そして、闇
すべては、目的のために。
※
その後、何のお咎めも無く、リンデン達は学校に通う事が出来た。
タングステン家は、ローズマリーとバーベインの集めた証拠でシスルワートが起こした事件が幾つも公になり、被害者の会が設立、フェンネルに至っては多額の慰謝料すら支払われた。当然、被害者本人の意向で、名前は完全に伏せられての発表だったが。
リンデン達が十八になった冬、リンデンの誘いで船へと頻繁に遊びに来るようになったサカキに、卒業後の『処分』がローズマリーから言い渡された。
「お母さんの司法取引で、君が学校に在籍している間は学業を保証する。だが、軍は『裏切り行為』を断固として許さない。どんな理由や目的があっても、一度でも『仲間』を売った君を軍に入隊させる事は出来ない」
「……覚悟はしていました。元々、僕は『あの日』に死ぬ覚悟で歯向かったので……こうしてここに居られる事が、僕にとっては奇跡だと思っています」
「……卒業後の、計画はあるのか?」
「いえ……ですが、『家』には帰ろうと思っています」
サカキはローズマリーに笑みで返した。
かつて、父や母と共に暮らした家はもう無い。軍が監視のために用意した住宅を与えられ、母の出所後はそこへ住む事になる。
「もうすぐ、母が返ってくるんです。掃除しとかないと」
「……お母さんが居る所が、『家』という訳か」
「勿論。リンデンさんや……フェンネル先輩に、教えてもらいました」
「……そうか」
ローズマリーは少しだけ顔を赤く染め、一瞬だけ泳がせた視線を向け直して咳払いをする。
「そ、そこでだ。一つ提案があるんだが」
「提案、ですか?」
「君の、卒業後の進路についてだ。実は、『ぜひ君を雇いたい』と言ってくれている人がいてね」
条件は一つ。その『ひらめき』を、惜しげもなく開発に注ぐ事。
目を丸くするサカキに、ローズマリーは優しく笑った。
「君の『制御装置』に、すごく関心を持ってくれている。そこへ就職すれば、開発資金や資材費の援助は一切制限無しで提供してくれるそうだ」
「え……えぇ!? ど、どうして……!」
「私は君を紹介しただけで、お金の話は先方のご厚意だ。精一杯努力すると約束するなら、遠慮はいらないよ」
「なんで、そこまで……? 僕は、先輩を危険に晒したのに……!」
「……君がした事は、決して許されないものだ。だが、君が命懸けで手に入れた『証拠』に助けられたのもまた事実……これは、せめてものお礼なんだよ。この先、リンの為にも開発を極めてもらわないといけないしな」
「……僕なんかの、ために……!」
「君がこの先、私の子供達の為に力を貸してくれるというのなら……私も、全力で君をサポートすると約束しよう。困ったら、いつでも私に声を掛けなさい」
「は……はい……!」
数カ月後、サカキは卒業を以て、軍から永久追放されるという重い罰を受けた。しかし、ローズマリーの紹介で、天職とも言える中心街の武器整備天に就職した。現在、『チャーチグリム』を始めとした討伐隊が使用しているリストベルは彼の開発であり、リンデンの『制御装置』も日々機能向上のため、開発を続けている。
船の自室にクミンとローズマリーを招き、皆でテーブルを囲みながら紅茶を嗜む。そんな中、リンデンは何度と無く故障させては直して貰っているリストベルを見つめ、思いを馳せた。
「俺は、もう二度とあんな思いはしたくない。今が本当に幸せで、絶対に壊したくないものだから……この生活を、今の時間を守り続ける事が、俺の目標なの。歳を取れば変わってくるだろうし、『今が永遠』だなんて考えてないけどさ……フェンネルが、呆れたみたいに『バーカ』って隣で笑って言ってくれたら、それだけで俺は生きてて良かったって思えるから」
皆に笑ってて欲しい。それ以上は望まない。
慎ましくも何より難しい願いに、リンデンは後ろを振り向いてベッドに眠るフェンネルの後ろ姿を見つめていた。
※
そのブラウン管モニターは、あの日の様子を映し出していた。
〈嘘でしょ……!!〉
大きく響いたのは、唯一姿が見えないアニスの声だった。彼の一人称で展開される映像は、彼の視線に合わせて移り変わっていく。
実験棟の倉庫を開けた筈のリンデンは一瞬で姿を消し、次の瞬間には倉庫内に悲鳴が木霊し始めた。
アニスが急いで中に入れば、数人が腕や脚を抑えてのた打ち回っている。少し奥へ入った先の床に、大きな黒い犬のような生き物が何者かを押し倒し、低く呻いていた。
その直ぐ側には、唖然とその光景を見ているフェンネルの姿がある。
〈フェノン!〉
カメラは真っ直ぐに顔を腫らしたフェンネルに近付き、その腕を引いて黒い生き物から距離を取らせる。引き摺られる形で床を移動したフェンネルは、「アニス」とカメラの主を呼んだ。
〈ちょっと、どうなってんの!? なんで付いてったのさ、警戒しろって言ったでしょ!?〉
〈……俺は良い。サカキを頼む〉
〈はぁ!?〉
フェンネルが指で示し、カメラがそちらを向く。呻いて転がる上級生達に混ざり、動かないラウリ族の少年が映る。
〈なんでアイツがリンチに遭ってんの……? サカキは、コイツ等の仲間じゃなかったの?〉
〈色々あったんだよ……頼む、手当だけでも〉
〈……アンタは?〉
〈『弟』を止める〉
〈駄目に決まってんでしょ。見なさい、アレはもうリンちゃんじゃない。四足小型の『モルス』だよ〉
〈分かってる。だから頼んでんだろうが〉
他の奴らを避難させてくれ。
乱れた身形を軽く整えて立ち上がったフェンネルに背中を叩かれ、アニスは溜め息を吐きながら天を仰いだ。
〈はー、もうヤダ。バーベイン様に怒られる……〉
負傷者の止血と応急処置を簡単に済ませ、倉庫内へと引き摺り出す。文句を垂れながら手早く皆を移動させ、アニスは再び倉庫内へと戻った。
フェンネルは、ウロウロと彼の周りを右往左往している四足小型を、何をするでもなく、静かに見つめていた。
〈……リンデン、聞こえるか?〉
相手は呻く事無く、ただ戸惑うように動き続けている。
〈お前はそんな奴じゃねぇだろ。戻ってこい、皆が心配する〉
〈……ねぇ、フェノン〉
〈ちょっと黙ってろ〉
〈駄目、逃げて!!〉
フェンネルがアニスの視線に気付いて振り向けば、そこには、どこに隠し持っていたのか拳銃を構えるシスルワートの姿があった。
〈化け物が……っ!!〉
フェンネルが止める前に、先に動いたのは四足小型だった。シスルワートに飛び掛かり、怯えた彼は何度も黒い塊に発砲する。
〈リンデン!!〉
しかし、その黒い塊は銃弾を受けても一切怯む事無く、シスルワートは恐怖に慄き悲鳴を上げる。彼の腹を前足で押さえて乗り上がった狼のような小型『モルス』は、その喉笛を食い破ろうと大口を開けた。
しかしその瞬間、地を蹴ったフェンネルがその顔目掛けて四足大型に飛び蹴りを食らわせる。四足大型は横に飛ばされ、その牙で脚を切ったらしいフェンネルは脛から血を流して膝を着いた。
〈約束っつってただろうが、目ぇ覚ませ! リンデン!!〉
ふらふらと起き上がった四足小型は天に向けて切なげに遠吠えを一つ叫び、ゆっくりと地面に倒れ込む。その瞬間、霧が晴れるように黒い靄が空気中に四散し、そこには意識を失って倒れているリンデンが姿を現した。
一部始終を捉えていたカメラは、慌ててフェンネルに駆け寄る。
〈フェノン! 大丈夫!?〉
〈警報が反応しない……コイツは『ライカン』じゃねぇ。多分、大丈夫だろ〉
〈無茶しないでよ……! アンタに何かあったら、僕が怒られるんだよ!?〉
〈知るか、そんな事……それより〉
フェンネルが視線を向け、その方へとカメラが向く。視線が定まらず、恐怖に打ち拉がれ涙を流しながら震えている大男に、フェンネルがカメラの外で溜め息を吐く。
〈アニス、アレを『オトしといて』くれるか〉
〈え、そりゃ別に良いけど……なんで?〉
〈証拠隠滅。黙っててくれた方が安心できる〉
〈……納得。リンちゃんは?〉
〈被害者の一人として説明する。テメェも、余計な事は何も言うなよ〉
〈バカにしないでよ、僕が言うと思ってんの?〉
〈ははっ、それもそうか。通報頼むぜ〉
〈了解〉
怪我をした脛を軽く手当てし、カメラは倉庫の外へと出ていく。ふと画面が激しく動いたと思えば、次に映ったのはアニスの顔面だ。
〈……午後一時十七分、三本目記録終了〉
そこで映像記録は終わり、再び最初から再生が始まる。モニターを見つめ続けていた男は茶色い液体の入ったロックグラスを傾けながら、サングラスを外してテーブルに置いた。
「バーベイン様ぁ、シャワー頂きましたよー?」
当時よりも幾分か低くなった声で、後ろから聞き慣れた軽やかで甘い声が届く。
「わぁ、懐かしい。このテープ残してたんですか?」
「君が慌て焦る様子を聞けるのは、このテープだけだからね。完璧な君を愛しているが、時折は初心な君を愛でたくなる」
「もう……恥ずかしいなぁ」
バスローブに身を包み、彼の組んだ脚の膝下に身を寄せて頭を凭れさせる。その明るい金色の髪を優しく漉き、頭を撫でるとアニスはうっとりと心地良さそうに目を閉じた。
「この頃の君は、本当に若くてやんちゃな『子猫』だったな。ユズリハ君が瓶を拾わなかった時のプランは考えてあったのかい?」
「さぁ? ただ、独自に動画も音声も撮ってあったし、あの『先輩』に全部『背負って』もらって始末する予定でした」
「……まったく、過激な子だね」
「裏切るつもりがある相手を野放しに出来ませんもん。『先輩』の判断に感謝、感謝ですね」
「彼が居た事に気付いた時点で、巻くなり機会を伸ばすなりは、考えなかったのかな?」
「見られてた方が、興奮するでしょ?」
全く悪びれる様子もない『黒猫』に、バーベインは「やんちゃっ子め」と首筋を撫でた。
少し身を捩って笑う彼は、ふと気付いたように顔を上げる。
「それよりも、この間の『結果』ってどうなったんですか?」
「上々だったよ。『世界樹』からの受発信も確認出来た」
「本当っ?」
アニスは顔を明るくさせ、「やった」と嬉しそうにバーベインの膝へと摺り寄った。
「やりましたね、バーベイン様!」
「ああ、やっと芽が出そうだ」
「ふふ、貴方の夢が近付いてくるのが嬉しい……!」
「私の夢を応援してくれているのは君だけだ。ありがとう、私の『子猫』」
「僕の全ては貴方のものだもの。当然です」
最初から流れているモニターの映像を、バーベインはリンデンの顔を映した箇所で一時停止する。アニスは今よりも若く幼いリンデンを見て、その画面を見つめるバーベインへと視線を移した。
「……バーベイン様?」
「私も、いつか彼のように変異するのかな」
「……不安?」
「……少しね」
アニスは立ち上がり、軽々と彼の膝に乗る。
「僕がいるから、貴方は大丈夫。ご存知でしょう?」
「……君を疑っている訳じゃないんだ」
「知ってます」
アニスは少し痩せた彼の頬を両手で包んだ。
「僕は、絶対にバーベイン様を独りにしたりしない。任せて下さい」
「……頼りにしているよ」
「はいっ」
いつもは部下達を纏め、上に立場であるために堂々とした立ち振舞いをしている彼が、自分の前でだけは弱音を見せて縋ってくれる。この事実を噛み締めれば、アニスは優しい笑みの裏で激しい興奮を覚えた。
「僕の全ては貴方のもの……僕だって、いつでも『実験』に使って下さって良いんですからね?」
「君にはまだ、私の元で働いてくれなければ困るよ。今暫く、傍で笑顔を見せていておくれ」
「ふふ……大好き」
口付け、抱き締める。甘い香りが漂う金の髪を撫で、バーベインは画面に映るリンデンを見つめる。
その瞳は、リンデンと同じ赤い色をしていた。
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