三話
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妙な気分だ。自分がどうしてこんなに不機嫌なのか、それは何故かフェンネル本人にも理解できなかった。
精神面ではかなり幼く、敵意も感じないし人懐こさもある。恐らく、危険な相手では無い。
なら、何故。答えの出ない心の曇りに、フェンネルは廊下を歩きながら首を傾げるしかなかった。
倉庫前を通り掛かった時、開け放しになったドアからユズリハの背中が見えた。
「どうも、ユズさん。お疲れさんですね」
「おう、お疲れ」
防護服を脱ぎ、『キュア』の捕獲網を片付けていたユズリハはフェンネルの声に応える。
「帰ってきて早々に悪かったな。おかえり、フェンネル」
「どうも。ローズに要救護者の事は聞きました?」
「ああ、記憶喪失だってんだろ? それに、発見当時の状況もかなり気になる」
「……何があったんですか?」
「V地区P11域の丘、分かるか?」
「最近、『花畑』が縮小傾向にあるって言われてる捕獲場ですよね」
「その『花畑』の中に倒れてたんだ」
「!」
フェンネルは眉を顰める。『キュア』はエネルギー体の為、長時間素肌に触れていると日焼けや火傷のような症状が肌に出てしまう。酷い時には内臓にまで異常を来たすため、故に短時間でも防護服が必要とされる。
そんなエネルギー体の『花畑』の中で、倒れていた?
「……あの火傷は、まさか『キュア』の影響……?」
「違うな。気付いてるとは思うが、アレは負傷してから二、三年は経ってる」
「謂わば『古傷』ですよね。そもそも、裸で『花畑』で倒れてられるのも一時間が限界……それ以上は『中身』が『ロースト』になり始める」
「俺達が到着してから、準備して『花畑』に出ていくまで約十五分。その四十五分以内に、辺りには小型船も密猟者の気配も無かった」
「……何者なんです? アイツ」
「俺が知るかよ」
工具を全て片付け終えたユズリハは、倉庫から廊下に出るとドアを締める。
「そもそも、最初は服を来てると思ったんだ」
「素っ裸でしたが」
「黒い毛布みたいな……コートみたいな感じだったな。それが、船に引き上げた途端に『蝶』に変わった」
「は?」
少年を発見した二人は、ローズマリーが船を開け、ユズリハが彼を抱き上げてハッチから廊下に入る。医務室に向かう途中、少年が纏っていた黒い衣服のようなものが突然赤紫色に輝き出し、一斉に蝶となって飛び立ったのだという。
「何だそりゃ……」
「仕方無いから、廊下から一回リビングに追いやって、あの子を医務室に入れた。後は知っての通りだ」
「あの蝶が『高濃縮体』だと分かったのは何故?」
「俺が触っちまったんだよ」
ユズリハは右の前腕を捻って見せる。すると手首から肘に掛けて、彼の青い肌に二筋の新しい火傷の痕が痛々しく残っていた。
「あの子のバイタルを取るのに袖捲ったままだったの忘れててな……しくじったよ」
「ははっ、男前が上がって良かったじゃないですか」
「茶化すな、痛いんだぞ。他の情報については、ローズマリーが今詳しく調べてる。後は彼女に聞いてくれ」
「了解」
救護室へ向かったユズリハと別れ、フェンネルはメインデッキへと入った。
リビング部のソファには、先に向かっていたローズマリーが腰掛けて何やら唸っている。向かいのソファにフェンネルが座ると、彼女は二枚の長いレシートと数枚の書類を眺めながら気難しい顔で悩んでいた。
「おい、来たぞ」
「……フェノン、これどう思う?」
開口一番にそう尋ねられたフェンネルは、ローズマリーから一枚のレシートを受け取って数値を読んでいく。
「……これ、何から取ったデータだ?」
そのレシートは『モルス』体が人体に侵入した際、どれ程の汚染があるかを調べるものだった。
現在、『モルス』汚染で見られる症状は主に精神破壊であるが、あまりに汚染が激しいと、人間の体が『モルス』の浸潤に耐えられなくなり『人間型モルス』となる事がある。
それは二足小型とは似て非なるもので、その風貌は狼が人のように立っているような姿から『ライカン』と呼ばれていた。
これまでにも二度、『チャーチグリム号』は軍の隔離施設で発生した『ライカン』の討伐に参加した事がある。その姿はまさに化け物、二メートルを超えるその黒い巨体は、『モルス』と呼ぶにも禍々しい風貌だった。
汚染が酷い隊士は即軍病院へ入院、発症していない者は『隠し持っている』という意味で『インフェイス』として軍に登録されている。
そのレシートが示す数値は、『モルス』体感値が七十二パーセント。今すぐどうこうとなるものではないが、傍に居るにはあまりにも危険な高さだった。
「まさかとは、思うが……」
「……今日の昼、あの子の髪から取ったものだ」
その瞬間、フェンネルは溜め息と共にレシートをテーブルに叩き付けた。
「……却下だな。軍立病院へ送ろう」
「待ってくれ、こっちも見ろ」
「結果が出てんだろうが。テメェも船長なら、この船を危険に晒すような真似すんな」
「こっちも見ろって」
押し付けられるように、もう一枚のレシートを渡される。舌打ちするフェンネルがレシートを受け取ると、その内容に思わず「はぁ?」と呟いた。
「……『検知無し』って……別人のデータか?」
「それも、あの子の髪から取ったデータなんだ。念の為、爪も眉毛も睫毛も、爪の甘皮まで取って検査キットに掛けたんだぞ」
「結果は?」
「全部バラバラだった」
「……はぁ?」
思わず言葉を失う。『モルス』の浸潤速度は負傷箇所から全身へと広がるため、確かに差は出てくる。だが、部位に寄って数値がバラバラなのは有り得ない事象だった。
ローズマリーは、検査結果を纏めた書類をフェンネルに見せる。
「髪の一本一本に至るまで、同じ数値が出ないんだ。場所で安定してる訳じゃない」
「……今の全体値は?」
「医務室のメーターを確認したら、十パーセントを切っていた。おおよそは、あの蝶と共に体外へ出ていったと推測して良いだろう」
「………………」
「フェノン、あの子は『インフェイス』じゃない」
「……だからって、野放しには出来ない……か」
「そうだ」
だって『得体が知れない』からな。
そう微笑んだローズマリーは、もう己の中に答えを出しているようだった。
こうなれば、もうこちらが何を言っても彼女は自分の意見を押し通すだろう。
「『インフェイス』は漏れなく軍の研究材料、程度によっては自由も無い……だが孤児院に預けるにはあまりにも危険、だからウチで引き取るって言うんだな」
「そうだ」
「俺達はどうなっても良い、ってか?」
「お前達だから頼むんだ。強いだけじゃなく、重要な『決断』も早いからな」
にこっと笑ったローズマリーに、本当に残酷なのは彼女ではないのか、とフェンネルは思う。
「あの子が何者であれ、助けられる命は助けるのが私の信条だ。さぁ、色々と準備しなければな」
「……良いんだな? 俺はユズさんほど強くない。少しでも『兆し』が見えたら……」
「大丈夫さ! 私は『お前』を信じているからな!」
「……とんでもねぇ船長だな」
ローズマリーに呆れた様子で、フェンネルが溜め息を吐く。
コントロールパネルにある船の『モルス』体感知メーターは、少しずつ数値を下げて今はゼロの値を指していた。
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