十六話
※
「今回の件は全部俺がやった事にするから、お前ら口裏合わせろよ」
翌日。
朝食を終わらせ、サカキの右足に巻かれたギプスに落書きをするリンデンの後ろで、サカキを見下ろすフェンネルが突然そう言い出した。
当然、初耳のサカキは自分の耳を疑う。
「そんな……無理が、ありませんか……?」
頭にも顎にも包帯を巻かれたサカキの質問にも、フェンネルは至って冷静に答えを返す。
「あの場でまともに動けたのは俺だけだ。被害を考えれば退学にはなるだろうが、俺には『正当防衛』の名目がある。お前が命懸けで手に入れた『証拠』もあるしな」
「そうですが……」
「お前が勇気出して『呼びにきて』くれて良かったよ」
「………………」
サカキは俯き、目の前の毛布を両手で握り締めた。
彼はあの時、隠し持っていたボイスレコーダーで彼等の会話を録音していた。母に何かされたくなければ、母の平穏な暮らしを守りたければ……そんな脅し文句を受け、罪悪感を圧し殺し、昼食を食べていた二人の元へ向かった。
「彼等には何もしない」と約束させた。しかし、相手を信じたつもりも無かった。
何かしなければ、優しくしてくれた……初めて自分の技術を認めてくれた大切な先輩を、自分のせいで傷付ける事になる。
自分が身代わりになれば、証拠も手に入るし先輩も守れる。彼なりに、考え抜いた作戦だった。
「いきなりテンション上げてイキり始めるからビビったよ。気の引き方と声の出し方から『あーコイツ音声録ってんな』って分かって、便乗させてもらった」
「……僕は……何もしてません。むしろ、恐怖に負けてフェンネル先輩を売ろうとして……」
「その恐怖が、あの時の勇気で吹っ切れたんだろうな。吃音が殆ど無くなってるぜ」
「……本当に、処分を受けるんですか?」
サカキは揺れる瞳でフェンネルを見上げた。
「司令官には昨日話してある。俺の提案をそのまま使うかどうかは、あの人次第な所もあるが」
「リンデンさんは……どうするんですか?」
「……おい、呼ばれてんぞ」
フェンネルがリンデンの背中を小突けば、彼はペンを走らせながら「うん」と応えた。
「どうもしないよ。俺は卒業しなきゃだから」
「……乗船資格、の為ですか?」
「俺は船の搭乗経験が無いから、今学校を辞めたら、船を出ていかなきゃいけないんだって」
リンデンは視線をギプスに向けたまま、「仕方無いよね」と少し残念そうに呟く。フェンネルはリンデンの向かい側に移動し、立て掛けてあったパイプ椅子を広げて腰掛けた。
「……傭兵歴もあって、大型小型両方の船舶免許持ってるユズさんですら、わざわざ略式試験を三回受けてる。俺だって、時期を見計らって通い直すつもりでいるんだ。いい加減理解しろよ」
「……分かってるってば。フェンネルも、俺の『お願い』聞いてくれるって言ったもん、ちゃんと頑張るよ」
不満げに唇を尖らせるリンデンの向かい側で、深い溜め息を吐きながら額を抱えたフェンネルを見たサカキは「『お願い』とは?」と首を傾げる。
「フェンネルが約束してくれたの。真面目に学校通ってたら、船の部屋割り一緒にしてくれるって」
「えっ……そ、それは……良いんですか?」
サカキは恐る恐るフェンネルに目を向けた。
「……元々が二人部屋なんだ。ベッドは余ってる」
「フェンネルが学校辞めちゃったら、今だってそんなに逢えないのに、もっと離れちゃうでしょ」
「……た、確かに……?」
「船に帰った時ぐらい、フェンネルの顔見ながら寝たい。じゃなきゃ、頑張れない。俺も一緒に学校辞める」
「……クソが」
「フェンネルは絶対に約束守ってくれるもんね」
「チッ」
仲が良さげな会話なのに、何故かずっと機嫌が悪いフェンネルと、どこか納得していないリンデンの険悪な空気に、動けないサカキはただただ戸惑うしか無かった。
そんな時、ふと、彼は気付く。
「……フェンネル先輩が、皆に怪我を負わせた事になるなら……僕は、どうなるんでしょうか?」
「証拠の音声が残っちまってるからなぁ……とばっちり、って事で収まるんじゃねぇか?」
「そんな、ふわっとした感じで良いんですかね?」
「目撃者にはアニスも居るし、司令が上手い事やるだろ」
その時、病室のドアが開く。聞き慣れた声が「リン?」と空いたベッドを見て、辺りを見渡しているのが分かった。
フェンネルがサカキのベッドを囲むカーテンを開け、「こっちだ」と顔を覗かせる。そこには、少々疲れた顔のローズマリーが立っていた。声の方へ振り返った彼女は、眉を下げて歩み寄ってくる。
「フェノン……!」
「早かったな。昼過ぎに来ると思って……」
座ったままのフェンネルを、ローズマリーは何も言わずにそっと抱き締める。突然の事に固まるフェンネルの髪を優しく撫で、彼女は『我が子』の頭をその腕に包み込む。
「……『何故言わなかった』とは言わない。よく耐えたな、フェノン」
「…………っ」
彼女の温かさに、フェンネルはぐっと歯を食い縛る。油断すれば溢れてしまいそうな心を何とか抑え込み、そっと、『母』の細い腕を押し返しながら「うるせぇ」とだけ小さく呟いた。
俯く彼の肩を軽く叩き、今度はリンデンに向けて腕を広げる。優しい彼女の感情を受けて既に嗚咽を漏らす彼は、簡易ベンチから降りて床に膝を着いた。
生還を喜び合う様に、二人は強く抱き合う。
「頑張ったなぁ、リン! 全部聞いたぞ、凄いじゃないか!」
「うわあぁぁん!」
ごめんなさい、と、腰にしがみついて泣きじゃくる彼の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「リン。リンデン。お前はフェノンや友人を救ったんだ。誰かを傷付けたんじゃない、大切な人達を護ったんだよ」
「でも……でも俺、約束……!」
「リンは約束を護ったじゃないか。皆生きてる、誰も死んでない。本当に、よく頑張ったなぁ」
「マリーさぁん……!!」
ローズマリーはべそべそと泣く彼の黒髪を撫で、「一緒に加減を練習していこうな」と優しく微笑む。鼻を啜り、大きく頷いたリンデンを見届け、今度はベッドに座るラウリ族の少年に目を向ける。
「……サカキ君、だね」
「あ、は、はい……」
ローズマリーはリンデンから二歩進んでベッド脇に移動し、両腕を広げて「さぁ」と笑った。
ギョッと目を丸くしたサカキは、慌てて首を横に振り始める。
「いやいやいやいやいやぼぼぼぼぼぼ僕は良いです僕は結構ですぅぅ!」
「サっちゃんの喋り方が元に戻ってる」
「おいクソババァ、セクハラすんな」
「命の恩人に感謝を伝えて何が悪い。さぁ、おいで」
サカキは戸惑いたじろぎながらも、「ほら」と促されて断れずに身を委ねる。ローズマリーは彼の傷に触らないよう、優しくその頭を両腕で包み込んだ。
「……か、母さんにも、こんな風にされた事無いのに……」
「……つらかったな」
「い、いえ、そんな事は……」
「君のお母さんは、君のために自分を『敵』に売ったんだ」
「……え?」
「君のお母さんは軍属のお医者さんだから、『インフェイス』がどんな辛い目に遭うのか知ってる。実験まがいの検査、差別の目、謂れの無いデマ……君のお父さんが散々苦しんだ事を、君にさせたくなかったんだよ」
夫が『ライカン』となり、息子がとどめを差した。『インフェイス』であった彼の子が、もしも同じ『インフェイス』であったなら。
もし、時が来て『ライカン』に成り果ててしまったら。
不安と悲しみ、そして恐怖に心を病んだサカキの母は、最早、手段を選ばなかった。愛する夫の情報を消し、我が子が母を安心させるために作った制御装置を完成させるために、タングステンに身を売り、膨大な資金や材料のある軍立学校へ入学させた。
自分に出来る事など、彼自身が安全に暮らすためのチャンスを与える事のみ。彼の母は、そのためだけに心を殺し、我が子から離れた。
「さっき、君は『こんな風にされた事無い』って言ったけど、それは君が忘れてしまっているだけだ。それ程、今が辛く苦しかったんだな」
「……僕は、母さんも『罰を受けるべきだ』、って……」
サカキは目を見開いたまま、静かに涙を流す。彼を離したローズマリーは揺れる紫の瞳を見つめ、「君のせいじゃない」と微笑んだ。
「確かに、君の証拠はお母さんの罪を暴くものでもある。でも、お母さんは全ての罪を認めて、君を『無事に卒業させる事』を条件に司法取引を契約した。お母さんは分かっていたんだよ。君が行動しなくても、いつか必ずこんな日が来る事をね」
「……母は、どうなるんですか」
「『ライカン』の情報隠匿の罪は実刑を免れない。だが、刑期を終えれば家に帰ってくるよ。卒業式には来てくれると思う」
「……あ、ありがとうございます……ありがとう、ございます……!!」
耐え切れず、泣き崩れるサカキを、ローズマリーは再び抱き締めた。嗚咽を漏らして彼女にしがみ付く彼を、友人の二人は其々に眺めていた。
「サっちゃん、良かったねぇ……本当に良かった……!」
「……こっちは一段落だな。後は俺の処遇がどうなるか……」
「やい、フェノン。お前もしっかり卒業させるからな」
「……はぁ?」
顔を上げたフェンネルが見たのは、照れながら「もう大丈夫です」と逃げようとするサカキの頭を捕まえ、ずっと撫でているローズマリーの不機嫌な顔だった。
「……なんで知ってんだよ。っつーか、知ってるならこのまま在学するのも無理って分かるだろうが。司令に一通り話聞いてこい」
「そのバーベイン殿から聞いたんですぅ。んもー、起きた事はともかく、これからの事を話さないのはお前の悪い癖だぞフェノン」
「あの……は、離して……」
「これは俺の問題だ、手前の事を自分で片付けて何が悪いんだよ」
「何が『自分で片付ける』だ、まだまだ子供な未成年の小僧のくせに」
「あぁ?」
「いだだだだ絞まってますお母さん、頭、頭が絞まってます、お母さんっ」
「あー、サっちゃん動かないでぇー」
「お前は大人をナメ過ぎなんだ。こういう時こそ『助けて』って言えって、いつも言ってるだろ!」
「ただでさえ何十人も子供抱えて船長の負担軽減させてやろうってのに、古参船員の気持ちぐらい組めやクソババァ!」
「なぁにが古参船員だ、その甘っちょろい考えが余計に心配掛けてるって気付けクソガキ!」
騒がしくなった病室のドアが開き、「賑やかだな」と男性の声が響く。
「おーい、入るぞー」
是非を問うても返事は無く、彼はベッドを囲むカーテンを大きく開く。すると、そこには小柄なラウリ族の少年に船長がヘッドロックをかましたまま、喧嘩している二人の姿があった。
「……どういう状況だ?」
「ユズさん、いらっしゃい!」
「おお、リンデン。元気そうだな」
「ユズさんは疲れてる。寝てないの?」
「色々、用事があったんだ。しかし見事なギプスアートだな……何書いてるんだ?」
「船の中」
「『船の中』?」
しかし、目を凝らして描かれた線を見たユズリハは思わず目を疑った。
「……それ、配電図か?」
「うん」
「船の配電図? え? ちょっと待て、『チャーチグリム』の配電図か!?」
「うん」
「いやいやいや機密情報、それ機密情報だから。おい、機密情報が漏洩してるぞ。全員揃ってて、なんで誰も気付いてないんだよ」
慌てるユズリハを他所に、サカキを巻き込んだ親子喧嘩は数分間続いた。
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