十三話
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フェンネルとサカキが連れてこられたのは、午後は使用しない実験棟の倉庫だった。紫外線を避けるためにカーテンを締め切り、出入り口は非常口と正面玄関しか無い。辺りを見渡せば、出入り口や窓は、全て相手の取巻き達が守りを固めて外部からの侵入を防いでいる。
大掛かりな実験も行われる中はそこそこに広く、腕を後ろに縛られたフェンネルは倉庫の中心に引っ張り出してきた椅子に無理やり座らされた。
「ようこそ、俺の溜まり場へ」
「……軍の所有物をクソ溜めにするなよ」
「そうそう、その罵詈雑言。最近はそれすら聞けなかった」
「………………」
何を言っても嬉しそうな相手に、フェンネルは心底軽蔑した様子で視線すらも外す。同じような人間をもう一人知っているが、彼にはこんなに嫌悪感を抱いた事は無い。
彼と『これ』の、ここまでの違いは一体何なのだろうか。
「……ごめ、ごめんなさい……ごめん、なさい……!」
謝罪を繰り返し泣き続けるサカキに、フェンネルは悦にニヤつくシスルワートに声を掛ける。
「……おい」
「お、何だ何だ? 嬉しいねぇ、お前から声掛けてくれるなんてよ」
「アイツはもう『御役御免』だろ。なんで連れてきた?」
シスルワートは「どいつだ?」とフェンネルが顎で指す方を見る。俯き肩を震わせる彼に、その男は何故か鼻で嗤った。
「ああ、アイツはな。俺の父方の従弟なんだよ」
「……いとこ?」
「調べてみてビビったよ。親父の兄貴は死んだって聞かされてたからなぁ……まさか駆け落ちして逃げてたとはね」
タングステンの黒歴史だ、とシスルワートはサカキを見ていた。
サカキの父親は、『インフェイス』として登録された時点でタングステンから勘当されたらしい。戸籍すらも抹消されてしまった彼は、当時婚約していた女性が名乗っていた偽名をそのまま本名として戸籍に登録した。
それが、サカキの母だった。
「父親が『ライカン』化して死んだ時、軍属だった母親はどこに頼ったと思う? 旦那が逃げてきた実家だよ」
「………………」
「ウケるだろ? 結婚破棄で大モメした、旦那の実家に頼ってんの。『何でもするから、旦那の起こした事件を隠してくれ』って。駆け落ちする程愛した相手が近所のおっさん食い殺しちまって、自分達の保身のために旦那の悪事を隠蔽だよ。愛って何だろうなぁ?」
「……揉み消したのは、タングステンの差し金か」
「御名答」
シスルワートは状況を楽しんでいる様にニヤリと笑った。
成る程、とフェンネルは視線を下げる。これで、自分が『この事件を知らなかった理由』が判明した。
通常ならば、『インフェイス』の所在と『ライカン』の出現は軍全体に百パーセント共有されなければならない情報だ。軍属の、しかも討伐船である『チャーチグリム』が情報を得ていない事自体が、有り得てはならない事件なのだ。
タングステン家は、どれだけの被害者が出るか分からない『ライカン』の出現を隠匿した。この事実は、貴族社会の存続を脅かす程の出来事だった。
「今、あのガキが無事に学校通えてんのは、母親の『涙ぐましい努力』のお陰って事だ。優しいだろ?」
「……今の当主も、息子家族には甘かったって事か」
「お祖父様がただの貧乏人の言う事を聞く訳無いだろ。軍医だったアイツの母親が、ブラッドストーンの当主の娘だったからだ」
その言葉に、フェンネルは黙ったまま眉間に皺を寄せる。
「軍医としてタングステン家から『インフェイス』が出ちまったって事実を揉み消して、家同士を繋ぐため、再びウチに輿入れする事。それが条件だった」
「……で、結果は?」
「アイツが答えだ」
シスルワートは可笑しそうにサカキを指差した。
「アイツの母親はお祖父様の第三夫人として、貴族街に別荘を買って貰ったらしいぜ。一回見た事あるが、すげぇ美人なラウリ族だった。お祖父様もやるなぁとは思ってたけど、まさかあの美貌で、子持ちとは思わなかったよ」
「……色狂いな一族だな」
「何だよ、嫉妬してくれてもいいんだぜ?」
汚れた地面に膝を着き、フェンネルの長い黒髪を撫でる。ぞっと首筋を這った悪寒に耐えられず、顔を背けて拒絶した彼にシスルワートは嬉しそうにその目を細めた。
「相変わらず、つれねぇヤツだな。俺と過ごした、あの濃厚でアツい夜を忘れた訳じゃないんだろ?」
「……シャワー室で無理矢理オナホ代わりにされた記憶しか無ぇよ」
「切っ掛けはそうだ、確かにそうだったかも知れねぇ。『それ』目的で狙ったのも認める」
シスルワートは両手を広げて立ち上がり、サカキの手を引いて立たせる。ふらふらと付いてくる彼の肩に腕を回し、馴れ馴れしく「お前が証人になれ」と視線も虚ろなサカキに笑い掛けた。
「俺は、あの夜から変わったんだ。生まれ変わった。あれから誰とも『遊んで』ねぇし、お前だけを考えて過ごしてきた」
「……きめぇ」
「頭から離れねぇんだよ。俺を怖がらねぇ、靡かねぇ、嫌悪感剥き出しで抵抗してきたのはお前が初めてだ。絶対勝てねぇって分かってるのに、その気高さは何だ? どうすればお前は俺のものになるんだ? なぁ教えてくれよ、メノウ」
「………………」
「っま、待って……ください」
「……あ?」
ふと、耳元に聞こえた少年の声に、シスルワートは顔を歪める。サカキは歯を食い縛り、震えながらその大男を懸命に睨み付けていた。
「さっきの……さっきの、話は……ほ、本当なんですか……!?」
「……俺はメノウと話してんだよ」
シスルワートは軽々とサカキの胸ぐらを掴み上げ、裏拳で殴り飛ばす。地面に転がったサカキは苦しげに呻き、どこかを切ったのか口から出血が見えた。
「鬱陶しいやつ。俺に意見するなら殺すぜ?」
「や、やってみればいいさ……さっきの話が、本当なら……僕は、お前を許さない……!」
「……やめとけ、サカキ。怪我するだけだ」
だが、彼を止めたのはフェンネルだった。低く落ち着いた声に、シスルワートが直ぐ様反応する。
「おい聞いたか、チビ? お前の先輩は本当にいい男だ。この状況で後輩を気遣って、怪我まで心配してる。優しいヤツじゃねぇか」
「ここにいる、全員を……許さない。僕は、誰一人、逃がす気は無いからな……!」
「大事な大事なオカーサンが、どうなっても良いのかよ」
「……母さんは、罰を受けるべきだ」
当然、僕も。
そう睨んでくる小柄で弱い少年に、シスルワートは見下げながら歩み寄る。妙な気配を感じ取ったフェンネルは、その背中に「待て」と叫んだ。
「何だよ、いい所だったろ?」
「部外者に手ぇ出すんじゃねぇよ、目的は俺だけだった筈だ」
普段のフェンネルなら、恐らくは無視するだろう。だが、この時のフェンネルは焦ってしまった。このままでは、この男は本当にサカキを手に掛けてしまう。フェンネルは、脅しではない『本気』を感じた。
理由はどうあれ、サカキは嘘を吐いて自分を売ろうとした。守る道理は無い、筈なのに。
彼は、『大切な弟』の友人なのだ。
「ソイツに手を出すと後が面倒だぞ。犯した罪が記録に残れば一生の汚点になる。サカキも無謀と無茶を履き違えてんじゃねぇよ、それ以上はリンデンが……」
「『あれ』の話はするなっ!!」
「っ!?」
突然叫んだシスルワートに、倉庫内にいた誰もが驚いた。
頭を抱え、視点の合わない目は虚を見つめて何かを耐えるようにぶつぶつと何かを呟いている。
「……『モルス』体の汚染症状……!?」
サカキが呟き、シスルワートは動きを止めた。
ゆっくりと振り向いた空虚を見る目に、サカキは息を呑んだ。
「……俺は『インフェイス』じゃない……」
「し、シスルワート……!」
「訂正しろ!! 俺は汚染なんかされてない!!」
サカキに殴り掛かろうとしたシスルワートに、椅子から駆け出したフェンネルが背中にタックルを食らわせる。隙を突かれた相手はフェンネルと共に地面へ転がり、頭を打ったのか額を押さえて顔を横に振り、周りに叫んだ。
「お前等、クロサイトをボコせ!!」
命令を聞いた取巻き達が、従順に動いてサカキを捕らえる。「お前に恨みは無いが」「逆らうからこんな目に遭う」と呆れた様に声を掛けられながら、数人掛かりでサカキを暴行し始めた。
「うわあぁぁ!!」
「サカキ……!」
殴ったり蹴ったりを繰り返す取巻き達に囲まれ、為す術無く身を丸くする後輩に動けないフェンネルは目を見開き歯を食い縛る。その時、身体を転がされたフェンネルは自分に馬乗りになる大男に左側から強く殴られた。
瞬間的に目眩を起こし、微かに呻いた彼の顎をその大きな掌が掴む。
「お前は、今ここで犯してやる」
「……『リンデン』によろしくな」
もう一度殴られ、反対側からも拳を受ける。俯せに転がし組み敷きながらも、「『あれ』のせいで」と呟く相手の目には、最早自分は映っていない。
「サカキ!」
フェンネルが叫んだ。
「耐えろ!!」
「……!」
「生きて帰れば俺達の勝ちだ!」
「は……はいっ!!」
確かな返事が聞こえ、か弱いと思っていた少年も『戦っている』事を知る。髪を掴まれ「ふざけんな」と引っ張られても、フェンネルは屈する事は無い。
その顔には、笑みさえ浮かんでいた。
「何が可笑しい……!」
シスルワートが怒りに歯を食い縛る。
「この状況で『勝ち』だぁ? アイツはボコした後でお祖父様に『裏切り者』として突き出す。お前も『遊んだ』後で両眼を抉ってやる」
「…………」
「それで終わりだ、お前は俺のものだ。誰にも……誰にも渡さない」
「……そうだな、やっと終わる」
やっと、終わりだ。
生きて帰る……己が叫んだその言葉を胸に、フェンネルは強く目を瞑った。
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