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六話




 それから彼等は、臨時ではあるが現当主であるバジルの許可の元で屋敷に泊まり込み、皆で綿密に計画を練った。彼女が信頼しているという従者の女性も呼び、何度も何度も会議を重ねた。

 当然、彼女の従者も、ローズマリーから任務を受けたユズリハがその日の内に調べ上げていた。


「マロウ・ブラッドストーンは、バジル・G・イリスアゲートの長姉の夫の末妹だった。直接的な血の繋がりは無いが、彼女の実家は『ファーム』テロでイリスアゲートに名貸ししていたらしい」


 ユズリハから貰った書類を見て、ローズマリーは神妙な面持ちで溜め息を吐いた。

 マロウの祖父は戦犯の汚名を被り自決。家族も離散し、財産は没収。イリスアゲートに吸収される形で、貴族としての名を取り潰された。

 彼女は復讐のため、従兄の伝で偽名を使いイリスアゲートに従者として潜り込んだが、その暴走をバジルが説得し、留め続けていたのだった。

 己が全ての業を受けるから、どうか死に急がないで欲しい、と。

 ローズマリーは従者も共に助けるため、敢えて作戦会議に参加させた。イリスアゲートの犯した罪を公にし、ブラッドストーンの汚名を濯ぐとローズマリーが約束すれば、マロウは泣き崩れながら謝罪と感謝を述べた。


「お祖父様の名誉を取り戻す為なら、己の身などどうなってもいいと考えていました。その約束が果たされる時、家族達も報われると思います」


 バジルの口添えもあり、マロウは信用に足る人物と判断された。


「……一つ聞いてもいいかい、ブラッドストーン氏」

「ローズマリー様、私の事は『マロウ』と。私も『家』を捨てた身ですので」

「じゃあ、マロウちゃん。ブラッドストーンに嫁いだバジルちゃんの姉だが、父親の事や弟妹の事は、何か言ってはいなかったか?」

「……お義姉様は、本当に素晴らしい方でした。歳の離れた私を、妹や娘の様に可愛がってくださった」


 彼女の祖父が自決した際、両親も後を追うようにハイマートの大河へ身を投げた。翌年、財産の没収と家の取り潰しが決まると、兄は自宅にて拳銃で頭を撃ち抜いていた。

 兄の成れの果てを見つけた義姉は心を壊し、介護を要する状態まで堕ちた、とマロウは語った。


「イリスアゲートは二人に子が生まれたら、養子として渡すように約束させられていたと聞きます。でも、遂ぞ兄夫婦は子供に恵まれなかった。だから、お祖父様は名を貸す事で養子の約束を取り消してもらったと父が話していました」


 彼女の兄が亡くなり、心を壊した義姉はイリスアゲートに引き取られていったらしい。最後に見た義姉はまるで、されるがままの赤子の様だった、と彼女は話してくれた。

 その後は逢う事も叶わず、どこにいるのか、生きているのかすらも分からないままだ。それはユズリハが調べ上げた調査報告と同じだった。

 その事実を義姉の弟妹であるバジルとフェンネルに話してみても、二人共同じ反応をローズマリーに返した。

 望みは無い。諦めた方が良い、と。


「役に立たねぇ人間の『掃除』は何処よりも手際が良い家なんだ。見つけた所で『一部の臓器だけ』なんて事もあり得るぞ」

「そうか……」

「……私もマロウのために、探させてはみたんですが……ごめんなさい……」

「いいんだ。お前達は悪くない」

「当たり前だ」

「………………」


 ハッキングや情報収集のプロであるユズリハですら所在を掴めなかったという事は、それはかなり高い確率での真実なのだろう。一緒に助け出せればと考えていたローズマリーはとても残念に思い落ち込んだが、バジルやマロウの事を守る為、前を向き避難先の確保を急いだ。

 そして、僅か二日後。二人はローズマリーの知り合いの伝で確保した避難先へと夜逃げする事が決まる。

 守秘義務を徹底する為、その受け入れ先は船員達にも知らされない。途中までユズリハが送り届け、そこからはローズマリーの知り合いを挟んで避難先へと移動する事になる。

 当日の夕方、最後の食事を皆で楽しんだ後でバジルは異母兄を呼び出し、改めて感謝の意を示した。


「お兄様……私達はもう二度と、逢う事は叶わないんでしょうか」

「そうですね。貴女は今から出奔する身、貴族間のネットワークは軍関係者との癒着もあるので、ウチの船と連絡を取り合えば一瞬で足が付きます。我々が貴女の避難先を知らされていないのも、それを防ぐ目的があるのはご存知でしょう」

「……ええ。理解しています」


 儚く微笑む彼女の瞳は、涙に濡れ揺れていた。


「……貴方が『兄』で良かった。いいえ、『異母兄』ではない方が良かったかも知れません。そうなら、お兄様に気兼ね無く恋をする事が出来ますのに」

「……あはっ、ご冗談を」


 フェンネルは引き攣った笑い声を上げ、肩に下がる三つ編みの先を弄る。


「申し訳無いが、それは勘弁願いたいですね。なんせ育ちが娼館街なもので、惚れた腫れたの関係にはウンザリしてるんです。折角貴女が家を潰す切っ掛けを下さったのに、これ以上何かに執着する様な人生はもう懲り懲りだ」

「……それもそうですね。冗談です」

「これから先、永遠でなくとも時間は多大にあります。新しい家庭を築こうが、独り身を楽しまれようが、全て貴女の自由です。幸い、貴女は『孤独』ではない」

「……私の身の回りは、家族も、親類も、皆が何かに執着心を持つ歪んだ関係でした。今は、身軽になってさっぱりした人生を、楽しく謳歌しようと思います」

「これからの貴女の人生を、心から応援しています。どうか幸せになってください」

「はい。お兄様も、どうかお元気で」


 固く握手を交わす。その数時間後には、少女達は新天地へ向けて旅立っていった。

 二人の少女を見送った後、船員達も船へ向けてバジルがチャーターしてくれた馬車で移動する。馬車の中で窓の外を見つめていたフェンネルは、「なぁフェンネル」と声をかけてきたリンデンに目を向けた。


「どうした」

「……あの子、バジルさんだっけ。元気で生きていけるよね」

「努力次第だな。自分を知ってる仲間も居るんだし、大丈夫だろ」

「……その内に好きな人ができたり、子供が出来たりすんのかな……」

「それも本人次第だろ。お前が気にする事じゃねぇよ」

「うーん……」

「さっきから何だ、気色悪ぃな」

「……だってさ……」


 基本的に誰に対しても友好的なリンデンだったが、別れ際、あまりバジルに声を掛けてやれなかった事を少し悔いていた。最初は自己犠牲を貫こうとする姿勢に苦手意識を感じていたが、共にご飯を食べたり、暇潰しに、一緒にフェンネルに編み物を教えてもらったりと、共に過ごして仲良くなったのだが。

 リンデンは人間が好きな分、相手の感情を読む事にも長けている。だが、今回、彼女の心を感じた彼は、何処か気後れしてしまったのだ。

 あの少女の気持ちは分かる。否、その気持ちが分かるからこそ、彼女を思えば余計に声を掛けられなかった。

 それは、『兄』も同じ感情を持っているようで。


「……フェンネルも、バジルさんの事……好き?」


 リンデンの質問に、フェンネルは目を丸くする。


「何だそりゃ」

「バジルさんは、結構フェンネルの事本気だったよ」

「……ふーん?」

「フェンネルだって、最初は「興味無い」とか「面倒臭い」とか言ってたけどさ……あんなお淑やかで優しくて綺麗な色白の子とずっと一緒にいたら、フェンネルも、もしかしたら考えが変わったりする?」

「……さぁな」

「バジルさん、俺とは見た目も性格も真反対の子だしさぁ……結構、その、可愛かったし」


 深い溜め息を腹から吐き出す。そんな落ち込む様子の『弟』を見て、フェンネルは遂に吹き出して笑う。

 それを見たリンデンは頬を膨らませ、顔を真っ赤にして憤慨した。


「あーっ! 笑わないでよ、真面目に話してんのに!」

「はっはっは! あー無理だ、腹痛ぇ」

「人の気も知らないで! マリーさんに言い付けるぞ、馬鹿フェンネルめ!」

「ふっふっ……いや、意外な所でお前の『好み』が分かって良かった」

「逸らすなし!」

「そうかそうか。お前にとって、バジル殿は『可愛い』のか」

「へぁっ!?」


 突然の指摘に、今度はリンデンが目を丸くする。しかし、フェンネルは「成る程、成る程」とわざとらしく頷きながらニヤニヤと口角を上げる。


「お前も一応は男の端くれ、女には鼻の下が伸びるって訳か。まったく、常日頃から俺やローズにベッタリなクセに、これは良い事を聞いたぜ」

「あう……」

「お前もちゃんと男だったんだなぁ、リンデン。そうかそうか、バジル殿みたいな娘が好みか」


 楽しげに笑う『兄』だが、彼から伝わる感情は何処か憂いを感じる。

 諦め、切なさ、自身への戒め。そんな否定的な感情を受けて、リンデンは思わず叫んだ。


「……ちっ……違うもん!」

「ほぉ、違うのか?」

「いや違わないっ……訳じゃないけど! バジルさんも確かに可愛いよ!? だってフェンネルにソックリじゃん! 眉毛とか睫毛とか口元とか雰囲気とかフェンネルに似てる所がいっぱいあって可愛いって思うんであって」

「……あ?」

「でもバジルさんって性格は穏やかで柔らかいし大人しいし薄いっていうか何か儚くて消えそうで苦手っていうか近寄れないっていうか俺が一番好きなフェンネルと全然違っ」


 そこまで捲し立てて、リンデンは顎を下から思い切り叩き上げられる。金属の高い音が馬車から響き、馬を操るローズマリーと御者だけでなく馬も驚く。

 フェンネルの手には、ブリキのマグカップが握られていた。


「……全っ然、似てねぇだろうが……!」

「痛ったぁぁあ! 殴る事なくない!? マリーさぁん!! フェンネルがマグでぶったーっ!」

「こらフェノン! また過激な照れ隠ししたんだろ! 手を出すのは良くないって言ってるのに!」

「ふざけんな、こいつが先にちょっかい出してきたんだよ!」

「違ぁうもぉん!! フェンネルが先に叩いたんでしょー!!」


 真夜中に三人が騒ぐため、皆を無事に船まで送り届けるようバジルに頼まれていた若い従者は怯え慌てる。


「あの……ど、どうかお静かに……」

「本当にすまない、まだまだ子供なもんで……こら二人共! 従者君が困ってるだろ、静かにしろっ!」

「よ……夜中ですし、どうか……」

「俺、間違った事言ってねぇもん!!」

「テメェはどれも同じに見えてんだろうが!!」

「喧嘩するなと言ってるんだ、分からん坊共め!」


 結局ローズマリーは半泣きの従者に手綱を任せ、二人に鉄拳制裁を食らわせる事で事態は収束した。





「約束の場所までは送り届けてきた。そこから先は……ローズマリーの人脈を信じるしかない」

「……後は本人達の運と生きる意志も、ですかね」


 後で合流してきたユズリハに少女達の様子を聞きながら、フェンネルはユズリハと二人で月を見ながら晩酌に杯を傾ける。

 ローズマリーは書類製作のため先に自室へ戻り、ユズリハが戻ってくるまで起きていると粘っていたリンデンはリビングのソファで寝落ちている。


「その顔はどうした」


 月明かりでも分かる程に腫れたフェンネルの頬を指して、ユズリハが笑った。


「……ローズに殴られました」

「ふふっ、やっぱりなぁ」

「気付いてたんなら訊かんで下さい」


 不貞腐れるフェンネルだが、ユズリハが酒のボトルを向ければ素直にグラスを差し出してくる。

 ユズリハは微笑みながら、氷の入ったそのグラスに酒を注いでやる。


「どうせ、またリンデンと喧嘩したんだろ」

「……アイツが悪いんですよ。俺とバジル殿が似てるとか抜かすから……」

「似てちゃ嫌なのか?」

「逆ですよ。誰が見たって俺はあの屑に似てる。そんなのと一緒にされちゃバジル殿が不憫だ」

「誰が見ても瓜二つだと思うがなぁ」

「はぁ? アンタまでそんな事言うんですか」

「あの男もまた、憐れな姉弟の間に生まれたイリスアゲートの生贄だ。そんな特濃の血筋に生まれりゃ、嫌でも似るもんだろ」

「……まさか奴を同情するとでも?」

「自分が何に金を出してんのか分からないような馬鹿に、同情もクソも無いだろ。自分が犯した罪は絶対に消えないんだからな」

「………………」


 グラスを呷り、肴の握り飯を齧ったユズリハの顔が苦いものになる。思う所があるのか神妙な顔付きで酒を舐める同僚に、ユズリハは握り飯の乗った皿を差し出す。


「……絶対太りますよ」

「十年以上変わらんが?」

「俺は太るんですよ。一緒にしないで下さい」

「お前はもっと太れ。だから体力付かないんだぞ」


 実は気にしている事を突かれて、フェンネルは促されるまま渋々握り飯を手に取る。


「……イリスアゲートの家系は、遠慮する人間ばかりなのか?」


 ふと呟いたユズリハに、フェンネルは露骨に嫌悪感を見せる。


「……遂に頭ん中筋肉になっちまったんすね、ご愁傷様です」

「言いたい事は分かるが、俺が知ってるイリスアゲートの人間は皆謙虚で控えめな奴ばかりだ。お前含めてな」

「繕ってるだけでしょ」

「そう見えたか?」


 彼が言うのは異母妹の事だ。フェンネルは何も答えず、ユズリハは言葉を続ける。


「元々、イリスアゲートの家の人間自体が『そう』なんだろうなぁ。俺が調べた限り、子供達でイリスアゲート二将に似てる性格の人間なんざ誰一人いなかった」

「……隣見えてます? 激似でしょうが」

「性格が違けりゃ、人相も変わってくるだろ。嫁いでいったお前の異母姉達は皆、操り人形のように感じた。ただ生きているだけ……そんな状況で誰一人子宝にも恵まれないとは、二将は尽く繁栄に失敗したらしい」

「ははっ、そりゃ目出度い」


 酒の杯を呷り、飲み干したフェンネルは溜め息の後に少し暗い眼差しでユズリハを見る。


「……ローズは、本当に奴を軍法会議に突き出すつもりなんで?」

「奴だけじゃない。ウチの船長は『全員』を晒し上げるつもりらしい」

「……『全員』?」

「敵はイリスアゲートのみにあらず。ちょっとしたミステリーを話してやろう」


 彼が語り出した『真実』に、フェンネルは愕然と目を見開いた。

 ユズリハが出した名前だけでも、名だたる貴族や軍幹部、上流から中流階級の家柄が多数関わっていた。その関わりはなんと二百年以上にも及び、再三、旧皇家から男尊女卑の撤廃と近親での婚姻を止めるよう注意を受けても、彼等は闇深い所で独自の縁を繋ぎ続けていたのだ。

 しかし革命後、大半の貴族が財産を没収、地位を失っていく中で、自らの名と財力を利用し、革命軍幹部に癒着して地位を守った貴族が現れた。


「……イリスアゲート家……!」

「そうだ。あの男は革命軍に多額を援助する事で当時の革命軍総督に認められ、二将という階級を手に入れた。だが、その方法は奴本人が考えたものじゃない」


 当時のイリスアゲート青年に教えたのは、当時革命軍として参加していたブラッドストーン将軍。

 マロウの曽祖父にあたる男だった。


「………………!」

「マロウの曽祖父が老衰で死んだ瞬間、二将は力を付け過ぎたブラッドストーンを失墜させるべく動いた。二将という地位を利用して実業家、投資家としても成功していたイリスアゲートは、マロウの祖父を唆して自分の娘を政略結婚で差し出した」

「まさか……」

「……ああ。その『まさか』だ」


 異母姉は、卵巣肥大の治療と嘯かれて卵管を切る避妊手術を受けさせられていたらしい。当然二人に子供が生まれる訳はなく、全てはブラッドストーン家を潰すための策略だったのだ。

 望むべくは己が種の男児のみ。女児達はその男にとって、使い捨ての道具に過ぎなかったという事だ。


「結局バジルもマロウも、クズな大人達に巻き込まれただけの被害者だったんだな。そいつらが居なければ、彼女達も何も知らないまま幸せに生きられたかも知れないのに……当然、お前も」


 フェンネルは何も言わず、グラスの酒を舐めた。

 現在の貴族、そして軍幹部の大半が二百年に渡って汚職に関わった末、革命の戦いを超え、今まさに『清算』を強いられようとしている。

 また一つ、時代が変わる。だがフェンネルにとって、それは単に『それだけの事』だった。


「……あの頃は、確かに幸せでした」

「おう」

「でも、今だってちゃんと幸せなんですよ。俺はね」

「……うん?」

「奴等がクズなのは今に始まった事じゃねぇ。そんでもって『あの家』が潰れれば、これ以上被害が広がる事も無い。それで終いだ」

「……その先に興味無し、か。お前は強いな」

「そういうんじゃねぇです」


 母親の『遺言』に、強くあれ、とあった。そして彼女は、常日頃から「幸せになれ」言ってくれた。

 自分は、それを守っているだけなのだ。彼女達が歩けなかった未来を、己が代わりに歩み続けるために。

 フェンネルは、やっと小さく微笑んだ。


「……ローズは、今日は徹夜ですかね」

「今も部屋で全員分の告訴書を書いてる筈だ。明日、早朝始発の便でジャスパー司令に提出するらしい」

「さすが船長、仕事が早い」

「俺も、バジルだけでなくイリスアゲート全体の近辺は全部調べ尽くして証拠として仕上げてる。そこら辺は任せてくれていい」

「さすがはユズさんですね。本当に敵に回したくない」

「はっはっ。どの口がそれを言うんだよ」


 二人はまた互いの杯に酒を酌み交わし、杯に口付けようとしたフェンネルをユズリハが呼び止める。


「……もうすぐ、本格的にイリスアゲートの天下が終わる。どうだ、実家の壊滅を一緒に祝わないか?」

「……アンタのそういう所、本当いい性格してますよね」

「お、止めとくか?」

「まさか。盛大に祝いましょう」


 二人は酒の入った杯を月に掲げる。


「世界の終わりと始まりに」

「世界樹が巡り合わせた、新たな出逢いに」


 定番の音頭を取った二人は杯の中を一緒に飲み干し、喉が焼ける様な熱い感覚に揃って息を吐く。


「っくあーっ! 思ってたが、この酒キッツいな」

「ローズが叔父貴に貰った酒ですからね。地酒だから度数も分かんねぇっつってましたよ」

「だからローズマリーも飲まないんだな。リンデンは? アイツも意外と飲めた筈だが」

「甘党が飲めば、あんなモンですよ」


 フェンネルは親指で背後のソファを指す。

 狭いソファに大の字で眠るリンデンは、寝言でフェンネルの名を呼びながら、だらしなく腹を掻いている。その汚い寝姿に、二人は顔を見合わせて小さく笑った。

 しかし、名残惜しい穏やかな時間に区切りを付けるべく、二人は其々に時計に視線を向ける。

 休暇と言えど、明日の朝も早い。


「……これで、フェンネルの悪夢が終わるな」

「母や姉等へ、最高の手向けになりますよ」


 武装を解いても、絶対にベルトから外さない五センチ四方の小さなサイドポーチ。フェンネルはそっと『家族』に触れ、空になった杯に映る月の輝きを見つめた。

 ヤシちゃん、タケちゃん、ハスちゃん。こんな自分を庇い、盾になってくれたカヤちゃん。

 そして、セリちゃん。

 自分の誕生を祝福し、優しく見守ってくれた『お母さん』。

 この復讐劇が『気晴らし』である事は、とうに気が付いていた。それでも、機会が訪れる事を今か今かと待ち望んでいた自分がいたのもまた事実だ。

 全く予想だにしていなかった結果ではあったが、これで根本的に、諸悪を根源から切刻む事が出来る。

 血を分けた末の異母妹を、助ける事が出来た。家庭内での虐待の被害が認められた他の異母姉や異母妹達も、今後救出の目処が立っているらしい。


「……『俺達』の勝利だぜ」


 ……セリちゃん。

 貴女の息子は、フェノンは、新たな『家族』に囲まれて、あの頃と変わらない幸せの中で生きているよ。


「……フェンネル、ローズマリーからの伝言だ」

「何すか?」

「今、幸せか?」


 その質問にキョトンと目を丸くしたフェンネルだったが、すぐに彼らしい、煽るような笑みをユズリハに見せて頷いた。


「当然でしょ。最っ高の気分だ」

「なら良かった」


 翌日、ローズマリーがジャスパー司令官を挟んで議会に提出した文章で、多数の貴族が地位の剥奪を受け、信用を失墜させた。

 イリスアゲートの資産は切り分けられる事無く全てが軍の持つ国庫に入る事になり、名前が挙がらなかった貴族共から苦情を述べた者達もいたが、漏れなくイリスアゲートの悪事への手助けを疑われた為に、皆諦める他なかった。

 後ろ盾を失くし、姉妹達の嫁ぎ先も次々に破産を余儀なくされる。どさくさに紛れて離婚させ、長姉以外は皆助け出す事が出来た。ここまででなんと、一週間と経っていないから驚きである。

 そして、バジルが家から出奔して八日後。

 イリスアゲート二将が息を引き取った事で、悪しき家系、悪しき風習は完全に途絶えたのである。





 時は戻り、『ファーム』テロ事件から十四年後。

 結局リンデンは起こさないまま、ユズリハと二杯ほど飲み合ったフェンネルは部屋に戻ってきた。

 ユズリハはベッドの上段にリンデンを転がし、「おやすみ」と言って部屋を出ていく。残されたフェンネルは整備台の椅子に腰掛けると、引き出しの中から小さなクッキー缶を取り出す。

 徐に蓋を開ける。するとビロードが張られた缶の中には、現在の流行りよりは少し古いデザインのアクセサリーが幾つか並んで入っていた。

 女性向けの、美しい装飾が入った宝石達。ブローチにピアス、ネックレス、そしてブレスレット。

 プラチナの指輪の内側には、自分と母の名が刻み込まれている。

 フェンネルは缶を開けたまま整備台の上に置き、その横に陶器の長皿を置くと、引き出しの中から一本の線香を取り出して長皿の上で火を点けた。

 線香は、煙を燻らせながら短くなっていく。オリヴェール族の女が嗜むという、母に教えてもらった香りだった。


「……もう、大丈夫だ」


 母さん。みんな。

 辛い過去を引き出しに、美しい過去をテーブルに。決して囚われたりせぬよう、全てを抱き締めて生きていく。

 彼女達の教えを胸に抱いて、フェンネルは前を向き視線を上げた。

 翌日、彼に「おはよう」と声を掛けられたクミン戸惑いと嬉しさで激しく動揺していたのは言うまでも無い。






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