドの主に告げた。
「……え!?」
「うるせぇ」
電気、と小さく呟いたリンデンに強く舌打ちしたフェンネルは、枕元に沢山置かれた小さなぬいぐるみの一つを手に取り、手の平大のウサギが放たれると真っ直ぐにデスクのライトへと飛んでいく。スタンドのトグルスイッチにヒットし、ライトを消したウサギは、ショットガンに掛けられた防塵シートの上に見事収まった。
「嘘ぉん……」
「触ったら旋毛から半径七センチをテメェの剣で剃るからな」
「……危ないよぉ……?」
早く寝やがれ。低い声で呟かれ、かなり狭いベッドの中にリンデンは彼に触れないようゆっくりと横になる。
「……いや、眠れないんだけど……」
「テメェみたいなヤツはな、こんなので充分なんだよ」
「えぇ……?」
俺、また何かやらかした?
そう、リンデンが首を傾げた時だった。
「……俺は悲しい」
「え?」
「『悲しい』っつったんだよ、一回で聞けよ阿呆」
お前が居なくなると、悲しい。
リンデンが最初にした質問に答え、彼は「言うんじゃなかった」と何度も悪態を吐く。
背を向け、クッションで頭を覆うその姿から、彼の表情は全く分からない。
「死ぬなよ。馬鹿が」
「……フェンネル」
「暴走しかけた時マジで焦ったんだからな」
「……うん」
「仕方無ぇ時は仕方無ぇよ、それは分かってる。……だから、それまでは」
「うん」
堪らなくなって、その背に触れ、額を寄せる。刹那、フェンネルは身体を強張らせたが、それ以上は動かなかった。
触れるな、という脅しは、実行されなかった。
「……怖かったんだ。あんなに優しい店長さんだって、あんなに簡単に『いなくなっちゃう』なんて」
「……人間は脆いからな」
「皆、誰でも……ああなっちゃうのかな、って……!」
「……死は平等だからな」
リンデンは服を掴む。壁に向けて、フェンネルは薄く目を開けた。
「死なないで……!」
俺を、置いて行かないで。
その声こそ、リンデンの本心だった。
「テメェがジジィになるまで生きるっつーんなら、約束してやるよ」
「うん。絶対頑張る」
「俺より先に死ぬなよ」
「分かった」
気付けば手を取り合い、寄り添う。
「……死んでたまるか、クソ野郎」
今日の悲劇を忘れないために。そして、悲劇を繰り返さないために。
命ある限りの、『抵抗』を。
互いの体温を傍に感じながら、二人は深くなった夜の中で静かに目を閉じた。
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