三話
よろしくお願い致します。
※
一方、ユズリハとの通信を切ってから二時間後。
「はぁー……この話は六度目だぞ。一体、何回話せば解ってくれるんだ?」
報告と言う名の尋問のために『中心街』へと出てきていた少女は、心底呆れた様子で薄い茶色の髪をガシガシと掻いた。
すり鉢状の会場内、皆が見下ろす中心の証言台に立つ少女は、あまりにも有名な己の名を嫌って軍のパスコードである『ローズマリー』を通称として名乗っている。その上、彼女を知る者は更に名を細かくして愛称を呼んでいるため、彼女ほど『呼ばれ名』が多い人物もそうはいない。
「だから、私達は指図書に書いてあった座標通りの指定場所へ向かっただけだと言ってるだろう。当然そこが『禁猟区』であった事も知っているし、実際、討伐任務だけをこなして『キュア』の捕獲は行っていない」
「その証拠はあるのか?」
「船の運行記録を見てみろ。全てが映ってる」
うんざりした様子で腕を組むローズマリーの三歩後ろで、焦げ茶色の大きなコートを羽織り、フードを目深に被った彼女の護衛を務める部下が、退屈そうに目を擦りながら大きく欠伸をした。
彼女はそれに気付いていないのか注意もせず、つまらなそうな彼女の部下を見ていた会議場中段に座る薄いサングラスを掛けた男性が、苦笑を浮かべて木槌を二回打ってマイクに声を乗せた。
「皆々様、静粛に。尋問の論点が逸れておりますぞ」
「バーベイン殿」
ローズマリーの顔が少し明るくなり、欠伸をしていた部下が視線を向ける。
彼女が『バーベイン』と名を呼んだその男性は、ローズマリー達を始めとした複数ある討伐隊の直属の上司に当たる存在だ。
バーベイン・ジャスパー司令官。軍属の一尉に当たる将校で、中年とは思えぬ端麗な容姿、整った口髭が凛々しさを際立たせ、その柔らかな物腰で、彼を慕う仲間や部下も多い。
その上でかなり頭の切れる凄腕の将校であるのだが、推薦を多数に渡り受けているにも関わらず、何故か自ら出世を拒否し、司令官という地位に座り続けている不思議な人物でもあった。
「この二日間で、その様な質問は既にされ尽くしてきた。今日の議題は『遭難未遂の責任』と、『救助者の今後の扱い』だった筈でしょう」
司令官の言葉に、先程まで野次と悪口で賑わっていた会場内が突然静かになる。彼に唯一応えたのは、証言台に立つローズマリー本人だった。
「……報告書の二十一ページに記載されている。発言しても?」
「許可しよう」
「ありがとう、バーベイン殿。あの時、要救助者発見に伴い、私は皆を守るためにやむなく閃光砲を使用した。確かにその区域は『キュア』の禁猟区ではあったが、野生動物の狩猟もとい食用植物の採取は禁止事項に無かったため、『チャーチグリム号』の復旧の間に、船員達の一食分の食料は採らせて貰った」
「一泊分の食料すら搭載していなかったのは何故かな?」
「指図書には『二足中型』が三頭とあったから、元々は半日で帰還する予定だったんだ。だが、実際出向いてみれば相手は『四足大型』が二頭、しかもどちらも変異種だった……お陰で、大切な仲間達を危険に晒したんだぞ」
「指図書の記載が間違っていた、という事で宜しいか?」
「まさにその通りだ」
何処からか「異議あり」の声が響く。ローズマリーもムッとした顔で声の方を見たが、ふと『警戒した部下が粗相をしないように』と思い立って後ろに振り返る。
しかし、背後の部下は沈黙を守り、腕を組んで俯いたまま動かない。
「……おーい、会議中だぞー……?」
まさか、寝ている?
堂々としている、と言えば聞こえはいいが、彼も『副船長』という立場で、ここまで会議に興味を持たないというのも如何なものか。暴れないだけマシだと思うべきか、ローズマリーは少しだけ複雑な心境になった。
そんな時、一人の将校が異議を唱える。
「指図書の手配を疑うなど、我々に対しての冒涜もいい所だ」
「……ヒヨス三佐」
その男の胸元には、『三佐』の階級章が綺羅びやかに光っている。バーベインより一つ上の階級である青い肌をした初老の男だが、本日の進行役でもあるジャスパー司令官の声は彼に対して少々冷ややかだった。
「しかし、現に指図書の内容と『チャーチグリム号』の搭載カメラが映した事実は大きく食い違っております。貴殿がそう仰るのであれば、間違っていたのは指定された区域か、または討伐対象か……」
遠回しに「罪を認めろ」と問われ、一佐の額に青筋が浮き出る。
「……我々が間違いを犯していると? 侮辱も甚だしいぞ、ジャスパー司令官」
「なら、貴殿が現地へ直接出向き、己の目で確かめてみては如何ですかな?」
「……何だと?」
「貴殿が作成した『チャーチグリム号』への指図書をその手に、貴殿の部隊で貴殿自身ががモルスを討伐に行ってみて下されば、隠された真実も見えてくるというもの。日取り、討伐船は私の方で手配致しましょう」
会場内がざわつき始める。皆が囁くのは、嘲笑か反抗か……二人のやり取りを見上げて聞いていたローズマリーには分からなかった。
ただ、一佐の声がやや荒いものになったのは確かだった。
「モルス討伐はそちらの仕事だろうが。いくら人手が足りないからと、自分達の仕事を我々に押し付けようとは職務怠慢もいい加減にしろ」
「……職務怠慢?」
彼の重く低い一言で、再び会場内が静まり返った。
サングラス越しでも、真っ直ぐに此方を見てくるバーベインの視線に、三佐も思わず冷や汗を滲ませ固唾を呑む。
「……そちらが仕事も禄に出来ていないのに、こちらも仕事を請け負うつもりは無い、と申しておるのです。一丁前に文句を訴える前に、今この場で指図書の食い違いを認め、原因を暴き、事細かに真実を説明なされよ。それが出来ないのであれば、閉場まで口を閉ざしていたまえ」
「…………っ」
論破されて何も答えない相手に、バーベインは嘲笑に鼻を鳴らす。ローズマリーも彼に同調するように何度も頷き、他の武器が使えなかった事も付け加えて述べた。
「その区域は誰も足を踏み入れないから、地上に降りれば暗くて深い森になっている。下手に重火器を使うと火災の原因にもなるし、風向きに寄っては街を焼く大災害になりかねない」
そもそも、五十年以上前に製造された旧式の船である『チャーチグリム号』は、耐火、耐熱の部品が古く火災にあまり強くない。そのため、防火や誤爆防止のために、普段から弾薬は非常時分しか搭載出来ないのが今の悩みの種だった。
自然保護、という名目で討伐隊全体の火器類を制限されている昨今において、今回ローズマリー達は、四足大型の『モルス』、しかも、変異種を限られた弾薬数の中で二体も相手取って戦ったのだ。
「通常種なら、ガトリングや砕石弾でも十分に対応できる。でも変異種だとそうもいかないのは皆が知っている事実だ。本当に生きるか死ぬかの瀬戸際で、少しでも『皆が生き延びる可能性』があるなら、それに懸けるのは船長として当然の事だろう」
うんうん、とバーベインが頷き応える。
「要救助者と船員を守るために、決死の覚悟で閃光砲を使用した、という事だな」
「そうだ」
「もしそのまま遭難したとしても、自分の部下達なら自給自足も戦闘もお手の物。閃光砲の使用は、皆への信頼があるが故の結果か」
「その通りだ!」
嬉しそうにローズマリーが認める。バーベインも「それならば」と判決を出すため木槌を握る。
しかし、その時だった。
「一つ、宜しいか」
「!」
会議場中段、バーベインより少し離れた席に座る、先程とは別の将校が指を挙げた。少々小太りのその男は胸元に『一佐』の階級章を携えており、地位は上から四番目に位置する。
軍では全ての隊員達の上官とも言える相手だが、その男に気付いたローズマリーは、誰にも聞こえない声で「またか」と不機嫌そうに呟いた。
「アイオライト三尉。実は我々の手元の資料に、その指図書が君達の自作だという報告が来ているんだがね」
「……何?」
あまりにも眉唾な情報に、ローズマリーは思わず眉間に皺を寄せる。バーベインは表情を変えずにその話を聞いていたが、「ジャスパー司令官も知っている」と話を振られた事で、心底呆れたように一瞬だけ天井を見た。
直属の上司の名が出た事で、ローズマリーは少しだけ不安そうな表情を浮かべている。バーベインは溜息混じりに「やれやれ」と零した。
「バードメット一佐……確かにその件についても、私の耳には入っています。しかし何度も調べた末に『根も葉もない噂だった』と結論が出ているではありませんか」
「本人に聞かずして、そんな結果が納得できる筈もあるまい。報告が上がっているものを看過するなど言語道断。議会の原則書にもそう書いてあるぞ」
何処か得意げに意見してきたその男の言葉に、辺りからは数人の小さな笑い声が響く。そんな中、ローズマリーもバーベインと同じく呆れた様子で首を振った。
「一佐殿も毎度毎度、大変ご苦労な事だな。親愛なるご家族に『しつこい』と言われた事は無いのか?」
軽蔑を込めて冗談を放った彼女に、相手は鼻で嘲笑い返した。
「負け惜しみは止したまえよ、可愛らしい船長殿。一介の三尉如きが、軍の財産である『チャーチグリム号』を私物化している事だけでも腹立たしいというのに、あまつさえ船を危険に晒し、危険な区域に不時着まで起こしたのだ。船員とて、少人数の上に得体の知れぬ若造ばかりで信用など出来るものか。ここまでの大罪を犯して、お咎め無しとは行くまいぞ」
「……いい加減にしろ」
仲間達の事を言われて少しだけカチンと来たローズマリーは、ほんの少し声を荒げて言い返す。
「私達だって、立ち入り禁止区域なんか行きたくて行った訳じゃない。そもそも『船』を危険に晒したくないなら、もっとマシな指図書を打てばいいだろ。こっちは大迷惑してるんだ」
「素直に『己は仕事が出来ない』と認めてはどうかね。証拠もないのに此方の所為だと責任を押し付けて、仮にでも部下を持つ身として恥ずかしくないのかね」
「そっくりそのままお返しするぞバードメット一佐。改ざんの証拠を揉み消し、違和感マシマシの指図書、それでも無視すれば『任務放棄』……粗探しならまだ可愛いが、作られた粗でイチャモン付けられたら溜まったものじゃない」
「いやはや、嘘や戯言にはよく回る口だ。皆、聞いたか? アイオライト三尉は、およそ船長の器では無い」
「お前が私を嫌いなのは分かるが、そこまで手の込んだ真似をする意図が分からない。お前は私にどうしろと言うんだ」
わざとらしく、肩を竦めて困って見せるローズマリーに、その男はあろう事か、彼女に見下す様な目を向けたまま嘲笑いながら答えた。
「何を間抜けた事を。貴殿の様な『中途半端』はさっさと今の役職を引退し、早々に船を軍に返還すべきだと思わないか?」
想像もしていなかった言葉に、ローズマリーは愕然と目を見開く。
「……は?」
思わず、言葉にならない声が漏れる。その瞬間にも、会場内はあっという間にざわつき始めてしまった。
一方で、全てを大人しく傍観していた彼女の背後にいる部下は、大きな欠伸をしながらベルトポーチから小さな青い飴玉を一つ取り出すと、徐に自分の口へと放り込む。鋭い眼差しで会話を聞いていたバーベインが木槌を打ちつつ「静粛に」と叫び、周りが落ち着きを取り戻しても尚、男の独り善がりな発言は続く。
「そもそも、貴殿のような『女児まがい』が船長を勤めている事が気に入らぬのだ」
「はぁ……!?」
「不老のオリヴェールといえど、その見目は頼りなく誰よりも非力……なのに、魂だけは無駄に歳を食って、今の地位に醜くしがみ付いている。貴殿に居座られては次世代も育たず、未来を生きる若者のためにならない」
「……き、貴殿が私の何を知っていると言うんだ! 訂正しろ! 私が、私が『女児まがい』だと……っ?」
「いつまでも見苦しく『船』にしがみ付いていないで、今回を機に討伐隊を退役し、いっそ軍からも身を引いては如何かな? 貴殿が退き、汚染された部下を再教育すれば、全てが丸く収まる」
重ねて食らう暴言に、遂に若干の目眩を感じたローズマリーは咄嗟に証言台の手摺りへと掴まった。
「……こんな事って……!」
なんと気味の悪い男か。一佐ともあろう男が、ここまで部下を侮辱し虐げるとは。
信頼できる友人達からも、エンジンに半永久的な機関を持つ『チャーチグリム号』が一部の軍人に狙われていると忠告してくれていた。しかし、そんな彼女も、ここまで酷い差別を受けるとは予想していなかったために、思わず動揺してしまった。
まさか、大切な『家族』をも悪く言われてしまうとは。
「………………っ」
ローズマリーは、ぐっと歯を食い縛って怒りと悔しさを呑み込んだ。
「……私に、職を失えと? 私は『大家族』なんだ、大切な子等が飢えるじゃないか」
「この際、孤児院も国営にすればいい」
男は尚も鼻で嘲笑う。
「その歳で職探しなど……と言う所だろうが、貴殿ほどの器量なら、幾らでも雇い先はあるだろうな。何なら、我が屋敷で『愛玩』として囲ってやっても良いが?」
会場内に響く、嘲笑と侮蔑。見目や性別の所為で、この男のように彼女の事をよく思わない人間は決して少なくはない。彼の部下だけでなく、男に賛同する者達もヒソヒソと面白可笑しく囁き合っているのが見えた。
長年の経験から悪く言われる事には慣れているとはいえ、流石のローズマリーでも言葉を失い、きつく眉を寄せて強い不快感を露わにしていた。
なのに、ローズマリーの部下は彼女の背後でポーチから輪ゴムを取り出し、指に掛けて引き延ばし始める。
直後、数回に渡って鳴り響いた木槌の大きな音と共に、会場内に響いていた笑い声が収まっていく。注意を促すバーベインの声は、明らかに怒りを孕んでいた。
「……発言には気を付けなされよ、バードメット一佐。本日これまでにおいて、全ての発言が彼女に対する酷い侮辱だ」
「おや司令官、まさか身内の『老害』に肩入れするのか?」
「……『老害』ね。『誰』の事だか」
「それとも……『先程の件』はそちらに『先約』があったのかな? それなら貴殿に謝罪せねば」
再び小さな笑い声が所々に湧く。深い溜め息と共にローズマリーが俯き、バーベインが深く息を吸いながら言葉選びに数秒の間を空ける……が。
その時、小さな風切音をローズマリーは背後に聞いた。
「!」
彼女は思わず顔を上げる。すると、一佐目掛けて何かが跳んで行くのを見た瞬間、それは彼の側頭部に柔らかく触れて床に落ちた。
同じ瞬間にそれを目撃したバーベインは、一佐に対する侮蔑に開きかけた口を閉じる。
「……何だ?」
一佐は感触のした箇所に触れ、咄嗟に辺りを見渡して何かを探す。すると己の足元に、本来ならばそこにある筈のない、一センチに満たない大きさの、白い粉がまぶされた黄色い球体が落ちているのを見つけた。
球体を指で摘んで持ち上げる。それが小さな飴玉だと気付いた次の瞬間には、後頭部に先程と似たような感触を感じた。
首の側面、そして右の頬、耳の上。何故か次から次へと飴玉が飛んできては、肌に軽く触れて絨毯の床へと落ちていく。
「な……何なんだ」
戸惑う彼の様子は会議場の誰もが見ており、ハッとしたローズマリーが後ろに振り返る。
すると、目深に被ったフードから退屈そうな表情を覗かせる部下が、親指と人差し指に輪ゴムを掛けた即席のパチンコに飴玉を構え、目の前のある一点に向けて狙いを定めていた。
切れそうな程に長く後ろに引いた輪ゴムを、彼女の部下は証言台の右斜め前に見える大理石のレリーフに掘られた美しい天使達に向けて放っている。ポーチから取り出しながら七〜八秒に一個の間隔で放たれ続けるそれは、彼の指を離れる度にレリーフからさらに何処かへ跳ね返って飛んでいく。
「……あのー、フェンネルくーん……?」
普段彼女が言わない名で呼んでも、彼は答えずに首を傾げては飴玉を構えている。一佐の男の額やこめかみなど、色んな角度から何度も何度も鬱陶しく肌を掠め触れていく小さな飴玉に、一佐はローズマリー達を指差して大声で怒鳴り付けた。
「おい、小僧! 一箇兵の分際で、さっきから何をしているんだ!!」
突然の奇行に走った部下を不思議に思ったローズマリーは、怒鳴る男を無視して、部下に小声で話し掛けながら近付く。すると彼はローズマリーの身長に合わせて屈むと、彼女にだけ聞こえる声で耳打ちした。
あまりにも小さな囁きに何度か聞き返すローズマリーだったが、ふと彼の指差す方向に目を向けると、その意図を言葉に出して確認する。
「……何? あの彫刻の……額の上に、飴ちゃんを当てたいのか?」
レリーフに掘られた天使達の中に、天井を見上げ顔が上に向いているものがある。距離は彼からそれ程離れてはいないが、証言台よりは一メートル高い場所に位置している。確かに何度か練習すれば、その部分に飴玉を乗せる事は可能かも知れないが。
彼は切れた輪ゴムをポケットに入れて新しい輪ゴムを指に掛け、飴玉を挟んで強く引き伸ばすと指を離す。しかし、何度飛ばしても飴玉はレリーフの頬や翼、鼻の頭などに当たっては違う壁を数度弾いて跳ね返り、一佐の男へと四方から飛んできては頭上から優しく降らせるように掠めて当たる。
フェンネル、と呼ばれた彼は、少し残念そうに溜め息を吐いた。
「……案外、当たらねぇモンだな……」
「こっ……こらこらこら、フェンネル君? 今は大事な会議中じゃないか。物凄く暇なのは分かるが、もうちょっとだけ我慢しような?」
遊び出してしまった部下に、ローズマリーはまるで小さい子をあやす様な口調で冷や汗を浮かべながら注意する。しかし彼は焦る船長を無視し、レリーフに向けて飴玉を飛ばし続けている。
そんな彼等を見ていたバーベインが、先程とは打って変わって楽しそうに笑い出した。
「はっはっは、確かに訓練において根気は大事だ。それでこそ、本来の才能が磨かれ輝いていく。素晴らしいじゃないか」
「おいおいバーベイン殿、甘やかさないで注意してくれ。仮にでも会議中なんだ」
「………………」
にこにこと微笑むバーベインに、眉を下げて困った表情で訴えるローズマリー。そして二人の会話を聞いてか聞かずか、フェンネルは何の反応も見せずにまた一つ、また一つと飴玉を飛ばし続けている。
バードメット一佐は、額の血管が裂け切れそうなほど顔を真っ赤に染めて声を荒げ叫んだ。
「い……いい加減にしろっ! 幾ら何でも下手くそ過ぎるぞ! 目の前の標的に掠りもせんとは、兵として出来損ないにも程があるだろう!」
「はぁん!? フェノンが出来損ないだとっ?」
フェンネルを幼名で擁護しながら、ローズマリーも思わず怒鳴り返した。
「ウチのフェノンを悪く言うな! 『チャーチグリム』の中でも、射撃はこの子が一番得意なんだぞ!」
「お前が育てた兵だから所詮その程度なのではないのか! 軍に家庭内事情を持ち込む時点で、頭がどうかしているとしか思えん!」
「違ぁう! この子の努力と才能だバーカ!」
「子供が子育ての真似事などするから中途半端な人材しか育たんのだ、よく今まで生きていられたものだな!」
何をぅ!?
ローズマリーがそう言いかけた時、変わらず笑顔のバーベインが止めに入った。
「まぁまぁ、バードメット一佐。それ以上は血圧が上がりますぞ」
「黙れ、ジャスパー司令官! 貴殿も進行役ならば、警告の一つも出したらどうだ! 下手糞が下手糞に狙うから、あの小僧が放った飴玉が鬱陶しくて堪らんではないか!」
「彼はいつでも鍛錬を積む、兵士の鑑のような男です。どうか寛容に……」
「寛容になど、とうに限界を超えておるわ! 何が鑑か、奴の放った飴玉は全て儂の……っ」
男は掌に乗せた、色とりどりの飴玉を見下ろし、気付く。
「……儂の、頭にばかり……」
思わず言葉を切った彼は、その目を愕然と見開いたまま、会議場中心の証言台へと視線を向けた。
その男、フェンネル・メノウの表情はフードに隠れて上からは確認出来ない。ただ、レリーフ目掛けて輪ゴムを引き、飴玉を挟んだその指を離す。
放たれた飴玉はレリーフの右上にある別の天使の手に当たって右上へと跳ね上がり、近くの花瓶を弾いて上に打ち上がる。そのまま放物線を描いて男の席の真上にある照明の傘に乗ると、そこを滑り落ちた飴玉は、バードメット一佐の耳を掠めて優しく肩を叩き床に落ちた。
一佐の顔色が、瞬く間に青褪めていく。
「まさか……」
何て事は無い。男が馬鹿にした彼は、先程からずっと狙いを定めて『狙撃』を繰り返していたのだ。
彼が『小僧』と呼んだ相手がフードを脱ぐ。艷やかな黒髪を三つ編みに結い、首に巻き付けている事でかなりの長髪である事が分かる。
顔に流れてくる前髪を耳に掛ける表情は、目を伏せたまま能面の様に動かない。だが再度輪ゴムを引いたその時、静かに男を見た彼の視線は強烈な殺意を持って『標的』を睨み上げていた。
「……やっぱ、見てないと当たんねぇか」
がり、と、彼の顎がその口の中の飴玉を砕く。
その瞬間、放たれた飴玉はレリーフの額を上に滑り、手摺りや花瓶を数度渡り歩いた三秒後、顔面蒼白で戦慄く男の汗ばんだ額を軽く弾いて、男の掌に乗った飴玉達の上へと混ざった。
「…………!!」
会場の空気は凍り付き、静まり返る。フェンネルが飴玉を咀嚼する音だけが、はっきりと会場内に響き渡っていた。
「ふぇ、ふぇふぇフェンネルくんん? か、かか会議中に遊んじゃ駄目じゃないかなぁぁっ?」
「……ローズ、発砲許可を」
「だだだ出さないぞぉ!? 許可なんて必要無いだろぉ!? 絶対に出さないぞぉ!?」
部下の真意に気付いたローズマリーが冷や汗を滝のように流しながら、引き攣った笑顔でにこやかに彼を叱る。ベルトに拳銃でも持っているのか後ろ腰から手を離さない彼と、その手を掴んで部下を止めようと焦る少女をずっと見ていたバーベインは、何故か楽しげに微笑んだまま、未だ怒り冷めやらぬ様子のフェンネルに明るい声で話し掛けた。
「宜しいかな、メノウ上級曹長。会議場内で飴ちゃんをいっぱい飛ばしたら、勿体無いじゃないか。貴重な糖分を無駄にしたら『めっ』だぞ?」
「そ、そうだそうだ。『めっ』だぞ、フェノン」
小さい子をあやす様な二人に対し、フェンネルは諦めたのか腰から手を離してローズマリーの手を払う。「『ごめんなさい』は?」と謝罪を促すローズマリーに、むすっとした表情を浮かべて腕を組み、不貞腐れた様子でだんまりを決め込んだ。
会議に参加していた誰もがフェンネルの見せた本気の殺意に恐怖で慄き、場内には笑って誤魔化そうとする船長と、和やかに微笑む司令官の会話だけが場違いに響き渡る。
バーベインは、さも楽しそうに木槌を二度打ってローズマリー達に処遇の結果を述べた。
「まぁ仕方無い、ついでだからメノウ上級曹長も反省文だな。『飴ちゃんを無駄にしてゴメンナサイ』って書いて、提出するように」
「……ふん」
「船長殿の処分も反省文にしよう。取り敢えず『閃光砲を使って遭難しそうになりました、ゴメンナサイ』って書いて、部下の反省文と一緒に本部の私宛に郵送しなさい。それで今回のお咎めは終了だ」
予想外の結果に、ローズマリーは緑色の目を丸くして驚く。
「そ……それだけっ?」
「おや? 不満なら、控訴を申し立てる事も出来るが……」
「ま、まさか! ありがとうバーベイン殿! いや、違う違う、本当にすまなかった!」
思わず感謝を述べてしまうが、彼女はすぐに訂正し謝罪を述べる。辺りをざっと見回し、是好機なりと悟ったローズマリーは後の予定を告げながら不機嫌なフェンネルの背中を押して出口へと急ぎ始める。
「この件の報告書と反省文は、三日以内に郵送しよう! 後日、確認の連絡をお願いする!」
「了解した。楽しみにしているよ」
「さぁ、行くぞフェノン! 早く帰ろう!」
「…………チッ」
「二人共、お疲れ様。気を付けて帰りたまえ」
バーベインが見守る中、ローズマリーとフェンネルは足早に会議場を後にした。
二人が扉から出ていった瞬間、まるで止めていた息を吐き出すかのように、会場内が一斉にざわつき始める。話題は勿論、先程フェンネルがやってのけた超人的な狙撃についてだ。
もし、あれが実弾であったら……その瞬間は、誰もがそれを考えた。だが、実際に恐ろしいのはそこでは無い事も、皆少しずつ気付き始めていた。
あの青年は、目標物さえ視界に入っていれば銃口を向けておらずとも撃ち抜く事が出来る、という事を今この場で証明してみせたのだ。
凄まじい『鷹の目』を持つ美しき青年。『チャーチグリム』を指揮する船長には自分の様な用心棒も居るのだという『警告』を、彼はこの場にいた全員の記憶に深く焼き付けていったのだった。
皆の話し声すら耳に入ってこない程に衝撃を受けていたバードメット一佐は、彼等が去った後も未だ戦慄した身体を動かせないでいた。立ち尽くすその情けない背に、バーベインは音も立てず静かにゆっくりと歩み寄った。
「バードメット一佐殿!」
「ぎゃああっ!」
バーベインは、わざわざ男を驚かせるように耳元へと大きな声で話し掛ける。肩を飛び上がらせて叫んだ男は、その拍子に持っていた掌の飴玉を床にばら撒いた。
当然、一佐は青白い顔のまま怒鳴り返してくる。
「ふ……ふざけるな、ふざけるなっ! この儂を誰だと思っているんだ!」
そんな彼に、バーベインは大層機嫌良く「ご機嫌如何かな!?」と同じ声量で笑い掛けた。
「いやはや、飛んできたのが飴玉で良かったですなぁ!」
「っう、うるさいぞ! もう少し静かに喋らぬか!」
「……本物の銃弾でなくて、本当に良かった良かった」
「……なっ……!?」
戸惑う相手を他所に、バーベインは床に散らばった飴玉を一つ拾い上げ、その赤く小さな球体をまじまじと見つめる。
「……はてさて、バードメット一佐殿は理解できておられるのか否か……」
「……な、何の話だ?」
「貴殿が、最初に彼等に喧嘩を売ったのです。それが『この程度』で済むとは、まったく貴殿も運が良い」
「な、何を言う。『喧嘩を売った』だと? 儂は予てから問題視されていた、軍の害虫を駆除しようと……」
「貴殿はそうかも知れません。だが……彼等にとっては違う」
バーベインは、飴玉からバードメットへと視線を移す。サングラスから僅かに覗くその眼に、バードメットは先程の青年以上に例えようの無い恐怖を覚える。
「……まさか貴殿は、『チャーチグリム』の船員達が、雇われてあの船に乗っているとでも?」
「ど……どういう事だ」
「彼等は船長に忠誠を誓い、『母』のためならばどんな手段も厭わない狂人達だ。『チャーチグリム』が最強と謳われるのは、個性溢れる『息子達』と、彼等を纏め上げる彼女の能力あってのもの……決して、『船の性能』などではないのだ」
バードメット一佐が、ぐっと言葉を詰まらせる。結局、この男も『チャーチグリム号』が目的だったか……そう悟ったバーベインはサングラスのブリッジを押し上げ、飴玉を手に相手へと歩み寄る。
「あの船が魅力的に映るのも理解できる。だが、その魅力の『元凶』である船長をあまり苛めると、恐ろしい番犬がその喉笛目掛けて飛び掛かってきますぞ。それを、頭の片隅にでも入れておいた方が良い」
バーベインは飴玉を彼の胸ポケットに入れ、一佐の肩を二度叩いてその脇をすり抜ける。しかしふと立ち止まって振り返ると、バードメット一佐はすっかり怯えた様子でこちらを見返していた。
「……そうそう、忘れておりました」
満足気に息を吸ったバーベインは、「そういえば」と言葉を続けた。
「バードメット一佐殿は、現在の四長老がどなたかご存知か?」
「な……何を、突然……?」
「基本、四長老は軍経験者の年長者から推薦、選出される。現在、ヴァルテッリの長はその高齢からくる体調不良で、代理の者を立てておられたな……ラウリの長は高齢ながら未だ現役、マティアスの長は数年前に交代してから、経験は浅いながらも立派に責務を全うなさっている」
「……そ、それがどうした。儂には関係無い」
「マティアスと同じく、数年前にオリヴェールの長も次代へと継がれたのをご存知ですかな?」
その言葉を聞いた男は、思わず目を見開いた。
それぞれ人種の異なる四種族の内、他の三種族の長達に比べ、かなりの長寿であるオリヴェール族は代の引き継ぎが革命後一度も行われていなかった。見目は若くとも、必然的に年長者であるオリヴェールの長は、常に四長老の中心として、この国を纏めていた。
その大役を、先代は新たな候補者を四長老達のみに推薦し、人知れず引退していったのだ。
「せ、先代? オリヴェールの長は、確かあのいけ好かない髭面の男だった筈だ。……引退、しただと?」
「ええ。彼は今、ラウリ自治区内の森に奥方と隠居していますよ」
「なら、今の長は……?」
「……ローゼス=メアリ・オブシディアン。この名を聞いた事は?」
「……まさか、『導きの女神』が……!?」
五十年前、革命軍を率いて皇帝軍を打ち負かしたとされる、現ハイマート共和国の祖。この国に住む者で、この名を知らぬ者は存在しないだろう。
「生きていたのか……あの動乱の時代を抜けて……!」
「……では私はこれで。その当代からの『反省文』を、本部で待たなければなりませんので」
そう言い切ったバーベインは、再び背を向ける。相手はきっと、鳩が豆鉄砲を食らった顔か……もしくは、絶望に目を見開き固まっているか。相手の息を呑む気配をその背に感じ、髭を蓄えたその口角を上げた。
「四長老に対する侮辱で迫害尋問に掛けられる前に、その汚泥を綺麗にして貰えて……彼等には、感謝せねばなりますまいな」
『チャーチグリム号』船長の正体、四長老オリヴェール族代表という地位を知っているのは、バーベインを含めた彼女の旧友数人、そしてこの国を共に治める四長老の仲間達だけだ。
擲ったこの一矢が、果たしてどの様な結果を生むのか。彼は脂汗を浮かべたまま何も言い返す事が出来ない相手を一瞥もしないまま、不敵な笑みをその口髭に隠した。
※
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。




