十八話
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その日の夜。
《では、三人とも『ガス爆発』で納得してくれたんだね》
「一人は、やむを得ずタングステンの事を話しましたけどね。捻くれた奴なもんで」
《その件については、船長からも連絡が来ているよ。責任感が強く、優しい良い子じゃないか》
「……存じてますよ」
コントロールパネルのモニターに移るのは、司令官であるバーベインの姿だった。船内カメラを回して画面通信を繋ぎ、上司の『命令』でユズリハはウイスキーの入ったゴブレットを傾ける。
画面の向こうでは、バーベインが炭酸の泡立つワイングラスに口を付け、「今日も良い酒が飲めるな」と微笑んだ。
「貴方、酒飲めないでしょうに」
《これは白葡萄のコーディアルをソーダ水で割ったものだ。今年の葡萄も良く出来ているよ》
「いつものメール報告で良いじゃないですか。なんで、わざわざ俺に飲ませるんです?」
《事件収束の記念だからね。盛大に祝いたいだろう》
「二人だけでですか?」
呆れたように笑うユズリハに、バーベインは「私と君の仲だろう?」と大袈裟に手を上げて見せる。
《勿論、昨日から一睡もしていない船長を参加させても、私は一向に構わないのだがね?》
「……お気遣い、感謝します」
ゴブレットに口を付け、アルコールの辛さに軽く息を吐くユズリハを、バーベインは画面越しに見つめる。「ところで」と口を開けば、その紫色の瞳がこちらを向いた。
《君は何か、私に言いたい事があるんじゃないのかね?》
「!」
一瞬だけ動きを止めたユズリハは、持っていたゴブレットをモニター前のデスクに置いた。
「……何の話でしょう?」
《船長からの連絡にもあったのだが……何やら、君が『困っているかも知れない』と》
「……何も困ってなんかいませんよ」
《では、君の船長は何を案ずる? 彼女に言いづらい事なら、私が聞いてあげようじゃないか》
私と君の、仲じゃないか。
「………………」
ユズリハは再びゴブレットに口を付けた。
「……では、一つだけ」
《構わないよ、言ってみなさい》
「何故、あの小僧を殺したんですか?」
《……む? 心当たりが多過ぎて分からないな。どういう事だい?》
上司は冗談めかして笑う。ユズリハはゴブレットの中で回る氷に視線を落とした。
「……シスルワート・タングステンは、『インフェイス』などではなかった」
刹那、バーベインの眉が動いた。
《……ほう》
「何故、嘘を吐いたんです?」
画面の向こうに見える上司は俯き、クスクスと笑い出す。ユズリハは、ただ相手の反応を待っていた。
《まずは、彼が『インフェイス』ではなかった……私が嘘を吐いていると思う理由を教えてくれるかい? 君の事だ、根拠があるのだろう?》
「……あの小僧が、『ファーム』へ女を買いに度々通っていたのはご存知ですか?」
《……おや、それは初耳だな。だが、シスルワート少年は成人しているとはいえ十七歳、娼館など入れないのでは?》
「あの図体なら幾らでも誤魔化せますよ。親は黙認、金は湧くように持っている。そんな金ヅルを手放す店など存在しないですから」
《……成る程、一理あるな》
「奴が買った娼婦数人や、乱交で呼ばれたメンバーにも確認取れてます。『モルス』の負傷痕も無ければ、血が黒い訳でもない。奴は本当に『インフェイス』ではなかった」
『モルス』からの負傷を負うと、その傷口が真っ黒に変色してしまう。当然それは体内に浸潤し、血液が濃く、赤黒くなっていく。
それが確認されていないのに、彼を『インフェイス』として処理し、責任を負わせる理由は何処に?
「俺は、『奴』である理由が知りたいんですよ。俺達を騙してまで、あの小僧を『処分』した理由が」
《……もし、そうだとしても、今となっては関係無いのではないかな?》
バーベインは目を細め、優しく微笑んでみせる。
余裕だ、と言っている様にユズリハは感じた。
《現に彼は症状に苦しみ、モルヒネを瓶ごと盗んで自らに投与していた。亡くなってしまったのは残念だが……》
「奴の死因はモルヒネではなくヘロインです」
その時、バーベインから表情が消えた。
《……ふむ? それは興味深い話だな》
「奴は刺激を求めて『ファーム』に足を踏み入れ、そこで阿片の味を知ってしまった。恐らく……学校や病院で見せた汚染症状は、阿片の禁断症状でしょう。持ち込み物に厳しい軍立学校に、阿片なんか持ってこられる訳無いですから」
リンデンが襲ってしまった上級生達の内、三人に見られた汚染症状も、軽いパニック症状だった事が判明している。リンデンは本当に、誰も『モルス』として傷付けてはいなかったのだ。
「……奴にモルヒネの瓶と注射器を渡したのは貴方の『黒猫』ですね。常用している奴は、ある程度身体に入れておかないと『効き』が悪い」
《はっはっは、そうきたか》
ユズリハの推理に、バーベインは高らかに笑い声を上げた。
《面白い推理だ、ユズリハ君》
「……そうでしょうか」
《だが、疑問も残ったぞ。私が、そこまでする『動機』だ》
私には、あの少年を殺害するメリットが無い。
しかし、肩を竦めるバーベインに対しユズリハの表情は変わらない。
《動機があるとしたら、君達の方だろう? タングステンの少年は、君達の仲間を凌辱し殺害しようとした。復讐、という立派な理由がある》
「……公表すれば、まず疑われるのは俺達でしょうね」
《あの少年一人の尊い命で、全てが丸く収まったんだ。これ以上、この件に触れるのはボロが出る危険がある……そっとしておくに限るんじゃないかね。わざわざ、自分の首を絞める事も無い》
「………………」
バーベインが掛けるサングラスの奥に見える瞳が、鋭くこちらを見据えている。
詮索するな、か。ユズリハはゴブレットを呷った。
「……いいでしょう。こっちも迷惑は勘弁願いたい」
《そうかそうか、賢明な判断だ。船長に忠実な君を私は高く評価するよ》
「貴方の飼っている『黒猫』に、次はもっと上手くやれとお伝え下さい」
《おや、あの子が何か粗相を?》
「モルヒネの瓶に混ざって、コレが奴のベッドにありました」
ユズリハはデスク上の小さな引き出しから一つの瓶を取り出し、カメラに向ける。
そのラベルを見ようとバーベインがモニターに近付くと、彼は大きな声で笑い声を上げた。
《あっはっはっは! これは失礼、とんでもない忘れ物をしたようだ》
「笑い事じゃないでしょう。こんな堂々とヘロインのアンプル置いて行かれたらビビりますよ」
《……だが、それを船長にも言わずに、持っていてくれたのだろう?》
「脅しに使えると思っただけです。貴方の『黒猫』は天下の『ラズベリー隊』だったんだ、その爪をこちらに向けられたら容赦は出来ない」
《ふふ、それは『先輩』故の配慮かな?》
「……それほど在籍してませんし、キャリアと腕で敵わないから『容赦出来ない』んです」
『ファーム』自警団ラズベリー隊。男娼のみで結成された、名前こそ愛らしいこの部隊は自警団という名を被った『暗殺集団』だ。
最強を誇った最盛期を知り、襲撃事件をたった一人生き延びた最後の存在こそが、現在バーベインの元で働くアニス・フローライトだった。
あの夜、見目麗しい彼の鮮やかな仕事ぶりを偶然にも目の当たりにしたユズリハだったが、彼が揃えた状況証拠の中には有り得ない『失態』を見つけ、思わず持ち帰ってしまった。
否、失態ではない。恐らく、彼は『試した』のだろう。
『仕事』を覗き見ていた男が、自分達の『敵』になり得るのか否かを。
「……頭が良過ぎるのも、考えものですよ」
その事だけは、ユズリハは口を噤んで氷と一緒に噛み砕いた。
《私の『子猫』には十二分に言っておく。本当に世話になったね、ユズリハ君》
「貴方には、俺にこの船を紹介してくださった恩がある。ローズマリーに危害が無い限りは、良い関係でいたいと思っています」
《本当に、君達の船長は罪な女性だね。そのカリスマ性には妬みすら感じるよ》
「ご謙遜ですね。『黒猫』が泣きますよ」
一先ずは、和やかな談笑の後に挨拶を交わして通信を切る。暗く電源の落ちたモニターを見て、ユズリハは背凭れに思い切り体重を掛けて天井を仰いだ。
深く息を吐き出し、首の凝りを取るように両手で筋を伸ばす。そしてまた、溜め息を吐いた。
一番聞きたかった事は、遂ぞ聞けなかった。
「……参ったな……」
『ライカン』に仕立て上げられたシスルワートの身体は、自身の邸宅には戻らず、軍の研究機関へと移送される。
その移送先は死亡状況や損壊の度合いによって違い、そして、それは討伐隊トップであるバーベインが決めている。
彼は、自らの指示で殺した相手の身体を、一体どこへ移送したのか。
『ライカン』の反応など出る筈がない遺体を、彼は何のために、どこへ移動させるのか。
「『神童』の身体を手に入れるために、殺した……?」
まさか、そんな訳が。
「……やめよう、頭がおかしくなりそうだ」
ユズリハは席を立ち、ゴブレットをキッチンのシンク中へと置く。ダイニングとキッチンの灯りも全て消し、自室へと入る。
ヘロインのラベルが貼られた小さな小瓶は、文字が読めなくなるまで小さく叩き割って不燃で捨てた。
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