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五話


 その一ヶ月後、フェンネルはメノウの名で兵舎学校に入学した。イリスアゲートの根回しか、『ファーム』の生き残りが他にもいるのか……相当な紆余曲折もあったが、それでも、フェンネルは耐え抜き、乗り越えてきた。

 一番つらい時に寄り添ってくれた『弟』、頼れる『兄』、優しい『母』……時には反発し、時には涙し縋る事もあったが、それでも彼等が自分を愛し温かく見守ってくれていると確信できていたからこそ、己は本当に恵まれていると心から思う事が出来た。

 復讐などに身を焼かずとも、亡き母や姉達のため、今の『家族』のため、己の存在を祝福してくれる者達の為に幸せである事が、敵に対しての一番の復讐であると、今の暮らしの中でフェンネルは知っていった。

 しかしその数年後に、彼の憎んだ『イリスアゲート家』は思わぬ形で終息を迎える事となる。

 それは『弟』が兵舎学校を卒業し、自身が十九になった年だった。


「フェンネル、イリスアゲート二将が危篤らしい」


 雨の日の夜。

 編み物の手を留めたフェンネルの横で、ローズマリーの言葉にいち早く反応したのはリンデンだった。


「誰?」


 フェンネルは編み棒を毛糸玉の入った籠に戻し、眼鏡を外した。


「……生物学上の父親だ」

「チチオヤ」

「別に今は知らなくても良い。で? それを俺に伝えて何になるんだ」


 不愉快そうにローズマリーを睨み返すフェンネルに、彼女は一通の手紙をフェンネルに差し出す。


「……次期当主が、お前に逢いたいと言ってきてるぞ」

「目的は?」

「遺産相続の放棄を頼みたいそうだ」


 手紙を受け取り、内容に目を通した。一緒に手元を覗き込むリンデンは、内容を見て「何?」と首を傾げている。


「……だったら書類だけ寄越せっつーんだよ。なんで俺がわざわざ『あの家』に顔出さなきゃなんねぇんだ面倒臭ぇ」

「……すごい回りくどい書き方してるよね。はっきり言えばいいのに」

「あ? どういう事だ」


 手紙を見つめていたリンデンの言葉に、フェンネルは訝しげに片眉を上げる。

 ローズマリーが不思議そうにリンデンに問う。


「リン、何か判るか?」

「この人、フェンネルに『逢いたい』ってさ」

「くだらねぇ。読んだままじゃねぇか」

「でも本当にそれだけだ。何か企んでるとか、騙そうとか、そういう悪い事は一切考えてない。本当に、ただフェンネルに『逢いたい』だけだね」

「……はぁ?」


 リンデンはフェンネルの持つ手紙を嗅ぐ。


「この感じ……何処だっけ、あの、アレと同じかも」

「何だよ」

「ほら、フェンネルも知ってるよ。前の任務で指図書と一緒に、マリーさんが見せてくれた資料」


 ローズマリーとフェンネルが顔を見合わせる。

 あの指図書には、『モルス』の襲撃で犠牲となった隊士が書き遺した、家族への手紙も資料として添付されていた。


「……遺書、か」

「………………」

「最後に一回だけ逢えたら、ってやつかも知れない。俺、そういうの苦手なんだよな……寂しくなっちゃう」


 リンデンは未だに手紙を嗅ぎ、悲しげに眉を下げ見つめている。しかし、じっとフェンネルを見てくるローズマリーの表情から、嫌な予感がした彼は眉間にきつい皺を寄せながら首を横に振った。


「……俺は行かんぞ」

「ほーぉ? そんな事言っちゃうのかぁ?」

「え? 何?」

「確か次期当主は十五歳と聞く。そんなに若い『少女』がこの手紙をどんな思いで書いたのか分かった今、私達が動かないで誰が彼女を助けるんだ」


 つまり、フェンネルとは血縁上の『異母妹』となる相手だ。しかし、尚もフェンネルの反応は渋い。


「知るか、俺は関係無ぇ」

「まぁ関係無いだろうな。お前は私の『息子』で、向こうは殆ど名前を知ってるだけの赤の他人だし」

「………………」

「だから、私はお前を『工作員』としてこの場に『潜入』させる。フェノンは、諜報活動が得意だもんなぁ?」

「なっ……!」


 フェンネルは目を見開いて驚く。その横で、リンデンは顔を上げて「もしかして『お仕事』?」と楽しそうに笑顔を見せる。


「マリーさん、それって俺も参加できるヤツ?」

「勿論だ。リンにも手伝ってもらうからな」

「分かった!」

「おい……!」

「てな訳だから、この招待は受けるぞ。覚悟を決めろよフェノン」

「ちょっ……諜報活動はユズさんの専売特許だろうが!」

「ユズ君は背が高くて目立つから潜入には向かないんだなぁーこれが。自分の仕事を他人(ひと)に押し付けちゃ駄目だぞー」


 露骨に嫌な顔を見せる我が子の事など一切気にせず、寧ろ少しニヤつきながらローズマリーは「準備よろしく」と言い残して鼻歌交じりに手紙を持っていってしまった。


「……クソババアが……!」


 つい心の声が漏れるが、直後に「フェンネル」と名を呼びながらリンデンが袖を引いてくる。


「俺も一緒に行くから、そんなに怖がらなくていいよ?」

「誰が怖がるか阿呆」

「でも、すごく不安なんでしょ」


 分かるよ。

 そう言われて、フェンネルはぐっと言葉を詰まらせる。


「初めて会うから? 場所が怖いとか?」

「……そういうんじゃねぇよ。俺にとって相手は仇敵、俺達に害があるようなら殺さなきゃならん」

「……殺さないといけなくなるのが、嫌?」

「………………」


 図星。フェンネルはリンデンから視線を逸らした。

 相手に逢わなければ、相手を知らなければ、放置と無視で『関係無い』とやり過ごせる。もし、己に会いたいと言う次代が、父親に……『親の仇』に洗脳されていたらと考えると、やり切れない気持ちで一杯になった。

 洗脳され、アレの意思を継いでこちらに牙を剥いても……結局は己と同じ『被害者』でしかない。

 黙り込むフェンネルに、リンデンも口を閉ざす。それ以上は追及せず、ただ、大好きな『兄』にそっと寄り添っていた。





 そして、三日後。

 約束の日に、フェンネルはローズマリーに連れられてイリスアゲート邸を訪れていた。彼は直前までゴネていたがローズマリーは耳を貸さず、結局、フェンネルも仕事と割り切って此処へ来る他無かった。

 今まさに、中庭のテラスで初めて顔を合わせた異母妹と二人だけ。慣れぬ正装に身を包み、相手が纏う美しい風の様なドレスを見れば、その育ちの良さが見て取れる。己の場違いさに、フェンネルは視線を上げられなかった。

 席に着けど、最初に何を言えば良いのか、何から聞けば良いのか、中々口を開けない。しかし、永遠にも感じた数分の沈黙を破ったのは、意外にも彼女の方だった。


「……お兄様」


 視線も合わせず、フェンネルはただ眉間に皺を寄せた。


「……初めまして、お兄様」

「……『お兄様』は止してください。その様な間柄でもないでしょう」


 フェンネルの拒絶に、分かっていたのか少女も「そうですね」と肯定した。


「……私は、バジル・ゴールディ・イリスアゲートと申します」


 明らかな男性名。フェンネルは僅かに目を細める。


「存じ上げております。……随分と勇ましいお名前をお持ちのようで」

「……私の誕生を以て『打ち止め』と決めていたらしい父が、自身の願いも込めて名付けたそうです」

「願い?」

「どうか男であれ、と……結局、期待を裏切る形に生まれてしまいましたが」


 自嘲のような微笑を浮かべる少女の瞳に、輝きは無い。彼女と同じ目をしたフェンネルは、同じく嘲笑に口を歪めた。


「……お言葉ですが、父君の『我儘』に一々応えていたら気が狂いますよ。貴女が馬鹿を見るだけだ」

「……そうかも知れませんね」

「そもそも、貴女が後継となったのも父君の計画でしょう? お姉様方は皆、政略結婚で他所へ嫁がされたのに」

「……父は、お兄様にイリスアゲートを継いで欲しかったみたいですが」


 その返答をフェンネルは鼻で嘲う。


「……自分は『イリスアゲート』ではないので」

「ええ、故にお兄様は全てを放棄なさった。その後、周囲の推薦もあって私が後継となる事が決まりました」

「……成程」

「元々、父は私の出生をお決めになった際に『次に生まれる子に全てを譲る』と公言していた事もありますので、一族には反対者もおりませんでした。五つの時から、私は『次期当主』の運命を背負っています」

「……流石というべきか、最初から男が出来る前提で公言されているのが、何とも父君らしい」

「……そうですね」

「ですが、自分は貴女が女性に生まれてきて良かったと思いますよ。その時の父君の顔を見てみたかったものです」


 瞬間、少女の瞳が揺らいだ。フェンネルはそれを見逃さなかったが、互いの嫌味の言い合いに、負けじと彼女が一石を投じる。


「……私が男に生まれていれば、『ファーム』襲撃などという悲劇は起きなかったでしょうね」

「!」


 知っている、と言いたいのか。

 彼女の一言で、フェンネルは何も言えなくなる。それを言わせてしまったのは間違いなく自分ではあるのだが、まさか、目の前の幼気な少女が軍部の……自身の親が起こしたとも言える事件を口に出してくるとは思わなかった。

 彼女は何処まで知っているのか。自身の父親が虐殺に手を貸した事か、更にその『目的』や、援助の金額、金銭の出処、関わった人間、そのルート、口封じを行ったのか否か……。

 果たして、どこまで。


「……………………」


 しかし、追求すれば、裏金とテロ援助の証拠を絞り出せば、彼女はどうなるのだろうかとフェンネルは迷う。己と同じ『イリスアゲート』の被害者である、この娘の未来は、一体。

 突然黙ってしまった異母兄に、少女は打って変わって柔らかい眼差しでこちらを見つめ、苦笑交じりに謝罪した。


「……ごめんなさい。意地悪なお兄様に、意地悪を仕返してしまいました」


 その笑顔は、年相応の少女そのものだった。


「……ははっ」


 フェンネルは、思わず乾いた笑みを溢す。


「これは、してやられましたね。貴女が家督を継げば、イリスアゲートは未来永劫に安泰だ」


 本心だった。彼女が変えてくれるなら……そんな想いもあったかも知れない。

 しかし、彼女が語り出したのは、フェンネルが聞き出そうとしていた事だった。


「……私が知っているのは、父があの事件に手を貸した事実とその目的、他に誰が関わっているか、そして、その人達がどうなったのか……残念ながら、その程度です」

「!」

「金銭に関わる事は、全て地下の金庫に封印されていますので……アレを開けて下さるなら、場所を案内致します。このイリスアゲートを糾弾する手助けになれば良いのですが」


 フェンネルは静かに驚く。初めて彼女の顔に視線を向ければ、そこには美しく飾り立てられた、自分と本当によく似た顔をした少女が凛と腰掛けていた。

 しかしそれでも、目を伏せる彼女と目が合う事はない。


「……ご自身が、何を仰っておられるのかお分かりか? 貴女は暗に、己の家が潰れる事を願っておられる」


 フェンネルが率直に問えば、少女は目を伏せたまま微笑み、小さく頷いた。


「私は、この血筋を絶やす気でいるので」

「……何故?」

「先代から受け継ぐ業を、濯ぎたいからです」


 大きく息を吸い、顔を上げる。初めて見た彼女の眼差しは、強い決意に満ちていた。


「実は、私はもうすぐ心も身体も『バジル』になります。父の遺言に従って男に生まれ変わり、父の嫡男として、イリスアゲートを生きていきます」

「………………」

「……本当は、一族の反対を受けなかったというのは嘘です。父も、私が女である事をずっと気にしておられた。……嫌悪していた、と言っても良いかもしれません」

「……でしょうね」

「私が十歳の時、一族の者が父に提案しました。私が十五になったら男となるか、お兄様との間に男児を設けるか……そのどちらかで、私の家督継承を認める、と」

「………………」


 この家は、どこまでもイカれてやがる。フェンネルは心の中で強く悪態づいた。

 兵舎学校へ入る前に、この家から受けた養子の話。ローズマリーが訝しんでいた事実を、意外な場面で知る事になってしまうとは思いもしなかった。

 今、この会話を隠しマイク越しに聞いている『母』はどう思っているだろうか。怒って飛び出してこなければいいが、と、何処か場違いな考えが過ぎった。

 そう思うのは、自分の悩みが如何に小さく些細だという事。改めて、フェンネルは今の自分が恵まれているのだと感じた。


「……私だって、元々は父と母が冷凍保存していた受精卵から生まれた命です。母の死後、父の決定で名も知らぬ代理母が出産しました」

「………………」

「望まれた性別でもなければ、マティアス族特有の風を読む能力が強い訳でもない……普通の人間ですらない歪な存在の私が、何の因果か名高い名家の全てを引き継ぐ事になったんです。男に性を変え、男として家を継げば……少しは、父も認めてくださる事でしょう」

「……まさか、本気でそうお考えになっていると? これから死に腐るだけの相手に、あまりにも無駄な承認欲求ではありませんか」

「分かっています。分かっていても、それが私の最後の子供心ですから」

「……そうですか」


 彼女の声音に、迷いは無いように感じる。

 もう、引き止める事は叶わないのか……そう感じると、少しずつ、フェンネルの心も冷め始める。


「……親に認められたい子供心だと言うその口で、貴女は尚も我々に家を潰せと仰るのか。愛憎入り混じる感情を抱えているのは大変でしょうに」

「……私はずっと従順に生きてきました。たった一人の親である父に認められたいというのが子供心なれば、イリスアゲートの血筋の断絶は最初で最後の我儘なんです。親のためにこの身体を捨てるのだから……一度くらい、親に反抗してみても許されると思いませんか?」

「……それを、自分に語る意味は何処にあるのでしょう?」

「お兄様はイリスアゲートの血族で唯一、私達を大変憎み恨んでいらっしゃる。私の計画がお兄様の心を少しでも満足させられるか、是非お気持ちをお伺いしたいのです」

「……計画?」


 フェンネルが問えば、その少女は何処か楽しげに話し始めた。


「これは私の復讐であり、お兄様を始め、この家の犠牲になった方達への懺悔と鎮魂を祈る儀式となるでしょう」


 少女が語った『儀式』。それは、果ての見えない苦しみの中で、苛烈な時間をひたすらに費やすだけのものだった。

 己が男となり家督を継いでしまえば、待っているのは自身の独り天下だ。父が死した後は自身が絶対権力を持つため、それを利用するのだと少女は笑った。

 父の死後すぐ、凍結された母や兄弟達の精子卵子を全て廃棄し、出来るならローズマリーとフェンネルの力を借りて、父が手を出した『ファーム』テロへの資金援助の告発、その被害を訴えてもらい、財産の殆どを没収させ破産させる腹積もりらしい。

 もし『チャーチグリム』がそれを拒否しても、自身が少しずつ財産を削りながら、汚名の中で何年も何年も家長の椅子に座り続け、独り身のまま独りきりで死んでいく。

 姉達は皆嫁いで家を離れ、戻ってこようにも一族は認めないだろう。養子も問題外、頼みの綱であろう異母兄はこの家を大層憎み、潰さんと画策してくるやも知れない。

 数十年は掛かるだろうが、それらが実行できれば、さも自然な流れで汚名に塗れた悪しきイリスアゲートは勝手に廃れ潰れていく。誰も不幸にならない素晴らしい計画だろう、と少女は嬉しそうに微笑んでみせた。


「あの傲慢な満足顔を、地獄の底で絶望と落胆に強く歪ませてやりたい。それが私の最終目標です」

「……は、はははっ」


 なんと、筆舌に尽くし難き強かさ。フェンネルは目眩を覚えて額を押さえるも、堪えきれない笑い声を漏らした。


「これは見上げた行動力だ。なんと素晴らしい」

「如何でしょうか、お兄様? これでイリスアゲートの血筋は完全に途絶えます。お兄様の憂いも悲しみも、少しは報われると良いのですが」

「奴も地獄に落ちた後で、さぞ悔しがるでしょうね。その顔を今すぐに見られないのが本当に残念です」

「私が死した暁には、父の顔に指を差して笑ってやろうと思っています。ご期待下さい」

「ええ、ええ。楽しみにしております」


 異母兄の言葉に、少女は満足そうに笑む。フェンネルは顔を上げ、笑いを堪えて痛む片腹を軽く撫でた。


「はー、楽しませて頂きました。貴女はとても面白い方だ」

「何よりのお言葉です。お兄様はお優しい方ですね……勇気を出して、申し上げた甲斐がありました」

「では、楽しませて頂いたお礼と言っては何ですが……この兄から、餞別として計画への助言をさせて頂いても宜しいですか?」

「助言、ですか?」

「ええ。計画は確実に成功させるため、常に完璧を求めなければいけません。是非とも、ご参考までに」

「は……はい! どうか仰って下さい、お兄様!」


 初めて、誰かに手を貸してもらえる。そんな反応で目を輝かせる異母妹に、フェンネルは目を細めて微笑んだ。


「……バジル殿。性転換の手術など受けずに、世界樹の河を超えて遥か遠くへお逃げなさい。こんな腐れ貴族の家督など継がず、今の名を捨て、新たな地で自由に貴女の人生を生きて下さい」

「……え」

「もし出奔の際の衣食住や金銭を心配されるなら、我々が全面的に協力しましょう。幸い、自分の里親はこの屋敷の敷地より顔が広いので、身分証明の偽造や就職先の紹介等も提供できます」

「あ……ま、待ってください」


 少女は目を丸くして、少し戸惑っているようだ。フェンネルはイヤーモニターを三度、間隔を開けてもう一度爪で叩く。すると、すぐに耳のスピーカーは返事を返してきた。


「先程は『助言』だと仰ってたのに……」


 トトト、トト。船長の『了解』と『許可』を手に入れた彼は、真っ直ぐに少女の目を見据えた。


「……やはり、嘘は良くありませんな。正直に言いましょう」

「う、嘘?」

「これは『誑かし』です、バジル殿。今、貴女に囁いているのは、異母兄の面を利用した悪魔です」

「え、な……何故、どうしてこんな事を……」


 その時、戸惑う少女が見たのは、悪魔の微笑みなどではない。

 それは間違い無く、救世主の眼差しだった。


「ご存知だとは思いますが、自分は心から貴女の家を憎んでいます。それも、貴女が思う何倍も強く、です。今だって、奴が死ぬ前に自らの手であの頭を撃ち抜き、腐り切った中身を地面にぶちまかしてやりたいと思っています。あの男に群がる臭い蛆共にも、奴が如何に汚く醜いのかを見せつけてやりたい」

「……あ…………」

「俺は、貴女のように優しくありません。一刻も早く、イリスアゲートの家が消え失せる事を願う悪人なんです。貴女の計画も悪くは無い……ですが、貴女が我々を利用しようとした様に、自分も貴女を利用しようと考えるのが自然でしょう?」


 ここに好機が転がっているのに、それを見逃すなど馬鹿がする事です。

 そう微笑む異母兄に、少女は愕然と目を見開き、手で口を覆った。

 フェンネルの提示した案は、今まさにこの時しか成功し得ないものだった。当代が危篤の今、大切な後継が姿を消したとあれば、彼女の家を取り巻く『一族』は組織の均衡を保てなくなり、間違い無く内部分解をし始める。そうなれば、当代が死去した後、当主を失った一族は次代当主の再選出、もしくは遺言を全て破棄し、自分達分家を守る為にイリスアゲート家の解体を余儀なくされるだろう。

 持ち主の消えた財産は国を治める軍に三分の二を返納し、残りも少しずつ切り分けられる。一年も経たずに貴族としての体裁は無くなり、イリスアゲートを名乗る血筋は完全に途絶える事になる。


「後釜に入る人間も現れるかも知れませんが、それはもう奴が望んだ形を完全に逸脱していますからね。そうなれば、その後がどうなろうと知ったこっちゃない」


 もし、先の未来で子が生まれようと、それは望まれた『イリスアゲート』ではない。それを以て復讐は完遂するのだ、と異母兄は言い切った。

 少女は、狼狽えるしかない。思っていた答えを貰わなかった彼女は、ただ疑問に思うばかりだった。


「……な、何故?」

「はい?」

「何故、その様な……今まで、誰もそんな事……」

「でしょうね」

「お、お姉様達も……手伝いの者も、皆、私を応援すると言ってくれたんですよ。私が何をしようとも、家長になれば後は自由だからと……ただ一言、『頑張って』と」


 何故、と続けた異母妹に、フェンネルはただ、呆れて溜め息を吐いた。

 その目は、強い嫌悪に歪む。


「……まったく、誰も彼も薄情な人間共だ。結局は我が身可愛さで『我関せず』を通してるだけじゃねぇか」

「……う……」

「何が『姉』だ、何が『一族』だ。『頑張れ』だと? 無責任になすり付けやがって……結局は都合の良い『贄』が無くなるのが面倒臭ぇだけだろうが」


 初めて聞く、異母兄の舌打ち。不機嫌そうな兄は誰かと話をしているのか、耳に手を添え小さく「分かってる」と呟いている。数秒後には彼は一度大きく息を吸い、吐き出しては不服そうに苦笑を見せた。


「……失礼しました。お見苦しい所をお見せしまして」

「わ、私が居なくなれば……皆が、困ります」

「勝手に困らせときゃ良いんです、そんな連中は」

「でも、誰かがまた、私と同じ目に……」

「貴女は奴の『最後の意地』だ。奴が死ねば『意地』も無力、他の人間が興味の無い事を、貴女がわざわざ守ってやる筋合いは無いんですよ」

「でも、私は……」

「……誰も不幸にならない方法を、と貴女は仰ったが、正直言ってそんなものは存在しません。お互いが許し、妥協と譲り合いを経て、納得出来てこその『大団円』となるんです。貴女一人に皺寄せが行く手段など、それこそ貴女が馬鹿を見るだけだ」

「で……でも、私は、私も、お兄様の憎むイリスアゲートの人間です。当主となる私が、業を背負うのは当然ではありませんか?」


 食い下がる異母妹に、フェンネルは呆れたように鼻を鳴らしてみせる。


「勘違いなさるな、俺は悪人だと言ったでしょう。今まさに貴女を唆し、歴史ある貴族を潰そうとしている」

「でも、それは……」

「それに、貴女を逃がせば『今までの贅沢な貴族の暮らしを奪う』という、世にも恐ろしい復讐が出来るんですよ。俺は悪魔ですから、『死して償え』など絶対に言いません。命ある限り、貴女には苦しんで頂きます」

「……でも……」

「しかし復讐は課せど、貴女も一応は同じ目的を持つ同志だ。貴女ほど利用価値のある人物に、悪魔が微笑み手を差し伸べるのは当然の事。今夜にでも全てを捨て、あのクズが生きてるうちに一泡吹かせておやりなさい。今ここで貴女が助けを求めるならば、我々『チャーチグリム号』は何だってお手伝い致しますよ」


 少女は、口を両手で覆ったまま動けないでいた。実の肉親には『性別を変えろ』とまで言われたのに、初めて逢った目の前の異母兄は、自分の罪も業も無視して『逃げろ』と訴えてくる。


「私は逃げても……良いんですか?」


 少女が、揺れる瞳に目一杯の涙を溜めて言葉を絞り出した瞬間、その白く華奢な頬から細い指に、一筋の雫が伝う。

 強く頷いた彼に、彼女は堰を切った様に涙が溢れて止まらなくなる。フェンネルは胸ポケットに入れていた小さな盗聴器を取り出して少女に渡し、震える手で受け取った彼女に、それが運命を変える鍵だと告げた。


「その通信機の向こうに、貴女の全てを変える『力』がある。たった一言、その『力』に助けを乞うて下さい。貴女がどうしたいのか、我々にどうして欲しいのか。今、悪魔の手綱を握っているのは貴女だ」

「………………っ!」

「さぁ、バジル殿」

「……助けて……っ!!」


 少女が絞り出した心からの訴えに、フェンネルの耳元で「よくやった」と鼻を啜るローズマリーの声が聞こえた。



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