五話
※
会議場から東へと歩き始めて、十五分が経過した頃。
腹拵えも済んだ三人が船へと帰還した瞬間、最初に違和感を唱えたのはリンデンだった。
「待って、何か変」
「!」
ハッチの取っ手を握った瞬間に感じた異様な気配。リンデンはすぐに二人へ注意を促し、そっと取っ手から手を離して中の様子を小窓から伺う。
ローズマリーとフェンネルは顔を見合わせ、船内を覗き込むリンデンの背後や頭上、彼の死角になる方向の警戒を始める。
「……何だと思う?」
入口のドアに耳を寄せ、リンデンが後ろの二人に問う。
後ろ腰のホルスターに差していた拳銃を抜いたフェンネルは、マガジンの本数と薬室内の弾丸を確かめ、調整をしつつリンデンに「さぁな」と答えた。
「今日は留守番にユズさんがいる筈だ。あの人に何かあったんだとしたら、今この中にいるのは相当な化け物だぜ」
「会議前にユズ君と話をした時は、特に異状は無いみたいだった。要救護者の子が起きた、とは言っていたが……」
「えっ、じゃあ、その子が化け物って事?」
リンデンの一言にフェンネルが舌を打つ。三人の間に、数秒の沈黙が流れた。
「……まさかぁ」
冗談めかして言ったローズマリーだったが、その笑顔は引き攣っていた。
「どっちにしろ、警戒するに越した事は無ぇ。リンデン、戦闘準備」
「あの……本当ごめん、フェンネル」
「あぁ?」
「実は全部、部屋に置いてきちゃってて……」
「なんで」
「街に出るなら必要無いと思って」
「テメェ仮にでも船長付きの護衛ならちょっとは武装しろよ阿呆が」
「ゴメンってぇ」
こんな時でも相変わらずな二人に「止めないか」とローズマリーが苦笑する。
「フェノン、リンに何か貸してやってくれ。リンだって、うっかり相手を殺してしまわないように工夫して頑張ってるんだ」
「マリーさん……!」
しかし、露骨な溜め息で呆れてみせたフェンネルは、腰に差していた短剣を鞘ごとベルトから引き抜いてリンデンに投げ渡す。
「この阿呆リンデン。テメェなんか、バカ過ぎる阿呆リンデンだ」
「だからゴメンってぇ。ちゃんと研いで返すからさぁ」
「グズが」
「こらこら」
リンデンは受け取った銃剣を自分のベルトに差し直し、フェンネルはコートを脱いでハッチの真正面にある柵に掛け置く。二人より一歩後ろに構えたローズマリーが二人に目配せして手を挙げ、フェンネルとリンデンもそれを合図に目を見合わせて頷き合った。
リンデンが、ゆっくりと船の入口であるハッチを押し開く。
「ユズさーん……いるー……?」
当然、リンデンの呼び掛けに返事は無い。それどころか、廊下はまるで燻ぶる煙のような白い靄で、真っ白に埋め尽くされていた。
リンデンは手で少し靄に触れて外へ掻き出してみる。靄の消え方、匂い、感触、温度など、あらゆる情報から、その気体の答えを導き出す。
「……ただの水蒸気だ。雲の中に入るみたいな感じかも」
ローズマリーが胸を撫で下ろし、フェンネルが「よし」と頷いた。
「毒じゃないなら良い。そのまま進むぞ」
「了解〜」
「ローズは外で待ってろ」
「一緒に行く。これは私の船だぞ」
「あぁ?」
嫌そうなフェンネルの横で、心配そうなリンデンが彼女に「大丈夫?」と問い掛ける。
「マリーさん、何があるか分かんないよ? 危なくない?」
「っつーか邪魔」
「ナメるなよ小僧共め。私を置いていったら勝手な真似ばかりするからな」
「えぇ……それ、どういう脅しなの……?」
「まったく、どいつもこいつも……念のためマスクはしとけよ」
「分かった、ありがとうフェノン」
フェンネルはベルトポーチから小さく丸められた三角巾を取り出し、ローズマリーに向けて投げる。受け取った彼女は、それを広げて口を覆うと後頭部で布巾の端を結んだ。
合図を出し合い、ハッチの中へと進み始めたリンデンに続いて、フェンネルとローズマリーも船内へと足を踏み入れる。何故か電気が消え、暗くなった廊下は何処までも白い靄で埋め尽くされ、リンデンは靄を手で払いながら奥へと入っていくが船内の視界は無いに等しい。
フェンネルが背後からハンドライトを点けても真っ白な霧が照らされるばかりで、各部屋の窓から入る明かりが何となく分かる程度にまで、中は靄に埋め尽くされていた。
「なんで中のライトが全部消えてるんだろ……もしかして、この霧でショート起こしたとか?」
「それは無ぇだろうな。ウチの配電盤は、ユズさんが完全防水に拘って改造してある」
「なんで?」
「掃除しやすいようにだとよ」
「なら、今回はユズ君がわざと明かりを消したと考えるのが自然かも知れないな」
「なんで?」
「んー……姿を隠すため、とか?」
ローズマリーの言葉にリンデンは眉を下げ、フェンネルは顔を険しくさせた。
「これ……急いだ方が良いのかな? マリーさん、どうしよう」
「取り敢えず、ユズ君の安全確保を優先しよう」
「あの女の子じゃなくて?」
「その女の子が『どっち』か分からないから仕方無いだろう。その子が助けを求めているのであればユズ君が保護しているだろうし、違うのであればユズ君を助けなきゃいけない。まずはユズ君を見つけるんだ。リンは船内の『検索』を頼む」
「分かった」
船内の生体反応を探るため、リンデンは目を閉じて更に感覚を研ぎ澄ませる。その背後で、フェンネルはローズマリーに小声で発砲許可を問うが。
「駄目だ、今回はリンに任せろ」
「相手の得体が知れねぇのにか」
「リンやユズ君に、何か危害が加えられた場合のみ許可を出す。それまで、安全装置は絶対に外すな」
「……チッ」
フェンネルは舌打ちで返事をするが、大人しく拳銃の薬室から弾を抜き、弾倉を抜いてホルスターに差し直した。
その時、リンデンが口を開く。
「いたよ、マリーさん。リビングだ」
「!」
自分達の他に、数十メートル先のメインデッキに感知した二つの存在。
一つはユズリハで間違いないが、もう一つは?
「多分あの女の子も一緒にいる。でも、その女の子に若干の『モルス』体の感覚あり」
「何? ユズ君は無事そうか?」
「それは大丈夫」
そうか、とローズマリーは胸を撫で下ろした。
「なら、ユズ君が動けない理由がある事を想定して動いた方が良いな。ユズ君が女の子を保護、もしくは捕獲しているのであれば対話してみる。逆ならユズ君を助け出すぞ」
「分かった」
「じゃ、『現場担当』のフェノンにバトンタッチだ」
ローズマリーが言えば、指名された本人は少々面倒臭そうに「へいへい」と答えた。
彼女の命令や指示を踏まえて、フェンネルは大まかな作戦を二人に説明していく。
「ローズは食糧庫からキッチン下を開けてリビングへ入れ。中に入ったらシンクを防護壁代わりにしながら一時待機、換気扇が回って見えるようになってからユズさんに声掛けを始めろ。相手の武装状況が分からない以上、絶対にキッチンから顔は出すなよ」
「了解だ」
「リンデンはこのまま行ってリビングのハッチ前で待機、目標の位置確認と捕獲準備だ。ローズの声に相手が気を取られている瞬間を狙え」
「フェンネルは?」
「整備室のブレーカーを上げてから監視台に上がる。そこのサブスイッチでリビングの電気と換気扇を入れるが、明るくなってもすぐには動くなよ。ローズの声を合図に捕獲開始だ」
「分かった」
「可能なら、俺も上から捕獲を狙う。ローズ、捕獲対象の安否は?」
「助けられるなら助けたい。リン、フェノン、出来る限り相手は無傷で安全に保護するんだ。間違っても殺さないように。いいな」
「分かった!」
「了解」
皆で頷き合い、タイミングを合わせた三人は『リストベル』と呼ばれる腕時計型端末の画面共有ボタンを同時に押した。これで経過時間はもちろん、位置情報、通信機能、装着者のバイタル信号も共有される。
リンデンはその場で靴を脱ぎ、足音も無く廊下を奥へと進む。ローズマリーとフェンネルは二人で踵を返して一度外へ出ると、勝手口のような所からローズマリーの掌紋認証でハッチを開き、整備室に入る。フェンネルからハンドライトを受け取ったローズマリーは食料庫へ向かい、フェンネルは再び外へ出て、監視台へと続く梯子を登り始めた。
リンデンがメインデッキに近付くと、その入口であるハッチは完全には閉まっておらず、少しだけ空いた状態にあった。中へは入らずにリビングから死角になる位置に待機、短剣を抜いて逆手に構えると、目を閉じて感覚を尖らせ、気配を探りながら耳を澄ました。
微かだが、中から男女の話す声が聞こえる。男の方は当然聞き馴染んだユズリハの声で、意識もはっきりしており、普段と変わらぬ声音で焦っても怒ってもいないようだ。
彼の危険を感じない様子に、リンデンは心底安心する。ただ、女の方は……否、この声の感じは『少女』であろうか。その少女に向けて、ユズリハは何やら説得するような口調で話しかけ続けている。
「ほら、俺の仲間が帰ってきました。今のままでは大変な誤解を受けます、早く背中から降りて下さい」
「何が誤解だ、折角捕まえた所だというに……解放は却下する。今放せば、またお前は私から逃げ出すだろう?」
「貴女が追いかけて来なければ、俺だって逃げたりしませんよ。さぁ早く、そこから下りて」
そんな会話の内容を聞いたリンデンは、訝しげに片眉を上げる。あまりに落ち着いたユズリハの声音は、警戒していないどころか呆れや諦めにも似たものを感じる。
しかし、その少女はユズリハの大きな身体に馬乗りになり、何かの方法で彼を捕らえているのには間違いない。ユズリハを助けるため、不思議に思いながらもリンデンは短剣を握り直した。
その時、突然メインデッキ内の明かりが灯り、変わらず靄で真っ白ではあるが、機器類の配置が分かる程には視界が開けた。同時に回り出した空調設備のお陰で、船外へ吸い出され始めた靄は天井から少しずつ薄くなっていく。
その状況に素早く気付いた少女が、少し戸惑った様子で辺りを見渡し始めた。
「くそ……蒸気が何処かへ吸い出される。何が起こった?」
「換気扇が回ったんですよ。この霧もすぐに晴れます」
リンデンは、靄が晴れてゆく先に少女の姿を捉えた。
俯せに倒れるユズリハの広い背中に、アヒル座りで乗っかっている褐色肌の幼い少女。長い紺色の髪が、ローズマリーの用意した白いワンピースに映え、さらさらと艷やかに揺れ靡いている。
俯けば目の前に降りてくる長い髪を鬱陶しそうに避けながら、少女が何故か右手を天井へと翳した時だった。
「ユズ君、聞こえるかっ? 何処にいるんだ!」
「!」
キッチンのある方から、ローズマリーの声が響く。すると少女は目を見開き、声の方をギロリと睨んだ。
彼女から強い殺意を感じたリンデンは、ハッチの隙間からリビングへと侵入する。
「……馴れ馴れしく呼びおって……!」
少女が呟いた瞬間、突如として、ストンと帷が落ちるように完全に靄が晴れる。彼女はローズマリーの声がしたキッチンに手を翳して何かをしようとしていたが、完全に意識をそちらに向けていた事で、少女の死角に回っていたリンデンが彼女に向けて強く床を踏み込んだ。
少女はリンデンの殺気に気付くも刹那ほど遅く、数メートルの距離を一蹴りで跳んできたリンデンに背中から体当たりを食らう。そのまま床を滑りながら俯せに抑え込まれ、腕を背中で固定され動きを封じられてしまった。
背中に馬乗りになられてしまっては、もう手も足も出ない。
「っは、離せ! 貴様、何者だ!」
「暴れると痛いよー? じっとしてなって」
少女が背中から居なくなった事で、自由を得たユズリハは動き辛そうにゆっくりと上体を起こして立ち上がる。
「くっ……誰だ、リンデンか?」
「ユズさん、大丈夫?」
「やっと動ける。取り敢えずは助かった」
取り敢えず?
何やら含みがある言い方に、リンデンは「どゆこと?」と訝しげに問う。
ユズリハはリンデンと少女に、凝った肩を回しながら歩み寄った。
「リンデン、彼女は敵じゃない。要救護者だ」
「いやいや嘘でしょっ? さっき明らか捕まってたじゃん!」
「俺が油断しただけだ。彼女には助けが要る」
メインデッキで話をしているユズリハとリンデンの様子に、監視台にいたフェンネルも、天井の丸い窓から下へと飛び降りてくる。三メートルほどの高さを猫のように身軽に着地した彼は、操縦席の後ろの壁に掛けられた小銃を手に取ってリビングへと上がった。
「おいおい、何が起こってる?」
「フェンネル、こいつ要救護者扱いだってさ」
リンデンの説明に、フェンネルはユズリハを見る。
「……どういう事か、一から説明してもらっても?」
「分かってる。彼女は……」
しかしその時、キッチンの奥からローズマリーの「おーい」という声が響く。その声を聞いた途端、リンデンに捕まえられていた少女が身を捩って抜け出そうと小さく暴れ始める。
「うわ、何? 怖い怖い、抵抗すんなし」
「貴様ぁ……私に触れるな、離れろ痴れ者めが!」
「やだ、口悪ぅい」
そう言いつつも、リンデンは少女との力の差に余裕を見せつつ、しっかりと掴まえる腕の力を安定させる。
顔を覗かせようとしたローズマリーをフェンネルが制止し、少女と彼女の間に入ってボルトを引くと小銃の薬室に弾丸を送り込む。
ユズリハは状況を見ながら判断を選んでいるようで、少女が敵ではないと言いながらも、彼等が警戒を強める事を制止せずに様子を伺っている。
少女は腕を出そうと足掻くが、変わらず自分の上に居座り続ける相手に「何故だ」と驚いている。
「魔力が使えん……! 貴様、私に何をしたっ?」
「えー何にもしてないし。むしろ暴れてんのはそっちなんだけど?」
「離せ、そこを退け! 私はそこに隠れている女を、今すぐ始末せねばならんのだ!」
「!」
少女の言葉に、船員達の表情が瞬時に冷たいものへと変わる。リンデンがフェンネルを見れば、彼は既にその銃口を少女の眉間へと向けていた。
そんな張り詰めた空気の中で、最初に沈黙を破ったのは溜め息を吐いたユズリハだった。
「……言いましたよね。乗組員を傷付けるなら、俺は金輪際、貴女の前に姿を見せません」
「くっ……!」
「……?」
「何、その脅し?」
リンデンとフェンネルだけでなく、キッチンに隠れていたローズマリーも首を傾げる。
焦った様子の少女は、「でも」と言い訳を並べ出すが。
「あ……あの女は、ユズリハを馴れ馴れしく呼んだんだぞ。見逃す事は出来ん……!」
「彼女はこの船の船長で、俺の上司なのですから馴れ馴れしいのは当然でしょう。皆の上に立つ者は誰であれ、下々の者に気安くするものです」
「何……? なら、こいつ等は下僕という事か?」
「下僕て」
リンデンが思わず鼻で嗤った。
「彼等も俺も下僕ではありません。この船の乗組員達です」
「おい、女! 貴様が船長なれば、早くこの不届きな下郎を退かさんか! 私は巫女なのだぞ!」
さっきから、この少女は何を言っているのか。そして、何故ユズリハは彼女の扱いにここまで慣れているのか。
訝しげに眉根を寄せるばかりだったリンデンが問う。
「ユズさんは、コイツの弱みでも握ってんの?」
「今の内だけだろうがな。話してみたら、完全に記憶喪失という訳でもないらしい」
「……どういう事なの?」
「俺もまだ把握は出来てないが、とにかく悪い子ではない。それだけは確かだ」
すると、キッチンからそっと出てきたローズマリーは、フェンネルが構えていた小銃のバレルを下へ押して照準を逸らさせる。何も言わないフェンネルは小さく舌打ちをするが、大人しく安全装置を掛けて銃口を床へと向けた。
ローズマリーが俯せに組み敷かれる少女の前にしゃがむと、少女はローズマリーを鋭く睨み上げる。未だ抜け出ようとする腕をリンデンがしっかり固定するが、少女は攻撃を諦めてはいないようだ。
ローズマリーは、ニッと少女に笑い掛けた。
「初めまして、『胡蝶の君』。私はこの船の長で、皆の上司だ。勿論、ユズ君は私の部下で仲間だ」
「……たとえ長でも、我が番を気安く呼ぶな」
「ツガイ?」
「この男は、私が選んだ私だけの番だ。貴様らが何者であろうと、我が番に気安く接する事は許さん」
三人が一斉にユズリハを見る。こんな話を聞けば、この様な反応をするだろうと予測していたらしい彼はすぐに皆に掌を見せて「今の内だけだ」とすぐさま否定した。
「違う、そうじゃない」
「ユズ君……こんな小さい子を相手に……」
「変な勘繰りするな、彼女がそんな事を言うのも本当に今だけだ。法律と秩序を学んで今の生活に慣れれば、絶対に落ち着くから」
「……もしかして、ユズさんはコイツが起きてからずっと船内を逃げ回ってたんですかぃ? 船中の灯り全部落として」
フェンネルの問いに、ユズリハは頭を掻きながら頷いた。
「起きてすぐではないが……話してる内に、妙に気に入られたみたいでな」
「……そんな簡単なものではないわ、戯けが」
ユズリハの言葉を聞いた少女が、不満そうに口を開く。
「私は、私の意思でユズリハを選んだのだ。故に、その瞬間からこの男は我が番であり、私のものとなったのだ。神の子を授かる巫女のものは、神が所有すると同等ぞ。貴様ら下郎が簡単に触れて良い存在ではない」
「……んー?」
訝しげに唸ったリンデンの声だけが、その場に大きく響いて消えた。それ程に誰もが唖然とし、ユズリハも疲れたように溜め息を吐く。
しかし、それでもローズマリーは神妙な面持ちで少女の言葉に耳を傾けていた。
「……そうか。大体は分かった」
ユズリハの様子を見れば、この珍妙な少女の言い分は、本当に彼女が勝手に言い出した事と見て間違い無いだろう。しかしそんな少女も、己の知らない場所で目覚め、不安の中で優しく接してくれる相手に懐くのは当然と言えば当然だろうか。
一通り状況を整理したローズマリーは、少女に再び微笑みかけた。
「お前はユズ君に一目惚れして、彼を番にしたいんだな?」
「馴れ馴れしく呼ぶなと言っとるんだ。番に『したい』のではない。私が選んだ時点で、既に私とユズリハは番なのだ」
「成る程なぁ。じゃあ、番った今は何を目的に動く?」
「子を成す」
アシㇼパから、表情が消えた。
「……いつ?」
「すぐにでも」
少女の言葉に迷いは無い。『それこそが当然』と言わんばかりの声で、少女は彼を自慢するかのように続ける。
「ユズリハは賢くて冷静、心身共に屈強で温厚。此奴の種なら、必ず神の子を宿す事が出来る」
「うえぇ……」
抑え付けるリンデンが、強い嫌悪感に音を上げそうになる。ローズマリーが視線を向けてリンデンを労った瞬間、彼女は背後で小さな金属音が弾けるのを聞いた。
「駄目だ、フェノン」
先程の金属音が小銃の安全装置を外した音だと気付いたローズマリーは、すぐに立ち上がって銃口を少女に向けるフェンネルの前に立ちはだかる。
「銃を降ろせ。私は許可しない」
「コイツは塵だ、塵は殺すしか無ぇ」
「だとしても、ここは私の船だ。発砲は許可しない」
「うるせぇ、命令すんな」
「フェンネル、どうか少しだけ待って欲しい。クソみたいな考え方なのは分かるが、これは誰かに植え付けられたものの様な気がするんだ。頼む」
ユズリハにも諭され、しかし「だとしても」とフェンネルは言葉を返す。
「ユズさんなら分かるでしょうよ。そんな簡単に人間は変わらねぇ……生かしといてもこっちが損こくだけだ」
「分かってる。だから俺に時間をくれと言ってるんだ」
「フェノン、銃を降ろせ。これは命令だ」
ローズマリーは表情を変えずに、スッと眼を据わらせフェンネルを見上げる。時間にして数秒間フェンネルとローズマリーは睨み合っていたが、ふと、フェンネルは銃口を上に逸らすとボルトを引いて薬室から弾を抜いた。
ボルトを戻す事無く、そのまま小銃を床に投げ捨てる。ガシャンと大きな音を立てて転がった銃を、ユズリハが拾い上げた。
ローズマリーに背を向けたフェンネルは、絞り出すように言葉を投げた。
「……俺の視界に入ったら、その時点で頭吹っ飛ばすからな」
「フェノン」
「命令なんざ知るか。……そん時はこんな船、喜んで出てってやるよ」
一切振り返る事もなく、歩き出したフェンネルはハッチを抜けてメインデッキを出て行ってしまう。
ローズマリーは、ふ、と息を吐き、少しだけ悲しげな目をハッチに向けていた。
「地雷なのは分かってたが……」
「……ローズマリー、俺は……」
「……ユズ君も良くやった。ありがとう」
お前は間違っていない。謝罪を言おうとしたユズリハは、感謝と共に振り返った彼女の表情を見て、これ以上の言葉を紡がなかった。
よし、と気合を入れ直すように呟いたローズマリーは、ぱっと少女に向き直って屈むと、ハッキリとした口調で相手に告げた。
「……残念だが、『胡蝶の君』。この船では、私が法律であり神と呼べる存在だ。だから現に部下を退けられたし、彼も私の言葉を守った」
「そ……それが、何だ……」
「強がっても無駄だぞ? ここに居る皆が私の部下で、ユズ君も当然、私の大切な船員で仲間だ」
「…………っ!」
「外から突然やって来たお前が何をどう勝手に決めたとしても、彼はお前のものにはならない。何故なら、既に私がこの船の神だからだ」
少女は悔しげにローズマリーを睨む。まさか、己にここまで毅然とした拒絶の言葉を言ってくるとは、夢にも思っていなかったらしい。
ローズマリーはわざとらしく、少女にふんぞり返ってみせる。
「今の段階では、お前がユズ君に言い寄る事も触れる事も私は許可しないぞ。私の大切な船員を、変な危険に晒す訳にはいかないからな」
「……決めるのは貴様ではない。私が……」
「残念、この船の全ての決定権は、神である私にあるんだよ。この船を逃げ出しても、お前の主張はこの国では一切通用しない。そんな中で生きていける強い自信があるのなら、お前の自由にすればいいさ」
「………………」
確固たるローズマリーの言葉に、他の船員も船長に意見する事はない。それは正に彼女の発言が正当で間違いないものであり、真実であると少女に突き付けていた。
少女の眼に、強い戸惑いが生まれる。そのためか、少女がそれ以上ローズマリーに言い返す事は無かった。
ユズリハの言う通り、彼女は決して悪い人間ではない。そう理解したローズマリーは、視線を下げた少女の目の前に人差し指を突き付けた。
「でも!」
「っ!」
「そんなお前に、機会をあげようと思う」
「……何……?」
少女が訝しげにローズマリーを見上げた。
「達成すべき条件は二つ。それが出来れば、ユズ君に求愛する資格を与えよう」
「!」
「おいローズマリー……」
突然自分の名前が出て、意見しようと口を開いたユズリハをローズマリーが笑顔で制止する。
「まぁまぁ、いいじゃないか。年齢も性別も人種も、誰かが誰かを好きになるというのは素敵な事だ」
「それとこれとは別だろう」
「勿論、最終的にユズ君の心を射止められるかどうかは、彼女の気持ちと腕次第になってくる。それまでは、どうか大目に見てやってくれ」
少女の『洗脳』が解けた後で、諦めるよう説得すればいい。
船長の言葉の裏にそんな意味を悟ったユズリハは、困った様子で頭を掻きながら溜め息を吐いた。そんな彼に、ローズマリーも思わず苦笑を浮かべる。
少女に向き直ったローズマリーは、少女に発破の言葉を掛けた。
「さぁ、ユズ君は一応お前の求愛を許可したぞ。もし彼を振り向かせる自信がお前にあるのなら、条件を飲んだ方が得策だと思わないか?」
「……言ってみろ」
「いいだろう」
一つ目、とローズマリーは慣れた口調で説明した。
『チャーチグリム号』は討伐任務以外にも、司令官であるバーベインからの命令で『中心街』の治安維持や犯罪の制圧に駆り出される事がある。実はローズマリーが呈した条件は、素行の悪さから補導されたり逮捕された子供達を保護した際に、必ず出しているものだった。
「一つ目は簡単だ。ハイマート共和国の歴史や地理、文化を始め、法律や秩序、道徳など、この国で生きていくための知識を全て学習する事」
当然、ローズマリーが運営する三つの孤児院では、基本教科として十六歳まで授業で学べるようになっている。保護され孤児院に入れば、必然的に教養や人間関係を身に付けられる……それは、彼女の教育に関する強い拘りでもあった。
「この国にだって、破ってはいけない秩序も規律もある。逆を言えば、国が抱えている問題も少なくはない……それらの全てを学んで、考えて、知識を力にするんだ。抜き打ちで質問するからな」
「……二つ目は?」
ローズマリーは、ニッと悪戯っぽく笑った。
「この船の乗組員全員と友達になる事だ」
「……トモ、ダチ?」
「そう、友達だ。だがそれに至っては、決めるのは私じゃない。この船の全員……私の仲間一人ひとりが、お前を『友達』だと認めれば合格だ」
「トモダチ……」
しかし、その条件に対して、少女ではなく彼女を押さえ付けていたリンデンから文句が飛び始める。
「えぇーっ! 俺、反対なんだけど! コイツと友達になるとか絶っ対、無理!」
「それを彼女がこれから頑張るんじゃないか。このテストはお前にも出しただろ?」
「そうだけどぉー」
「ちゃんと合格もしたじゃないか」
「そうけどぉー……!」
不貞腐れるリンデンに、ユズリハも思わず苦笑を浮かべる。
「……フェンネルに啖呵を切った手前、俺が断る訳にはいかないな。ローズマリー、彼女の指導係は俺に任せてくれないか?」
「勿論だ。この子に勉強用の本と筆記具を構えてやってくれ。教科書になりそうなものは私が探してこよう」
「了解だ。有難う」
「リン、確かリストベルの予備は部屋に保管してあるんだったな」
「え? うん」
なんで? と、首を傾げるリンデンに、ローズマリーは「少しの間、彼女に貸してあげて欲しい」と頼んだ。
屈強なユズリハが少女一人で抑え込まれてしまった事、そして彼女から『魔力が使えない』という言葉を聞いて、リンデンの能力を抑える制御装置が搭載されているリストベルが関係していると感じた。ある程度訓練を積んでいるリンデンなら短期間外していても大丈夫だろうが、出会ったばかりの少女に対してはまだ信用するには早過ぎる。
船員と少女を守る為、咄嗟に思い付いた応急処置だった。
「俺は外していいの?」
「もう帰ってきたんだし、大丈夫だろう。着替えにでも行った時に取ってくれば良いから」
「分かった」
リンデンは自分のリストベルを手首から外すと、器用に片手で少女の左手に装着する。
「ベルトの部分、汗臭かったらゴメンね?」
「はぁ? 臭いのは嫌だ」
「だからゴメンって」
「特注が届くまでの我慢です。何なら、ベルトは後で交換しましょう」
「本当か? 有難うユズリハ」
「特注が届いたらそのまま返してくれたら良くない? え、待って嘘でしょ、そんな臭いの?」
何やら急に仲良さげな会話をする少女と船員達に、『友達』になれるのも時間の問題かと、ローズマリーは微笑ましそうに目を細める。
……しかし。
「………………」
もし、少女の言う『魔力』とやらが、リンデンと同じ不思議な能力だったとしたら。
彼女を抑え込んだのが、制御装置を持っていたリンデンではなくフェンネルだったら。
もし能力を発揮されて、この狭い船内で戦闘になってしまったら。
自分達の運の良さと、『もしかして』の恐怖を思い返し、ローズマリーは心の底から胸を撫で下ろしていた。
「ローズマリー、もう良いだろう」
「そうだな」
ユズリハに促され、ローズマリーはリンデンに掌を見せて『対象の解放』を指示した。
リンデンが少女の腕を放し、その小さな身体から退く。すると、彼女は訝しげに眉を潜めながら、ゆっくりと身を起こした。
手を差し伸べてきたユズリハの手を取り、少女は静かにその場に立ち上がる。
「ようこそ、ハイマート共和国へ」
そう笑ったローズマリーに、少女は少し警戒した眼差しを向けた。
「……この腕輪は何だ」
「保険で盾で枷だ。条件が達成するまで、絶対に外したら駄目だぞ」
「……もし、外したら?」
「その時は、ユズ君にお前の首を飛ばしてもらおう」
「!」
少女は驚き、弾かれたようにユズリハを見上げる。しかし、ユズリハは少しだけ眉根を寄せただけで、落ち着いた声でローズマリーに確認する。
「……まさか、それは『命令』じゃないよな?」
「もちろん『指示』だ。頼んだぞユズ君」
変わらず笑顔のローズマリーに、ユズリハの表情が柔らかいものに戻る。
絶対的な執行力のある『命令』と違って、『指示』は任務を受けた船員に決定権がある。ある程度の融通が利く『指示』ならば、彼女が信頼に足る人物になった時、もしくは止むを得ない理由があって外さざるを得ない状況になった時など、場合によって融通が利くという事だ。
「……そうか。了解した」
いつか、枷を外せる時が来る……必ず信用に足る人間になれる。
船長の言葉を受け、ユズリハもしっかりと任務を引き受けた。
しかし、『命令』と『指示』の違いなど知る由もない少女は、己が番に選んだ男が、何の躊躇いもなく己の処刑を請け負ってしまったと認識し、戸惑い怯えた表情で視線を下げる。
「まずは名前を考えないとな。自分の事は、何も分からないんだろう?」
すっかり意気消沈した様子で、素直に頷く少女。そんな彼女にローズマリーは苦笑しつつ、そっと歩み寄って優しく声を掛けた。
「大丈夫、心配するな。幾らでも時間はあるんだから、これから頑張っていけば良いんだ。お前の頑張り次第で、きっとユズ君に相応しい女性になれる」
自分の腕を抱き、床を見つめたまま黙って頷く少女に、ローズマリーは彼女の肩に手を置いて寄り添い、優しく励ました。ユズリハも、二人をソファへ促して自らはキッチンへと向かう。
一方で。
「……ねぇ、マリーさん……?」
その、と言い淀むリンデンの真意をすぐに悟ったローズマリーは、彼に微笑み「行け」と応えた。
「こっちは任せろ、リン。『お兄ちゃん』を頼むぞ」
「……ありがとう」
メインデッキを出て行ってから完全に気配を消し、何処かへ行ってしまったフェンネルを追いかけて、リンデンはリビングを走りハッチを出て行った。
※
あ




