八話
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その時は、突然訪れた。
リンデン達が入学してから一ヶ月と二週間。学科が主な時期のお陰か、アニスがいうその相手とは、『偶然にも』顔を合わせずに済んでいた。
というのも、相手は『何故か』全寮制である筈の寮生活を免除され、自宅の屋敷からわざわざ通っているらしい。サカキが自分のクラスで聞いた話によると、今月から始まる演習に合わせて、寮に入るという情報だった。
「誰の情報なの、それ」
怪しまれないよう、交代で昼食を食べに来ていた三人は長テーブルに着いてランチを食べる。今日は先にリンデンとアニスが食堂に来て、サカキが合流、アニスが部屋まで食堂のランチをテイクアウトで持ち帰る、という当番だった。
「ぼ……僕のクラスは、タングステン家の……し、信者が、多いので」
「やだぁ、追っかけしてる奴がいるってワケ? キッモ」
「演習かぁ……学部も専攻も俺と一緒なら、慌てなくても会えるよね」
「ちょっと、間違っても自分から声掛けたりしないでよ。フェノンが自殺したら困るでしょ」
「むぅ……」
以前、消灯を過ぎてから探しに行こうとした時も、リンデンはそう言われて断念した。当然、寮に泊まっていない相手を探す事にならなくて、ある意味では無駄な時間を過ごさずに済んだのだが。
リンデンは、どうにもアニスの『説得』が苦手だった。船では「嫌われる」「怒られる」等と言われ、当然、彼に嫌われたくないから、リンデンも頑張って正そうと思う。
だが、「自分のせいで彼が傷付く事になりかねない」と言われると、全ての目的が分からなくなるような感覚を覚えるのだ。
何のために、自分は此処にいるのか。紛う事無くフェンネルの隣にいる為なのに、彼が居なくなってしまえば、自分は何の為に居るのか。
自分に出来る事など無いと言われて、どうして、こんなに不安で悲しい気持ちになるのか。
言い表せない感情に、リンデンにはどうする事も出来なくなる。その為、いつもアニスの注意を飲み込む事しか出来なかった。
「演習っていつから?」
「えっとー……『5月第一月曜日から毎週月曜、木曜、金曜の週三日に掛けて』……」
「配られた予定表丸暗記してんの? やっば」
「き、今日は日曜ですから……」
「……明日に備えて、今日から寮泊まりの可能性もある、か」
時間が掛かっているのか、サカキが注文したテイクアウトはまだ名前を呼ばない。リンデンは食堂内の時計を見て、今頃は銃の整備か学科の復習をしているだろう彼を想い、溜め息を吐いた。
その時、大きな声で誰かが叫んだ。
「明日の演習で、俺と組みたいヤツいるー!?」
ぎゃはは、と下卑た笑い声が聞こえる。典型的な不良グループのような集団に、アニスが一瞥して「来たよ」と呟いた。
リンデンは、表情が変わらなくともアニスから強い嫌悪と侮蔑の感情を感じ取り、彼の視線の先を辿る。リンデンの隣で、「か、彼です……!」と怯えた様に呟いたサカキに、リンデンは視線を声のした方へ向けたまま問う。
「知ってる人?」
相手は、賑わっている食堂の人混みに隠れ、座っている場所からは見えない。
「た、タングステン家の、『神童』と言われてる……シスル、ワート……様、です」
「誰?」
「嘘だろ、俺の事知らねーの?」
途端、ガっと肩に腕を回されたサカキは、悲鳴も上げられないまま身体を硬直させた。冷や汗を滝のように流し、勢いで動いたらしい眼鏡がズレる。
「…………ッ!!」
「コイツは知ってくれてるのに。お前、何? 三下?」
何処からか、くすくすと可笑しそうに笑う声が聞こえる。
サカキの隣にやってきたのは、体格の良い、とても少年には見えない風貌のオリヴェール族だった。
『シスルワート』と呼ばれたその少年が立ち上がると、その身長は悠に百九十センチを超えているように見える。
見下されたリンデンは、興味津々の眼差しで「大きいね」と返した。
「ユズさんより大きいかも」
「……誰だよ?」
「ユズさんはユズさんだよ?」
揺るがないリンデンに、相手は肩を竦めて首を振る。それを見ていたらしい彼の取り巻きが、何処かで笑い声を上げた。
そして、彼はリンデンの隣に座るアニスに視線を移す。
「……よう、フローライト」
「どーも、タングステン殿」
「何だよ、『俺達の仲』だろ? 他人行儀は止めてくれ」
「そうだね、シスルワートくん」
リンデンは、ふとアニスを見る。自分の隣で長身の相手を見上げる彼から、一切の感情が感じ取れなくなったからだ。
シスルワートに肩を掴まれたり、髪を触られたりと手遊びの玩具にされているサカキからはずっと怯え怖がる感情が伝わってくるのに。
いつもと変わらない笑顔を浮かべ、アニスは「暇そうだね」と言葉を投げた。
「明日の演習相手なんて、明日決まるんだから今探さなくても良いんじゃない?」
「勇気ある立候補を探してんだよ。誰も居なきゃ、また教官と組む事になる……いい加減飽き飽きしてるんだ」
「大変そうだねー」
「そっちこそ何だよ、新入生のガキ抱えて、子守の仕事でも始めたのか?」
「僕も二年だからさ、後輩の面倒見なきゃなんだよね」
「はっ、面倒臭ぇ。お前も実家から通えるように掛け合ってやろうか?」
「遠慮しとくよ。そもそも、通える『実家』が僕には無いから」
どっ、と笑い声が上がった。
サカキが「ヒィッ!」と小さく悲鳴を上げ、複雑なやり取りにリンデンは首を傾げる。
「それより、このチビが俺を知らねぇってのはどういう事だよ? まさか家畜上がりか?」
「あー、その子はねぇ……」
「タングステンっていう名前は知ってるよ。フェンネルの親戚だって聞いた」
「!」
サカキが肩を飛び上がらせ、アニスが僅かに顔を引き攣らせる。シスルワートが、ゆっくりと口角を上げながら「へぇ」と相槌を打った。
「りっ……りりり、リンデン君……!」
「何?」
リンデンが振り向くも、サカキは何も言わずに首を振るばかりだ。その時、行儀悪くも長テーブルに腰掛け、リンデンの隣に移ってきたシスルワートはニコリと笑ってリンデンの肩に腕を回して寄りかかってきた。
「その話、詳しく聞かせてくれよ」
「何を?」
「お前、メノウの何なんだ?」
瞬間、リンデンの雰囲気が変わる。アニスはそれを悟り、席を立ち上がってリンデンの名を呼ぶ。
しかしそれは彼には届かず、正面に座っていたサカキは腕から小さくブザーが鳴っている事に気付いた。袖を捲れば、腕時計型の端末が何かを表示したまま赤に点滅している。
「サカキちゃん、それリストベル?」
「っち、違います。僕が作った、試作品で……でも、な、なんでブザーが……?」
「なぁ教えてくれよ、新入生。そこの青チビは『リンデン』っつってたなぁ。お前はアイツの何? なんで、そんな馴れ馴れしく名前とか呼んでんだよ?」
肩に回る腕が、少しずつリンデンの首を絞め始める。
「……全部調べ尽くしたと思ってたのに」
シスルワートが呟いた時、リンデンは首に回る腕を左手で掴んだ。
「……穢らわしい『支配欲』を見せびらかしてんじゃねーよ屑が」
「あぁ?」
途端、リンデンの側に居たアニスとサカキが衝撃波を受けたように後ろに飛ばされる。周辺でも叫び声が上がり、アニスが受け身を取って起き上がると、尻餅をついたらしいサカキが、そのまま這い擦りながらテーブルを潜っている。
シスルワートは床に膝を着いて崩れ落ち、リンデンが掴んだ腕を引き上げて相手の巨体を立たせている。左腕を引いて構えた瞬間、机の下から移動してきたサカキがリンデンの腰にしがみついた。
「駄目です、待ってくださいッ!!」
「わあぁ!?」
驚いたリンデンは「何!?」と言いながら振り向く。手を離した勢いで、失神しているのかシスルワートが顔面から床へ倒れ込んだ。
「ビックリした! サっちゃん、どうしたの?」
「……ど、どう、って……」
サカキは、床に転がるシスルワートに視線を向ける。それを辿るようにリンデンも彼を見るが、その途端、リンデンは思い出したように顔を歪ませ、大粒の涙を流し始めた。
ギョッとするサカキの後ろから、身を起こし駆け寄ったアニスが「行くよ」と二人に声を掛ける。
「あ……あ、アニス先輩」
「教官達が来る前にズラかるよ。ほら急いで」
「い、い、一体何が……!?」
「後で説明する。僕もあんまり分かってないけど」
サカキが辺りを見渡すと、所々でも失神した者が出たのか食堂内はパニックになっている。この混乱に乗じて逃げよう、とアニスはサカキを立たせてリンデンの腕を引いた。
素直に付いてくるリンデンは、ふと振り返ってシスルワートを見る。
「……約束、破っちゃった」
ごめんなさい、と謝罪を繰り返すリンデンを引き連れて、アニスを筆頭に三人は素早く食堂を後にした。
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