二話
※
「そんなに拗ねるなよー、悪かったってー」
部屋の隅で膝を抱えてブスくれるフェンネルの背を、ローズマリーは小さい子をあやすように撫でている。
ベッドの上でブランケットを素肌に羽織る少年も、「ごめんね……?」と上目遣いで謝罪を述べた。
「知ってる女の子に似てたから……つい」
「『つい』で初対面の男を押し倒すか? ちょっとビビったんだぞ」
「ごめん……」
「ビビったのか。珍しいな」
「黙れ、クソババァ」
不機嫌なフェンネルが少年を見る事は無く、謝罪を受け取ってもらえない少年は悲しそうに肩を落としている。
ローズマリーは「まぁまぁ」とフェンネルを宥め、「間違いは誰にでもあるから」と少年を慰めた。
「気を取り直して、『初めまして』をしようじゃないか。少年、お前の名前は何と言うんだ?」
「……ショウネン?」
「少年、とは、お前の見た目の事だ。私はローズマリー、彼はフェノンだ。お前の事は、何と呼べば良い?」
フェンネルが少年を見ると、彼は戸惑った様子で視線を泳がせている。
まさか。ローズマリーとフェンネルが顔を見合わせた時、少年は「分からない」と答えた。
「俺……誰なんだろ。ごめん、分かんない」
「分からないものは後回しだ。生まれた故郷や、歳とか、お前の家族は分かるか?」
「……知らない。ごめん……」
「謝る事じゃないぞ。そう落ち込むな」
立ち上がったローズマリーが俯く少年の肩に優しく手を置くと、顔を上げた彼にそっと微笑みかけた。
「心配するな。分からない事は、少しずつ学んでいけば良い」
「……うん」
遠目に見ていれば、見た目の年齢よりも精神年齢はずっと幼いように見える。だが目覚めた時、確かに彼は『相手が生きていた事に喜ぶ』程の心の成熟はあったように思う。
今はまるでそんな余裕など無く、不安と心細さに泣く幼子のようだ。
「……さっき、そいつは俺を誰かと勘違いしていたようだったが」
「確かに……フェノンが『知っている女の子に似ていた』と言っていたな。その子の事は? 何か知っているか?」
しかし、少年はすぐに首を横に振った。
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「いいんだ。お前は何も悪くないぞ」
「記憶喪失の類にしても珍しいな。何かを知っていた様子だったのも、目が覚めたあの一瞬だけ……今はその記憶もすっぽ抜けたって感じか」
「断続的、かつ一時的なものなら良いんだが……」
「おい」
フェンネルの視線を感じ、自分が呼ばれていると気付いた少年がキョトンとした視線を向ける。
「お前が起きた時、『生きていてくれて良かった』と泣いたな」
「え、そうなのか?」
知らなかったローズマリーが驚く。
「その時、お前は何を感じた? どうして、その女の子とやらが生きていたら『嬉しい』と感じるんだ」
「えっと……」
「相手がどんな状況にあったか、その女との関係なんかは覚えてるんじゃねぇのか?」
覚えている事を探している、というよりは、何か答えなければならない、といった迷い方をしているようだ。
その相手を覚えておらずとも、やはりフェンネルに対して何か思う所がある……フェンネルだけでなく、ローズマリーにもその様に感じた。
「分からなければ、『分からない』でいい。嘘を吐かれるよりはマシだ」
「……ごめん……」
「簡単に謝ってんじゃねぇよ、鬱陶しい」
「こら、フェノン」
暴言にも取れる言葉にローズマリーが『待った』を掛ける。ふん、と鼻を鳴らすフェンネルに、何故か少年は嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
全く読めない彼の情緒に、フェンネルは眉間に皺を寄せて訝しむ。
「……何が可笑しい?」
「フェノン、もっと優しく言え」
「ううん、良いんだ」
少年は笑顔で首を振った。
「……正直、その女の子の名前も、どんな子だったのかも……『女の子』だったのかも、ちょっと分かんない」
「何?」
「でも……その顔を見たらさ。何か、嬉しくてたまらなかったんだよ。ああ、生きてた、って……」
目が動き、その視線がこちらを向く。動き、息をして、話している。
それが、堪らなく嬉しかったのだ、と。
「あなたが生きていて、良かった」
再び、涙ぐみ頬を濡らす。そんな少年の隣に腰掛けたローズマリーが、彼の頭を優しく撫でてやった。
「……その子に、何があったのかは……」
「分かんない」
「……そうか」
ローズマリーは、何かを決めたような眼差しで腕を組むフェンネルを見上げる。
「……この子は、『チャーチグリム』で引き取る」
「はぁ?」
「……?」
フェンネルは、「また始まった」と言わんばかりにあからさまな溜め息を吐く。
「住所も名前も分かんねぇ、しかも全身傷だらけで身体的に検査も不十分。本人の健康も考えて、軍の医療施設に引き渡した方が絶対良い」
「だが……」
ローズマリーが言い返そうとした時、「えっ」と驚いた声を出したのは意外にも少年だった。
「や……やだ!」
「あ?」
「こっ、ここに居たい。何でもする、勉強もして賢くなるから……!」
「決めるのはテメェじゃねぇよ」
「でも、俺は……!」
「待て待て待て! 落ち着け、お前達!」
ベッドから勢い良く立ち上がったローズマリーに、二人の少年は各々の表情で視線を向ける。
「テメェが勝手に慌ててんだろうが」
「私が『引き取る』と言ったのには理由があるんだ。フェノン、一度リビングに来てくれ」
「なんで」
「発見時の状況を説明する。この子は一度、ユズ君にも診てもらわないといけないしな」
「……分かった」
「お前は、ここで少しの間だけ待っててくれ。すぐに、医務担当の者が来るから」
「イム……?」
「衛生隊員。お医者さん代わりの人だ」
じゃあ、また後で。
医務室を出て行ったローズマリーを見送った二人だったが、少年はフェンネルを見上げて「エイセイ……?」と問う。
「……身体に悪い所が無いか調べてくれる。上背はデカい人だが、危険は無い」
「いい人?」
「ああ」
フェンネルは彼を一瞥すると、大人しく待っているように言付けて自分も医務室から出ようと足を踏み出す。すると、背後から聞こえた少年の声に、フェンネルは思わず立ち止まった。
「フェノン」
ベッドへ振り向くと、羽織ったブランケットを不安そうに握り締める少年が、不安ながらも何処か必死な眼差しで見つめていた。
「さっき、……マリィ? さんが、そうやって呼んでた。合ってる?」
「………………」
心細い、とその顔に書いてある。己の名前さえ忘れてしまっている状況で、覚えているのは、己に似ているらしい女の顔だけ……当然と言えば、当然だった。
だが、所詮は他人の空似。この少年は自分の顔で別の誰かを想っている。
只でさえ気分が悪い状況なのに、そんな事で懐かれては迷惑だ。
「……フェンネル」
「え?」
「『フェンネル・メノウ二曹』だ。間違えんなよ」
「……うん!」
知ってか知らずか、嬉しそうに満面の笑みで答えた彼に鼻を鳴らす。少年を一人残して、フェンネルは医務室を後にした。
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