一話
「今日は『キュア』の捕獲がメインで、討伐依頼は無い。だが、対象が表れ次第、即時討伐処理せよとの指図だ。良いな、みんな」
「分かった!」
「了解だ」
「りょーかいだ!」
「……了解」
全員の了承を経て、ローズマリーは記入ボードに挟んだ書類に視線を落とす。
「じゃあ早速仕事に掛かるぞ。ユズ君はエンジン調整と『籠』の準備、リンは捕獲具の用意と予備弾薬の確認、フェノンは銃火器と小型武器の整備と点検だ」
「了解」
「はーい」
「……ローズ」
「どうした?」
各々が行動を始めた時、ふと、フェンネルがローズマリーを呼び止める。
彼に歩み寄ったローズマリーだが、フェンネルの視線はユズリハに付いて回る幼い少女に向けられている。
「……アイツはどうするんだ」
「クミンか? あの子はまだ一般市民扱いだから、今日は殆ど見学だぞ」
「すぐに実戦投入しろとは言ってねぇよ。準備段階の基礎や物品の場所とか、先に覚える事あんだろ」
一切こちらを見ないフェンネルの言葉に、ローズマリーは心から嬉しそうに目を輝かせた。
「せっ……成長したなぁ、フェノン! 相手を思い遣れる、優しい子になって……!」
「うぜぇ」
「リンデンに今夜は赤飯にして貰おうか!? 『母』は嬉しいぞ!」
「黙れ」
早速リンデンに交渉しに行くローズマリーを見限ったフェンネルは、ユズリハに歩み寄って先程と同じ提案を彼に進言してみる。
ユズリハは一瞬ローズマリーと同じ目をしたが、傍らでパーカーの裾を掴んでくるクミンを見下ろし「そうだな」と髭面の顎に触った。
「確かに、覚える事は山程ある」
「今日早速現場に出せとは言いませんよ。でも、この船に乗るなら最低限の事ぐらいは出来るようになって貰わねぇと足手纏いになる」
「んー……」
しかし、フェンネルの言葉を聞いたクミンは頬を膨らませて憤慨する。
「なっ……貴様! 私を『足手纏い』だと言うのか!?」
「部外者は船から降りるべきだろ」
「何だと!?」
「クミンさん、貴女に船で働いて頂くための提案です。軍属以外の部外者は、彼の言う通り、討伐やキュア捕獲には連れていけないので」
ユズリハにも言われ、クミンの顔は瞬く間に真っ青になる。そんな彼女の表情の変化に、フェンネルは顔を背けて肩を震わせた。
「自分の言葉に責任を持て、フェンネル。笑い事じゃないぞ」
「ふふっ……こりゃ、失礼を……」
「あんっ? 冗談か? 冗談とかいうヤツなのか!?」
「いや、結構マジだぜ」
フェンネルは身長差を利用してクミンを見下ろす。
「良く聞け、新人。この船で生きていきたきゃ、いつ実戦に出る事になっても良いように装備の種類と準備、船の点検、整備、補給、戦い以外の事は全部出来るようになれ」
「な……ぜ、全部……!?」
「……おいおい」
「分からなければ何度だって質問しても構わんが、ここじゃ一人で完璧にこなせるようになってからがスタートだ。それまでは半人前以下、『友人』どころか同じ人間としても俺は認めんぞ」
「……!!」
衝撃を受けたクミンは、愕然と目を見開いていた。開いた口が塞がらないほど驚く彼女にユズリハはフェンネルを嗜めるが、それでも彼は俯く彼女に対し態度を変えない。
「確か、全員に『友人』だと認められなきゃ、ユズさんに求愛出来ないんだったか? そりゃ残念だなぁ、今のままじゃ船に乗っている事も出来なくなるってのに」
「よせ、言い過ぎだぞ」
「……わかった」
「クミンさん……?」
顔を上げたクミンの目は、怒りと悔しさと勝負心に激しく燃えていた。
「いいだろう……その勝負、受けて立ってやる」
「クミンさん、そういう訳では……」
「別に俺は勝負なんざ求めてねぇがな。最初から俺が勝ってんだから」
「はあぁぁーーーん!?」
「フェンネルも、妙な突っ掛かり方をするな」
しかし、クミンは見下してくるフェンネルにビシッと指差し、「見ておれ下民が」と強く叫んだ。
「よく分かった、この痴れ者めが!! その眼かっ開いてしかと刮目しておれ!! 今日中に完璧に覚えきってみせるわぁぁ!!」
小さな身体で賢明にフェンネルを見下し、クミンは大きな声で「はんっ!!」と鼻を鳴らしてみせる。
フェンネルは小馬鹿にしたように口角を上げ、彼女に付き添い教える羽目になるユズリハは嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「えぇ……今日中はちょっと……」
「せめて貴様は協力せんかユズリハ! 私の教育係なのだろう!?」
しかし、それを聞き逃さないのがフェンネルだ。
「うーわ、頼ってる頼ってる。こりゃ結果も知れたモンだな」
「お前は一々煽るな!」
「へいへい」
「むっきぃぃぃぃ!!」
苛立ちでキレるクミンに背を向け、フェンネルは手を振りながら自分の持ち場へと向かう。そんな相手に怒り冷めやらぬクミンはずっと地団駄を踏みながら不満をユズリハにぶつけていたが、フェンネルの真意を悟るユズリハは只々溜め息を吐くだけだった。
「……まったく、面倒なヤツだ」
彼が『わざと』発破を掛けていったのは、その方がクミンのやる気になると分かっていたからだ。彼女が引っ込み思案で自分に自信が無いような少女なれば、きっとフェンネルはリンデンやユズリハに任せた方が良いと判断するだろう。
船から追い出されないようにするには、最低限の技術を有する『乗組員』である事が絶対だ。唯でさえ目を付けられている『チャーチグリム』に一般人の少女が乗り込んでいると知られれば、次の議会で何を言われるか分からない。
フェンネルは自ら憎まれ役を買って出る事で、ローズマリーが『特例』などという違反を犯したりしないように、かつ、クミン自身に知識と技術を身に付けさせて、誰に頼らずとも自分で動けるだけの能力を『一刻も早く』身に付けさせようという彼なりの大変分かりづらい『思い遣り』だった。
それはユズリハがこの船に来た時から変わらない。リンデンが来た時も、そして今回も、彼は変わらず憎まれ口で発破を掛けた。
「あの三つ編み男、絶対私の事が嫌いだぞ! だからこんな意地悪するんだ!」
「それが、そうでも無いのがアイツの面倒臭い所でして……まぁ、貴女のやる気に繋がったのなら良いのですが」
「やる気!? やる気だと!? 私は大変怒っているんだぞユズリハ! 絶対に……絶対に今日中に覚え切って、奴の特製飴ちゃんをバケツ一杯分要求してやる!」
「それは良い目標だと思います」
「そうだろう、そうだろう! 食事の時にでも、それとなくユズリハが奴に伝えてくれれば……」
「それはご自分でなさって下さいね」
「ゆーずーりーはぁ〜……!」
「俺は伝書鳩ではありません。それにフェンネルとは仲良くなりたいのでしょう?」
「なぁ〜この通りだユズリハぁ〜」
「嫌です」
駄々を捏ねるような仕草で、動力室へと向かうユズリハに付いて行くクミンを見ながら、ローズマリーとリンデンは「またやってるなぁ」「懐かしいなぁ」と微笑ましくその様子を眺めていた。
※
リンデンが廊下に出ると、丁度、銃火器の格納室から必要物品を取りに戻ってきたフェンネルとはち合わせた。
「フェンネル、もう整備終わったの?」
「まさか。向こうのオイルが無くなったから取りに行ってる途中だ」
「俺はね、今から予備弾薬を数えに行くんだけど」
「そうだったな」
「一緒に行く?」
「なんでだよ、勝手に行け」
「えー、一緒に行こうよー。おんなじ方向じゃあん」
「だから俺はオイルを取りに……」
「俺取ってくるから! ね? 先向かってて!」
「はぁ……?」
「格納庫で待っててよ!」
そう言うと、リンデンは身軽な動きで予備のオイルを仕舞ってある整備室へと走っていってしまう。唖然とした表情でリンデンを見送ったフェンネルは、首を傾げながら踵を返し格納庫へと戻っていった。
フェンネルが格納庫へ入った数秒後に、未開封の一斗缶を持ったリンデンが走り込んでくる。
「持ってきた!」
「誰が丸ごと持って来いっつった」
「小分け用のボトルが無かったから、こっちで移そうと思って」
「じゃあ誰がその一斗缶戻すんだよ」
「俺が戻す!」
「……まぁいい。先に点検だけしとくから、後で寄越せ。絶対零すなよ」
「分かった! そのボトルも頂戴!」
フェンネルは持っていた小分け用のプラスチックボトルをリンデンに投げ渡す。彼は受け取ると笑顔で礼を述べ、一斗缶の蓋を開けた。
格納庫に置いてあった三本の小分けボトルへオイルを移し終えるまで、フェンネルは『チャーチグリム』に搭載された銃火器の一つ一つを点検していく。本来なら、この作業の合間にギアへとオイルを差していきたかったが、無いものは仕方が無い。
大型バルカン砲『アンゲロニア』三門、中型狙撃砲『ガイラルディア』五門、そして主砲である閃光砲『アストランティア』。その他、ローズマリーが扱う操縦席専用の十七ミリ、三十ミリ機関砲が二門ずつ、そして取り外しができる小型ガトリング銃『グロキシニア』だ。
使用する六種類の弾薬、閃光砲のケーブルなど、残りの個数や傷の有無等をメモに詳しく書き留めていく。後はリンデンが予備の弾薬を倉庫へ確認しに行けば、今日使用できる装備が計算できる筈だ。
一通りの作業を終え、フェンネルが振り向いたその時だった。
「終わった?」
「うおっ!?」
二十センチにも満たない背後から覗き込んでいたリンデンの近さにフェンネルが思わず叫んだ。
「気配消して来るなっつってんだろうがよ……!」
リンデンが本気で気配を消せば、訓練されていない一般人は勿論、熟練の隊士ですらその姿を見失う。フェンネルですら、別の作業などで集中していればその存在を悟れなくなる。
「ごめん、点検してる時のフェンネルが格好良くて」
「ふざけんな、ぶつかってギアの間にでも落ちたらどうする。怪我じゃ済まねぇんだぞ」
「すぐ心配してくれるの好き」
「テメェの心配はしてねぇんだよ」
「またまたぁ」
「遊んでねぇで仕事しろ。予備弾薬の確認は?」
「さっき終わったよ。倉庫にあった数、全部メモってきた」
フェンネルは差し出された一枚の紙を受け取る。前回照らし合わせた個数とも極端な差異は無く、こちらに用意している弾薬とも辻褄も合う。
相変わらず、教えた仕事は完璧に熟してくる。フェンネルは若干の悔しさに舌を打った。
「……俺が遅ぇだけか」
「そんな事無いよ!? フェンネルは、いつも丁寧で確実で迅速じゃん! 俺が急いだの!」
「なんで」
「だってフェンネル、何か機嫌良かったから……」
一緒にいたくて。
そう言うリンデンの声は段々小さくなっていき、恥ずかしそうに何かをモニョモニョと呟いている。フェンネルは溜め息を吐き、彼の手に握られていたプラスチックボトルをそっと取り上げた。
「終わったんなら来い。手伝え」
「うん!」
リンデンはもう一本のボトルを取りに向かい、フェンネルは砲門を動かす大小様々なギアへと油を差していく。リンデンもすぐに駆け寄ってきて、フェンネルの反対側に回って同様に油を差し始めた。
「……俺が、機嫌良さそうってのは?」
ふとフェンネルに問われ、リンデンは満面の笑みで答えた。
「うん、すごく楽しそうだった」
「いつ」
「クミンと話してる時」
ああ、とフェンネルは数分前を思い返す。
「……身に覚えは無ぇが」
「またまたぁ」
微笑むリンデンは、昔を懐かしむように目を細めた。
「クミンとユズさんを見てたら、俺は初めて『ここ』に来た時を思い出したよ。俺もあんな風にフェンネルに全部してもらっててさ」
「今もだろ」
「少しは出来るようになったと思わない?」
「爪が甘い。油断しまくり。一つの事が出来たら違う一つを忘れてる」
無表情で欠点を並べ立てるフェンネルに、リンデンはぐうの音も出ない。
「いや、まぁ……その通りなんだけどさ……」
「脳みそのメモリー容量が小せぇ。仕事中に遊ぶな」
「……すみません……」
しょんもりと肩を落とすリンデンに、「でも」とフェンネルは口を開いた。
「……褒められる所もある」
「ほ、本当!?」
「この船を降りなかった」
フェンネルは無表情のままギアを見つめ、ギアへとボトルを傾けている。リンデンは、彼の表情に胸の中がぎゅっと掴まれた様な感覚を覚えた。
「……降りるわけ無いじゃん……!」
十二、三の頃に『保護』され、稀有な能力のせいで大勢を傷付け、迷惑を掛けた。なのに『チャーチグリム』の船員達は誰一人として自分を見放さず、解決策を見出し、一人で生きていけるように様々な事を教えてくれた。
そして、十五歳の冬。ローズマリーは、リンデンにも将来に向けての『選択肢』を与えた。
やりたい事、得意な事、好きな事……修行に出る道もあれば、専門の学校に進学し、学ぶ事も出来たのだ。
しかしリンデンが望んだのは、『チャーチグリム』に残る事だった。
「絶対に降りないよ、俺は何処にも行かない。だって、『ここ』にはフェンネルが居るもん」
「……また、そういう事を」
「俺が『目覚めた時』からずっと傍にいてくれて、色々教えてくれて、兵舎学校で色々やらかした時も、俺を見捨てたりしなかった」
フェンネルは何も言わない。しかし、そのボトルを持つ手は、リンデンの言葉に耳を傾けるかのように動きが止まっていた。
「フェンネルは俺の全てだ。フェンネルが大切に思ってる全てが、俺にとっても大切なものだから」
太陽の様に笑うリンデンを眩しく思うようになったのは、いつの頃だったか。
フェンネルは彼を一瞥して目を伏せ、「ふん」と小さく鼻を鳴らした。
「……まぁいい。ここ終わったら捕獲具の準備を……」
「あ、ごめん終わらせてきた」
「早過ぎねぇか?」
「だって前回準備してた分、そのまま整備室に出せば良かったから……」
そう言えば、とフェンネルは思い返す。
前回の『キュア』捕獲の任務が入った時、想定外の『モルス』襲撃があった為に、準備したそのままを保管庫へ戻しておいたのだった。
今思えば、『想定外』というのも白々しい気がしてくるが。
「上に戻ったら暇になるな……」
「じゃあ出発まで一服しようよ。紅茶飲みたい」
「俺に『淹れろ』ってか?」
「昨日の晩に焼いたスコーンあるよ?」
「!」
温めるよ?
そうとまで言われてしまうと、フェンネルは何も言えなくなる。笑顔のリンデンを恨めしそうに睨み、彼は「仕方無ぇ」と呟いた。
「……分かったよ」
「やったぁ! 皆も呼んでお茶パーティーしよう!」
「調子に乗るなよ、全員が全員、テメェみたいにすぐ終わらせられる仕事じゃない……」
その瞬間だった。
フェンネルは言い掛けた言葉を止め、踏み込めずにバランスを崩した右足へと集中する。だが全く摩擦を感じないまま後ろに重心が傾いた時、よく知る声が「おっと」と耳元で小さく聞こえた。
見た目よりも力強く、芯のある身体が倒れかけた自分を抱き留める。目と鼻の先にある彼の深紅の瞳が、心配そうに、しかし柔らかく細められていた。
「大丈夫?」
「………………」
フェンネルは、ゆっくりと視線を彼から足元に向ける。そこには、数滴の茶色い液体が床に点々と散らばっていた。
「……これ」
「何?」
「オイルだよな」
「……嘘でしょ」
「絶対に零すな、って」
途端、リンデンの顔が青褪める。彼が反省の申し開きの弁を述べる間も無く、フェンネルはリンデンが最も美しいと思う笑顔で拳を握り締めた。
「よーし歯ぁ食い縛れ」
いつもの強烈なアッパーは場所を考えて平手打ちに変更されたが、それでも、真っ赤に腫れた頬を押さえ、リンデンはさめざめと泣きながらリビングへと一人帰っていった。
※
「もう駄目だ……俺は、もう……駄目だ……」
「ローズマリー、リンデンが役立たずだ」
リビングに入るや否や、リンデンはソファに俯せで寝転がり、ぐすぐすと泣き出している。丁度、ダイニングの椅子に腰掛けて船の備品と搭載武器のリストを覚えていたクミンは、彼の頭元に寄って鉛筆の尻で突付いた。
そんな様子に、ローズマリーは呆れた様子で「あんまりイジってやるな」と苦笑している。
「またフェノンを怒らせるような事をしたんだろう。放っておいてやれ」
「おお、これが『そう』か……!」
クミンは孤児院でローズマリーが話していた、『リンデンはフェンネルに相手にされないだけで泣く』という状況を目の当たりにして何故か感心している。
マリーさん、と突っ伏していた顔を向けて名を呼ぶ彼は、最早涙と鼻水でドロドロになっていた。
「きたなっ」
クミンが思わず仰け反った。
「ムァリーざぁん……俺、もう嫌われぢゃっだのがなぁ……?」
「自身を持て、リン。今まで散々フェノンをキレ散らかさせてきたお前を、今更アイツが嫌いになる筈ないだろ?」
「でもぉ……今日は、何か違くてぇ……ほっ、本気で怒られ、ちゃって……っ」
「フェノンはいつも本気で怒ってるじゃないか。もう泣くな、大丈夫だから」
膝を抱え、わっと泣き出すリンデンの背中を擦るローズマリーを見ながら、何処か言葉の足りない慰め方にクミンが引きながら訝しげな表情を浮かべる。
「……いつも本気で怒らせてるのに、『大丈夫』なのか……?」
人とは、尽く奥が深い。心理学その他の文献と全く違う彼等の生活に、クミンは思わず唸った。
そんな時、エンジン調整を終えたユズリハがリビングに戻ってくる。
「おお、どうした。また面倒臭そうだな」
「ユズリハ、聞いてくれ。リンデンが役立たずだ」
「見ちゃいけません」
どさくさに紛れてクミンはユズリハの太い腕にしがみ付くが、彼は全く気にした様子も無くそっと剥がしてクミンの頭を撫でた。
ぶ、と悔しそうに頬を膨らます彼女を微笑ましく見つめ、顔を上げたユズリハは泣きべそを掻くリンデンに声を掛ける。
「聞け、リンデン。フェンネルから伝言だ」
「…………うぇ……?」
涙と鼻水を垂れ流したまま、リンデンが顔を上げる。ローズマリーが「伝言?」と問えば、ユズリハは呆れた笑みを浮かべる。
「今日、捕獲予定の三倍キュアが取れたら、フェンネルが晩飯を作ってくれるらしい」
「は、え?だって、俺が今日の当番……」
「格納庫の通路にオイル零したんだって? そこで移し替えるのを許可したアイツも悪いだろ」
「え……でも、移し替えたのは俺だし、押し通したのも……」
「監督不行き届き、だな」
隣で聞いていたローズマリーが言った。
「零す事を想定して、ちゃんと注意しなかったフェノンも悪い。なのに、アイツはリンに一発食らわせた」
「殴って悪かった、ってよ」
「…………っ!!」
ユズリハの言葉を聞いたリンデンは、先程の涙が嘘のように顔を輝かせた。
「んな、何!? 何を作ってくれるの!?」
「リンデンののリクエストを優先するそうだ。決まったら教えてやれ」
「は、はやっ早く! 早く出発しよう! 俺、頑張ってノルマ超えるから!」
顔を袖で拭い、クミンの「きたなっ」という言葉も気にしないリンデンは満面の笑みでソファから立ち上がる。急にそわそわと動き出し、彼は寄り添ってくれたローズマリーに大きな声で礼を言った。
「マリーさん、ありがとう! 今日は張り切ってキュアを捕まえるよ!」
「良かったなぁ、リン」
「俺、監視台の弾薬補充と火器セッティングしてくる! 行ってきます!」
「落ち着いてやれよー、間違えるぞー」
「はいっ!!」
リビングの外へと走り去っていったリンデンを見送り、ローズマリーもソファから腰を上げるとほっと息を吐いた。
「やれやれ、毎度フェノンの一挙一動に一喜一憂だ。リンは疲れないのかな?」
「放っておいてやれ、本人はアレで楽しいらしい」
クミンがユズリハにローズマリーの言葉の意味を問えば、「リンデンが勝手に振り回されに行ってるだけ」と説明した。
「何故……?」
「気にしない方が良い事もあります。ローズマリー、エンジン整備完了。後は点火後の調整だけだ」
「よしよし。じゃあフェノンが戻ってきたら操縦席に座ろうかな」
「フェンネルは直接監視台に上がると言っていたぞ。待たなくて良いんじゃないか?」
「え? でも、今さっきリンがセッティングに行くって……」
「おっと、マジか」
そうユズリハがホールの天窓を見上げた直後に、壁の外からリンデンの叫び声と大きな落下音がメインデッキ内に響く。
何事かと慌てたクミンがユズリハの背に隠れた数十秒後、先程勢い良くハッチを飛び出して行った筈のリンデンが、
しょんもりしながらリビングへと帰ってきた。
「おかえり、リン」
「フェンネルに蹴落とされちゃった……」
「『蹴落とされた』……!?」
「ははは、悪かったなリンデン。つい言いそびれてた」
仲間を蹴落とし、蹴落とされ、その蹴落とされた仲間に笑い掛ける。
クミンは「本当に仲間なのか……!?」と、彼等の冗談の様な『日常』に只々唖然とするばかりだった。
「ローズマリー、監視台にフェンネルが居るなら出発準備完了だ」
「じゃあ到着までは頼んだぞ。船内マイクは入れておくから、何かあったら叫んでくれ」
「了解」
メインデッキ、リビングから臨むメインデッキの正面側に、大量のレバーとフットペダルに囲まれた小さな椅子が構えられている。ローズマリーは慣れた様子でリビングから階段を降りて操縦席へ向かい、ユズリハは未だ自分の腰元にしがみ付いているクミンに視線を落とす。
「クミンさん、何か飲み物を入れましょうか」
「な……なんだ、終わったのか?」
「もうすぐ出発ですが、目的地到着まで時間があります。勉強にも飽きていた所でしょう?」
「そんな事無い!」
クミンは、ずっと持っているリストを得意げに掲げてみせる。
「もう半分程は覚えたぞ。ユズリハがくれたコレが、とても分かりやすいからな!」
「それは良かった。では余裕があるようですので、暫く休憩しましょう」
「わかった!」
嬉しそうに笑う少女に、ユズリハも笑顔で返す。しかし、その物品リスト自体はフェンネルが作成したものだという事実は、黙っていた方が良いかも知れないとユズリハは思った。
「ユズリハ、私はりんごジュースとやらが飲みたい」
「了解しました」
「俺、レモネード! 一昨日漬けたヤツ!」
「うわっ、今回は復活が早い……!」
「お前はジュースの前に腫れた所を冷やしとけ」
ユズリハは平手打ちを受けたリンデンの頬だけでなく、蹴落とされ落ちてきた時に打ったであろう額の赤みを指す。
どん引きしているクミンに対し、頭を掻きつつ照れた笑いを見せる彼に、濡らした手拭きタオルに冷凍パックを包んでユズリハは投げ渡した。
※




