七話
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翌日の通常日課が始まると、少しずつ異変が起き始めた。
フェンネルの、身の回りの物が消えていく。ペンやメモ、銃を手入れする綿布は勿論、ひどい時には運動着が一式無くなった事もあった。
幸いにも、行方不明になった備品は全て同室者の物を借りる事で賄えた。フェンネルの名前で紛失届を出すと必ず学科の後にロッカーから消え失せているので、フェンネルと同じサイズのリンデンとアニスが変わりに追加貸与を申請する事で誤魔化す事が出来た。
その日一日が終わる毎に、三人はデスクの椅子を部屋の中心に向けて、被害報告と対応を考えていた。
「ま……まるで、て、典型的な虐めですよね……」
「顔が見えないから、存在を感じたいんでしょ」
「黙れ、寝てる間に眉毛剃るぞ」
「はぁ!? 僕の尊顔に触んないでくれる!?」
「相手を教えてくれたら、俺がやめさせてくるよ?」
「絶対駄目だ、テメェは手ぇ出すな」
「あの、フェ……フェンネル、先輩」
演習で使うゴム弾用の狙撃銃を手入れしているフェンネルは、その手を止めて後ろに振り返る。
「何だよ」
「せ、せめて教えて頂けませんか……?」
「……何が」
「その、た……タングステン家当主の、ま、又甥との……関係を」
瞬間、フェンネルの表情が固まった。
入隊式から二週間近くが経っているが、アニスはタングステンの名前を出しただけで、詳しい事は何一つ新入生に話さなかった。やはりそれは彼の問題でもあり、リンデンやサカキがアニスに質問しても、彼は「言えない事情がある」とだけしか答えてはくれなかった。
彼が、直接話してくれるのを待つしか無い。そうアニスに言われて、妙に諦めの良いリンデンは「何かあれば自分が『助けて』あげればいい」と納得してしまったが、元々は関係の無いサカキにすれば、たまった物ではない。
自分の好きな『開発』に多額の援助をしてくれている名家を、疑いたくはない。
せめて、自分が協力する理由さえ分かれば。
「お……教えて、ください。ぼ、僕も……僕も、皆の力になりたいんです」
皆が目を見張るが、彼はそんな彼等を一瞥して鼻で笑い、作業台と化している自分のデスクに向き直った。
「……親戚だ」
「シンセキって何?」
「り、リンデンさん、親戚というのは……」
「俺の叔母が、ソイツの曾祖母。それだけだ」
「ソーソボって何?」
「オバーチャンのオカーサン。分かる? リン君」
「オカーサンがあんまり分かってない」
「マジか」
「で……ですが、タングステン家は代々、お、オリヴェール族ですけど……」
「俺は『混ざり者』だ」
それを聞いたサカキは、一瞬だけ視線を泳がせる。混ざりもの、とは、四つある種族の中で、異種族の間に生まれた子を蔑む呼び名だった。
異種族の婚姻で、遺伝子間に歪みがあるため混血は決して生まれない。そして、一番遺伝子が弱いオリヴェール族は、異種族婚の間には決して生まれる事がないと判明している。
オリヴェール族の特製故に、貴族達は皆オリヴェール族自体を見下し、『血が薄く弱い人種』だと蔑んでいる。同種族との間に子が恵まれない場合、他種族から『側室』を迎え入れる事もあるのだが……彼等は皆、その『側室』を決まって隠したがった。
その間に生まれた子は、異種族の血を持った『混ざり者』なのだから。
「今更珍しくないだろ」と自嘲に嗤ったフェンネルに、何とか彼に視線を向けたサカキは「僕もです」と述べた。
すると、意外な顔をしたのはアニスだった。
「よく話してくれたね。オカーサンに黙ってろって言われてたんじゃないの?」
「えっ、どっ、どうして、それを……?」
「ごめん、同室になるヤツは調べちゃうのが僕のクセでさ。オトーサンがオリヴェール族なんでしょ?」
「うぅ……」
「やめてやれ、アニス。悪い癖が出てんぞ」
狼狽えるサカキを気遣い、フェンネルが待ったを掛ける。続けてサカキに「気にしなくて良い」と言えば、サカキは薄っすらと涙ぐみながらフェンネルに礼を返した。
「っは、母は、厳しい人なので……僕の、喋り方も……その……」
「サカキ君の吃音気味な喋り方は、ほぼストレスが原因だもんねー」
「アニス」
フェンネルが制止し、落ち込んだ様に俯くサカキの背をリンデンがそっと撫でた。
「みんな、フェンネルが心配なだけだ。ケンカしちゃ駄目だよ」
「ケンカなんかしてないでしょ」
「でもアニスちゃんはサっちゃんにイライラしてる。アニスちゃんから『何も教えられない』なら、一番良い作戦のために調べようとしてくれてるサっちゃんをイジメちゃ駄目だよ」
その言葉に、フェンネルはアニスを見る。すると彼は引き攣った笑顔を浮かべ、「おもしろーい」と棒読みで小さく呟いた。
始めてではなかろうか。いつでも変わらないトーンでのらりくらりと受け流していた彼が、ここまで感情を露わにするなど。
「……お前、そんな事思ってたのか」
「はぁ!? 思ってないし、ナメないでくれる!?」
「嘘じゃん! サっちゃんがフェンネルにタンゴスターの事聞いてからムッとしてたっていうか警戒してたじゃん!」
「タンゴスターって何よ、『タングステン』でしょ!? そこは気付いても黙っとくのが礼儀でしょうが!」
言い争いを始めた二人に、フェンネルとサカキが顔を見合わせる。
「お前は否定しないのかよ」
「ぼ、僕は……警戒、されるレベルの……人間じゃ……」
「分かってる、分かってるの! 受け持ったミッションに関わる事は、基本的に警戒するのが僕のセオリーなの!」
「うけもったみっしょん」
「て、的確なワードだけ、拾ってる……!?」
「……ふふっ……!」
「ちょっと笑わないでくれる!? そもそもはアンタの家の問題じゃん!」
「俺の事は話さないんじゃなかったのか?」
「きいいぃぃぃっ!!」
苛立ちから頭を抱えたアニスに、フェンネルは腹を抱えて蹲り、その背中を震わせている。先程とは真逆の空気にサカキは呆気に取られ、何やら楽しげな感情を悟ったリンデンは「何、何?」と興味津々でフェンネルに問う。
「フェンネルが笑ってる……! アニスちゃん何したの!? 俺もやりたい!」
「アンタは黙らっしゃい!!」
「駄目だ、腹痛ぇ……くふふっ……!」
「はわ……はわわ」
フェンネルにとって、アニスも己と同じく『ファーム』襲撃事件を生き残った自警団仲間だ。幼馴染とも呼べる彼が、こうして再び感情を剥き出しにして焦ったり怒ったりしている様子を見ていると、どうにも可笑しくて、懐かしくて、フェンネルは笑いが堪えられなかった。
その事を自覚しているアニスも、恥ずかしさから頬を赤く染めて怒り返す。
「やめてよ、僕が悪いみたいじゃん! 僕は悪くないからね! 『こっち』には『こっち』の事情があるんだから!」
「誰が悪いかなんて言ってないよ。みんな心は一つでしょ?」
「いちいちクサい言い回し止めてくんない!? 僕まで恥ずかしいんだよ!」
「はっはっは!」
「わわわ」
収拾が付かなくなってきた頃合いで、消灯十分前のチャイムが棟内に鳴り響く。機嫌がいい者もそうでない者も、皆がそれぞれに身支度を整えてベッドに入った。
部屋は暗く、皆がカーテンを閉ざして眠りに着く。まだ新しいベッドに寝転がって目を閉じたリンデンは、不貞腐れていたアニスが実は嬉しそうだった事も、サカキが家族の事を打ち明けた時に実は心が軽くなっていた事も、リンデン本人は嬉しく思いながらしっかりと感じ取っていた。
ただ。
「…………」
リンデンには、一番楽しそうに大笑いしているフェンネルが、実は過度のストレスで情緒不安定になっている事に気付いていた。楽しい『今』に縋りたい、そんな彼の奥底に、恐らくは本人ですら気付いてはいないかも知れない。
彼にここまでの思いをさせる、その『タングステン』という相手。見目も何も知らないけれど、フェンネルが嫌い、怯える相手なら『悪いヤツ』なのかも知れない。
相手を無闇に嫌ってはいけない、というのはローズマリーの言葉だ。内面を知ってから相手を見定めろ、というのはユズリハの言葉だ。
「……今の内に探して、会ってみよう」
その上で、相手が『敵』かどうかを見定めなければ。
リンデンがベッドのカーテンを開けた瞬間、上のベッドで聞いていたアニスが全力で止めたのは言うまでもない。
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