十一話
リンデン達三人が食堂を出た後、暫くパニックは続いていたらしい。四人にとって不運かどうかは分からないが、明日は全学科臨時休校となった。
夕食時にはかなり落ち着いていたらしいが、それでも、アニスは「皆何かに怯えていたようだった」と話した。
「どこをどう探しても、『モルス』反応が出なかったってんで明日再検査だってさ。それで何も無かったら、多分集団ヒステリーか何かで処理されるかもって」
テイクアウトで持ってきた四人分のランチボックスの内、一つを箸で突付きながらアニスが言った。
「多分、実際の原因は秘密裏に処理されるだろうな。リンデンの体質については、ローズ伝いで副司令も知ってる」
「え、嘘! バーベイン様もリンちゃんの一件に関わってんの!?」
「ふ……ふく、副司令とは……?」
「ジャスパー一尉」
その名前を聞いたサカキは驚きに冷や汗を浮かべ、リンデンは「誰?」と首を傾げる。直接的に軍を統括、指示している部署に勤める偉い人だ、とサカキが説明しても、リンデンはピンと来ていないようだった。
「えー聞いてないんだけど! バーベイン様も教えてくれればいいのにー」
「教えたら勝手に『優先順位』変えるからだろ。そもそも、リンデンがウチの船に乗ってる事知った時点で悟れよ」
「じゃあリンちゃんの事詳しく教えて! 僕も関係者になりたい!」
「そ……そんな、か、軽いノリで……!?」
「俺の事って何?」
しかし、慣れているのかフェンネルの表情は変わらない。
「……分かった。黙ってれば関係者、喋れば反逆者だ」
「じゃあ黙ってる! 一生黙ってるから!」
「よし、一生黙っててくれ」
「……ん? ねぇどういう意味? それってどういう意味?」
「け……け、喧嘩、しないで下さい……」
目の前まで近寄っても無視するフェンネルを笑顔で威嚇するアニスに、唐揚げに箸を突き刺して食べていたサカキがふと質問を投げる。
「あの……あ、あの人は……どうなったんですか……?」
「ん? ……ああ、タングステンのお坊ちゃん?」
名前が出て、サカキは辿々しく頷いた。
「彼なら無事だよ。数分後に起きて、連れの腕借りて家に帰ったってさ」
「そ……そう、ですか」
「検査もあるだろうし、来週いっぱい休むんじゃない? 知らないけど」
「……俺、アイツ嫌い」
すでにランチボックスを空にしたリンデンが、割り箸を噛みながら呟いた。
昼間、力尽きたように眠っていた彼は、知らない間に手首に巻かれていた機械に興味を持ち、取り外して分解しようとしていた。すぐに引き止めたフェンネルに「ローズの許可を得るまで外すな」と言われ、大人しく受け入れたのだが。
如何せん、リンデンが不機嫌になったり、昼間の出来事を思い返すとすぐにブザーが鳴るのが玉に瑕となっていた。
再び鳴り出したブザーにアニスは笑い、フェンネルが呆れ、サカキが慌ててリンデンの手首を手に取ってブザーを止める。
「六回目ともなると、さすがにオモロいね」
「す、す、すみません……」
「ねぇフェンネル、これブザーって取れないの?」
「俺に聞くな、隣に制作者が居るんだから止め方教えてもらえばいいだろ」
「うわ、本当だ。ねぇサっちゃん、止め方教えてぇ?」
「え……えと……」
気付かなかった、と言わんばかりにリンデンはサカキに向き直り、彼にブザーの止め方を詳しく教えてもらう。その様子を見ながら、アニスは「だけど」とフェンネルに耳打ちした。
「本当、惜しかったよね」
「何が」
「もうちょっとだったんだけどなぁ」
「……やっぱりか、このクソ野郎」
アニスの真意を即座に汲み取り、フェンネルは舌打ちした。
「『親』に頼まれた『おつかい』を反故にする気か? 『あれ』が死んで困るのはテメェだろうに」
「どうとでも処理出来るから大丈夫。どうせ役に立たなきゃ『片付けなきゃ』いけないし、今のうちに『片手間』が終われば学業に専念できるでしょ?」
「だったらテメェで『片付け』てこいよ」
「何さ、フェノンのためにもなるのにー」
「身内から犯罪者が出たら、クソババァが面倒だからな」
フェンネルは呆れた様子で、ブザーの止め方を習得し喜んでいるリンデンを見ている。
『船』のため、と常日頃から言う彼だったが、守るものは最早それだけでは無いのだろうとアニスは微笑んだ。
絶対に、本人達には教えてやらないけれど。
「……ふふっ。相変わらずマザコンだねぇ」
「不健康極まり無い関係の奴に言われたくねぇな」
距離が近い上級生二人を見て、嫉妬したように頬を膨らませるリンデンにサカキはヒヤヒヤしていたが、何故か、リンデンの手元からブザーが鳴る事は無かった。
※
その夜。
「眠れないの……」
昼間、理由はともあれ、あれだけ寝たら眠れなくなるのは当然だろう、とフェンネルは突き放す。
消灯時間は既に過ぎ、枕を抱えて向かいのベッドにやってきたリンデンに自分の『巣』へ帰るよう言ったフェンネルだったが、「独りが怖い」と泣き出してしまう彼に強く断れなくなる。
その時、まだ起きていたアニスがカーテンから顔を覗かせて、
「ベッドの下の荷物全部出して、そこで寝ればいいじゃん」
という『彼らしい』アドバイスにリンデンが目を輝かせたため、フェンネルは彼を仕方無くベッドに招き入れた。
勿論、「絶対に触るな」という条件付きでだが。
「触ったら蹴り出すからな」
「背中合わせならいい?」
「……まぁ、それなら……」
それで満足なら、という言葉が頭に浮かんだが、それはフェンネルの妙な気遣いであって全く本意では無いので、口には出さず飲み込んでおいた。
ベッドの上からは、サカキが僅かに魘されている声が聞こえる。それを切なく思いながら、リンデンは小さくフェンネルの名を呼んだ。
「……その、フェンネル……?」
「……早く寝ろよ」
「ごめん……その、今日の事、謝りたくて……」
「……別に良い」
「俺、みんなに迷惑かけちゃったから……」
「………………」
食堂から帰ってきてから何処か元気が無かったが、まさか、彼はずっとその事を考えていたのだろうか、と思う。
入ってくる情報が多く、気が回らなかった自分も良くなかったかも知れないが……いつもニコニコと底抜けに明るい彼も、落ち込む事もあるのかとフェンネルは少し安心した。
彼は決して『正体不明の怪物』などではない。性格が少々幼いだけの、『普通の少年』だ。
「……眠れねぇ、と言ってたな」
「うん」
「暇潰しに教えてやる。一年終盤で習う俗的心理論『怒りの理由と制御する方法』」
「……何それ?」
「黙って聞け。他人の言動にカッとなるのは、まだテメェに自制心が備わって無いからだ。我慢が出来てねぇから、今日のような事になる」
「う……」
「まずは心を制御出来るようになれ。怒りの沸点をとにかく上げろ。逆に融点を下げて、常に感情と向き合い、理性を手放さないよう心掛けろ」
「……うん」
「別に怒るなとは言わんが、ちょっとした事にいちいち反応するな。身体が反応する前に、深呼吸して一旦落ち着け。常に冷静に物事を見定め、最悪の事態と最善の策を考えてから行動しろ。感情で動くな、理性で選べ」
「うん……」
フェンネルが述べるのは、学校の学科で習った事だけではない。ローズマリーの教えと、彼が経験から学んできた極意でもあった。
途中、アニスから「長い」「くどい」「煩い」と幾つか苦言が届くが、その内、彼も寝落ちてしまったのか静かになる。
抑揚も無く、延々と囁くように興味の無い事を喋っていれば、背後に感じる温かさの主も寝るだろう……フェンネルはそんな風に考えていたが、しかし、最後まで話し切っても、リンデンは「……わかった」と静かに応えた。
「……でも、俺は……フェンネルがあんな風に思われるのは嫌だよ……」
「それが『ちょっとした事』だっつってんだよ阿呆。そんな事にいちいち目くじら立ててないで、黙って無視してりゃ良い」
「そんなの出来るわけ無い!」
その時、布団の中から微かにブザーの音が聞こえてくる。最終手段として音量を最小にしていたため飛び上がるような事は無かったが、目を覚ましたらしいサカキが「大丈夫ですか」と小声で声を掛けてくる。
「ご、ごめんサっちゃん」
「……起こして悪かったな」
「いえ、僕は全然……大丈夫なら、良かった」
安心した様子で寝返りを打ったサカキに、リンデンは申し訳無さに唇を噛んだ。ブザーを止めた彼の後ろで、フェンネルは呆れた様子で溜め息を吐く。
何も言わない相手に、リンデンは再び「ごめん」と謝罪を述べた。
「……何度も謝ってくんな」
「……ごめん……」
「……俺は、そんなに信用出来ねぇか?」
「え?」
予想外の質問に、リンデンはつい後ろを振り向いた。
「な……なんで? どうして、そんな事聞くの?」
「お前の気持ちは分からんでもない。極端だけどな」
「ごめん……」
「だが、俺だって抵抗しようと思えば出来るんだよ。そこまで過保護にならなくてもいい」
「なんで抵抗しないの……?」
「相手が悪い。俺が『本気』出したらローズに皺寄せが行く」
「しわ?」
「迷惑が掛かるって事だ」
意味を理解し、リンデンは俯く。
「……でも俺、アイツ嫌い」
「それでいい。嫌いなら近付くな」
「でも……っ」
「近付かせなければ良いんだよ。イキってるだけの奴は、ちょっと脅せばすぐ怯む」
「!」
「食堂の一件で、『あれ』はともかく周りは怖気付いた筈だ。その変な能力を自由にコントロール出来るようになれば、それはお前の『武器』になる」
お前なら、出来る。
眠そうな、低く優しい声が身体に染み渡るように心へと響いていく。リンデンは起き上がって袖で目を拭い、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……わかった。俺、頑張るよ」
「まぁ、代わりにキレてくれた事には礼を言っとく」
突然の感謝を伝えられたリンデンは、顔を真っ赤に染める。目を潤ませ、感情を爆発させた彼はフェンネルを背中から目一杯抱き締めた。
「俺、頑張るから!」
寝転がったまま後ろ蹴りを食らったリンデンはその後絶対にベッドへ上がらせてもらえず、結局朝までベッド脇の床で一夜を過ごした。
翌朝、サカキがデスクに飾っていた一鉢のサボテンが、赤く小さな花をたくさん咲かせていた事に驚いたのはまた別の話である。
※




