四話
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「マリーさん達、まだかな……」
足元の小石をハート型に並べながら、右頬に大きな火傷の跡が目立つ一人の青年は空を見上げ、小さく呟いた。
以前、船長に茶々入れしてきた将校に対して殴りかかろうとした前科がある彼は、議会の永久追放と会議場への立ち入り禁止を言い渡されていた。そのため、船長が会議への招集が掛かる度、
会議場正面の玄関前にある階段に腰掛け、律儀にローズマリー達が出てくるのを待っているのだった。
会議が始まって二時間半。する事も無くぼんやりと座っているだけの彼の足元には、いつの間にか蝶が群がり羽を休めている。彼の肩へと飛んできた小鳥も、そのスカーフに身体を埋めて目を閉じ、やってきた野良猫が彼のすぐ隣で腕を仕舞って座り込むと、爽やかな風に髭を揺らしながら、うとうとと気持ち良さそうに居眠りをし始めた。
それらを追い払う事もせずに、彼は慣れた様子で隣の猫を撫でながら退屈そうに溜め息を吐いた。
彼の気分が穏やかで落ち着いている時は、決まって沢山の生き物達が彼に集まり、何故かその身を彼に委ねてくる。それはさながら木漏れ日の輝きが心地良い、止まり木の様な感覚だろうか。
見上げた先には、白い雲が青く広い空をゆっくりと流れていくのが見える。噴水に反射してキラキラと輝く陽の光に、小さな飛沫を上げながら流れる水の音色。夢へと誘うような心地良さに、青年はその赤い瞳を閉じた。
「……良い天気だなぁ」
世界は冬から春へと変わろうとしている。花が芽吹き、命が活発になっていく季節の中で、青年が覚える自然と一体になった様な感覚は、彼をいつも幸せな気分にさせてくれた。
ローズマリー達『チャーチグリム号』に拾われ、その目が醒めた時から、青年は命あるものの位置が鮮明に把握出来る能力を持っていた。そんな彼にとって、命が星の様に輝く様を感じる瞬間は、まさに至福の一時と言えよう。
命を溶かし育む土の匂い、優しく降り注ぐ日の暖かさ、道を伝い流れてゆく水の音、肌を柔らかく撫でていく風の感触……人々の体温、動物達の吐息や、小さな虫が葉を食べる音など、辺りに存在する命が、忙しなく動いているのが手に取るように分かる。遠くで声を上げて泣く赤子も、卵を割って生まれる小鳥も、懸命に生きようとしている彼等の強さを感じた青年は、その愛おしさに思わず表情を緩ませた。
命とは、こんなにも美しい。『生きている』とは、こんなにも素晴らしい。
深く息を吸い込み、全身で『世界』を感じ取った彼は、その息をゆっくりと吐きながらその場に仰向けに寝転がった。隣にいた猫が彼の腹に乗って丸くなり、小鳥達に至っては、彼の髪を啄んで遊び始めている。
ただ『そこ』にいるだけで、嬉しい。青年は、溢れさせた感情を笑顔に変えて腹の上の猫を優しく抱き締めた。
しかし、その時。
「あっ!」
今一番に感じたい存在を察知した青年は、カッと目を見開いた。
彼の頭元にいた鳥達が驚き、青年の頭元から飛び立つと同時に、よく知った仲間達の声が正面玄関の方から聞こえてくる。勢い良く起き上がり後ろへ振り返った青年は、腹に乗る猫を抱えて素早く立ち上がると、会議場から出てきた二人に満面の笑みで駆け寄った。
「マリーさん! フェンネル!」
「リン、遅くなってすまない。その猫ちゃんはどうしたんだ?」
「猫!」
「阿呆リンデンめ」
フェンネルが不機嫌そうに舌打ちするが、リンデン、と呼ばれた青年は全く気にした様子もなく「おかえり」と猫の頭を撫でながら二人に笑顔を浮かべている。その姿はさながら主人の帰宅を喜ぶ忠犬のようで、フェンネルは猫を抱く彼の尻に全力で振り回される大きな尻尾が見えた気がした。
「お疲れ様、マリーさん。会議どうだった? またイジメられたりしなかった?」
「フェノンもいたし、大丈夫だ。何も問題は無かったぞ」
リンデンに笑顔で答えるローズマリーだったが、隣で腕を組むフェンネルはそんな彼女を「ふっ」とせせら笑う。
「堂々と嘘吐いてんじゃねぇよ、船長。正直に教えてやれば良いだろ」
「よせ、フェノン」
「え、何?」
「リン、本当に何でもないんだ。気にしなくて良い」
しかし、はぐらかそうとする彼女を無視して、フェンネルは先程会議室で起きた出来事を包み隠さずリンデンに話した。少し悲しそうな笑顔で「もう終わったから」と微笑むローズマリーだが、話を聞いたリンデンの表情は瞬く間に阿修羅へと変貌していく。
「……よくもマリーさんに……!」
「リン、もういいから」
ローズマリーは何とかリンデンを宥めようと声を掛けるが、辺りの空気は瞬く間にひやりと冷たくなる。リンデンの腕に抱かれていた猫は慌てた様子で地面へと身軽に飛び降りると、そのまま何処かへと一目散に走り去っていった。
それだけではない。三人の近辺にいた鳥や小動物達、虫さえもが蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ始め、彼等の周りの動物は何一つも居なくなってしまう。
「おい、リン」
「はは。良い気分転換だ」
「こらフェノン」
怒るリンデンに、けしかけた形になったフェンネルは空気の変化を楽しみながら笑みを零した。
己の感情や気分によって、周りの生物に影響を及ぼしてしまう。これもまた、彼の奇妙な能力の一つだった。
彼が腕に巻く通信端末には、その能力を抑えるための制御装置も組み込まれている。感情が負の方へ強く振り切ると当然制御装置も壊れてしまうが、そうなると、彼の周りにいる人間はその能力の影響を直接受けて身体に異常を来たしてしまう。良くて失神、最悪の場合など考えるだけでも恐ろしい。
当然、それを知っているローズマリーはリンデンに注意を促す。
「リン、いい加減落ち着け。制御装置が壊れたら周りに迷惑を掛けるぞ」
「……ねぇフェンネル、その野郎どこの誰? 名前と階級教えてくれたらブッ殺してくる」
怒り心頭のリンデンに、フェンネルはやはり「阿呆リンデンめ」と嗤いながら鼻を鳴らした。
「だからテメェは阿呆なんだよ。この件は俺が持つから、全面的に出禁食らってる阿呆は船で大人しく飯でも作ってろ」
「はぁ? 子猫ちゃんが独りで抜け駆けして無事に帰ってこれると思ってんの? 絶対に俺が行った方が早いね」
「誰が子猫ちゃんだクソゴリラチワワが。テメェの『やり方』は目立つ上に足が付く。黙って俺に任せてりゃ良いんだよ」
「んもー、殺すな殺すな」
真面目に相手の殺害計画を立てようとしている部下二人の背中を思い切り叩き、彼女より頭二つほど背の高い二人はその痛みに軽く呻く。「早く帰ろう」と笑って歩き出した彼女の後ろ姿に青年達は顔を見合わせるが、フェンネルは溜め息を吐いて呆れたように首を振り、リンデンは「うん」とローズマリーに微笑んだ。
船長の後ろに付いて歩き出した二人に、ローズマリーは「だがな、リン」と切り出す。
「お前が思う程、今回の会議は悪い事ばかりじゃなかったんだ」
「え、そうなの?」
「ローズ」
船長に静止を掛けたフェンネルだったが、彼女は『してやったり』の笑顔で「ふふん」と口角を上げる。
「確かにムッとした事もたくさん言われたが、そんなのは別にいつもの事だ。でも、フェノンがちゃんと仕返ししてくれたんだぞ」
「仕返し? 会議はいつも寝てるって聞いてたけど」
「いつもはそうだな。でも、ちょっと過激だったけど、フェノンのお蔭で今とても気分が良いんだ」
不思議そうに首を傾げるリンデンだったが、そんな彼にローズマリーは会議場での出来事に加え、フェンネルの行った『仕返し』を簡潔に説明する。確かに過激ながらも仲間の武勇伝を聞いたリンデンは、目を輝かせてトキメキに緩む口を両手で覆う。
「やだ……超格好いいじゃん……!」
「そうだろう、そうだろう。方法はあんまり褒められたものではないが、本音で言えば、実はかなりスカッとした。私は大満足だ」
頷きながら褒めるローズマリーの後ろで、不貞腐れるフェンネルが不満げに呟く。
「俺は満足してない」
「まだそんな事言ってんのか? 私が『いい』って言ってるのに」
「ふん」
「んもー……リン、何か言ってやれ」
会議での出来事を思い出し、僅かに苛立つフェンネルにリンデンが優しく微笑む。
「俺が何か言わなくても、フェンネルはいつもスゴいよ? 誰も怪我させてないのもスゴいし、マリーさんが今こうして笑顔でいられるのも、フェンネルが居てくれるからだし」
「………………」
「俺なんかさ、すぐカッとなって暴れちゃうし、制御装置壊れたら大変な事になっちゃうから……フェンネルみたいに賢い方法で仕返しできたら良いんだけどなぁ」
フェンネルは黙り込んだまま何も答えない。
リンデンは優しい眼差しで笑みを浮かべ、視線を逸らすフェンネルの顔を覗き込む。
「ね、自信持ってよ。『チャーチグリム』では一番フェンネルが賢いんだから」
「………………」
「そうだぞ、フェノン。私はお前のような『息子』がいて鼻が高いんだから」
不意に二人に絶賛されたフェンネルは、無表情で俯くと指先で三つ編みを弄り、戸惑ったように目を泳がせる。
「……別に……お前らが阿呆だから……」
「んもー、褒めてくれたら『ありがとう』だろ?」
「………………」
照れている。そして、恥ずかしがっている。微笑ましい彼にローズマリーが目を細め、リンデンが手で顔を覆い叫んだ。
「もう、フェンネルの天邪鬼! 好き!」
「キモうぜぇ寄るな死ね」
「照れてるー! 可愛いー!」
「死ね」
「こらフェノン、過激な照れ隠しはするなっていつも言ってるだろ」
フェンネル独特の口が悪い照れ隠しも、何年も一緒に過ごしてきた二人にとっては慣れたものだ。三人は彼等なりに仲良くじゃれ合いながら、道すがら昼食を買い食いしつつ帰宅の路に着いた。
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